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天国飯と地獄耳

岡田育(おかだ いく)

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第11回 お代は見てのお帰り、か?

2018.01.26 更新

 碁盤の目状に区切られたニューヨークシティをブロードウェイが斜めに横切ると、街のところどころに三角地帯ができる。一番有名なのはタイムズスクエアの中洲だろう、もう少し南へ下ったところにある三角形の高層建築、フラットアイアンビルもその産物だ。一階テナント部分には「argo tea」が、真下には地下鉄駅があり、私もよく利用している。

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 「argo tea」はフレーバードティーやラテのメニューで知られる、スターバックスコーヒーの紅茶版といった装いのチェーン店である。違いは、ちょっと待ち時間が長い。店員教育やオペレーションに難があるのか、あるいは「茶葉をじっくり蒸らして淹れていますよ」アピールなのか。さっと買って出るつもりが会計後に5分10分とじりじり待たされ、そうだここはスタバじゃないのだった、と気づかされる。

 店頭のガラスサーバーには季節限定商品のアイスティーが満たされていて、順番待ちの客たちは立ち飲みしながら気長に時間を潰す。今年一月はバレンタイン仕様のパッションフルーツブレンドだった。寒い日に暖房のきいた室内で飲むキリリと冷えた甘いものって、どうしてこんなに美味しいのだろう。しかも無料。注文したチャイを待つ間、うがい薬を入れるようなミニサイズの紙カップに、三杯もおかわりを注いでしまった。

 我ながらがめついな、と呆れているところへ「Lady, you look gorgeous!」と声を掛けられた。ケチケチ無料試飲してる女にゴージャスもないだろうよ、と笑うとすかさず「I mean… your style is beautiful!」と二の句を継がれる。テンガロンハットを被った白ヒゲの老人が、ニコニコしながら私の全身を仰いで、敬服の意を表する大仰なお辞儀をしてみせた。

永遠を生きる「少年」

 いきなり顔貌を褒めるのは日本人くらいのものである。無知な若者が「僕は青い眼の娘が好みです」「あなたの天然の巻き毛が羨ましいわ」なんて言い散らかしているのを聞くとヒヤヒヤする、即刻やめたほうがよい。国際基準に照らせば「他人の身体的特徴には直接言及してはいけない」が一般常識で、肌の色や脚のかたち、胸の大きさなどを会話の緒にする者は、男女問わずそれだけで社会的に死ぬ。代わりにみんな、「眼鏡が素敵だね」「かっこいい靴」「今日のあなた、お姫様みたい」「笑顔がとてもきれい」といった調子で、身につけた装飾品やコーディネート、立ち居振る舞いまで含めた「スタイル」の「美しさ」を褒めるのだ。

 「世界一そのコートが似合うのは君だね」「あなたに見惚れて、私も髪を短く切りたくなっちゃった」なんて賛辞が通りすがりに投げかけられ、そのすべてが「親から授かった遺伝的に変えようがない容姿」ではなく「自分自身で選び取ってきたオシャレ」に注がれる。生まれ育った国で、瞼の形状や睫毛の長さ、骨格といった先天的特徴をさんざん論(あげつら)われてきた身としてみれば、これは筆舌に尽くし難い解放感である。

 そもそも日本ではナンパどころかキャッチセールスにさえ道を譲られていた私だが、老若男女から「ビューティフル!」を連呼される環境に慣れ、最近は褒め殺しの得意なナンパ師たちに褒め殺しでお返しするまでになった。かくして、黒い合成皮革のマキシスカート、真っ赤な踵のエルゴノミック・ハイヒールにスチームパンク風の丸眼鏡を掛けたすっぴんの女と、テンガロンハットに純白のフルビアード、ネイティブアメリカン風のフリンジ付きポンチョを防寒具に、振るえば魔法を使えそうなゴツい天然木の杖を携えた老人とが、互いを「美しい」と称(たた)え合う光景が生まれる。麗しきポジティブフィードバックである。

 流行を無視して好きな服を着ている者同士、出身地と母校の話、知っている日本語のフレーズ、共通の知人探し、などと話題が弾み、「ところで君は、Instagramはやっとるかね? 是非フォローさせてくれたまえ。というか、私をフォローしたまえ」との運びとなった。スマホアプリを立ち上げて、検索窓に口頭で告げられたアカウント名を打ち込む間にも、老人は話し続ける。

 「この年になって初めて、ソーシャルメディアというものを始めたのだよ。FacebookもTwitterも好かんと思っていたが、写真は大好きなものでね。まだ開始してたったの9ヶ月だから初心者だよ。楽しくてすっかりハマッてしまってなぁ」

 出てきたアカウントは、フォロワー数1700人余。2011年から漫然と続けている私のフォロワーが1900人前後だから、すぐ追い抜かれるに違いない。投稿の大半が、自分の全身コーディネートを捉えた俺の俺による俺のためのファッションスナップだった。『Advanced Style』という、若い男性編集者が街中のおしゃれなおばあちゃんを撮った写真集があるが、彼の場合はいわば「自作自演のAdvanced Style」である。プロフィール欄には「NYC boy, 69」とある。実際は若々しさと貫禄とが混在していて、169歳と言われても驚かない年齢不詳さだ。

 次は友人を紹介するという軽い社交辞令と、固い握手とを交わして別れた。紙カップを捨てて小粋な足取りで店を去る彼の背中に、ふと気になったことがある。私に話しかけたとき、彼はこの紅茶店に入店したてではなかったか? そして、かれこれ20分近く話し込んでいたはずだが、私のトールサイズ・スキムミルク・チャイは、まだ出てこないのか?

ハンバーガー屋の王様

 カウンター内の店員に問い質すと、気だるげに端末の履歴を操作しながら「Ikuが注文したチャイ? んなもん、ないわね」と素気無いお返事。証拠のレシートを見せて新しく作り直してもらった。「あんた、名前呼んだときちゃんと取りに来なかったんじゃないの? どこにいたのよ、店外?」とまくしたてられ、「店内の、あそこの隅っこで、老紳士と話していたよ」と指さすと、「あー……」と短く声を上げて、コーンロウ頭の女子店員はぴたりと私を責めるのをやめた。

 「あー……」の後に続く言葉は、おそらくは「またあのナンパ爺さんか」であろう。ふらりと入店し、無料試飲コーナーでタダの紅茶を飲みまくり、注文した品を待っている女の子たちに誰彼構わず話しかけまくり、しつこく電話番号を訊く代わりにSNS上で相互フォローになって、まるで金を払った客のような顔をして、颯爽と去る。そんな行為の常習犯として認識されていることが、店員の表情から読み取れた。きっと「商品お買い上げのお客様専用」として施錠されているトイレの暗証番号も知っていて、しょっちゅう使っているのだろう、一銭も払わずに。  

 どうしてそんなに鮮やかにプロファイルできるかというと、同じような経験が、今までに何度もあったからだ。いつも同じ駅前に佇んで毎回違う相手に話しかけている青年、美術館の中庭ですり寄ってきたおばさん、極力お金をかけずにひとときの「出会い」を求めるナンパ師には、独特のギラつきがある。

 強烈な印象が残っているのは、カナルストリート沿いの「Black Burger」という店。腹肉をポロシャツごとスラックスに押し込めた、でっぷりと貫禄のよい白人のおじさんが狭い店内の中央に鎮座していた。私がレジで空のカップを受け取り、セルフサービスのドリンクサーバーで氷を満たして飲み物を落とそうとしたとき、背後から大声で「It doesn’t work!」と叫ばれた。手順を間違えたかな、と慌ててボタンから指を離して振り返ると、彼だった。

 「その機械はいつも故障するんだ、ソーダと濃縮液(コンク)が正しい量で出てこない、私はずっと文句を言っているんだが直らない。だが、たまに正常に作動することもあるから、君も試してみたまえ!」

 許可を頂戴したのでボタンを押すと、まったく問題なくドリンクが落ちてくる。前の客も、その前の客も、同じようにできたのだから当然だ。両腕を広げて「壊れてなかったよー」と身振りで示すと、「ふん、つまりは君はラッキーだったんだよ。それで何を飲むんだ、コーラかね、スプライトかね。ふん、ドクターペッパーか。さぁ、ここの席が空いているから掛けなさい。いいから、こっちへ来て掛けなさい!」というわけで、まんまと隣に座らされてしまった。ほとんど催眠術である。

 その後もトレイを覗き込まれ、「それはうまいか? うまくないか? どこに住んでる? 仕事は何だ?」と、チーズバーガーの感想以上の応答を求められる。あまりに煩わしいので途中から、口いっぱいにポテトを頰張って会話ができない、というフリでニコニコ無視を決め込んだ。すると彼は店内を睥睨し、「ヘイ、そっちの君は何を食べてる、見せてみなさい!」と別の女の子にターゲットを移した。斜め奥の椅子に腰掛けた、甲胄のようなパンツスーツをビシッと着こなした黒人の女性客は、眉一つ動かさずに「Nope.(ないわー。)」と斬り捨てる。

 おじさんはフラレてめげた様子もなく、相変わらず威風堂々たる姿でふんぞり返っている。そこでようやく気がついた。彼の手元には、ハンバーガーのトレイがない。注文した品のできあがりを待っている様子もない。店側のスタッフにも見えない。きれいに食べ終えて片付けた後なら、とっとと退店すればよいのに。自分にやさしく構ってくれるおねえちゃんが見つかるまで、ずーっと居残ってちょっかいを出し続けているのである。一銭も払わずに。

タダほど高いものはない

 どんな社会にも、常識の通用しない風変わりな人々は一定数生息している。ニューヨークは東京に比べて治安が悪く、チンピラや薬物中毒者などのヤバい手合いについては徹底的に厳しく排除する傾向があるが、一方でいわゆる「困ったちゃん」レベルの人々には驚くほど寛容だ。あまりにも個性的な人間が多すぎて、みんな滅多な奇行には動じないのだろう。

 毎日のように同じ場所へ来て傍若無人に振る舞う厄介者でも、実害さえなければ愉快がって挨拶を交わし、カオスの一部として平然と取り込むような大らかさがある。その大らかさがまた、困った常連客たちをツケ上がらせる。たとえば先の大統領選までは、そびえ立つトランプタワーもそんな日常の光景の一つ、半笑いで見上げてそっと見過ごす存在にすぎなかったのだろう。

 他人に関心のないフリをしながら、みんな案外、周囲を観察してもいる。「argo tea」の店員が「あー……」と言葉を濁したのは、いつも来る老人にナンパされている私を視認していたからだし、「Black Burger」で聞いた「Nope」だって、「私はその日本人女ほど甘くないぞ、領域侵犯してくるな」と、我々のやりとりを聞いた上での意思表示だ。

 そして私は、一風変わった面白い客たちを高みの見物ときめていたつもりが、いつの間にか老獪なナンパ師たちの催眠術にかかり、すっかりペースに巻き込まれてしまっていた。無料英会話レッスンと思って初対面の相手とのコミュニケーションに苦心している間、他の客たちは、うっかり捕まった私がどんなふうに料理されるか、会話をじっと盗み聞きしていたに違いない。

 褒めて伸ばす文化の国で、正面切って「ビューティフル!」と寄ってくるナンパ師たちを受けて流すたび、彼らの言葉よりも、周囲の静けさのほうが気になってしまう。飲食店内の観察者を気取っていながら、「よくもまぁ、あんな奴を相手にするよね」と、私もまた聞き耳を立てられているのだ。

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著者プロフィール

岡田育(おかだ いく)

文筆家。1980年東京都生まれ。出版社で婦人雑誌と文芸書籍の編集に携わり、退社後の2012年よりエッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)。2015年夏より米国在住。パーソンズ美術大学グラフィックデザイン学科修了。現在はニューヨークを拠点に、執筆・編集・デザインの各分野でフリーランスとして活動中。

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