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天国飯と地獄耳

岡田育(おかだ いく)

天国飯と地獄耳 ブック・カバー
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第10回 本音と建前とルールとマナー

2017.12.28 更新

 JFK空港のラウンジで出発前にのんびりカレーライスを食べていたら、一足先に階下の搭乗口へ降りていく日本人客の会話が聞こえてきた。

 「あれー、エスカレーター、上りだけでしたーッ!? ごめんなさい、大変失礼しましたッ!!」と、今にも切腹しそうな勢いで詫びているスーツのビジネスマン。得意先か上司か、先を歩く年配の男が機内持込用のキャリーカートを引いて階段を下りようとしていた。慌てて追いかけて代わりに荷物を運ぼうとするその部下を、お偉いさんは煩わしそうに手で払っている。

 「謝ることかよ、バーカ!」と言いかけて、慌てて口を噤んだ。英語圏で暮らしていると、周囲に聞かれっこないだろうと思って、つい日本語の独り言が大きくなりがちである。目上の相手の荷物運びへの気遣いは、ないよりはあったほうがよい。とはいえ、階段しかない場所で階段を使わせることに、そこまで血相を変える必要はないだろう。

 東京へ着いてからは、神田の居酒屋で盛り上がっている弁護士たちの話を漫然と聴いていた。「娘が結婚しなくてもいいから孫だけ欲しい!? それは成り立たないよ、カワイ(仮名)さん!」と、60代に見える男がさらに年嵩の相手に厳しくダメ出しをしている。「あなたに孫の顔を見せたい、でもできない、娘さんは、そのつらさからタイへ旅立ってしまったんですよ」と言う。

 ずっとパラサイトシングルだった娘が、突然リゾートホテルに海外転職したのだという。それを、父親がちゃんと適齢期に縁談を整えなかったからだと責めている。「この際もう、相手が現地人でもいいよ」と言うカワイさん。「なんでそんなこと言うの、タイ人の孫なんて、嫌でしょ」「でも、サノ(仮名)の娘はオーストラリア人と結婚したぜ」「絶対ダメ、僕ァ、タイ人には、偏見ありますね!」とまたダメ出し。

 「一番ダメなのは貴様だよ、バーカ!」と声が出そうになったが、これもグッと堪えて鰺の刺身で塞ぐ。いい年した高学歴の法律家が、酒に酔った勢いとはいえ、外国人や国際結婚、独身女子やシングルマザー、女性の海外進出に対して差別と偏見を隠しもせずに、とっくに成人済みの子を親の所有物扱い、下衆の勘繰りをもとに他人の家庭事情に首を突っ込むなんて、国際基準に照らせば全部アウト。「我が祖国は本当に、相変わらず最ッ低のモラル後進国だな!」と吐き捨てたくもなる。

 カウンターで逆隣に座るカップルはずっと元横綱日馬富士の暴力事件から始まる角界スキャンダルの話をしていて、これまた耳を塞ぎたい。「飯が不味くなる」と思いながらも、こうした会話にばかり聞き耳を立ててしまうのは、どうしてなのだろうか。この連載を始めてから、ずっと考えていることだ。

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一が聞こえて、十を知らされる  

 赤の他人の会話というのは、ぶっちゃけ正直、あまり愉快なものではない。認めるのは哀しい現実であるが、内輪に向けて発される言葉というものは、大抵が著しくポリティカル・コレクトネスに欠けている。仕事の連絡、会議の席、講演の壇上、公の場に身を置くときの我々がいかに社会に対する「建前」を大切に尊重しながら生きているか。巷の雑談に耳を傾けると、そのことを逆に思い知らされる。

 咀嚼のために口を使いながら、もののついでに同じ口の端で交わされる言葉について、人はどうしようもなく気が緩む。普段は紳士的なおじさまが酒に酔うといきなりセクハラ発言を連発することがあるように、ちょっと豪華なランチを奮発している女子集団もまた、他者の欠点をあげつらうことで食卓に華を添えることがある。

 それらすべてを「本音トーク」と呼んでしまうのは、あまりに絶望的で心苦しい。「建前」の尊重と、諦めない意識変革こそが、いつか地球に蔓延(はびこ)る邪悪を祓い、世界平和をもたらすのだと信じている、私のような者にとっては。あの人たちは、心に溜まった抱えきれない毒素を排出しているだけ。今日はたまたま、社会的正義を棚に上げての、鍵つきアカウント同士での非公開の愚痴大会なのだ。傍目に痛ましいのはストレス解消の一環だからで、これは「本心」ではない。そう思わないと聞いていられない会話が本当に多い。

 別の落胆もある。下りエスカレーターがないという理由で、お偉いさんの前で切腹プレイを始めたビジネスマン。組織内の保身が最優先、虎の威を借る媚びへつらい、空疎な謝罪、そのくせ自分ではなくラウンジ設計者に責任をなすりつけるように響く、小心者の大声。そんなものを聞くと、「丁寧に言葉を選んで対話を重ねていけばどんな相手のパーソナリティも深く知ることができるはずだ」という、コミュニケーションの根幹まで揺らいでしまう。耳に飛び込んで来たたったの一言で、彼がどれだけ器の小さい人間か、お里が知れてしまうからだ。

 この連載は、隣席から漏れ聞こえてきた会話を盗聴し、エッセイのかたちで世に晒している。食事をしながら私がメモ帳に書き留めた会話はどれも、密室で語られたものではない。狭い飲食店の店内で、周囲の客からも十分に聞き耳を立てられる音量で放たれた言葉というのは、中身がどれだけ私的な会話であったとしても、社会の中で漏れ聞こえてきた声、「パブリックな声」でもある。

 もちろん、発言者の匿名性を担保するために個人情報をぼかしたり、時制をずらしたりすることはある。私が晒したいのは、隣席の客、その特定個人ではないのだから。もし本当に倫理的に許せない振る舞いを見かけたのなら、彼らの性根を叩き直したいと願うのなら、現場ですぐその赤の他人と個別に切り結び、過ちを指摘して更生させるべきなのである。言うは易しという話だが、こうした「建前」は、やっぱり大事だ。

 彼ら彼女らに直接物申したいわけではない。もし何か言いたくなるとすれば、そうした人々の言動を許してしまう社会的風潮に対して、だ。半開きの窓から他者を観察しつつ、世の中への問題提起だけ抽出することができれば、少しは意味があるかもしれない。つまりは、漏れ聞こえる彼らの会話をきっかけに、社会との関わり方について「自分自身と」対話してみたい、そう考えているだけなのだ。

悪いこと、してないよ

 所変わって、ニューヨーク。8th St. NYUという地下鉄駅のすぐ近くに、「木木」という中国系ネイルサロンがある。立地が良くて遅くまで開いているので、口コミサイトの評判は上々。施術者の腕前はまちまちだが、何かと便利でついつい頼ってしまう店である。

 先日この店に、犬を連れて来ている客を見た。一段高くなったマッサージチェアに腰掛け、ふくらはぎにラップを巻かれた状態でフットスパを受ける若い女性の、股間のところに、小型犬がちょこんと乗っている。コッカースパニエルか何か、垂れ耳の黒いムク犬だ。横の席についた私が無言で凝視していると、女性客はにっこり微笑み、愛犬の前足を取って「Hi!」と私に振って見せた。となれば、こちらも微笑み返すしかない。飼い主がずっと背中を撫でて落ち着かせているため、吠えたり騒いだりはしないのだが、ちょっと動くたびに頭からフットバスの熱湯に突っ込みそうで気が気でない。

 飼い主は、うつ伏せにもたれる形状のマッサージ台に移動して、今度は背中と肩を揉まれている。全身をほぐされながらも左手だけは短くリードを握っていて、その足元には黒いのがぺたんと寝そべっている。えー、ありえないでしょ! と思ったが、そもそも店舗が「ペット可」なのだから、ルール違反でも何でもない。その場で検索してみると日本にもペット同伴可のネイルサロンは結構あるようで、お客全般の需要に対して、私個人の見識のほうがズレている、ということになる。

 翌月、同じ店に剝がれたマニキュアをつけかえに行った。閉店間際の時間帯に駆け込むと、店内の客が一人去り、二人去り、最後に残ったのは私ともう一人の若い白人女性だけだ。すると、「CLOSED」の看板が下げられたガラスのドアをバンバン叩いて、もう一人の女性が颯爽と入店してきた。細身の体型を折り曲げ、豊かな巻き髪をゆさゆさ揺らしながら、「Happy Birthday!!」と熱く抱擁を交わす美女二人。今いる店の場所を聞いて訪ねてきた大親友、というわけだ。どうやら今から誕生日パーティーに繰り出すようで、そのための身支度として両手足のネイルを塗り直しているらしい。

 「今夜はもう、お祝いだからさー、これ全部準備してきてあるから、あなたはそのまま、塗ってて、塗ってて」と言いながら、遅れてきた女性は大きな紙包みから赤ワインのボトルを引き抜いた。次に、プラスチック製の脚付きグラスが二脚。そしてナプキンと、栓抜き。施術台に向かって右手をUVライトに差し込み、左手の付け爪にベースコートを塗られながら、「オーマイガッ、なんてワンダフルなのー!」と感激する、今夜の主役。

 飲むのか、ここで、ネイルサロンで、施術中に。ワンダフルじゃねえだろ。と仰天している間にもくるくるすぽんとコルクが抜かれ、カタカナで「ウェーイ!!」としか書き起こしようのない乾杯の発声とともに、彼女たちは酒盛りを始めた。手が離せない大親友のために、後から来た女性がなみなみ注がれたグラスを口元まで運んでやっている。

 「ごめんなさいねー、うるさくってー、そうだわ、あなたも一緒に飲む?」と訊かれ、必要最小限の英語しか話さない中華系ネイリストのオバチャンは、音もなく苦笑していた。同じ質問は隣客である私と私の担当にも投げかけられたのだが、もちろん二人とも手が塞がっているため、やっぱり首を振って苦笑いするしかない。

 店側が厳しく咎めないということは、これはペットの同伴と同じく、許容範囲の出来事なのだろう。法律で罰せられるような悪事でもない。彼女らは店内にしみついたシンナー臭なんて全然気にしないし、電動ヤスリで爪の表面を削った細かい粉が飛び散って、グラスの中のワインに付着するのにも「粉雪みたいね!」とケタケタ笑っている。義憤を抱いても空回り。「自重しろよ、バーカ!」という怒りより、「すごいものを見た……」という驚きが優り、気がつくと私の顔には、ずっと苦笑が貼りついたままだった。

空に向かって投げかける

 食欲、性欲、睡眠欲と同じように、盗み聞きもまた、好奇心という名の「欲」に衝き動かされての所業である。びっくりするような光景を見聞きすると、ついつい誰かに伝えたくなる。「他人のことなんか、ほっとけばいいのに」と呆れられながらも、小耳を挟み、口まで挟みたくなる。

 我々は、異なる価値観と倫理、異なる常識や禁忌を持つ人々と、うまく領域を棲み分けながら、時には苦言も呈しながら、一つしかない同じ社会の中で共生していくしかない。そうすることはけっして不可能ではない、と言い切るのが、戦争に反対し平和を願う者の「建前」だ。そのためには、「心の中で激しくツッコミながら音もなく眺め、仔細はぼかしながら、自分の意見だけを、虚空に向かってパブリックに投げかける」行為が、必要なときもある。独りよがりに一方的に「晒す」行為が、暴力的な特定個人への攻撃となることがないように。本連載で何をどのように書くか悩むたびに、そんなふうに思い返しては、己を諫(いさ)めている。

 いやはやしかし、飲み食いについて書く連載で、まさかネイルサロンが出るとはね……と思っていたら、飲食可能なネイルサロン、これまた日本にもあるそうです! はい、参りました。

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著者プロフィール

岡田育(おかだ いく)

文筆家。1980年東京都生まれ。出版社で婦人雑誌と文芸書籍の編集に携わり、退社後の2012年よりエッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)。2015年夏より米国在住。パーソンズ美術大学グラフィックデザイン学科修了。現在はニューヨークを拠点に、執筆・編集・デザインの各分野でフリーランスとして活動中。

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