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天国飯と地獄耳

岡田育(おかだ いく)

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第9回 紺碧海岸のレッドソックス

2017.11.30 更新

 友人の結婚式に参列するため、遅めの夏休みを取ってニースへ行った。初めての南仏だ。普段住んでいるマンハッタンとはまるで違う清浄な空気と、暑すぎない穏やかな気候、どこまでも高い空に白い雲。空港前で「いい天気!」と感激していたら、タクシーの運転手から「コートダジュールは初めてだろう? 真夏はこんなものじゃない、今日は曇り空のうちだよ」と鼻で笑われた。

 どの店に入っても「Français? Anglais?」と訊かれ、先方が言語を切り替えてくれる。対外コミュニケーションは英語、身内で話すときは御国言葉、そんな外国人観光客たちで溢れかえっているリゾート地である。中国語を操る団体客は、身振り手振りをまじえてひっきりなしに喋り、ああ、おみやげをどこで買うか揉めているのね、と内容が筒抜けだ。すぐ近くで国境を接しているから、フランス語かなと思って聞いていたらイタリア語、ということも多い。

 他に目立つのはドイツ語。海岸沿いを走る観光列車では、あの硬質な発音を響かせながらめちゃくちゃにはしゃぐドイツ人観光客を何組も見かけた。彼の国の人々は太陽の光に飢えているから休暇には大挙して地中海沿岸へ押しかける、と聞いたステレオタイプそのままの光景ではないか。ロシア語を話すお金持ちも多く、言葉以上に前のめりの姿勢と鼻息、華やかに着飾ったサマードレスなどでそれと伝わる。やはり寒冷地の人々はヴァカンスに対する気合の入りようが違う。

 とはいえ所詮は、その場限りですれ違う間柄。ドイツ語を話していたからってドイツ人とは断定できない、オーストリアやアルザスから来た可能性もある。スラヴ語系の区別がつかないまま全部をロシア語と勘違いしているだけかもしれない。私だって、あちこちで中国人や韓国人だと思われていたことだろう。みんな自分の休暇に夢中で他者への関心は薄く、誰もいちいち答え合わせなんかしない。

社交的だが、友好的でない

 旧市街にある「Le Petit Café」というビストロで食事した晩、我々の隣には八名掛けの予約席が準備され、ほどなくして男女四組の高齢者の一群がやって来た。またか、という想い。ニースでは、お年寄りが誰よりも幅をきかせている。市街地と海水浴場を水着のまま行ったり来たりするような若者だっているにはいるが、服屋も靴屋もシニアを目がけた品揃えが目立つし、海岸沿いの遊歩道に設置されたデッキチェアには、品の良い白髪のご老人たちがすずなり。マジョリティ然と闊歩されると、若造は道を譲らざるを得ない。「街全体が優先席付近」という印象だ。

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 着席した彼らの使用言語は英語で、「レッドソックス」という単語が耳に飛び込んできた。男性の一人がメジャーリーグベースボールの結果を気にして、時差を計算しながらスマホで贔屓チームの試合経過を調べている。世界広しといえども、旅先でまでプロ野球に一喜一憂するなんて日本人かアメリカ人くらいである。これはロシア語よりずっと判別しやすい。

 最初はボストンっ子の仲良しグループかと思ったが、どうも様子が違う。野球狂の老人に対して、向かいに座る老人が「今年のレッドソックスは強いんですか?」と慣れないスポーツ談義を持ちかけている。地元で長年つるんできた友人同士にはありえない社交辞令だ。仕事関係なのかとも考えたが、全員が推定70歳以上、同じ業界や組織に属するしがらみで親睦を深めているふうにも見えない。

 みんなでっぷり太っていて、そこそこ裕福そうでも、派手に着飾ってはいない。男性は形ばかり襟が付いたシャツやポロシャツをスラックスにイン、女性はゆったりしたチュニックやブラウスにコンフォートシューズ。春夏秋冬ゴルフウェアを着ている感じ、やけに統一感のある、ちょいダサな服装だ。お堅い仕事を勤め上げて今は悠々自適、ごくごく標準的なアメリカのおじいちゃんおばあちゃん。何もかもがきれいに揃っているからこそ、旅の仲間に不可欠なはずの「友情」の欠落が気にかかる。

俺たちニースのアメリカ人

 前菜に、私はアーティチョーク・ア・ラ・ニソワーズ、夫はクラブミートサラダを選んだ。この店のグラスワインは地元のコート・ド・プロヴァンスが一種類か二種類きりで、白も赤もキンキンに冷やされているのが魚介の風味にとても合う。

 隣席では男女四名がハウスワイン、残り四名がビールを注文した。ポロシャツの男性が「バドワイザーかハイネケンはないか」と訊ねている。ほかほかのバゲットが運ばれてくると、トンボ眼鏡の老女が「バターもくださらない?」。夫らしき男性がそこに、「すまないね、そのまま食べても美味いパンかもしれないが、私たちはアメリカ人なんだ」と謎の言い訳を付け足して、「こう言うと店側の対応が変わるんだよな、モナコのカジノでもそうだった」と自虐的に笑っていた。日常的に話す言葉が世界中で通じるのは当たり前、いつも飲むビールの銘柄も世界中に置いてあって、世界のどこにいても同じものが同じように食べられると信じて疑わない、自己中心主義。たしかにすがすがしいほどアメリカ的である。

 フランス語で書かれたメニューボードを眺め、ギャルソンから英語で解説を聴き、いつまでも延々と注文を迷い続けている。その間に代わる代わるトイレに立ったりもするので、いっこうに話がまとまらない。我々にはオマール海老のフェトチーネと、スズキのポアレが運ばれてきた。十六の瞳がそれを注視し、「ほら、あれがロブスターのパスタだ」「あっちはシーバスかな、美味そうだ」とヒソヒソやっては、またもや決断をぐらつかせる。全部聞こえてるよ。

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 フランス語から日本語へ訳して「オマール海老」「バール(スズキ)」と聞くと高級で美味しそうなのに、アメリカ英語に移し変えて「ロブスター」「シーバス」と言われると途端にザリガニっぽく聞こえてガッカリするのは不思議なものだ。海老の殻を外しながら、「お隣、どういう団体だと思う?」と耳打ちすると、夫の分析結果はこうだ。

 「……船、じゃないかな?」

 アメリカに引っ越してから、「豪華客船で行くヨーロッパ周遊の旅」といった広告をよく目にするようになった。中流以上のシニア層を狙って、「人生の総仕上げに、細かいこと何も考えずに、すべてがセットされた快適な旅を」と謳うようなやつだ。日本人が「豪華客船」と聞いて想像するものよりだいぶカジュアルなプランもあるようで、ウェブで検索すると結婚記念日に船上パーティーを楽しむ中高年夫婦の画像などがごろごろ出てくる。移動式クラブメッドとか、あるいは水上版「大人の休日俱楽部」といった感じか。

 このお達者老人俱楽部も、船旅の客たちなのだと想像するともろもろ合点がいく。容姿外見や所属階層はよく似ているのに、さほど親しい間柄ではなさそうなこと。一人一人の社交力は高いが、全体として今ひとつ盛り上がりに欠ける空気。文字通り「船頭」が不在で、すべての仕切りがもたついている様子。パックツアーで長い長い旅をして、添乗員のつかない自由行動日にもなんとなく顔見知りとの団体行動を選んでしまった、主体性のない客同士。決められたルート通りに群れで行楽地を巡るその姿は、日帰りバスツアーを楽しむ日本の老人たちともどこか通じるものがある。

一目見て、すぐわかること

 料理が運ばれてくると、斜向かいの位置に座った夫婦がシーザーサラダをシェアしはじめる。赤と白のワインを一杯ずつ頼んだ別の夫婦は、前菜を飛ばしていきなりメインディッシュの仔牛のステーキを真っ二つに切り分けた。前菜を別々に食べ、メインを抜いて食後にデザートを取る予定の夫婦もいる。食後のコーヒーも、飲むカップルあり、飲まないカップルあり。前菜、メイン、デザートの三位一体を楽しむコース料理の理念に反する自由形で、さまざまな料理が順不同で飛び交う卓上は、ランチビュッフェのような雑駁(ざっぱく)さだ。

 挙げ句の果てに彼ら、「会計を四分割してほしい」と言って、一つのテーブルに対して四つの伝票を立てさせ、どの夫婦が何を食べたか何度もチェックしては、細かくややこしい再計算をさせていた。どうも一晩の食事量を必要最低限に抑え、かつ、夫婦一組あたりの個別会計総額も高くなりすぎないように、それぞれが工夫調整しているようなのだ。これもきっと長い船旅で疲れないための生活の知恵、そして節約術なのだろう。

 似たような顔をした赤の他人と豪華客船で大挙して乗りつけ、移動費について奮発したぶん、陸での食事はケチケチ切り詰める。そんな旅になるくらいなら自分でプランを組み立てたほうが楽しいと思うんだけど、この、経済合理性というより「雑」、相対的に無粋にも見えてしまう感じ、いかにもアメリカ人だよなぁ……。とじろじろ眺めてしまう。しかし、わざわざ「皆さん、お船でいらしたんですか?」と質問を投げて妄想の真偽を確かめるほど、彼らに関心があるわけでもない。

 翌日の午後、今度は「日本人って、ああやってなんでもかんでも写真に撮るのが好きなのよねー! 一目見てすぐわかるわ」と言うイタリア語を聞いた。文法も何もわからないが、それがカメラを構えておやつのクレープを接写する私の噂話であること、とくに悪意のない穏やかな世間話であることくらいは理解できる。世界中から集結した観光客同士、みんながみんな好き勝手にステレオタイプをぶつけあい、大抵の場合、割と見たまんまで当たっている。所詮は、その場限りですれ違う間柄。みんな自分の休暇に夢中で、誰もいちいち答え合わせなんかしないのだ。

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著者プロフィール

岡田育(おかだ いく)

文筆家。1980年東京都生まれ。出版社で婦人雑誌と文芸書籍の編集に携わり、退社後の2012年よりエッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)。2015年夏より米国在住。パーソンズ美術大学グラフィックデザイン学科修了。現在はニューヨークを拠点に、執筆・編集・デザインの各分野でフリーランスとして活動中。

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