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天国飯と地獄耳

岡田育(おかだ いく)

天国飯と地獄耳 ブック・カバー
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第6回 世界一おひとりさまに優しい街

2017.08.30 更新

 ごはんを食べながらおしゃべりするのは楽しいもので、飲食店はいつも客の声で賑わっている。ざわつく店内で目にしたもの、漏れ聞こえた単語から、時として奇妙なシンクロニシティが生まれ、離れた場所でよく似た会話が連鎖的に発生することもある。「もらいあくび」ならぬ「もらい会話」のような現象だ。

 ブライアントパーク近くのベーカリーカフェ「メゾンカイザー」で昼食を摂っていたある日、右隣と左隣の客が、ほぼ同時に日本の話を始めた。右隣の女子三人組が癖の強い英語で海外旅行体験を語り、「バンコクもよかったけど、一番お気に入りは、やっぱり日本かな」と言う。左隣の中年男性はパンをちぎりながら向かいの恋人に「そういえば君、しばらく日本勤務だったよね?」と訊く。

 すぐ横の席に日本人の私が座ったことと無関係ではないだろう。二組がふと同じ国のことを連想し、間に挟まれた私の位置からは、その双方に聞き耳を立てることができる。日本のどこがそんなにイイの? と訊かれた右隣と左隣との回答が、ほとんどハモるように重なった。

 「「Very clean!!」」

 まず、どこもかしこも清潔。ごはんが美味しい。物価が安く、深夜まで安全、親切で礼儀正しい人々、都市の街並みは刺激的、山奥の自然は神秘的……。ステレオで聞いた日本のイイところは、褒める順番さえほぼ完璧に合致していた。ニース風サラダをつつきながら、ニヤニヤ笑いをこらえる。わかるわかる。

 長旅を終えて日本の空港に降り立つと、何よりもまず、吸った空気が無味無臭であることに驚くのだ。大勢の渡航者が行き交う通路もぴかぴかで、入国審査前に入ったトイレさえアンモニア臭はせず、洗面台の水気がきれいに拭われている。税関の外まで出ると少しだけ湿度が上がり、フードコートの方角からほんのりとおくゆかしく、めんつゆの香りが漂ってくる。

 埃の匂い、排気ガスの匂い、ギロの屋台が発するスパイシーな羊肉の湯気、犬の糞尿、カフェオレ色した汚水、ホームレスとジョガーとヨギーニの汗、持った指先を煤けさせる紙幣や硬貨、真夏の陽光にあたためられた生ゴミと、暴力的な香水の刺激臭、ニューヨークが放つその他もろもろにすっかり麻痺していた鼻が、混乱を来たす。目には懐かしいはずの光景が、鼻にはまるで違って感じられる。薄くお出汁をひいただけの、非現実的なまでに整然とした空気。日本に生まれ育って三十数年、水と安全と「Clean」は無料だと思っていたけれど、今は私も、真っ先にその価値の高さを挙げたくなる。

ひとりはつらいよ

 離れて初めてその価値に気づいた美点は、他にもある。世界中を見渡しても日本ほど「おひとりさま女子」に優しい国はない、ということだ。

 西洋諸国の例に漏れず、アメリカもカップル社会である。組み合わせは男女でも男男でも女女でもよく、既婚未婚も問わないが、とにかくカップルで「1組」と数える。わかりやすいのはホームパーティーで、私が一人で出かけていくと「夫はどうしたの!?」とギョッとされる。招かれずとも配偶者を連れてくるのが当たり前、あるいは誰か適当な友達をエスコートにかりだすべきで、女が一人で来て一人で帰るなんて、よほどの事情があるに違いない、というわけだ。

 そんなとき、彼らにとって私は「1名の人間」というよりは「0.5組のカップル」、あるべき姿の半分、と見えているのだろう。日本でいう「結婚したら一人前」(1+1=2で夫婦)とは、似て非なる数え方だ。夫婦一緒のときは挨拶を交わすだけのアパートメントの管理人も、夫が長期不在とわかると私を呼び止めて長い雑談に引き込む。「困ったらすぐ、何でも俺に言うんだぞ」と念を押されて、ああ、この街は、女をひとりにはしておけないのだな、と思う。治安に対する意識の違いもある。

 一人旅に出たり飲み歩いたりするのも、日本国内よりずっとハードルが高い。たとえば評判のよいきちんとしたレストランは、大抵が二人以上でないと間がもたず、コストも割高になる。案内係、接客係、給仕係、それぞれから何度も何度も「で、お連れ様はいついらっしゃるんですか?」と確認される。カウンターに座ればバーテンダーがつきっきりで話しかけてくる。会話を躱(かわ)すためにKindle端末で読書を始めると、途端に野暮ったい迷惑な客として冷たく扱われる。腫れ物にさわるような、慇懃無礼なような過干渉に振り回されて、肩身が狭い。

 周囲の独身女性たちに「普段どこでごはん食べるの?」と訊いたら、「デリバリー」とのご回答。レストランはデートに行くところ、一人で食事する姿は人に見られたくないから、自炊しない日も出前をとって家で食べるという。まぁ私だってやるけどさ、あっちのほうが寂しくないか? ごく稀に、おしゃれな人気店で一人毅然と美食を嗜む姿が絵になるオトコマエな女性を見かけると、どこに秘訣があるんだろう、とまじまじ観察してしまう。でも、その熱視線もまた憧れの彼女を苦しめるかもしれない。

 もう少し気軽な店を探すと、ラーメンやフォーなど麵ものの店や飲茶、ヘルシーなファストフードといった風情のサンドイッチやサラダの専門店、または深夜営業のカフェやダイナーなど。この手の店ならスマホ片手にもくもくと空腹を満たす男女の一人客も少なくないが、「食ったら出ろ」と言わんばかりの回転率に気分は荒むばかり。女一人ではゆっくり外食も楽しめないなんて、東京と違って不自由な街だなぁ! 自由の国アメリカ最大の都市に住みながら、こればっかりはどうしても窮屈に感じてしまう。

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赤坂見附でビザを待つ

 昨年夏、ビザの関係で弾丸一時帰国することになった。東京赤坂の米国大使館へ出向く以外に大きな用事はない。これ幸いとばかり、旅館から民泊、カプセルホテルまで思うまま宿を転々とし、温泉銭湯やサウナやマッサージに通いまくり、当日券で芝居や映画を観に行っては深夜まで飲み歩き、東京でのソロ活動を満喫した。ひとり寿司、ひとり居酒屋、ひとり牛丼、ひとり焼肉、小鉢をちょこちょこつまめたり、おかずを半量で出してくれたり、グラスでいろいろな酒が楽しめたり、ハーフ&ハーフで二種類の味が楽しめたり、プラス100円でスイーツを追加できたり……家族や友人と囲む宴席も楽しいが、日本はやはり、おひとりさまの楽園である。

 ビザ面接を翌日に控えた夜も、ヤッホーブルーイング醸造所直営「よなよなビアワークス」赤坂店で晩酌していた。クラフトビールの三種飲み比べが1000円ちょっと、約10ドル。水タコのカルパッチョも、トウモロコシのフリットも、飽きずにちょこちょこ食べきれる適量で出てくる。店員はこちらが何か頼むまでおとなしく脇に控えて、チップ目当てに媚びることもない。ゆったり間隔のあいたカウンター席は、いくらでも長居を許される雰囲気だ。そう、これ、これがしたかったの! 日本最高! とご機嫌で酩酊していたら、並びの席から英語が聞こえてきた。

 携帯電話を手にした白人男性が一人、手短に通話を切ったところだ。頭のてっぺんから足先まで全身がスポーツウェアで手ぶらのため、仕事帰りのおしゃれな勤め人たちがひしめく店内では存在が浮いている。電車に乗って遠くへ帰るようにも見えないし、旅行者なら宿の部屋で着替えてくるだろうから、この近所に超高級社宅をあてがわれているような赴任中のエリート外国人だろうか。もしかして米国大使館職員で、明日の面接でばったり会ったりして。と妄想はふくらむが、電話を切った後は一言も発さずビールを飲んでいるから言葉のアクセントもわからず、確かめる術がない。

 会話に聞き耳を立てるのと違い、おひとりさまからは、何か情報を盗み出すことは非常に難しいのだということに、そのとき気がついた。

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世界はひとりのために

 カップル文化で数えれば、カウンターに並んだ私と彼とは「0.5と0.5」だ。ハイ、こんにちは、誰か待ってるの、それとも一人? 仕事は何を? 結婚してる? どこ出身? お名前は? 自然と会話が始まり、矢継ぎ早の質問で情報が共有され、もしも未婚の異性愛者同士なら、二人合わせて「1」になるまで、足し算の可能性が探られる。あるいは成立しなくても、一杯二杯はおごりおごられ、「素敵な夜をありがとう」とお礼を述べて別れるものだ。

 そこが東京でもニューヨークでも南極でも冥王星でも、永野護の漫画よろしく「美しい方がおひとりで食事をなさるなんて見るにたえかねますな」と、歯の浮く台詞を投げてくる男はいる。ナンパ目的の若者だけではない。まるで下心のなさそうな老紳士にさえ「よろしければご一緒しませんか」と誘われたことがある。一人で来て一人で帰る女性客なんてこの世に存在してはならない、と言わんばかりに。カップル文化とは、そういうものなのだ。

 「よなよなビアワークス」のカウンターで、私が彼を観察するのと同じだけ、彼もまた私を観察しているのがわかる。でも、話しかけはしない。空気を読み、パーソナルスペースを譲り合い、それぞれの結界を丁寧に張り巡らせていく。目が合えば微笑んで会釈くらいはするが、そこから先へは踏み込まない。無言のままで、そこに一種の共感と、コミュニケーションが発生する。

 この男性はもうずいぶん長く、それも好き好んで日本の、しかも都市部に住み、このガラパゴス社会の非カップル文化にしっくり馴染んでいるのだろうな、ということが窺えた。ジョギング途中で給水に来たような格好は、お世辞にもセクシーとは言い難い。でも、久しぶりに故郷へ帰ってきた私と同じくらい、リラックスした雰囲気だ。他の国ではめったに味わえない解放感、だよね。わかるわかる。

 男は店員を呼んで流暢な日本語で会計を済ませ、私は当店限定販売と謳われたドラフトを追加注文する。一人客と、一人客。そこに盗み聞きする会話はない。私は私のまま、あなたはあなたのまま、この静寂を心ゆくまで楽しんで、誰にも邪魔されたくない。沈黙は金だ。このエールのように黄金に光り輝く芳醇な時間だ。

 ごはんを食べながらおしゃべりするのは楽しいものだが、時には静かに過ごしたい。とはいえ家飲みも味気ない。外へ開いた心を通わせながらも完璧に「1」でいられた、素敵な夜をありがとう。男も女も、黙ってビール。それが、現代日本で独自に発達した、かけがえのない外食文化なのである。

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著者プロフィール

岡田育(おかだ いく)

文筆家。1980年東京都生まれ。出版社で婦人雑誌と文芸書籍の編集に携わり、退社後の2012年よりエッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)。2015年夏より米国在住。パーソンズ美術大学グラフィックデザイン学科修了。現在はニューヨークを拠点に、執筆・編集・デザインの各分野でフリーランスとして活動中。

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