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天国飯と地獄耳

岡田育(おかだ いく)

天国飯と地獄耳 ブック・カバー
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第5回 インフルエンサーと晩餐を

2017.07.27 更新

 フレンチカフェ&ベーカリー「maman」SOHO店でお茶していると、恰幅のよい白人のおばさん客に声を掛けられた。

 「大変申し訳ないんだけどお嬢さんたち、私のために、数秒、数秒だけ、そのテーブルを譲ってもらえない?」

 左手にアイスティー、右手にスマートフォンを掲げて、素早く交互に上下させながら「わかるでしょ?」と無邪気な笑顔をふりまく。「すぐ済むわ、すぐ済むの、やっぱり間違いない、あなたがたの席からのアングルが最高だわ」とカップを置いてスマホを構え、ヨリとヒキとで数枚撮って、嬉しそうに礼を述べて去っていった。

 2014年の開店当時から「ニューヨークで訪れたいカフェ10選」といった記事の常連になっているこの店で、コーヒーやスイーツ以上に評判なのは、かわいい紙カップと、南仏風かつカントリー調の店内装飾だ。褒め言葉はいつも「Instagram-Worthy」「Instagrammable」(インスタ映え)。都市部の飲食店はもはやこの評価軸を無視しては生き残れないだろう。Snapchatに興じる女子高生だけでなく、子連れで来るようなおじさんおばさん客でさえ、「食べる」と同じくらい「撮る」を重視して、店を、席を、皿を選ぶのだから。

 たかがアイスティーを撮るだけで子供のようにはしゃぐ中年女性は微笑ましかった。私だってSNSに食事の写真を投稿することはある。美味しいごはん、素敵な店は、記録に残したくなるものだ。ちょっと気恥ずかしいけれど、少しでも見映えよく写そうと、フードスタイリストの真似事を試みるのもよかろう。だがしかし、何事にも限度というものがある。

すべての基準が写真うつり!?

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 今年春、トンプキンススクエア公園の近くに「Out East」というレストランがオープンした。かつては治安の悪さで知られたイーストヴィレッジのさらに東、今はおしゃれに生まれ変わりつつある地区の雰囲気をそのまま体現する店名だ。開店直後に訪れて、心から応援したい気持ちになった。ピカピカの店内に初々しい接客、美味しい料理、そう、私たちはこの店での食事をとても楽しんだのだ。隣の客が来るまでは。

 店内奥はガラスの天井を張り、地階に客席を掘り下げた開放的な吹き抜け空間となっている。温室のようなこの吹き抜けの階上部分は細長く、ソファシートの二名掛けテーブルが連なる。その日、一番奥には、店員から口々に「ハッピーアニバーサリー」と祝福されている記念日デート男女。我々の手前側には、ゲイ同士と思しき中年男性二人組と、iPadで商談しているスーツの三人組が座っていた。

 奥から二つ目、私の左隣に残っていた最後の空席には、若い男女がついた。男のほうは、金髪を短くして長身に白シャツの爽やか体育会系青年。女は小柄でぽっちゃり体型、長い髪を片側の胸元に流し、超のつく美人ではないが、派手めな服装で「いい女風」にキメている。さて、この女が案内係に言い放った言葉で、半径数メートルが凍りついた。

 「あのね、予約したときもさんざん言ったから伝わってると思うけど、私たち、とにかく、写真うつりのいい皿が欲しいの。酒も、メインも、デザートも、全部よ。わかった?」

 何様だよ。

 縦に連なるソファシート席に座す全員が、それまでの会話や手の動きを止めることなく、しかし明らかな同期を取って、一瞬、シン、と静まった。こんなとき、よかった、ごはんを食べながら隣席の様子を盗み見たり、聞き耳を立てたりするのは、私だけじゃないんだ、と妙な自信を得る。「なんか、ヤバそうなのが来た」……誰も何も言わないが、努めて今まで通りに振る舞う全員の顔に、そう書いてあるのだった。

みんなの視線を釘付けに

 そこから先は、接客係がこの一席の応対にかかりきりとなってしまった。隣り合わせた我々への給仕は目に見えて滞り、水のおかわりも注がれず、会計待ちのスーツ三人組は手にしたクレジットカードをコツコツ鳴らして、いつまでも届かない伝票を待っている。この周囲の苛立ちに、彼女だけが気づかない。

 「おすすめは、ロブスターか、ホタテの一皿です。ロブスターは身をほぐしてあり二名様でもお取り分けしやすく、ホタテはシェフ特製のソースで……」

 「いや、だから、写真映え的にはどっちなワケ?」

 「……となりますとやはり殻付きで盛りつけましたロブスターが」

 「じゃ、それ。お酒まだなの? はっきり色の違う、飾りのついたショートとロングのカクテルを一杯ずつ、って言ったよね?」

 最初はひょっとすると、宣伝取材の前準備に来た撮影クルーかと思った。下見がてら撮影当日の段取りを手際よく決めようと、あくまで仕事の打ち合わせとして、店側にキツめの指令を飛ばしているのかもしれないと。しかし違うのだ。「私、外食するといっつもこうなのよね」「僕、いいと思うよ」と談笑する26歳と27歳は、転職活動中の女子と、一般企業勤めの男子。知り合ってすぐの、まだ互いをよく知らないデートという会話内容で、取材中や仕事中ではない。

 カクテルが届いた。髪をまとめて戦闘態勢に入った彼女が鞄から取り出したのは、リング型とハート型、二種類の「自撮りライト」だ。スマホにクリップ留めしてプロ顔負けの光源を確保できる例のアレである。ひとしきり撮影が終わってさあ乾杯かと思いきや、彼女はグラスを手にすっくと立ち上がり、吹き抜けの階段手すりにカクテルをのせて位置を決め、別ショット撮影にかかった。

 従業員が両手にいくつもの皿を持って忙しく行き交う動線上で、腰をかがめて通路を塞ぐ。手すり下には地階の席が広がっていて、もしこの高さからグラスが落ちたら誰か怪我してもおかしくない。彼女がようやくグラスを取り上げたとき、ソファシート席の全員がホッと弛緩するのがわかった。

 でも驚くのはここからだ。彼女は店員を呼び止め、「あの、向こうにある半円形ソファ席って、今晩予約が入ってるの? 何時から? その団体客が来るまで、私が写真撮っててもいいよね? ちょっと案内してよ」と言う。「こっちのグラスは僕が運ぶよ、スウィートハート」なんて、連れの男も立ち上がって協力しはじめる。狭い通路が、また塞がる。予約済のはずの豪華な八名掛け席で、強烈な自撮りライトが灯る。

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 奥の記念日デート組は、白ワインのボトルを開けたところだった。肩を出したドレスで優美に着飾った女性と、品のよい身なりで温厚そうな男性。さっきまで大変幸せそうにしていた二人は、このタイミングで席を立った。顔に表情がない。我慢の限界に達したのだ。平謝りする接客係が広めの別テーブルへ誘導し、料理とワインクーラーを手早く移動する。会計が値引かれないなら、デザートはきっと倍の量が出てくるだろう。

 入れ違いに戻って来た小娘は、状況を把握してもケロッとしている。「そうね、いま一つ学習したこと。この二名席って、隣同士が近すぎ! これは減点、お隣にはお気の毒だったわぁ」……つまり、私は悪くない、店の間取りが悪いのだとのたまい、空いたテーブルを勝手に自分の席にくっつけ、「よし、やっぱり全部撮るにはこのくらい作業スペース欲しいよねー。気づき!」と笑った。

 ずいぶん待たされてやっと運ばれてきた私のミントパッパルデッレは大変美味だったが、正直まるで食べた気がしない。隣の女が、ロブスターの大皿さえも階段の手すりにのせて撮影し、冷めきった料理をお義理程度に二口ほどつついて、すぐ「作業スペース」の隅へ押しやるのが嫌でも目に入るからだ。

食べるために撮る、撮るために食べる

 「こんな非常識な女、今まで見たことない!」と怒れたら、どんなに気が楽だろう。たしかに最凶の部類だが、悲しいことに、初めて見るわけではない。西麻布界隈で夜な夜な希少部位の盛り合わせ皿を斜めに持ち上げて小首傾げた上目遣いポーズとるキラキラ女子、鮨や天麩羅の老舗で客のくせにカウンターに侵入し大将とツーショットを撮りたがるおっさん、コップのお冷やに紙ナプキンを浸してテーブルを拭い清め接写レンズを装着して丼を待ち構えるラーメン求道者、高級フレンチでも大衆居酒屋でも同じドレスコードで集合写真を撮りたがる美魔女連……。日本にもいますよね、「こっちの飯まで不味くなる」としか評しようのない、写真撮影に取り憑かれた人たち。

 女がまたもや手すりに陣取り、三つ目の皿と二杯目のカクテルを撮る間、連れの男が我々に詫びを入れてきた。

 「もうお会計ですか。ごめんね、僕たちの隣で、食事が楽しめましたか?」

 「大丈夫ですよ。ところで彼女は、どなたかセレブリティ? 美食評論家とか、有名なインフルエンサーなの?」

 「そうなんだ、彼女は、Open Tableのレビューを書いているんだよ!」

 てっきり「東海岸のはあちゅう」クラスの知名度の大物ブロガーかと思ったら、なんだ、ただのレストラン予約サイトの一般レビュワーか、と心底がっかりした私とは裏腹に、彼の顔は誇らしそうに輝く。とても影響力があって、評価ランキング上位になったこともあり、たまにグルメ記事を寄稿するとお金も入るんだって、すごいよね。知り合いたての彼女に振り回されて、すっかりメロメロのご様子である。彼は私の鞄から覗くミラーレスカメラに目を留めた。

 「君も、いいカメラを持ってるね。スマホより高性能でしょ」

 「でも私は趣味で撮るだけ」

 「Oh… You should also make money with it!」

 少しの勇気と工夫、情熱があれば、きっと君も彼女のように、素敵な写真と文章でお金を稼ぐ、キラキラのインフルエンサーになれるさ。澄んだ目をした27歳の若者に、そう言って励まされた。「I hope so.」と返して、私たちも店を出る。彼女が実際どれだけの影響力を持つか知らないが、「飯が不味くなる」ような光景だって、勇気と工夫と情熱次第で、たしかに「飯の種」くらいにはなる、たとえばこうやって。その意味では、私も同じ穴の狢なのだ。

 でも君、悪いこと言わないから、ああいう女とは早く別れたほうがいいと思うよ。君と違って、周囲の客に目礼一つしなかった。私がギリギリ「つきあえる」のは、「maman」で見かけたあの人懐っこいおばさんが限度だな。

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著者プロフィール

岡田育(おかだ いく)

文筆家。1980年東京都生まれ。出版社で婦人雑誌と文芸書籍の編集に携わり、退社後の2012年よりエッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)。2015年夏より米国在住。パーソンズ美術大学グラフィックデザイン学科修了。現在はニューヨークを拠点に、執筆・編集・デザインの各分野でフリーランスとして活動中。

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