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天国飯と地獄耳

岡田育(おかだ いく)

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第2回 尾籠な話で、恐縮ですが

2017.04.27 更新

 渡米三ヶ月ほど経った頃のこと。「The City Bakery」で隣に座ったおねえさんから、「トイレに行く間、ここに置いた私の荷物を見といてくれない?」と声を掛けられた。初めてのことで地味に嬉しく、じゃっかん食い気味で「オッフコぉース!」と答えた。

 最近は日本出店でもおなじみの「The City Bakery」は、ベーカーズマフィンと特濃ホットチョコレートが人気のカフェだ。大学校舎から近く、案外太い無料Wi-Fiが飛んでいるので、学食代わりによく利用していた。この日も私はMacBook Proを開いて夜からの授業の宿題中、隣のおねえさんも仕事か何かでiPadと書類とノートパッドを広げている。この快適な作業場を、離席のタイミングで他の客に明け渡したくはない。そんなとき、隣の客へ一声掛けて、席取りのための置き荷物の見張りをしてもらう、暗黙の互助システムがある。この街では至るところで見かける、「江戸しぐさ」ならぬ「ノマドワーカーしぐさ」である。

 私はそれまで、一度もコレを頼まれたことがなかった。右隣にデート中のカップルや親子連れ、左隣にパソコン開いた一人客の私、といった状況でも、中央に座るノマド客は、迷いなく右隣のほうへ声を掛けるのだ。え、そこ、私に頼んでくれてもいいのよ? 同じ一人客のほうが頼みやすくない? ていうか、隣であなたがモゾモゾしてるからそろそろお声が掛かるかなと思ってずーっと聞き耳を立ててたんだけど、見事に肩透かし食らいましたね、私?……と、何度もズッコケては、口惜しい想いをしたものだ。

 隣席とその奥の席の客がこの「トイレ荷物番」を介してにこやかに挨拶する様子を眺めながら、逆隣に座る自分が選ばれなかった理由を考える。渡米後すぐは毎日が緊張の連続で、我ながらどこにいてもぎこちなかった。その不自然さ、浮き足立った感じが、周囲にもちゃんと伝わっているのだろう。「左隣の怪しい一人客に話しかけるリスクを冒すくらいなら、恋人同士の会話を中断させてでも右隣に頼もう」というのは、遠回しに不審人物の烙印を押されたも同然ではないか。凹む。

 三ヶ月目にして初めて頼まれた荷物番。見ず知らずの相手からやっと、貴重品を預けるに足る、信頼のおける、トラブルのにおいがしない、「こいつはイケる」人物だと見なされたわけだから、これは嬉しい。彼女個人のみならず、この街そのものに「同じニューヨーカーのよしみで、よろしくね」と言われたかのような喜びに震え、鼻息荒く請け負った。よくよく見たら彼女、大きなエディターズバッグに財布とiPadをしまってトイレへ立ったので、残ったのはコートとボールペンとメモ帳だけ、本当に心の底から信用されていたのかは、微妙なところであるが……。

トイレがつなぐグランマとの縁

 都会暮らしの人間は、基本的に他人をまるで信用していない。隣近所やムラ単位で助け合うような「地縁」も発生しづらい。何か困ったことがあれば、業者にチップを支払って解決してもらうか、または厳正なる審査の末「こいつはイケる」認定した相手に、大胆不敵な頼みごとをするかの二択だ。たとえば同じ縁故採用にしても、地方では文字通り人のツテを辿って紹介状を書いてもらうイメージ、都会ではパーティーで知り合った相手にいきなり「僕を雇ってくれませんか?」と切り出すイメージ、という違いがある。

 まだ旅行者として遊びに来ていた頃、ニューヨークに暮らす人々が、赤の他人同士で気軽に荷物、それも仕事鞄やラップトップパソコンといった貴重品を預け合う光景を目にして、「さすが大都会だなぁ」と感心した。不干渉なようでじつは互いをこっそり観察し、「こいつはイケる」を瞬時に見極めて、その厚意に甘えまくる。戻って来たら「助かったよー、ところで僕の名前はマイク(仮名)、さっきから熱心に読んでるのは何の本だい?」なんて会話を始め、いきなり意気投合したりもする。

 今まで見た中で一番すごかったのは、この荷物番の御礼の後で雑談から名刺交換を始めた若い男二人が、同じ名門大学の違う学部出身だと判明して盛り上がり、その場でFacebookフレンドになった後、「こんどアップステート(州北部)にあるグランマの別荘へ遊びに行こう!」とGoogleカレンダーを開いて日取りまで決めていた光景だ。マジかよ!? ここただの喫茶店だぞ、友達のホームパーティーとはわけが違うぞ、どうしてそいつが危険人物じゃないって一目でわかるのよ? こんなの田舎のグランマもびっくりだよ!? それとも私が聞き取れなかっただけで、ゲイ同士が秘密の符丁を使った会話でナンパ&ハッテンにこぎつけた、みたいな話なの!?(妄想)と、耳をダンボにしてただただ驚いた。

 もちろんニューヨーカーだって、道端ですれ違った相手とは、こんなふうに距離を縮めたりはしない。素性の知れない不審者に対しては冷淡だし、「こいつはヤバい」と判定した人物との縁を斬り捨てるときも容赦ない。自分と同じ価格帯の喫茶店を選んで長時間過ごし、身だしなみや服装から自分と同じ階層に属していることが窺え、自分と同じ礼節を遵守すると踏んだ相手だからこそ、大胆不敵に声を掛けるのだ。「同じ名門大学の出身」というのも、こうした厳正なるフィルタリングを行った後の結果ならば、単なる偶然よりよっぽど確率が高くなるだろう。

デキる女はイギリス英語

 そんな「トイレ荷物番」システムにもすっかり慣れたある日のこと。これも学校近くにある「COFFEED」というカフェで、大荷物のアジア系女性から、「お邪魔してすみませんが、もし可能でしたら私がこの場を離れる数分の間、荷物を見ておいていただけるとありがたいのですが?」と言われた。英国風にくねくねした言い回しの丁寧な英語だ。防水加工のボストンバッグをのせた紫色のスーツケースを転がして、四名掛けの席を一人で占拠し、カウンターからカプチーノを受け取ってパソコンを広げ、どっと安堵の一息をついたところで、急に用を足したくなったらしい。

 その日も私は、電源の取れるカウンターに陣取り、夜の授業の宿題をしていた。いいよいいよと快諾し、「Restroom? You need a key to access. Ask her.」とレジに立つ店員を指差す。この店は店内にトイレがない。店員に断って鍵を受け取ってから、建物玄関のセキュリティゲートを抜け、オフィスフロアの一階部分にあるトイレを借りる制度になっている。大荷物の彼女は「面倒な店に入っちゃったな」という表情になった。それでも充電中のパソコンをそのまま置いて行ったから、私もずいぶん信用されるようになったものである。

 さて、このいかにもデキる女風のアジア系女性。鍵を片手にスッキリした顔で席に戻ってくると、すぐに画面へ向き直り戦闘モードに入った。必要な書類を開きザッと目を通し、ファッションブランド謹製のケースに入ったスマートフォンを取り出して、長い髪をかきあげながら仕事先へ電話を掛ける。

 「おつかれさまですー、山田(仮名)ですー、今さっきマンハッタン着きましたぁー」

 に、日本語かよ! さっきのイギリス英語が飛び出すものと思っていた私、驚きのあまり、頬杖をつくフリをして顔をそらしてしまった。ここで振り返って凝視したら睨んでいるみたいで感じが悪いし、通話の盗聴がバレてしまう。

 空港からの交通渋滞の話などして、会議資料の説明に移る。午後のこの時間にスーツケースを持て余しているということは、出張で来て宿泊先にチェックインする前なのだろう。派手な柄物のワンピースに気合の入ったアクセサリー、年齢不詳の濃いアイメイク、フライト直後なのに足元は手入れの行き届いたピンヒール。キツい雰囲気と流暢な英語のコンボで、欧米生まれのドラゴンレディと踏んでいたのだが、その予想は見事に外れた。なんだよ山田(仮名)ぁー、日本人なら先に言えよー!

 と、つい話しかけたくもなるのだが、隣り合わせた赤の他人に荷物を預けるのはアリでも、盗み聞きをした上に出身地に言及して声を掛けるのは過干渉、コスモポリタンにふさわしくない態度、という気もする。この辺りの匙加減が、大都会における対人コミュニケーションの難しいところである。

さよならコスモポリタン

 それにしても、「お互いを日本人同士と知らぬままでいたことに、後から気づく」のって、どうしてこんなに恥ずかしいんだろうか。彫りの深いイケメンと必死で英語で話していたら途中で「僕、母は日本人ですよ」と笑われるとか、中華料理屋の店員に調子乗って「謝謝」と言ったら「あ、ハイどうも」と返されるとか、あるいは、隣席の一人客を横目に大声でくっちゃべってたら、待ち合わせに遅れて来た相手と合流したその人も日本語で話し始めて、「今までの下ネタ、全部筒抜けだったー!」と慌てるとか。

 普段、英語ばかりの環境でどれだけ気を張っているか。反対に、母国語でコミュニケーションがとれるとわかると、それだけでどれほど気安く他人に心を許してしまうのか。コロッと急転する己の態度に、その両方を思い知らされ、モジモジしてしまう。本当は、何語でしゃべっても変わらない、裏表のない人間でありたいのに!

 電話を終え、サッと席を立った山田(仮名)が真後ろを通り過ぎる間、私はとっさに日本語Twitterの画面を閉じ、英文のニュース記事を読んでいるフリをしてしまった(宿題中じゃなかったの?)。自分でも驚くほど機敏で、反射的な動きだ。私だけが気づいたこの恥を、彼女にまでかかせるわけにはいかない。

 見知らぬ相手に外国語でものを頼むときの緊張を、自分もまた身にしみて知っているからこそ、ここは英語のまま、一期一会のノマドしぐさで別れたい。どうか私のことは、日本語など通じないアジア系アメリカ人学生と勘違いしたまま、この場を去ってほしい……。そんな私の祈りが天に届いて、紫色のスーツケースを転がした山田(仮名)は、颯爽と摩天楼へ消えて行った。

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著者プロフィール

岡田育(おかだ いく)

文筆家。1980年東京都生まれ。出版社で婦人雑誌と文芸書籍の編集に携わり、退社後の2012年よりエッセイの執筆を始める。著書に『ハジの多い人生』(新書館)、『嫁へ行くつもりじゃなかった』(大和書房)、二村ヒトシ・金田淳子との共著『オトコのカラダはキモチいい』(KADOKAWA)。2015年夏より米国在住。パーソンズ美術大学グラフィックデザイン学科修了。現在はニューヨークを拠点に、執筆・編集・デザインの各分野でフリーランスとして活動中。

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