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耽美なる【女子美】の事件簿

芥川奈於(あくたがわ・なお)

耽美なる【女子美】の事件簿 ブック・カバー
バックナンバー  12 

第2回 「テニス事変」

2017.07.14 更新

 ダルい。
 ダルすぎる。

 女子美への進学が決まり、より美術の授業に打ち込みだす高校三年の終わりを迎えた頃から、「アートに囲まれた美術学校には、もうなくてもいいんじゃない?」と感じていた体育の授業。
 大学でも必修科目に入っていた。
 しかも履修期間は半年も!

 私が所属していた、デザイン科・環境計画専攻の校舎は相模大野にあり、そこで日々、美しいものに囲まれる生活を送っていた。
 建物の模型を作ったり、地下鉄の駅なんかに貼ることをイメージした大判ポスターを描いたり、バイトでやってくる女性モデルのヌードを見ながら、それを粘土で形作ったり。
 一日の半分をそんな美術の授業で過ごし、残りの半分で一般教養を学ぶ。
 その一般教養の一コマが体育で、授業内容はテニスと決まっていた。

 運動が嫌いなわけじゃないけれど、毎週一回グラウンドに向かわなければいけないことも、ジャージに着替えることも面倒くさかった。
 ダルいダルい、あ〜ダルい、と思いつつも、授業には出る。
 サボって単位を落とす方がバカバカしいから。
 
 体育の授業が行われる小さなグラウンドは、大学敷地内の端っこにあり、そこの一番奥は緑道に面している。
 緑道は普段から地域の人々が利用をしていて、グラウンドで私たちが体育の授業を受けていても、時々、犬を連れたおばあさんやランニングをするおじさんがその道を横切ったりしていた。
 そんなのどかな場所で、私たちは週に一回、テニスラケットを振った。
 とはいえ、みんな本気ではない。中には一生懸命やっていた人もいたかもしれないけれど、全体には、だら〜ん、としたイメージ。
 まあ結局、美大の体育なんてそんなもので、小柄な女教員の教え方も適度というか、甘っちょろいくらいだった。

 五月。
 うららかな春の午後。
 日焼け止めを塗りながら、グラウンドに立った私たちは、相変わらず重たい体を動かしてラケットを振っていた。描きたいものや、やりたいことは、山のようにあるのに。
 そう思っているときだった。

 普段はおばあさんたちが歩いている平和を絵に描いたような緑道に、一台の白いスポーツタイプの自転車が猛スピードでこちらに近づいてきた。
 そしてその自転車は、グラウンドの前で、キキッ!と音を立てて急ブレーキをかけ、止まった。
 乗っていたのは、青いランニングシャツと、同じく青いジョギングパンツに身を包んだ、見た目は三十代前半くらいのマッチョな男性。体脂肪率10%を切っていると思われる体は、筋肉も骨格も本当にがっしりとしていて、たくましさを象徴していた。
 当時ハヤっていた爽やかな吉田栄作っぽいサラサラとした髪は、春の風になびいていた。
 背は高く、体は黒く日に焼けていた。見た目は明らかにスポーツマンといったところ。
 彼は自転車から降り、両手を腰にあてて、太陽光が反射してキラキラと輝くアウトドア・サングラス越しに、テニスラケットを振っている私たちを眺め始めた。
「なんか来たよ」
 彼の存在に気がついた、私の隣にいる友達が言った。
 
 その直後。
 マッチョ男は、はいていた青いジョギングパンツと下着を突然下ろし、下半身を丸出しにした。
 そして、「どうだ!」と言わんばかりに、また腰に手を戻し、仁王立ちのポーズをとり始めた。
 女子大でテニスの授業を受けている女の子たちに向けて、彼は昼間っから自分の恥部をわざわざ見せに、自転車に乗ってやってきたのだ。
 そう、痴漢である。

「いやぁぁ〜!」
「きゃ〜! 先生〜! 痴漢ですぅ〜!」
「こわ〜い! みんな逃げてぇ〜!」
「警備員さん呼んできてくださいぃ〜!」

 男は、可愛い女子大生たちが怖がり涙する、そんな反応を楽しみにしてきたのだと思う。
 でも、彼は致命的なミスを犯した。
 ここは美しいものを求め、あふれんばかりの創作意欲をもった学生たちが集まる大学、女子美だ。

「お〜い誰か〜! クロッキー帳持ってきて〜! 早く早く〜!」
「タダで男のヌードデッサンができるぞ?!」
「上も脱げ〜! 全部見せろ〜!」
「結構な筋肉じゃん、あれは描きがいがあるよね」

 グラウンドでは、旺盛な好奇心を隠しきれない女子たちの、ワイワイガハガハという大きな笑い声や、筋肉質の痴漢に対する真面目な感想が飛び交う。
 誰もが逃げるどころか、ラケットを放り出して、男のほうへジリジリとにじり寄っていく。
 中には、志村けんの「変なおじさん」の振り付けを、輪になってそろって踊り、歌っているものたちもいる。

「ゴラーッ!!」
 異変に気がついた先生は、両手に何本ものテニスラケットを持って、小柄な女性とも思えぬ激しい勢いで緑道に駆けだし、それをマッチョ男にめがけてガンガン投げつけ始めた。
 
 なにもかも予想とは違う反応をする女子大生たち。
 男は腰に当てていた手をガタガタと震わせ、たじろぎ、おののき、下半身丸出しのまま自転車にまたがり、先生が投げつけるラケットが自分に直撃する前に、全速力で緑道を走り去っていった。
 彼が立っていた現場には、置いてけぼりを食らった青いジョギングパンツと下着が、悲しそうにポツン……と残されていた。

 これが女子美で起きた「テニス事変」のあらましだ。

「ファイッ!」
「オーッ!」
「ファイッ!!」
「オーッ!!」

 ダビデの石膏像くらいでしかなかなかお目にかかれない、立派な筋肉質の男の裸体。
「あんな体を、誰よりも上手く、美しく描いてみたいものだなぁ」と、創作意欲をかき立てられた耽美な女子美生たちは、どんどんやる気がみなぎってきた。

 今までは走るのも面倒くさかったグラウンドを、みんなそろって全速力でかけていった。
 持つことさえダルくてしょうがなかったラケットを、ブンブン振った。
 テニスボールは、これまでなかったほどにコート中を跳ね回った。

「ファイィーッ!!!」
「オォーッ!!!」

 体育って案外面白いじゃん! と、みんなはさらにハイテンションになっていった。
 やる気なんて意外なところから湧くものだ、と身をもって感じながら。
 ゲームでいうところのHP=ヒットポイントを全回復し、狂戦士になった女子美生たちの大きな掛け声は、グラウンド中に響き渡り、ついには緑道のはるか向こうまでとどろいていくほどのボリュームだった。

 全くもって痴漢様様。
 うららかな春に起きた「テニス事変」を忘れることは、なかなかできない。

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著者プロフィール

芥川奈於(あくたがわ・なお)

動物イラストレーター・コラムニスト。
女子美術大学付属中学校を経て女子美術大学芸術学部デザイン科、卒業。
10年間、通称【女子美】に通う。
雑誌やwebサイトでイラスト、書評の連載を多数持ち、現在は「しらべぇ」書評、「JALEE」映画評他コラム連載中。
芥川龍之介のひまご。

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