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ショートショート・クリニック

田丸雅智(たまる・まさとも)

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(試し読み)雪を引く

2016.02.05 更新

「ちょっと会ってないだけで、ずいぶん久しぶりな気がするな」
 出勤早々、隣の席の同僚に声をかけられた。
「こっちこそだよ」
「体調を崩してたんだって? もういいのか」
「まだ本調子じゃないんだけど、あんまり休むわけにもいかないからな」
「ぶり返さないように気をつけろよ。なんだかこのフロア、今日はやけに寒いし」
 同僚はいかにも寒そうに肩を縮めて腕をさすった。
 おれは軽くうなずくと、パソコンの電源に手を伸ばした。
「あれ、その絆創膏(ばんそうこう)」
 と、同僚はおれの後頭部のそれにさっそく気づいてそう言った。
「頭でも打ったのか?」
「うん、ちょっとね」
「休んでるあいだにケガまでしたんだな。ははあん、さては女ともめて派手にケガをした。でも、恥ずかしいから風邪のせいにして、よくなるまでしばらく会社を休んでた……と見た」
 同僚はからかう調子でにやにやしている。
「どうなんだ、図星だろ」
「そんな浮いた話でもあればいいんだけどね。でも、風邪を引いてて休んでたっていうのは、まあ、正直言ってしまうとちがうな」
「かまはかけてみるもんだな。じゃあ、ただのサボりで会社を休んでたってことか。おまえにしちゃ珍しいな」
「いや、体調不良ってのは本当さ。でも、理由は風邪じゃあないってこと。これが奇妙で不思議な話でね」
 まだ始業までは時間があったから、おれはこのまま話をつづけることにした。じつのところ、この話を早く誰かに話したくて仕方がなかったから、昼休みまで待つ必要がなくなってありがたいくらいだった。
 同僚は、これは何かあると察したか、こちらにイスを近づけて話を促してきた。
「じつはね、おれが引いたのはユキなんだ」
「なんだって?」
 その瞬間、同僚はあからさまに眉間にしわを寄せた。
 自分でも、最初に医者から話を聞いたときには信じられなかったのだから、無理もない反応だと思った。おれは、もう一度同じことを口にした。
「ユキなんだよ、おれが引いてたのは。カゼじゃなくてね」
「ユキって、あの白い?」
「そう、その雪」
 と、突然、同僚は笑い声をあげた。
「なるほど、冗談ならそういう顔で言ってくれよ。真顔で言うから本気で耳を疑ったよ」
「これが冗談なんかじゃないんだよ」
 彼は、ますます怪訝(けげん)な顔をした。
「まあ、ふつうはそういう反応になるだろうな。おれも医者から言われたときは、ふざけるなと思ったよ。体調不良でしんどいときに何を言ってくれるんだってな。でも、よくよく話を聞いてみると、医者が言うことは本当だったんだから仕方がない」
「まさか、本当に雪を引いた、とでも言うんじゃないだろうな」
「そのまさかなんだから、そう言うしかないんだよ。おかしな咳がではじめたことが、そもそものはじまりだったんだ。ちょうど一週間前の朝のことだ」
 同僚はもやもやしたような表情を浮かべながらも、どうやら冗談ではないらしいと悟って、聞く耳を持ってくれたようだった。
「コンコン、コンコンってね。急に、乾いた感じの咳がでるようになったんだ」
「雪やコンコン、とか言うんじゃないだろうな。ほんとかよ」
「噓じゃないんだって。でも咳がでるとは言っても意識してれば我慢できるくらいのものだったから、おれはマスクもせずに仕事にかかった。軽く風邪でも引いたかなと思った程度で、さっさと仕事を片づけて早く帰って寝て治そうくらいにしか考えてなかったんだ。いま思うと浅はかだったけどね。でも、時間がたつにつれてだんだん寒くなってきた」
「典型的な風邪の症状だな」
「これはまずいかもなと思いはじめて定時で仕事を切り上げると、すぐに病院に駆けこんだ。でも、受付で渡されて計った体温計の数字を見て、びっくりした」
「そんなに高い熱がでてたのか」
「それが、まったくの逆だったんだよ」
「逆……?」
「平熱よりもなんと五度も低い体温だったんだから、卒倒しそうになった」
「高熱じゃなくて?」
「そう、低熱とでも言うのかな。そんな体温はもちろん経験したことなかったから、おれはパニックに陥った。すぐに名前が呼ばれたからよかったものの」
「それで、診察を受けたと」
「医者はおれの体温の数値を確認すると、なぜだかいきなり後ろを向くように言ってきた。くるりとイスを回転させると、後頭部に視線を感じた。そして一言、こう言われたんだ。これは雪ですねって」
「それでおまえは、さっきのおれみたいな反応をした」
「ふざけるなと思ったよ。でも、元に戻って医者の顔を目にすると、どうやら冗談を言ってるわけではなさそうだった。おれは医者の言ったことを確認してみた。するとまじめな顔で同じ答えが返ってきた。そうなったら、もう信じるしかないだろ」
「ヤブじゃない限りはなあ」
「医者によると、おれは雪を引いたらしい。それが本当なんだとすれば、まあ、それならそれで仕方がないとあきらめるしかない。でもそうなると、今度はその雪とやらがどんな病気なのかが気になるところだ。そこでおれは聞いてみた」
「医者はなんて?」
「まず、雪を引くと体温が急激に下がりはじめるということだった。まあ、そこはすでに体験済みだったわけだ。それで次はと尋ねると、しばらくすると頭の上に小さな雪雲が立ちこめはじめるって医者は言った」
「天使の輪っか、さながらだな」
「そうして雲から雪が降りはじめますって」
「頭に雪が降ってくるなんて、さすがは雪を引くだけのことはあるな」
「医者からはカゼ薬ならぬユキ薬っていうのかな、それは一応処方されたけど、早く治すには安静にしておくほかはないということだった。感染力が強いから会社も休めと言われてね。おれはだるい身体を引きずって、引きこもれるだけの必要品を買いこむと家に帰ってそのままベッドに倒れこんだ。二枚重ねの毛布にくるまって、カイロをたくさん身体に貼って、寒さに震えながらも眠りについた」
「そういうときに看病してくれる、かみさんがいればなあ」
「何時間かたってからのことだった。おれはふと、身体に異変を感じて目を覚ますことになった。というのが、頭がやけに冷たいんだ。思わず手をやると、冷たい何かが指にふれた。おれは驚きで毛布をはねあげて起きあがると、その正体を確かめるために鏡の前にすっ飛んだ。医者に聞いてたとは言ってもだよ。そこに映ったものを見て、おれは夢でも見てるのかと思ったよ。髪の毛が、ところどころ白いもので覆われていたんだから」
「なるほど、それが医者の言う雪だったってことか。でも、寝ていて横になってるのにベッドに落ちずに頭に積もるってのも妙な話だな」
「まあ、妙なのはそのときにはじまったことじゃないからね。おれは手鏡をとってきて、二枚の鏡で頭のうしろを確認した。当然のように、後頭部も同じような状況だった。と、そのときになって、おれは頭の上に浮かんでいる黒いかたまりに気がついた。そこから、白いものがちらちらとこぼれるように落ちてくる」
「雪雲から雪が降ってきたってわけか」
「儚(はかな)げに降ってくる雪に少しのあいだ不覚にも見惚れてしまったよ。けど、いつまでも見ているわけにはいかなかったから、おとなしくベッドに入って安静にしておくことにした。夜中にもう一度目が覚めたときに、おれは頭を指でつついてみた。雪は指の第二関節くらいまでの深さになっていて、これは根雪になるぞと覚悟した。翌朝起きると、髪全体がじつに見事な銀世界。うっとりするくらいだったよ。
でも、鏡を見ながらぼんやり頭を眺めていた、そのときだった。おれは、さらにとんでもない光景を目の当たりにすることになったんだ」
「まだこれ以上おかしなことが起こるのか」
「奇妙も奇妙。おれの頭の上に、なんと小さな人間が乗っていたんだ」
「人間じゃなくって人形の見間違いじゃないのか? すっかり凍った雪面を優雅に舞いすべる人形。これがほんとのフィギュアスケート」
「おまえは自分の目で見てないから、そんなふざけたことが言えるんだよ。そこにいたのはサイズこそ豆粒くらいの大きさだったけど、まぎれもない人間だったんだからな。それで、だよ。そんなのが立っているだけでもびっくりなのに、なんとそいつは足にスキー板をつけているじゃないか。おまけにゴーグルにヘルメットまでつけている。人の頭でスキーをしようとするなんて、なんとも大それたやつじゃないかとかえって感心したくらいだったよ」
「それじゃあまるで、落語の『頭山(あたまやま)』だなあ」
「頭山?」
「あるときとつぜん頭の上に桜が生えて、そこに見物客が押し寄せてきたり屋台がでたりという空想色の強い落語だよ。おまえの場合は頭山というか、頭雪山と呼ぶべきかもしれないけど」
「おれに起こったことを考えると、その落語もまんざら空想話じゃないかもしれないよ。まあそれで、そのスキーの格好をしたやつが何をはじめたかと言うとだな」
「頭の斜面をすいすい滑る」
「というバージョンも、あとで出てくるんだけどな。最初に現れたそいつは、頭の頂上に立つと腰をかがめる姿勢になった。そして、次の瞬間。そのままの姿勢で後頭部の斜面を毛先に向かって滑り落ちていったんだ。おれは鏡のなかで展開されるその光景に釘づけになった。そいつは一気に斜面を下ると、おれの髪の毛先の部分、寝ぐせで少し外にカールしているところから、宙に向かって飛び立った。まるでジャンプ台から飛び出すスキージャンプの選手のように。そうしてきれいなV字飛行で風に乗る。いや、風に乗ったのかは知らないけど、とにかく美しいフォームで滑空していく。その様子にほれぼれしたよ。不思議なことに、そいつは飛んでる途中で姿が薄れて見えなくなった。おれの頭を離れると姿をとどめておけないみたいに。それにしても、あのジャンプは誰かに見せてあげたくなるほど美しかったなあ」
「それはさぞかし美しいジャンプだったことだろうね」
「直接見てないのに適当なことを言うなよ」
「K点ならぬ、毛点越えのジャンプだったろうからね。そりゃ美しいはずさ」
「……。それで、まあ、しばらくのあいだは同じようなやつらがわんさかおれの頭から飛び立っていってたようだった。そのあとベッドで寝ているあいだにも、頭の上で何かが動く気配が絶えずあったから」
「気になって眠れやしないだろうなあ」
「それがおかしなもので、慣れてしまうとそんなに気にならなくなったよ。マンションの上の部屋の足音が気にならなくなるのと同じようなものかな」
「そんなもんかな」
「おかしな現象はほかにもいろいろ見ることができた。次に鏡で確認したときには、おれの頭にリフトができててね。リフトの先は薄れて見えなくなってるけど、どこからかそれに乗りこんでスキーヤーがわんさかやってきている始末だった。頭の上は人でごった返してて、斜面を下るのにも順番待ちみたいな状態で。ほかにも、雪だるまを作ったり雪合戦をするやつらも見かけたなあ。
 そんなのが、三日三晩つづいたんだ」
「ご苦労さまだな」
「寝こんで四日目の朝だった。おれは身体の芯に少し温かみが戻ってきてるのを感じたんだ」
「山場はなんとか乗り越えたわけだな」
「鏡の前に立つと、頭の雪が少し減っているようだった。おかしなやつらも、あのリフトも、もうどこにも見当たらない。よく見ると、頭上の雲も消えていた。全快まで、あと少しの辛抱だと思ってがぜん元気が湧いてきたよ。そして、五日目の朝のことだった」
「朝起きると、雪がぜんぶなくなっていたってわけか」
「それが、最後の最後に痛い目を見ることになったんだ」
「まだ何か起こったのか」
「このケガさ」
 おれは頭のうしろ、絆創膏をしている部分を指さした。
「身体が体温を取り戻して、雪が少しずつ解けだしていたことが原因だったんだろうね。自然災害に見舞われることになってしまって」
「……雪崩(なだれ)か」
「そう、それでこの部分の髪が崩れた雪に持っていかれてしまってね。おれが絆創膏を当ててるのは、こういう事情なんだよ。
 その後はなんとか快方に向かって、ようやく出社できるまでに快復したってわけさ。
 どうかな。このケガを証拠に、この不思議な話もちょっとは信じてもらえてるとうれしいんだけど」
 おれが期待をこめてそう言うと、同僚はわざとらしく大きくうなずいた。
「いやあ、じつにおもしろい話だったよ。災害にまで見舞われて、さぞ大変だったろうけどね、まあ、こうしてちゃんと治ってよかったなあ」
 そう言うと、同僚はイスを滑らせデスクに戻った。
「なんだか人ごとみたいだなあ」
 おれは軽くあしらわれたような気分になって不満が残った。
「そう言われてもね。だって、人ごとなんだから」
「笑ってるけどな、一応おまえも気をつけといたほうがいいと思うよ。家に帰ったら頭を熱いお湯で洗うとか、予防手段もあるらしいからね。雪の感染力はけっこう強いらしいし、おれが引きかけていたときに、おまえはおれの隣にいたわけだし。……そういえば、なんだか顔色がよくないな」
「そりゃあね。今日のフロアは寒すぎるよ」
 同僚は腕を何度もさすって文句を言った。
 おれはそれが腑に落ちない。
「こっちはぜんぜん寒くないけど……」
 そのとき、同僚がコン、と咳をした。

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著者プロフィール

田丸雅智(たまる・まさとも)

1987年、愛媛県生まれ。東京大学工学部、同大学院工学系研究科卒。2011年12月『物語のルミナリエ』(光文社文庫)に「桜」が掲載され作家デビュー。12年3月には、樹立社ショートショートコンテストで「海酒」が最優秀賞受賞。新世代ショートショート作家の旗手として精力的に活動している。著書に『夢巻』『海色の壜』『家族スクランブル』、児童書に『珍種ハンターウネリン先生』がある。

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