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古井由吉×平野啓一郎 特別対談 ペシミズムの極致から生まれる「楽天」

古井由吉×平野啓一郎

古井由吉×平野啓一郎 特別対談 ペシミズムの極致から生まれる「楽天」 ブック・カバー
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特別対談 ペシミズムの極致から生まれる「楽天」

2017.08.21 更新

平野 『楽天の日々』には平成に入ってから今日に至る、三十年弱くらいの間に書かれたエッセイがまとめられています。おおよそ、最近のものから以前に書かれたものにさかのぼっていくような構成です。最後に置かれた「プラハ」と「平成紀行」はちょうど平成になった頃、東ヨーロッパやドイツ、ウィーンを廻られた旅について書かれています。ゲラで改めてお読みになって、どんな印象を持たれましたか。

古井 よくもいろいろ書いたもんだな。今になっては思い出せないものもあります。何度か地震のことを書いているので、東日本大震災のことかと思って読んだら、阪神のことだったり、その前のことだったり。
 我ながら変な年の取り方をしてますね。つまり平成の初めから、もう年寄りになってるでしょ。僕は戦災で怖い目に遭って、家も焼かれて、居候なんかもしているので、たかが小学校二年生の少年の頃、一番いろいろものを見たせいで年寄りめいたところがあったんです。戦後も十年くらいは一般に生活も苦しいから、やはりどこか年寄りめいたところがあった。それが昭和三十年代に入ってから、逆にだんだん、ガキっぽくなってね。五十ぐらいになってから、「これではならじ」と、急いで年を取り戻したようなところがあります。

平野 ガキっぽくなったことは、時代的なこととの関連もありますか。

古井 ありますね。昭和の三十年代頃までは、まだ死者の影がかなり濃く世の中にのしかかっていました。生き残った人間でも、明日にまた戦争が起こるかわからない。実際に朝鮮半島でやっていましたからね。それから病気のほうです。結核で僕の同世代や、その上の人は随分、亡くなっている。僕らもちょっと微熱が続くと、「さては」と恐れました。それが昭和二十八年頃、ストレプトマイシンとパスという特効薬が出回って、結核が死病ではなくなったんです。今でいうと、癌が死病でなくなったようなものです。戦争と疫病の重圧がとれたというのは、世の中の雰囲気をがらりと変えた。ちょうど僕が大学に入る頃なので、よく覚えています。それから僕はかえって青年ぽくなっていった(笑)。

小説の「私」と随筆の「私」

平野 僕は「小説の言葉」と「小説家の言葉」とがあるような気がしていて、ある作家が同時期に書いた小説とエッセイや日記を読むと、同じ人が書いているんだけれども、ある種の違いを感じることがあります。古井さんのエッセイを読んでいても、印象はかなり違う気がします。古井さんは、小説についても「エッセイズム」を説かれましたが、原稿用紙に向かって小説を書く時とエッセイを書く時とでは、心境的には、当然、かなり違うものでしょうか。

古井 違います。小説家が小説を書く時と、小説家が随筆を書く時と、どちらがその本人の人間が洩れるか、どちらが自己告白のようなものになっているかというと、普通は小説を書いた場合のほうと思われますね。しかし、どうやら逆のようです。
 例えば永井荷風の小説よりは永井荷風の日記のほうが、はるかにおのずから自己懺悔がついてくる。不思議なもので、随筆を書く時には作家は安心するんです。構えないで書くものだから、本人が直に出てしまう。小説だと小説という伝統があるし、それに対する義理もあります。それからフォルムもありますから。なかなか自分を出さないところがあるんです。小説の書き手と作中の人物というのは、他人でしょ。随筆のほうが「私」が出る。
 日本の近代作家は、小説に自分を豪気に押し出した。今の世の我々にはできません。なかなか、作品の中で「私は」とか「太郎は」「次郎は」といった文章は書けないんです。率直に主語を出していくのは難しい。その点、随筆はどうせ読んでる人も、相手は「私は」というつもりで書いているんだろうと思ってくれる。エッセイとは「試み」という意味ですが、小説のほうが試みかもしれません。

平野 古井さんは、エッセイでは「私は」という主語を使っていて、古井由吉という作家が書いていることが前提となっています。しかし、小説の場合は近年特に「私は」という主語を意識的に避けられていて、その前提を解体するというよりも、むしろ既に解体されたところからまとまりがつくのか、解体が先に進んでいくのかというところをまさに試みるような書き方をされています。
 『楽天の日々』の中でも、鷗外や荷風といった、文学史的には自然主義ではない、私(わたくし)小説家ではない文学者の「私」という主語について触れられています。

古井 この私自身は、日常は「私」という漢字で自分のことをいうことはありません。ところが、それを作中に入れると、自分と他人の中間くらいの意識に立てる。「私」とは本来、「公」に対する「私」ですから。

平野 鷗外の作品では特に史伝の中で「私」が使われています。考証する立場の「私」がどういうものかを明瞭にしなければいけない。完全に個人的な鷗外というよりも、考証する立場の人間として、ある種の客観性を具えた人物としての「私」もあったのではないかと思います。荷風は、例えば『濹東綺譚』のようにある社会風俗を描いてはいますが、鷗外の「私」ともまた違います。

古井 鷗外や漱石の「私」というのは、あの時代の人としてかなり客体的に摑んでいます。それに較べて、我々の「私」というのはどうしても個人的なものにしかならない。
 だから、彼らの「私」のほうが堅固なんです。僕らの「私」はゆらぐんです。鷗外や漱石は「私」、あるいは何とかという名前でも、「私」と同じようにがっしり置ける。荷風の場合はその筋を引いてはいますが、不思議にあの反自然主義的なところからかえって「私」が出てくる。つまり、ああいう形で自己懺悔をやっているんです。

平野 『濹東綺譚』の荷風の「私」はちょっと気障な、嫌味な感じもありますが、『断腸亭日乗』で荷風を読むとそれがまったくなくて、むしろ好感が持てる。どのページから読んでも面白く読み続けられるというところがあります。

古井 荷風の場合、自然主義に背を向けて、私は自己懺悔なんてやらないよ、という態度をとった。けれど日記という私的な文章の中で、かえって自己懺悔をおのずとやっている面白さがある。自然主義の作家が実はできなかったこと、せいぜい秋聲や藤村がなんとかできたくらいのことをもう少し露わにやっている。
 だから日記、随筆というのも不思議なものです。小説よりも小説のようなところがあります。僕の作品でも素直に読みたいという方は、小説より随筆を読んだほうがいいんじゃありませんか(笑)。

天命を楽しむという境地

平野 今回の本のタイトルにある「楽天」という言葉。これは古井さんのこの十年来の一つのキーワードのようなものです。この本の中で改めて「楽天」という言葉の定義を書かれています。漱石は「則天去私」を、鷗外は「諦念」ということをいいました。彼らの概念は少し若いというか、かなり苦渋がにじんでいるというべきか、その年齢の中での「則天去私」であり「諦念」であり、確固とした「私」というものから発せられたものである。古井さんの「楽天」は境地としては似ているようでありながら、彼らの経験しなかった、その先の文学者の境地ではないかと感じます。

古井 鷗外や漱石はやはり近代人なんです。僕が習いとしたのは、古くから中国でいう「楽天」。これは天命に従うという意味合いです。だから、かえってペシミズムの極致みたいなもの。そこから出てくる闊達な生き方を願っているのが「楽天」です。僕にはとても及びもつかぬ境地だけど、「悲観」だ、「楽観」だというよりも「楽天」といったほうが伸びやかに生きられるんじゃないか。
 古い、古い観念なんです、「楽天」というのは。「楽天主義」として「悲観主義」の対極として使われたのは、新しいことではありませんか。つまり古代中国人にとって天命というのは、もうどうにもならないものです。その天命に悲観の極致で従う、天命を楽しむ、という境地らしいんです。とても現代人には難しいものですけど。「楽観」とか「悲観」ということの行き詰まりを考えれば、「楽天」に少しでもついたほうがいいのではないか。

平野 古井さんの場合、天命に従うというのは、何か大きな出来事を振り返った時に感じ取られるのか、それとも日々の生活の蓄積から、おのずと感じられていくのでしょうか。

古井 災害ですね。厄災、戦争、疫病、もろもろの災害。これは人間にとって結局どうにもならない、そう受け止めるよりほかのないもの。天命というのは日常に沁み込んでいるんです、実は。「あれをやっておけばよかった」「これをやっておけばよかった」と年を取って思うものの、生まれ変わったって自分がそれをやるわけはない。そういうふうに生まれてきたんです。
 近代の倫理とは、人を「存在」ではなくあくまでも「行為」で判断する。自分に関しても「行為」において責任を取る。法律も「行為」に対して罰する。ところが近代以前は法律でも「存在」そのものを罰した。存在が先に立ったんです。
 実はそれも近代人の我々の中に埋め込まれている。「行為」ばかりで自分のことや他人のことを判断していくと自分という存在も他者の存在も見失うんじゃないか。存在とは実に理(わり)ないものです。理ないものを排除していった時、どんな荒涼が先に待ち構えているか。これを僕は割合、早くから考えています。

平野 古井さんの中で、八歳の時の空襲体験が文学的な主題として前景化してきた一つのきっかけとして東日本大震災があったのではないでしょうか。あの時、東京でもかなり揺れましたが、その揺れの中で記憶と現実とが直結したような一瞬があったのではないか。

古井 阪神大震災からまず浮かんでくる。あれだけの数の人間が一度にして亡くなる。それでいて全体が安楽だった。これ、恐ろしいことだと思います。人は、いかにいろいろ備えて、安楽に暮らしていても、時折の天命をまぬがれられないのではないか。すると、現実というものをどのようにとらえたらいいのか。あるがままの現実の中に、そのような可能性を含んだものとして、現在をとらえるべきではないか。
 戦争や病気の危機も迫らなくなってから、かなり忘れていたことを阪神の大震災で思い出しました。それから、東日本大震災の時に二万人近い人間が一瞬のうちに亡くなるというのは凄いことです。そういう危険を日常は常にはらんでいる。そうすると自分自身とは何かということも難しいことになります。

解体の時代に文体を持てるか

平野 乱暴な言い方をすると、近代文学はある種の性格劇だったと思います。ギリシア、ローマ神話の登場人物たちは、オイディプスが性格的にどうだったから、ああいう運命を辿ったというわけではなくて、彼自身のキャラクターとは別にある運命の中に巻き込まれていった。
 ところが近代になって、個人の個性が強調されていって、存在というより行為の積み重ねとして、ある登場人物のキャラクターが際立ってきます。だから、その性格劇を書こうとすると、小説家は小説の冒頭からそれぞれの登場人物の個性をある程度、書き分けなくてはならない。しかし、個性が際立つのは行為の後のはずですから、冒頭で主人公を際立たせようとすると難しくて、十九世紀の小説というのは本筋に入るまでに長い長い前段が嫌になるくらいある。そういう意味では、いろいろな運命も個人に背負わされてしまっているわけです。
 一方で個人の行為の積み重ねということでは、まったく受け止めきれないような運命的な出来事がある。古井さんが「私」という主語を中心に、性格劇としてある物語を組み立てていくのではない方法を探られていることと、大きな運命によって個人が担いきれない時代に我々は生きていることが、小説の中でダイナミックにつながっているように見えます。個々の具体的な作品はどういった取っ掛かりから書き始められるのでしょうか。

古井 最初に浮かんだ、ある場面なり、ある状況、その描写をだんだん細かくしていって、それにつれて人が出てくるという、普通とは逆のやり方をしているのではありませんか。
 古代の悲劇は登場人物も運命も非常にくっきりしています。近代の西洋の小説もやっぱりそれを踏まえようとしているので性格劇になっている。それぞれの人物の輪郭は今よりくっきりしていますが、古(いにしえ)ほどはくっきりしていない。その背後の状況を説明していかなければならないし、その人物を分析していかないといけない。かなり回りくどくなる。これは現代ではなおさらのことです。
 現代人の考え方は解体的です。分析して分けていく。それを総合するのが大層難しいわけです。「文体」という言葉がありますが、文体と解体とは正反対のことです。解体の時代に生まれて、解体の考え方が身についた私などには、果たして文体が持てるかどうか。そういう大きな疑問があるんです。文体のようなものに少しでもにじり寄る、そういう手がない。

平野 およそ現代の作家で古井さんほど確固とした、誰もがこれは古井さんの文体だとわかるような文体を持つ作家も稀有のように思えますが、ご自身の意識としては一作ごとに手応えが違うものなんですか。

古井 違います。一度、自分が摑んだ文章もゆらいできますから、すぐに。それが崩れかけるのを僕は避けない。もう一つ束ね直そうとします。どの作品も微妙に違うのではないか。少なくとも呼吸は違うように思います。その都度、文章が成り立っている。

小説のハッピーな終わり方

平野 もう一方で、文体というのはある共同体がはっきりしている時代には、それと呼応するようにある一つの型が見えてくると思います。近代の文体の難しさは共同体の解体ということがあるわけです。先ほど小説の書き出しのことを伺いましたが、近代文学の難しさは作品をどう終えるかということも、共同体の解体と重なっていると思います。古井さんは、近年はずっと短篇の連作というスタイルで書かれていますが、終わり方ということについてはどのように考えていますか。

古井 近代の小説は西洋でも、随分早い時期から終わりということをあきらめている。これは無理だと。その代わりに最後にどういう印象を残して終えるか。その点では西洋の小説は不器用です。日本の小説は終わり方がうまい。器用です。何となくいいなと思わせて、終える。
 これも、僕はどうかと思っています。そこでは満足するけれど、振り返って首を傾げるんじゃないか。これに慣れると日本の小説は貧しくなるんじゃないかと。日本の近代小説は、落としどころが非常にうまいんです。こういう美徳ももう手放すより仕様がないかな、と思います。古人にはかないませんから。

平野 ヨーロッパでも二十世紀の途中くらいまでに書かれた小説とか、あるいは日本の明治期以降の小説では途中で中断している小説が多い。現代では歴史に名を残すような未完の作品というのはないように思いますが、今の話とも関係していることなんでしょうか。

古井 編集者がそれを許さない(笑)。昔は、編集とは随分「私」的なものでね。文学愛好の金持ちがパトロンのようにして作家に書かせたわけです。書き手も楽に書いた。今は出版社も企業としていろいろなことに縛られますから、昔のように書き手に勝手を許すわけにはいかない。ヨーロッパ文学でもナチスのためにユダヤ人は追放されてしまったので、ユダヤ系のパトロンは少なくなってしまった。それで非常に苦しくなったと聞きます。いい意味でのアマチュア、アマチュアイズムというのがありました。日本でも明治にはあったでしょう。

平野 連載がどうしても書けなくなって、例えば鷗外も二年かけて取り組んでいた「青年」を、とにかくもうやめるといって、途中で連載をやめています。「灰燼」も挫折しました。

古井 硯友社にしても、ホトトギス、アララギも仲間の集まりみたいなものでした。そういう時代の自由さは失われています。インターネットで廻すような文学のありようも考えられますが、果たしてそれで作家が暮らせるかどうかという大問題があります。

平野 終わり方の難しさというのは、個人というものが物語の中心になっていったということがあると思います。以前に古井さんと、ハッピーエンドについて話したことがあります。ボルヘスが、人間はハッピーエンドという問題を何百年にもわたって真剣に考えてきたんだということをいっています。なにも最近の商業主義の要請で急に出てきたことではなくて、『ヨブ記』にしたって結局、最後はハッピーエンドです。
 一族が代々栄えていくとか、共同体がいよいよ栄えていくというようなハッピーエンドは 受け容れられると思いますが、一個人が最後に幸せになるという話を、果たして読者がどこまで本当に幸福なこととして受け止めるのか。このことも、ある共同性が前提になったうえでの幸福な結末のつけ方があり得るか、という問題なのだと思います。
 古井さんは「終わり」にあたって、幸福というようなことが頭をよぎったりすることはありますか。

古井 古代のギリシアの悲劇の「終わり」というのは主人公の没落です。だから悲劇。ハッピーエンドが出てくるのは、宗教が小乗から大乗に移る時ではないでしょうか。例えば、新約聖書というのは大乗的です。その時、神なり天なりに救われる、そういうハッピーな終わりというものを人が思うようになった。幸せに終わる説話は随分あります。近代人がそれに逆行して、そうでない終わり方を探ってきた。これは大層難しいんです。

平野 近代文学の多くはハッピーではないですね。

古井 ヘミングウェイに「フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯」という短篇があります。ライオンに追っかけまわされて終えてしまうという結末のハッピーは、アイロニーなんです。

平野 どうにも結末がつけられなくて、結局アイロニーで終わるというのは、フローベールをはじめ、多くの文学者がとった方法です。

古井 ハッピーな終わり方というのはかなり宗教的な共同体が復活しないと難しいのではないか。

生き残った人間の末裔として

平野 古井さんは『楽天の日々』の中で、「前世紀」という言葉はまだ使いにくいと書かれています。二十世紀と二十一世紀を跨いで創作活動をされてきましたが、この二つの世紀の切れ目を意識されることはありますか。

古井 二十世紀のことを前世期といいにくいのは、二十世紀を総括しかねているからです。二十世紀とは、日本では日露戦争の直後からバブルが崩壊する頃までです。この間の変動を一つのまとまった時代と摑みがたいわけです。

平野 昭和と平成の切れ目のほうが、具体的に感じますか。

古井 昭和の時代に貧しかった者が、少しでも楽になりたいと前のめりに経済を成長させてきた。その時、怠ったままにしたものがたくさんあったわけです。その多くの責任は僕の世代です。
 それが平成に入ってから、怠ったものから禍(わざわい)が先廻りしているのが見えてきているにもかかわらず、どうにもならない。その生き心地が大分違うようです。昭和の人間は後ろめたい。平成の人間はあまり後ろを感じなくなっているのではないか。そんなふうに思います。

平野 ちょうど平成になるのは西暦でいうと一九八九年で、古井さんの作品では『仮往生伝試文』のようにこれまでの作風からさらに展開していった時代です。古井文学の中でも区切りがあるのではないでしょうか。

古井 昭和と平成の間には区切りがある。それから、たまたま世界的に九〇年代の前後で区切りができたでしょう、冷戦体制が崩れて。だから、平成以降のほうが摑みやすいかもしれない。僕にとっても年齢的に距離ができたせいか、平成以降のほうが摑みやすい気がする。しかし二十世紀とか昭和というと、難しい。あまりにも時代が長すぎる。ただいえることは、二十世紀ほど戦争で大量の人間が殺された世紀はないということです。

平野 古井さんの文学的な営みをずっと拝見していますと、ある時期からの作品では、幼少期の戦争体験と、大災害のような運命的な出来事とが大きな円環をなしてつながっています。こういった主題が前景化してくるまでの作品群は、都市生活者の精神の危機といったことが大きな主題になっていたように見えますが、ご自身の中では主題が変わった切れ目というのを意識していらっしゃいますか。

古井 平成に入ってからのほうが過去を振り返ることが多くなってきました。この前の戦争の時、日本の人口は八千万だった。そのうち、三百万から四百万の人間が戦争や戦災から亡くなっている。これ、どえらいことでしょう。我々は生き残ってきた人間たちの末裔なんです。
 この大量の死者をどう考えるか。大量な死者の祟りがあるといういい方はしませんが、やはり後をひくものがあるのではないか。これは大きな問題です。これから死者というテーマがあるんじゃないか。死者はいつまでも若いままです。死者の死において変わらないものがあって、それが我々の後をひくということは考えられる。後をひかれないと正気つかないところがあるかもしれない。そのようなことを最後のテーマにしようかなと思っています。

平野 近親者の近い死は具体的なもので、遠ざかるほど抽象的なものになっていくわけですが、ある抽象的な死者像にまで到るようなイメージなんでしょうか。

古井 例えば昔の本所深川、今の江東墨田の大空襲の時、あれだけの狭い領域で十万から亡くなっています。その人たちがそこに葬られるとしたら、到るところが墓になるわけです。そういう上で生きているという、もっと何か直な肉体感覚がよみがえらないといけないのではないか。それだけの死者をあの土地に葬ったことはたしかなんです。

平野 近代文学の作家で、年齢を重ねていって死者と向かい合うということに関して参考になる作家、見るべき作家というのは。

古井 鷗外の史伝でしょうね。『伊沢蘭軒』は近代にまで及んでいます。死者を祀るという感じが強く出ています。漱石もそこから出発しているのかもしれない。最後の『明暗』で追い切れなかった何かがあるのではないか。

平野 漱石は江戸っ子で、鷗外は石見の人として死ぬといいましたが、二人の出身地の違いは作品に関連がありますか。

古井 どの階層、どの土地から出るかに強く縛られています。藤村だって馬籠の人じゃなかったらあんな作品は書きません。はっきりと縛られている。それが今の作家と違うところです。

平野 古井さんはそういう意味で、自分は東京の作家だなという自覚はありますか。

古井 ありますね。根なしの者の、つまり東京移民の二世です。ところが、僕の親は両方とも美濃、岐阜県なんです。岐阜県出身の文学者が結構多かった。平野謙、篠田一士、小島信夫、みんな一応に意地が悪いっていわれたものです(笑)。どうとでもとれることをいうって。水害の多かった土地なんです。水をめぐって散々苦労したし、土地同士の人間も互いに争い合った。だから表現も考え方も一筋縄ではいかないところがあったんです。日常会話でも議論が多い。

平野 ご両親の世代からもそれを感じられることはありましたか。

古井 言葉の訛りが出るでしょう。岐阜の口調と独特の表現があります。誰かが自慢話をするのを聞いて、「うっちらだめやなも」と言う。「我々はだめだ」、そうとったら大間違い。「お前こそだめだ」ということなんです。そういう皮肉な(笑)。

(2017年7月、東京堂ホールにて)

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著者プロフィール

古井由吉×平野啓一郎

古井由吉(ふるい よしきち)
1937年東京生まれ。68年処女作「木曜日に」発表。71年「杳子」で芥川賞、80年『栖』で日本文学大賞、83年『槿』で谷崎潤一郎賞、87年「中山坂」で川端康成文学賞、90年『仮往生伝試文』で読売文学賞、97年『白髪の唄』で毎日芸術賞を受賞。2012年『古井由吉自撰作品』(全8巻)を刊行。他に『やすらい花』、『蜩の声』、『鐘の渡り』、『雨の裾』、『ゆらぐ玉の緒』など著書多数。

平野啓一郎(ひらの けいいちろう)
1975年愛知県生まれ。北九州市出身。三島由紀夫文学賞選考委員、東川写真賞審査員を務める。著書に『日蝕』(芥川賞)、『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞)、『ドーン』(ドゥマゴ文学賞)、『かたちだけの愛』、『空白を満たしなさい』、『透明な迷宮』、『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞)など多数。2014年フランス芸術文化勲章シュヴァリエを受章。

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