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女って何だ?

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

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第35回

2017.12.08 更新

この連載は担当から貰ったネタメモよりテーマを選出しているのだが、これがメモに書かれている最後のテーマである。

「家族苦」
この一言だけだ、説明はない。
担当メモの熱量と物量に圧倒されつづけた当コラムだが、最後の最後に、「何も言わないのが一番怖い」という、「人間が一番恐ろしい」に匹敵する美しいオチがキマった。

だが説明が要らぬのも確かである。
「苦」というのは、最終的に「逃げる」のが最善策だ。それを良しとせず、死ぬまで戦うと大体死ぬ。
数ある苦の中でもっとも逃れ辛いのが、家族だ。ここから逃れようとしたら、それこそ「故郷の村は焼いてきた」ぐらいの覚悟が必要になる。

まず、最初の家族は自分では全く選べない、という問題がある。選べたら今頃、福山雅治と吹石一恵の家には5億人ぐらい子どもが生まれているはずだ。
貧富の差はもちろん、親によって人生の序盤はほとんどは決められてしまう。
そもそも、親、といっても、所詮子どもを持っただけの人間だ。問題のある人間が親になったら、問題のある親になるに決まっている。
「毒親」という言葉がここ数年で認知されるようになった。ネグレクトにしろ過干渉にしろ、子どもに悪い影響を与える親、子どもの人生を支配しようとする親のことを指す言葉だ。

毒親家庭に生まれた子どもの辛さは、親からの影響だけでなく、周りが理解してくれないという点もあるという。
今お前が、生きて大人になっている以上、親には育ててもらった恩があるはずだ。それを悪く言う、まして憎んでいるなど貴様は鬼子か、と責められてしまうそうだ。
しかし、「何故、鬼子が生まれてしまったか?」といえば、どう考えても「親が鬼だったから」がベストアンサーだし、生きて大人になったといっても、「殺されなかっただけ」という可能性もある。

だが、一般家庭に育った人間が、毒親家庭育ちの人間の境遇を本当に理解することはできないだろう。私にも正直わからない。
衣食住足りていて、完璧でないにしても常識の範囲内の両親がいる家庭が普通の車だとすると、生まれながらにそういう車にしか乗ったことがない子どもに、ブレーキの代わりにアクセルが2つついており、よく見たらハンドルがねえ、という車の乗り心地などわかるわけがない。
よって安易に、「お前の気持ちわかり哲也」とも言えない。できることがあるとしたら、「そういう車もこの世にはある」ということを認めるぐらいだ。
「子どもを愛さない親はいないし、子どもは親を尊敬するもの、異論は認めない」という過激派オタかよ、というような発言をしないだけでも違う気がする。

その後成長し、我々は福山雅治家じゃない家を出たり出なかったり、新しい家族を作ったり作らなかったりと、選択制のフェーズに入っていく。
そうなると、女は一体何になっていくのであろうか。

今夜から歌舞伎町の女王、等、イレギュラーは多々あるが、新しく家庭を新設した場合、「妻、母、息子の嫁」あたりが主なポジションだろう。

このポジションは兼任可能な場合もある。妻であり母であり嫁であり夜はアゲハチョウ、という女も当然多い。
だがポジションに対する割合は個々で違うはずだ。
母、妻、嫁が「7:2:1」だという女もいれば、「母としてが10であとは死んだことにしている」という女もいるだろう。中には「7億:2兆:1那由他」という、比率の概念を超えてくる女もいると思うが、本人がそう感じているなら、そうなのだろう。

問題は、例えば既婚子持ち女性に、この家庭内における自分のポジションパーセンテージを答えさせた時、そこに「自分」を入れる、という発想ができる女がどれだけいるか、という点である。

また、上記に当てはまらない、家庭がない女は何なのか、というと、それこそ、「自分」や「女」、または「生物学上は女(笑)」という2000年代のホームページで良く見たヤツ、もしくは「推しを守護するゴリラ」という者もいるだろう。
とにかく、母や妻といった家庭内ポジションがないのだから、好きに自称できる。

しかし、家庭を作り特に子どもが出来ると、その「自称できる部分」を、根こそぎ家族に奪われるという事態が起こるのだ。

自分を振り返ってみても、子どもの頃の自分にとって、お母さんは100%お母さんであり、そのお母さんが「女」、ましてや「ゴリラ」になる時間があるなど、考えもしなかった。

このように、家族全員が女に対し、100%母、妻、嫁であることを求め、それ以外であることなど考えつきもしないため、少しでもスーパーゴリラタイムを見せると、「考えられないことをしている女」、つまり「母、妻、嫁である自覚が足りない女」ということにされてしまうのだ。

子どもが、ある程度の年齢になるまで、母に100%母であることを求めるのは仕方ない。4歳児が「俺はちょっと席を外すから、おふくろは女に戻ってろよ」という気遣いをみせても逆に怖い。
だが、義務教育をとうに終えた子どもが、「家族団らんの時間を増やすにはどうしたらいいか」という問いに、「お母さんの部屋をなくす」という王様のアイディアを出したというから、死ぬまで「お母さんはお母さんでありそれ以外になってはならぬ」と思っている人間が多いということである。

しかし真面目な人ほど、周りに求められた役を完璧にこなそうとする。逆に「子どもが出来ても自分が10割」という者が、上記のような毒親となるのだろう。
だが完璧にしようとすればするほど、周りは「そういうものなのだ」と思いはじめ、それ以外を許さなくなる。

よって、たまのゴリラタイムを咎められようと、一貫して「ウホウホウホウホ!」しか言わないか、無言でドラミングや、ウンコを投げるなどして、「俺はお前らの妻や母ちゃんでもあるが、今は誰が何と言おうとゴリラだ」という姿勢をつづけていれば、そのうち家族も「そういうものなのだ」と理解するのではないだろうか。

女35

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著者プロフィール

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

1982年生まれ。OL兼漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』(講談社)で漫画家デビュー。自身2作目となる『アンモラル・カスタマイズZ』(太田出版)は、第17回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選出。ジャンルを問わず幅広く活躍しており、主な作品に、漫画『ヤリへん』(小学館)『やわらかい。課長 起田総司』(講談社)『ねこもくわない』(日本文芸社)、コミックエッセイ『ナゾ野菜』(小学館)、コラム集『負ける技術』『もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃』(講談社)などがある。

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