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女って何だ?

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

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第32回

2017.10.27 更新

当コラムでは何度も、「大人になると、友達がいなくて困ることが学生時代に比べて格段に減る」と主張してきた。これは逆に言うと、「学生時代は厳しかった」ということだ。

よく、「社会人になれば学生時代がどれだけ楽だったかわかる」と言われるが、友人関係に限定すると、明らかに学生時代の方がキツイ。
社会人というぬるま湯に浸かりきった今の身体で、当時の教室に戻されたら、1600年の関ヶ原にタイムスリップするより迅速に死ぬだろう。

しかし、学生時代と今で、私の対人スキルが変わったかというと、シーラカンス級に進化していない。むしろ退化した。エラ呼吸すら出来なくなっているレベルだ。
それなのに何故、今より学生時代の方がキツかったと思うのだろうか。むしろ学生時代に感じていたキツさとは、一体何だったのか。
その正体さえわかっていれば、明日学生時代に戻されたとしても、瞬時に「無理だ」と判断し、速やかに不登校になれるというものだ。

まずコミュ症1万人に、「学生時代、友達がいなくて一番辛かったことは?」と聞いたときの、第1位の答えは「ハ、ハフっ!?」「……ンン!」等の「奇声」だ。
何せ相手はコミュ症である。質問をして、即日本語が返ってくるなどと思うのは、甘えだ。
これが9900票で圧倒的1位となるのだが、残り100人のレベルの低いコミュ症は、「授業中、突然「○人組みを作れ」と言われたこと」などと答えるだろう。

学校生活での突発的なグループ作りがキツかったことに関しては私も異論がない。しかし、それのどの点がキツかったのだろうか。
よく考えてみれば、グループ作りといっても「あぶれた者は射殺する」というルールではなかったはずだし、「こいつがどこかのグループに入るまで、出席番号順に射殺していく」という突然のクラス連帯責任が発動した、ということもないだろう。
そういったことがあったとしたら、教師は人ならざる者であり、「担任がサタン」というただの不運なので、自分の責任ではない。

あぶれたとしても、結局どこかのグループに情けで入れてもらうか、同じようにあぶれた誰かと無理やり組まされるなどして、授業は続行されたはずだ。
だが、その間に何が起こったのか、という話なのだ。

まず、教師が「こいつを入れてやれ」とどこかのグループに無理やりねじ込むか、もしくは、心優しい優等生がいるグループが「入れてあげる」と名乗り出るかだ、しかしそれでもあぶれる者には、最後の禁じ手「教師と組む」が待っている。

この本人の意思不在で行われるネゴシエーションの間、当事者が棒立ちで何を考えているかというと、「射殺してくれ」、もしくは「出席番号順に全員射殺したい」である。

学生時代に友達がいない辛さというのは、教室に1人でいる事自体ではなく、それによって起こる、屈辱、羞恥、劣等感がその正体である。

1人でいるのが好きな奴というのは、子どものときから1人でいるのが好きなのだ。だが狭い教室内、限られたメンバー内でソロ活動というのはあまりにも目立つ。特に女子は目立つ。

グループ、バンド、テクノポップユニットのどれにも入っていない女子というのは、明らかに異端なのだ。
何らかの才気を感じさせる女子なら、「あれは鬼束ちひろポジション」として、ギリギリ片付けられるかもしれないが、ただの垢抜けない女子がそれだと、要注意生徒扱いとなり、教師や優等生たちから、上記のようないらぬ世話を焼かれ、屈辱を味わう羽目になる。
そして何より嫌なのが、そうされると「放っておいてくれ」と思うのに、いざ放っておかれると、「誰か俺の状況を察して便宜を図ってくれ」と思ってしまう、自分自身である。

つまり、対人関係というよりは、そういう屈辱や己の弱さとの戦いなのである。1人が好きで精神力が鋼なら、授業中のグループ作りであぶれても、「僕に構わず続けてくれたまえ」と、おもむろに紅白帽をかぶり教壇の上に体育座りという、「高見の見学ポーズ」をとることが出来るはずだ。
しかし、多くの者はそれが出来ず、屈辱にも耐えられないから、どれだけ1人が好きでも、とりあえず教室内で誰か一緒にいる相手を探してしまうのだ。これは「1人でいるのが嫌」なのではない。「他人から1人でいるように見えなければいい」のである。

よって、そういうタイプの友達作りは、気が合うとかそういう問題ではなく、クラスメートで人型で制服を着ていればいい、ぐらいのものだ。
最近はSNSで映えるようなイケてる写真を撮るために、友人役のサクラを雇う者がいると聞いたが、そんなもの、インスタグラマー如きがやりだす何十年前も前から、こっちはやっている。むしろ元祖だと言い張りたい。
卒業までの契約で、お互い友達役のサクラをやっているようなものなのだ。

コミュ症やイケてないグループにいた人に学生時代の話をさせると、スクールカーストの話が出てくると思われがちだが、私は正直、いかに自分が、屈辱や羞恥を感じずに過ごすかに必死だったため、上位陣を妬む、なんてレベルにすら到達していなかった。

よって私が、「リア充爆発しろ」というような感情に目覚めたのは、少なくとも高校を卒業してからである。
教室を脱出し、若干周りを見る余裕が出来てはじめて、他人の爆発を願えるのだ。
世間は、学生という天国時代を謳歌せよと主張しがちだが、大人になることで楽になる人生もある。

しかし、他人の爆発を毎日、邪神像に祈り続けている状態が、健全かというと、そうではないだろう。
教室を抜けた先が、天国というわけではない。だがらといって地獄でもない。そんな、ブルーハーツが歌っているような曖昧な場所に大人になれば行く、ぐらいに思っていた方がよい。

女32

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著者プロフィール

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

1982年生まれ。OL兼漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』(講談社)で漫画家デビュー。自身2作目となる『アンモラル・カスタマイズZ』(太田出版)は、第17回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選出。ジャンルを問わず幅広く活躍しており、主な作品に、漫画『ヤリへん』(小学館)『やわらかい。課長 起田総司』(講談社)『ねこもくわない』(日本文芸社)、コミックエッセイ『ナゾ野菜』(小学館)、コラム集『負ける技術』『もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃』(講談社)などがある。

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