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女って何だ?

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

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第26回

2017.07.28 更新

先日、某女性誌が「年齢による女の市場価値」をテーマにした記事を掲載して大炎上した。

もう女の年齢というのは「えーでは、今から私がキャンプファイアーになりますので、みなさん、鬼の形相で踊り狂いながら罵詈雑言を吐いてください」という、笑点のテーマでない限りは触れるべきではないということである。
仮に笑点だったとしても、そんなお題が出た日には、世界一訃報が出ないことで有名な歌丸前司会者だってどうなったかわからない。年のことを刺激された女に慈悲はないのだ。

自分で年齢や容姿のことを自虐ネタにする女はいる。しかしそういう女ですら「他人には言われたくねえ」と思っている。むしろ他人に言われたくないから先に自分で言っているのだ。後ろから刺されたくないから、切腹しておく、みたいな話である。

前置きが長くなったが、今回のテーマは「迫る加齢の波」、女にとっての年齢問題である。

これだけ炎上してしまうということは、やはり年というのは女にとって大きな関心事、かつ問題であり、それゆえにあまり触れられたくないということなのだろう。

では、女は若い方が良いかというと、肉体的には、女だろうが男だろうが、生物としては若い方が良いに決まっている。
体も脳も衰えて良いことなどひとつもない。私も30半ばになり、体力や集中力がなくなったのはもちろん、物忘れがとにかく酷くなった。
物を一旦どこかに置き、3分もすれば置いたことすら忘れているので、1日に「千の神隠し」が起きる。ここに千尋が入れば、少女が主人公のファンタジーになるが、これはひたすら、中年女が物をなくすだけの物語である。

30代でこれだと、これから先どうなってしまうのか、恐怖しかない。そうならないために体力づくりや脳トレなどをすればいいのだろうが、若いころは何もしなくてもあったものが、年をとると努力なしでは得られなくなるというのは、大きなデメリットであり、ショックですらある。

よって、私は肉体的には若い女が羨ましい、これは確かだ。
ではそれ以外のところで羨ましいかというと、「思ったほどではない」というのが個人の感想だ。
もちろん「思ったほど」というのは、若い女を八つ裂きにして生き血を浴びまくることなのだが、このような危害を加えるほどまでには羨ましくない、というのは確かだ。

私もOLをやっているので、中年以上の女性社員が20代の女子社員に「やっぱり若いっていいわね~。私ぐらいの年になるとすぐ……」みたいな絡み方をして、女子社員は、何と言っていいかわからず薄ら笑い、みたいな構図を週一ぐらいで見ているし、私も20代のころはそれを言われてきた。

確かに何とリアクションしていいかわからないし、むしろ変なことを言うと角が立つ。「動いたら死ぬ」罠みたいなものなので、薄ら笑いしかすることがないのだが、そう言われて悪い気はしなかったし、優越感も感じていた。

しかし、言う側の年齢になってわかったが、羨む気持ちも確かにあるが、大半は若い女に対する社交辞令で、何より「若さを羨む中年女」という鉄板芸を見せておけば、周りが「よきかな」と納得するという利点があるから言っているのだとわかった。

「言う側の年齢になった」とは言ったが、コミュ症かつ社会性のない私は、未だに若い女子にこういうことが言えない。よって、言っている人を見ると「大人だ」と感心する。
私が「若い子はいいわね」と言いだした時は、本気で羨ましい場合であり、もちろん瞳孔が開いているので、若い女は八つ裂きにされる前に逃げてほしい、体力がないので余裕でまけると思う。

ではどうしてそこまで羨ましくないかというと、別に若いころに戻りたくないからだ。
つまり「JKの体に戻してあげる」と言われたら、ボイレコ片手に「言質とったぞ」と言うが、「JKのころまで時間を戻してあげよう」と言われたら、「めんどくせえ」と思うのだ。

若さを羨む理由のひとつに、「将来性の有無」がある。
何かを始めるのに遅いなんてことはない、と中年に金のかかる趣味を勧める雑誌は言うが、やはり若いうちに始めた方がいいし、転職なんて絶対若い方が有利だ。「若いんだから何にでもなれる」とまで言う人さえいる。

そういった意味で「あのころの自分に戻ってやり直せたら」と思うことはある。しかしそういう妄想をするときは大体「あのころの自分」ではなく、「別人のように生まれ変わったあのころの自分」で考えてしまっている。
そういう自分なら、あのころ諦めた夢を次々に叶えるだろう、何せ別人なのだから。

だが現実は「所詮今より若いだけの自分」である。あのころやらなかったことは万が一時間が戻ってもやらないし、「昔の自分に戻って同じ事を繰り返せ」と言われたら、「めんどくせえ」としか言いようがない。
それに若いころの自分が「所詮、今の自分が若いだけ」なら、今の自分も「所詮、私が年とっただけ」である。

今の自分が大したものを持っていないなら、若いころの自分だって当然何ももっていない。年をとると大きなものを失った錯覚に陥るが、もとから無いものは無くせない。つまり肉体的若さという誰もが平等に失うもの以外、「何も失っていない」とも言えるのだ。

しかし某女性誌が「美人の38歳とブスの27歳、結婚するならDOTCH」と、年齢と容姿、二大アンタッチャブルなモノを掛け合わせ、さらに男に値踏みさせるという、全裸でガソリンを浴びた後、窓辺で一服、みたいな超クールなことをしてしまったのも、「若い子はいいわね、私はおばさんだから」という、女の自衛切腹を世間が真に受けたせいかもしれない。

社交辞令は必要だが、羨ましくもないものを羨ましがってみせるのはやめた方がいいのかもしれない。羨ましがるときは、本気、瞳孔全開、相手を八つ裂きにしたいときだけにしよう。

女26

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著者プロフィール

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

1982年生まれ。OL兼漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』(講談社)で漫画家デビュー。自身2作目となる『アンモラル・カスタマイズZ』(太田出版)は、第17回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選出。ジャンルを問わず幅広く活躍しており、主な作品に、漫画『ヤリへん』(小学館)『やわらかい。課長 起田総司』(講談社)『ねこもくわない』(日本文芸社)、コミックエッセイ『ナゾ野菜』(小学館)、コラム集『負ける技術』『もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃』(講談社)などがある。

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