キノノキ - kinonoki

キノノキ - kinonoki:ナビゲーション

女って何だ?

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

女って何だ? ブック・カバー
バックナンバー  1...2324252627...31 

第25回

2017.07.14 更新

長きにわたる「○○女シリーズ」で、「女は結局、どう成長してもキツいから気にすんな!」という非常に前向きな結論が出たので、そろそろ新章にいこうということになった、映画で言えば「SAW2」「デッドコースター2」みたいな感じだ。

これからは「女同士の関係性について考えたい」と担当から言われた時点で嫌な予感がしたが、新しく送られてきた担当メモを見て予感は確信に変わった。

「女同士が傷つけず傷つかない関係性を築くために・・・」

一行目からこれである、この「・・・」。
あきらかに、相手に「見逃してもらえるかも」と期待を持たした後で殺すタイプだ。
三点リーダーを使わないあたり、「じっくり殺らせてもらいまっせ」感が出ていて怖い。

というわけで今回からは「女同士の関係性」について考えてみたいと思う、
まず第一回目のテーマは、「女友達の作り方」だ。

「じっくりやる」と思わせて、いきなり眉間を一発である。
女友達の作り方、……わからぬ。これがわからないことで学生時代ずっと悩んできたし、今も現在進行形で悩んでいる。
そういう奴に「友達の数を数えろ」というのは、「指を1本1本切り落とせ」と言っているに等しい。
もちろん「4人ぐらい」などという曖昧な数字は許されない、担当のことだから「一人一人実名を挙げながら言え」と言うに決まっている。
こうして具体的に顔を思い浮かべていると、「こっちは友達と思っているが向こうは違うかも」という疑心暗鬼に陥るし、「いつもグループで集まっているが、あのメンバーとマンツーマンで会って果たして間がもつのか」という疑問にぶちあたり、「実質ゼロ」という結論になりかねない。

第一、友達がいないことは悪いことなのか? いや悪くない、そもそも「友達がいない」という言葉は万難を隠してくれる魔法の言葉だからだ。

問題は友達がいないことではない、いない理由だ。中には特殊なサンバイザーをしないと目からビームが勝手に出る体質で友達がいないという人間もいるだろうが、大体が、他者への興味、思いやりが圧倒的に足りてない、人の話を聞いてない、自分の話ばかりする、または全くしない、話しかけられるのを永遠に待っている、話しかけたところで会話を0.5往復で終わらす、全ての言葉に「でも」がつく、風呂に入ってない、という理由で友達がいないのだ。

それらの欠陥全てを「友達がいない」の一言で済ませられるなら安いものだ、どんどん使っていきたい。
これは、ただガサツでズボラなのを「女子力が低い」と言っているのに近い。むしろ誇らしげにステータスのように言う女さえいる。これはおそらく、女子力が低い=サバサバ系であるという自己主張なのだ。そういう相手に「他者への配慮に欠けるタイプなのですね」と言うと、ものすごく粘着質そうな、嫌な顔をする。

結局「友達がいない」というのは、よほどの理由がない限りは、欠点である場合が多いし、ステータスにはなりえない。
そして、どれだけ自分が、友達がいなくて平気であろうとも、世間的には「友達はいた方がよく」、逆に「いないのは不幸」なのである。
つまり、友達はいないよりはいた方が色々円滑であり、少なくとも他人からは人間としてもまともだと思われるのだ。

ではどうやって友達を作ったらいいか、となると、また「わからぬ」になって、泥人形を友達と呼んでしまう。
そもそも友達というのは、大人になるとさらにできなくなる。

何せ、大人というのは、初対面が大体敬語である。敬語から友達になるのは、相当な難易度だ。それを、いつタメ口にするか。これは、マリオが動く足場に飛び乗るが如きタイミングの見極めが必要だ。見誤ると死である。
だからと言って、初対面でタメ口というのは、「来日2週間目」とかでない限り許されない。
学生時代は、人懐っこく、フランクな方が生きやすいのは、周りが同世代ばかりだからだ。しかし、社会に出ると、様々な世代がいるので、そのノリでいくとまずい場合が多い。

しかし、女の多くは、言葉遣いが緩い若い女に対し「目上に対してそれはない」と面と向かって注意はしない。むしろ、ニコやかに対応しているのだ。
私などはそれを見て、やはりああいうタイプが、どこへ行っても好かれるのだと思った。というか「そう思っていた時期が俺にもありました」だ。

なぜなら、陰では全員そのタメ口女の悪口を言っていたからである。
これは、恐ろしい話である。全員表ではその女と友達のように話しているのだ。
つまり今この瞬間、笑顔で自分に対応してくれている女が、全員影で自分の悪口を言っているかもしれないということだ。

結局大人になると「礼儀のなってない奴」はダメなのである。
つまり、敬語からタメ口のタイミングを外すと、この「礼儀のなってない奴」にされる可能性があるのだ。
それで悪口を言われるぐらいなら、ずっと敬語で他人行儀なままでいいと思ってしまうだろう。

こうして、コミュ症の中に非常に多く見られる「誰でも敬語マン」が爆誕するのである。
犬相手にでも永遠に敬語にしとけばとりあえず間違いはないだろうと、動く足場の前でずっと棒立ちしているマリオである。
そもそも人によって言葉遣いを変えるなどという高度な技術は、「オレ オマエ コワイ」しか言えないコミュ症には到底無理なのである。

しかし、社会に出ると学生時代と違い、「仲良くなる」ことより「間違えない」ことの方が重要なのだ。敵さえ作らなければ、会社の人間と友達になる必要は特にない。
大人になると、会社内だけではなく、学生時代より格段に「友達がいない弊害」が減るのである。社内で突然「2人組を作れ」とか言われたことがあるだろうか。友達がいないことを懸念して、上司や社長が家庭訪問に来ることがあるだろうか。

大人になると、「友達ができにくい」が「友達が必要な場面が減る」に変わる。
つまり、大人になって無理をして友達を作ろうとするのは、特に必要のないものをリスクを冒して得ようとしているということである。
マリオが、ピーチ姫ではなく、よく知らないブスを助けるために、クッパ城に乗り込んでいるようなものだ。

学生時代は女友達がいないことに悩んでいた。それだけ実害があったからだ。

しかし「性格が悪すぎて友達がいない」の「性格が悪い」という部分は悩むべきかもしれないが、「友達がいない」ことに関しては、もう悩む必要などないのかもしれない。

女25

バックナンバー  1...2324252627...31 

著者プロフィール

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

1982年生まれ。OL兼漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』(講談社)で漫画家デビュー。自身2作目となる『アンモラル・カスタマイズZ』(太田出版)は、第17回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選出。ジャンルを問わず幅広く活躍しており、主な作品に、漫画『ヤリへん』(小学館)『やわらかい。課長 起田総司』(講談社)『ねこもくわない』(日本文芸社)、コミックエッセイ『ナゾ野菜』(小学館)、コラム集『負ける技術』『もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃』(講談社)などがある。

ページトップへ