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女って何だ?

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

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第15回

2017.02.08 更新

最近、「嫁姑」とか世界一積極的にしなくても良い話を二回もしたせいで、「○○女シリーズ」がご無沙汰になっている。
このままでは担当から送られてきた膨大な「○○女メモ」を見て私がブルーになっただけになってしまうが、それでは困る。みんな私と一緒に死んでくれ。
というわけで久しぶりに担当のメモを見たのだが、全てどんな包丁と並べて見ても遜色ない名文揃いだ、ただ持ち手まで刃で出来ているのが問題なだけだ。
ベルセルク調に言うと「それは剣というにはあまりにも大きすぎた。ぶ厚く重くそして大雑把すぎた」という感じなのだが、唯一違うのは、担当の剣は「ぶ厚く重く細かすぎ」なのである。その中でも特に異彩を放っていた奴が今回のテーマだ。

毎回「全部載せると尺が足りないし死者が出る」という理由のもと、省略したものを載せていたが、逆に一回全部載せたらどうなるかやってみたい。やはり爆弾も落としてみなければ本当に人が死んでくれるかわからない。
ということで、今回のテーマはこれだ。

【逆・鎖国女】
・パリ、ハワイ、ニューヨーク……とにかく外国リスペクト、外国が正義、外国しか認めない
・会話中はオーバーリアクション、ふしぶしにカタカナ用語。下品に見える振る舞いこそ「力強いわたし」の象徴だと思っている
・帰国子女、ハーフなどと友だちであることがステータス。ハーフの友だちとクラブで撮った写真をインスタにアップすることが生きがい
・「オアフ島のビーチをイメージした部屋」「パリの蚤の市でみつけたふうアンティークのランプシェード」などで部屋を飾る。おしゃれは海の外にしかないと思っている
・芸能人=海外セレブ。セレブに対して謎の親近感を抱いており、「ブリトニー・スピアーズは苦労してるから」など理解を示す。この理解基準は日本式
・「日本人はさー」「アメリカではそんな言い方しない」「パリでそんな服着ない」など正解の基準を外国に求める。しかしソースは不明でネットで見たとか曖昧
・横文字好き。「生息地:Tokyo」とローマ字で書いたり、「Oops!」「XOXO Love」「My愛する」などわかってるふうな単語を入れる
・ビキニパーティー、広い帽子、デカいサングラス、柄モノのワンピースなど、パッと見でそれとわかる服装をしている
・「気まぐれに」DJをやりたがり、「まったりな」自炊は「カフェスタイル」。力を抜いていてもそうなっちゃうの、という自然体アピールも重要。「このSHOP愛しすぎてる」など、好きだからこうなっちゃいましたアピールも欠かさない。頑張らなくてもいい、本当の自分がいる、その象徴が海外である
・疲れたときやクリスマス終わりなどに六本木ヒルズの展望台など高い場所へ行き「Tokyoの光……Love」など感傷に浸る。「TokyoにPowerもらった日」として夜景をバックにした自撮をインスタなどにアップ
・その国の何かが好きというよりは、隣の芝生は青く見える精神で、「英語=かっこいい」「パリ=おしゃれ」「ハワイ=癒し」となんとなくのイメージだけで憧れを抱く
・ゆえに浅いともいえるが、裏表がないともいえ、友人関係でトラブルになることもあまりないためか交友関係が広い
・外国だけでなく、「ハンドメイドの服しか着ない」「オーガニックコスメしか使わない」「女にスカートを強制するのは許せない」など、何かの世界に固執している人もジャンルは同じ。これらの女たちはより排他的であり、真の鎖国精神はここにある

……すごい(すごい)としか言いようがない。
とにかく担当がこの「逆・鎖国女」に親を殺されたのだろうな、ということだけはわかった。そうじゃなかったらここまで言ってやるなよと思う。相手も人間だ、鉄の塊とかではないし、仮に鉄でもこんな攻撃を受けたら一瞬で蒸発する。
それにしても、「Tokyoの光……LOVE」これは明日から使いたい日本語だ。本人は米国かぶれなのだろうが、逆に日本語でしか到達できない低みの言語を生み出してしまっている。

しかし、担当が最後まとめきってしまっている通り、こだわりを持つというのはつくづく自分を縛る行為だ。小学生の時やった「横断歩道の白い部分以外を踏んだら死ぬ」という自分ルールとなんら変わりない。
逆・鎖国女は、オーガニックコスメ以外を使ったら全身が焼けただれて死ぬという呪いを自分にかけて、本当に間違って塗ったニベアとかで死ぬのである(もちろん「海外セレブの間でニベアが人気」というソース不明の記事を見ただけで大復活する)。
最近の女たちは、スーパーでいつの間にかお菓子売り場に移動している子どものごとく、ちょっと目を離した隙に自分を探しに行ってしまうから、もう「自分がないほうが自由」と言ってしまった方がいいんじゃないだろうか。
「私はケツセレブ(仮)でしか尻を拭かない」と言ってウンコつきっぱなしな女より、丁寧に揉み解したトイレットペーパーの芯でも、尻を拭いている女の方がいいだろう。
しかしどんなに不自由でも、こういった女はこだわりのある自分の方が好きであり、全身にハッカ油塗っても凍死しない女より、ニベアで死ぬ女でありたい。むしろ「私ニベアで死ぬ人じゃないですかぁ?」と言いたいのだ(しかしあまりドヤ顔で言うと、言った瞬間霧状にしたニベアを吹きつけられる恐れがある)。

「オシャレは我慢」という言葉がある。
オシャレの為なら、真冬でもシジミ貝で局部だけ隠して外に出たり、通気性伸縮性ゼロかつ、値札のゼロ数もユニクロより多い服を着ることだ。
それと同じように、「自分を持つということは我慢」なのかもしれない。「パリで流行っている」と同じノリで、「アムステルダムでは合法」と大麻をやってブタ箱にぶち込まれたとしても、自分を持っていたせいだから仕方ない、我慢だ。
かと言って「自分がない女」がいいかというと、それは普通の「何かダサい女」であり、こだわりがないせいで全身がとっ散らかった和柄にフリルなど、逆・鎖国女よりよほど多国籍なことになっているし、生き方もブレており、何より本人もそんな自分が嫌で、今すぐにでも「自分売り場」に行きたいと思っている。

結局、自分がなくて彷徨うか、自分で自分を縛って動けなくなるかしかないのだが、やはり他人(担当)に何と言われようが、「JIBUN愛しすぎている……」状態の方がいいと思うので、私も今夜あたりTOKYOではないが「光LOVE……」をやってみようかと思ったが、我が家の近辺は、夜になると完全な暗闇となる。
夜に光があるところに住んでいるだけでも、もう勝ち組なんじゃないだろうか。

女15

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著者プロフィール

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

1982年生まれ。OL兼漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』(講談社)で漫画家デビュー。自身2作目となる『アンモラル・カスタマイズZ』(太田出版)は、第17回文化庁メディア芸術祭審査委員会推薦作品に選出。ジャンルを問わず幅広く活躍しており、主な作品に、漫画『ヤリへん』(小学館)『やわらかい。課長 起田総司』(講談社)『ねこもくわない』(日本文芸社)、コミックエッセイ『ナゾ野菜』(小学館)、コラム集『負ける技術』『もっと負ける技術 カレー沢薫の日常と退廃』(講談社)などがある。

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