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カレー沢薫のワクワクお悩み相談室

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

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カレー沢先生、「公式と解釈違い」のモヤモヤをどう解消すればいいでしょうか?

2019.07.05 更新

推しの「死に直し」にモヤモヤしております。「死に直し」というか、人生初の推しが作中で二度死にました。すごく美しくて切ない死に方ゆえに推すようになりました。もちろん幸せになって欲しかった気持ちもあるのですが、悪役を全うし悪として死んでくれたそんな推しが 魂を呼び戻されて自身の苦しみに答えを見出して円満に成仏したことにスッキリできないでいます。もちろん再登場は嬉しかったですし、その二度目の死もそれはそれで美しくて切なくて、何より本人も苦しみから解放されたであろうはずなのに、複雑な気持ちを捨てることが出来ず、もう10年経ち、原作もとっくに完結しました。ぜひ先生にこのモヤモヤを消化する方法を教えていただきたいと思っております。

「オタクにしかできない悩み」としか言いようがなく感動すら覚えました。
「美しくて切ない」という言葉が文中に2回も出てくるのも高ポイントです。

もう、この悩みを読んだ多くのオタクが「一体誰のことだ」「きっとあのキャラのことだ」と、ザワザワしだしていると思います。
私も、人様の人生にこんなクソでか枷をはめるなんて、どんなキャラだよ、ということが気になり過ぎて、悩みに答えるどころではありません。

この時点で、あなたには優れた「プレゼン力」があることがわかります。キャラ名や作品名さえ出さずにここまで興味を引けるというのはなかなか出来ることではありません。
ジャンルの繁栄のために仲間を増やしたいオタクにとって「プレゼン力」は、陸上選手にとっての「足が速い」くらい重要な能力ですので、今後のオタク人生に生かしていただければ、と思います。

オタクの世界には「公式と解釈違い」という強い言葉があります。

たとえばドラゴンボールで、悟空が「ひゃあ~おめえ強えな~! オラ関わりたくねえから後は警察に任せっぞ!」と言い出したら多くの悟空ファンが「悟空はそんなこと言わない!」と激高するでしょう。
しかし、鳥山明が悟空にそう言わせたなら、それが「公式」であり、それに「違う!」と言うのは「自分の妄想を正しいと思っている厄介なオタク」ということになってしまいがちです。

しかし、現実世界でも、我々は他人に対し様々な印象を抱きます。
優しくされれば「優しい人だな」と思いますし、持っているカゴににんじん、玉ねぎ、じゃがいも、牛肉が入っている人なら「今日カレーを作る人だな」と思うものです。

例えそれが間違っていたとしても「他人に優しいと思わせる一面がある」「カレーを作りそうなオーラが出ていた」ということだけは事実なのです。

つまり、オタクが持っているキャラ像も、勝手な妄想というわけではなく、むしろそのキャラの一挙一動をつぶさに観察した上の「印象」なので、原作者の意図通りであろうがなかろうが、そのキャラにそういう印象を持たせる何かがあったのは確かなのです。

それが現実世界でも、たとえば、真面目なマイホームパパという印象だった人が、盗んだ下着を上下揃えて自ら着用するという女子力の高い状態で逮捕された、と聞けば誰だって驚くでしょう。

そこまで極端でなくても、他人に自分の印象と違う行動を取られてショックを受けたり、逆に見直したりする、というのは非常に良くあることです。

それと同じです。オタクが公式での推しの言動に違和感を覚える、というのは、何ら不思議なことではありません。

もちろん「私の推しはそんなこと言わない」とデカい声で公式を否定して自分の正しさを主張すると戦のもとですが、「公式の描き方に違和感を覚える」こと自体は全くおかしいことではないのです。

しかし、オタクの中には愛ゆえに「作者がそう描いてるんだから」「推しのすることだから」と出されるものを全て受け入れようとしてしまう人がいます。

日本人は割とこのような「推しに甘い傾向」があり、推しが気に入らない曲を出しても「いつもと違うテイストで良い」と言ったり、クソ実写映画に出演しても「推しはやれるだけのことはやっていた」と「頑張り」を褒め始めたりします。

そのぐらいなら良いのですが、果ては淫行で捕まっても「相手の女にハメたつもりがハメられたに違いない」と被害者を責めてまで擁護に回る者さえいます。

「ちょっとこれは違うな」と思っていても、そう思うこと自体、推しに対する「背信行為」な気がして、その違和感を封じ込めてしまうのです。

あなたが、推しに対して10年以上もモヤモヤしているのは、推しに対して「違う」と思う気持ちを封じ込めたままにしているからではありませんか。
本当は、推しは1回目の死で全て終わるのが最良で、「2回目はいらない」と思っているのではないでしょうか。

しかし、推しへの愛ゆえに復活や二度目の死を「蛇足」と言い切ることが出来ず、「再登場は嬉しい」「苦しみから解放されて良かった」「二度目の死も美しくて切なかった」、そして何より「それが作者の出した答えだし」と、考え得る限りの理由をつけて、己をムリヤリ納得させているのではないでしょうか。

もうここで、思い切って「2回目いらんわ!」と言い切ってみてはいかがでしょうか。

世の中には、自分の意にそぐわない展開を「公式の妄想」と言い切る強いオタクもいるのです。あなたもあなたの中で「私の推しはあの時死んだ」と「2回目」をなかったことにしてもかまわないのです。

私も「ファイナルファンタジーX」への愛から「ファイナルファンタジーX-2」を「なかったこと」にしていますが、「X-2にも良いところはある…」と無理やり納得させようとしていたときより格段に気持ちが楽になりました。

意にそぐわないものをムリヤリ受け入れるというのは推しへの愛ではなく、ただの「推しに気を遣っている」だけです。

気遣いというのは疲れるものです。忖度はやめて、自分の思ったままに自由に推しを愛しましょう。

公式との解釈違い

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作品について

著者プロフィール

カレー沢薫(かれーざわ・かおる)

1982年生まれ。漫画家・コラムニスト。2009年に『クレムリン』(講談社)で漫画家デビュー。SNSでは“自虐の神"と崇められ、20本近くの連載を抱える人気作家。近刊はエッセイ『女って何だ?』(小社)。現在クラウドファンディングでコラボカフェの開店を企画中。

作品概要

人間関係、金銭問題、趣味沼……
読者から寄せられる様々なお悩みにカレー沢先生が答えます。

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