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新井素子(あらい・もとこ)

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体重計(最終回)

2018.06.15 更新

 ボクは、とあるスポーツクラブの女性シャワー室脇にいる、体重計だ。
 自分で言うのも何だけど、なかなかスグレモノである。なんたって、4桁まで表示できるんだもんね、ボク。50キロのひとなら、50.00のひとも、50.99のひともちゃんと計れる、10グラムまで対応している体重計である。

 ボクは、毎日、ボクに乗っかる女性の体重を計り続けている。だってそれがお仕事だもん。
 そんな日々を過ごしていると、なんか、判ることがある。
 女性って、不思議。
 ボクに乗る度、一喜一憂している。
 それも……変な、一喜一憂。体重が、減っていると嬉しい、同じだとうーむ、増えていると悲しい。ねえ、これ……逆じゃないの?
 だって、体重って、財産でしょ?
 いや、人間界のことはよく判らないよ。でも、大抵の人間が、貯金があると嬉しいって思っていることは、ロッカールームでの会話を漏れ聞くだけで、ボクにも推測がついた。(女性は、ロッカールームで、もの凄くおしゃべりをするんだよ。全然知らないひと同士であっても、数回、一緒になると、挨拶をするようになるし、そのうちおしゃべりをしだして、いつの間にかほんとに個人的なことを話しているひと達も、結構いるんだ。)うん、人生、先に何があるのか判らない。だから、お金は、ないよりあった方がずっと安心。
 その理屈は、ボクにも判る。
 でも、そういう意味なら、体重もあった方がいいのでは? 人生、先に何があるのか判らない、そのうち、飢餓の時代がきたら、そりゃ、体重、そして脂肪、あった方が絶対いいよね? 脂肪ってエネルギーの貯金だから、大飢饉が起こったら、脂肪のあるひとの方が、まだ安心できる筈。だって、餓死するまでにゆとりができるじゃない。
 これはかなり不思議だったんだけれど、女性達の会話を聞いていると、やがて、“見てくれ”ってものが大切なんだってことが判ってきた。うん、なんか、脂肪がなければない程、“見てくれ”的にはいいみたい。ただ実際には、ボクがみて、「この子可愛いなあ」「このひと感じいいなあ」って思うことと、体重、そして脂肪量は、何の関係もないんだよ? でも、不思議なことに、女性の方は、大体、体重が1グラムでも軽い方がいいって思っているみたい。そんなことが、ここにきて半年もたたずに、ボクにも判った。
 女性って、不思議だね。

 そして。ボクが、このスポーツクラブで働きだして、1年たつ頃。
 ボクにはとっても気になる女の子ができた。
 名前、その他、個人情報はまったく知らない。
 うん、この子、うちに来ると、ひたすら運動をして(何でそれが判るのかって言えば、ボクの前を通る時のこの子、いつだってもの凄い汗まみれだから。かなり運動をしているんだね)、シャワーを浴びて、そして帰ってゆく。常連なんだけれど、他の常連の方々とおしゃべりなんかまずしない、ひたすら、運動をしてシャワーを浴びて、帰ってゆくだけの女の子。ストイックだね。かっこいいと思う。
 そして。何でこの子が気になるのかって言えば。
 実は、ボクの脇には、フックがあって、そこにタオルが掛けてあるのだ。
 ボクに乗るひと(何たってシャワー脇に設置されているんだからさ)、場合によっては濡れている可能性がある、その前に、運動してたら汗かいている可能性もあるよね、だから、掛けてあるタオル。濡れてしまったボクを拭く為のタオル。
 他のひとはみんな、ボクに乗る前、ボクが濡れていると、そのタオルを使って、ボクのことを拭く。
 けれど、その女の子は……ボクが濡れていてもいなくても、それでも必ず、ボクに乗る前にボクのことを拭き、そして、自分が降りたあとで。自分が使ったあとのボクのことを、必ず、絶対に、そのタオルで丁寧に拭いてくれるのだ。彼女が使ったあと、ボクが濡れていることなんてないのに。
 勿論。自分が使ったあと、ボクのことを拭くひとはいる。けれど……彼女の拭き方は、何か、とても、丁寧だったのだ。丁寧で……優しい。優しく、優しく、使い終わったボクのことを拭いてくれる。
 これが、時々あることじゃなくて……彼女が来る度、毎回続いてしまえば……ボクが彼女のことを気にしたって、当然だろう?
 うん、いい子だね。
 ボクは、彼女が好きになってしまったのかも知れない。

          ☆

 ボクは彼女が好き。彼女もボクに乗るのが好き。
 そんな蜜月が、4カ月続いた。
 最初のうちはね、ボクが計っている彼女の体重、大体一定だったんだ。でも、クラブ通いだしてひと月もすると。彼女の体重、少しずつ、少しずつ、減っていったの。
 一番最初にボクに乗った時、彼女の体重は53.27だったんだ。そのあと、ひと月、53.32とか、53.19とか、53.30とか、その辺の処をうろちょろして……ふた月目にはいった頃。
 ボクの表示が52.90になった時、彼女、ボクの上でガッツポーズをとったんだな。その様子が、また、とても可愛らしかった。そうか、53.02と、52.90とじゃ、実質殆ど体重変わっていないと思うんだけれど(直前に水呑んだりトイレに行ったらそのくらいは上下するよね)、53キロか52キロかっていうところが、きっと随分違うんだろうな。それに、一回、52.90になってからは、52.88とか、52.73とか、稀に52.94なんて数字がでることはあっても、53にはならなくなったし。
 で、そのあと3カ月。大体、ひと月に1キロ、彼女の体重は落ち続けた。運動の効果がでてきたんだね。ボクは、門前の小僧で、ダイエットのことなんか詳しく知らないんだけれど、そんなに過激ではない運動をずっと続けて、ひと月に1キロくらい体重が落ちるっていうのは、まあ、いい感じのダイエットなんじゃないかなあって思っていた。
 同時に……なんか……とっても悪い予感を覚えてもいたんだよね。

 彼女がジムに通いだして4カ月目。最初53キロ台だった彼女の体重は、50キロ台まで落ちて……そして、そこで、数字の減少が、止まった。
 いや、止まらなきゃいけないんだよ。そもそも彼女、全然太っていないし。お腹たぷたぷで82.87なんてひと、一杯いるのに、彼女にはそもそもたぷたぷしている処があんまりないし。(むしろ、見てくれ的なことを言えば、胸はもっとたぷたぷしていてもいいんじゃないのか? ボクにしてみれば、最初から、彼女の脂肪貯金のなさが気になっていたくらいなんだもん。)
 適切な運動で3キロ痩せた。そしたら……これ以上、数字が減るのは、むしろまずいんじゃないのか?
 でも。どうやら彼女はそう思っていないらしかった。
 もう、ボクに乗る時の彼女は幸せそうじゃない。ボクに乗る度、眉根を寄せる。ボクに乗るのが全然嬉しくなさそうになってきた。
 その頃の彼女の数字は、50.54とか、50.63とか、50.48とか、その辺をうろちょろしていて……ねえ、ここで、満足してよ。

 そして。彼女の数字が停滞しだしてしばらくしたら。
 彼女が、何故か、1週間もうちに来なかった時が、あったのだ。
 ボクはとっても心配していたので、1週間後、彼女が来てくれた時はすっごく嬉しかったんだけれど……同時に、驚いた。何、なんなの、これ。彼女……どう見ても、げっそり疲れている感じ。元気がまったく感じられない。
 そんで、ボクに乗った彼女の数字は、49.98。そしたら、彼女、すっごく嬉しそうに。
「うわあ、40キロ台! 初めての40キロ台! この1週間、やたら忙しくて満足に食事している暇もなかったのに、それでも運動しに来てよかった」
 ちがあうっ! それは、話が絶対に何か違うぞっ! それは、痩せたんじゃなくて、窶(やつ)れたんだよっ。それも、運動で痩せたんじゃなくて、仕事で窶れている処で余計な運動して、疲れたんだよっ!
 これ……これ……なんか、とっても嫌な気持ちがする。

 ボクの嫌な予感は、的中してしまった。
 この後も彼女はうちに通ってくれたんだけれど、40台の数字は、出なかった。いつ来ても、50.52とか、50.49とか……。
 いや、だから。それが多分、現時点での彼女の“ちょうどいい”体重なんだよ。それ以上減らそうとするのは、絶対にまずいし、そもそも、無理だってば。
 でも。ボクに乗る度、彼女の眉間の皺は深くなり……最終的には、「やっぱ、運動だけじゃ、駄目? 食事制限も……」。
 うわあああああっ。それは、それだけは、駄目だっ!
 彼女の健康の為にも、それは許してはいけない!
 だから。
 だから、ボクは、体重計としてのルールを……破ってしまった。

          ☆

 次に彼女がボクに乗った時。本当の数字は、50.48。でも、前回が50.42だったから……これで、また、「自分は太ってしまった」って誤解を彼女がしてしまったら困るから(だって、この数字は、あくまで誤差だよ。60グラムなんて、絶対誤差だよ、生き物ならそのくらいの誤差はあるって)……。
ボクは。
 体重計としてあるまじきことなんだけれど……うーんって全身に力を込めて……表示するべき数字を、変えてしまった。いや、体重計だって、やる気になれば、こんなこと、できるんだ。うん、49.99って数字を出したんだ。出してしまったのだ。だって、前に49.98が出た時、彼女、ほんとに嬉しそうだったんだもの。数字が、50から40になれば。少しは彼女、落ち着くんじゃないのかなあ。それを祈って。
 絶対に、ついてはいけない噓。それをついてしまったボクは、もう、体重計としては最低最悪で……けれど。
「あ、49.99?」
 こう言った彼女の表情が、とっても明るくなったので。本当に彼女が嬉しそうだったので。この時のボクは、嬉しかったんだ。

 それが、最低の判断だっていうことは、やがて、判った。
 その後も、彼女の本当の数字は、50.44とか、50.48なのに、ボクは、一律、49.99って数字を出し続けた。噓に次ぐ噓。でもまあ、誤魔化している数字は50グラムくらいだし、このくらいなら誤差だし。
 でも。噓つきには、報いがくる。
 やがて彼女は、49.99に、不満を持つようになったのだ。
「こんなに頑張っているのに、どうしても体重が落ちない……。やっぱり食事制限を」
 うわあああ、やめてー、お願いー。
 翌日のボクは、49.91って数字を、出してしまった。
 ……あとは……まあ……大体、想像がつくでしょ?
 同じ数字を続ける。
 やがて彼女が不満を覚える。
 ボクは数字をちょっと下げる。
 それを続ける。
 やがて彼女が不満を覚える。
 ボクはちょっと数字を下げる。
 そして……この繰り返しを続けている間に。
 実際の、彼女の体重は、徐々に増えだしたのだ。
 いや、だって、そうなるか。彼女にしてみれば、とにかくジムに通っていさえすれば、何もしなくても数字は徐々に下がってゆくんだよ。だから、ジムでの運動は、ちょっと軽めになり(彼女の汗の量は減っていったんだ……)、それでも体重は順調に減ってゆくから、彼女は油断して、帰りにアイスなんか余計に食べたりする。そしたら……徐々に、増えてゆくよね、彼女の本当の体重。

 表示上の彼女の数字が、48.04になった処で。この時は、実際の彼女の体重、51.32だったから……ボクは、バーストした。
 耐えられなくなった。
 次は、彼女の数字を、47キロ台にしなきゃいけなくなる。でも、本当の彼女の体重は、51キロ。
 5、60グラムは、軽く誤差だって思えていた。100グラムだって、誤差って言い張ることはできた。でも……1キロは、すでに、誤差じゃない。1キロ、実際の体重と違う数字を出すのなら、もう、ボクは体重計を名乗れない。
 なのに、本当の差異は……すでに、4キロ近い。
 誤差どころか、狂いまくっている体重計だよボク。4時間遅れたり進んだりする時計は、多分もう、時計じゃないように。
 ……何がいけなかったんだろう。
 ボク、彼女の笑顔が見たかっただけだったのに。彼女が苦しんだり眉間に皺を寄せるのが嫌だっただけなのに。

 バーストしたボクは、とんでもないことを繰り返してしまった。
 彼女がボクに乗る度に、「えーと、彼女の前の体重が51.32で、ボクは48.04を出したんだっけ、で、そろそろ減らす時期だっけか?」なんて計算を続けていたせいで(言っとくが、体重計には、そもそも計算をする能力なんてないよ)、他のひとが乗った時にも、ついつい計算をしてしまったり、「えーと、この間彼女に出した体重より0.04キロくらい低い数字を」なんて思ってしまったり……結果、63.82のひとに48.04を出したり、最後に乗ったひとになんか、「えーと、0.04くらい低い数字を……」って思い続けたせいか、0.04なんて表示を出してしまった。
 まあ。63キロの女性が、いきなり48キロになったら、そりゃ、驚くも喜ぶも、ないよね。これで、「わあ、あたし、15キロ以上ダイエットできたの?」って言うひとは、絶対いない。まして、0.04は……すでに人間の体重ではないっていうか、そもそも哺乳類の体重でもないのでは?(鶏卵が、大体一個60グラムだって。その、3分の2。そんなに体重の軽い哺乳類って、いるんだろうか?)
 当然、出てくる台詞は、たったのひとつ。
「ねえ、係のひと、この体重計、壊れてますよ」

          ☆

 この台詞をうけて。ボクはあっという間にスタッフに回収されてしまった。
 ああ、これでもう、ボクは捨てられるんだろうな。そう思ったんだけれど。
 不思議なことに、ボクは、すぐに廃棄処分にはされず、なんか、「調査係」って男のひとの処へ回されたんだ。ボクはずっと女性シャワー室脇にいた体重計だから、男のひとって、見るの初めて。
 で、このひとは。自分が実際ボクに乗ったり、お仲間のひとをボクに載せたり、その後はいろいろな重量のものをボクに載せた。んで、その頃は、ボクももう落ち着いていたので。落ち着いて、ゆっくり、ボクの業務を果たした。うん、ちゃんと重さを計ったんだよ。そうしたら。
「壊れてないわこいつ」
 って結果に、なってしまった。そうなんだ、あの時は、パニックになって、だから、バーストしてしまったんだけれど。バーストさえしなければ、ボクはまっとうな体重計だ。ちゃんと重さを計ることができる。
 それから。調査係のひと、ゆっくりと。
「おまえは、女性シャワー室脇にいたんだって? あの辺はなあ、一番、女性の体重に対する業が深い処だから。次の職場は、もっとずっと楽だぞー。男性ロッカールーム入り口に設置してやる。ここなら、のんびり仕事ができるから大丈夫」
 って……この時は、何を言われていたんだかまったく判らなかったんだけれど。
 とにかく。ボクの第2の体重計生が始まった。
 そして……始まってみたら……確かに、楽。男性って、女性に較べるとそこまで数字に固執しないし……そもそも、それを気にするひとは、ボクみたいな体重計じゃなくて、体脂肪が計れる奴に乗るみたいだし。

 あの彼女は、今、どうしているのかなあ。
 たまにそんなことを考える。
 でも……それは、もう、霧がかかったような、遠い過去の思い出だ……。

                      〈FIN〉

長い間、ご愛読ありがとうございました。
本連載は2018年10月に単行本化を予定しております。
お楽しみに!

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著者プロフィール

新井素子(あらい・もとこ)

1960年東京都生まれ。立教大学ドイツ文学科卒業。77年、高校在学中に「あたしの中の……」が第1回奇想天外SF新人賞佳作に入選し、デビュー。少女作家として注目を集める。「あたし」という女性一人称を用い、口語体で語る独特の文体で、以後多くのSFの傑作を世に送り出している。
81年「グリーン・レクイエム」で第12回星雲賞、82年「ネプチューン」で第13回星雲賞受賞。99年『チグリスとユーフラテス』で第20回日本SF大賞をそれぞれ受賞。
『未来へ……』(角川春樹事務所)、『もいちどあなたにあいたいな』(新潮文庫)、『ダイエット物語……ただし猫』(中央公論新社)、「星へ行く船シリーズ」全5巻(出版芸術社)など、著書多数。

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