キノノキ - kinonoki

キノノキ - kinonoki:ナビゲーション

My Favorite

新井素子(あらい・もとこ)

My Favorite ブック・カバー
バックナンバー  1...45678 

よろしく頼むわ

2017.10.15 更新

 俺の同居人は、時々俺に話しかける。ま、大体が、羨望の言葉だ。
「おまえはいいよなー、メシは俺がやってるし、会社行かなくていいし、気楽だし」
 こーゆー処が、こいつ、本当に駄目なんだと思う。俺は世俗的な言い方をすると、同居人の飼い猫だってことになっていて、そんな、自分の飼い猫を本気で羨ましがっていて、どーするんだよおまえ。
 ま、けど、こいつ、ひとがいいことだけは折り紙つきだ。もともと俺は、この同居人と同棲していたマコちゃんの飼い猫で(だから、同居人には敬称つけないけど、マコちゃんには敬称つけて“マコちゃん”って呼んでるぞ俺)、不甲斐ない同居人に愛想を尽かしてマコちゃんが出ていった後も、残された俺に律儀にメシをくれ、トイレの掃除をしてくれるあたり、ひと、だけはいいんだよな。(マコちゃんの引っ越し先は、ペット不可の物件だったので、こんなことになった。)
 で、俺が一番情けないよなーって思うのは、こいつがTVって奴を見ている時だ。
 まあ、もう、羨望の言葉のオンパレード。
「うわあ、あんなメシ、喰いたいっ」
「あんな家に住んでみたいよなー」
「うおお、ニューカレドニアっ! きれーだなー、きれーだなー、行ってみたいなー」
 んなこと言ってる暇があったら、喰えよ、住めよ、行けよ。猫の俺と違って、おまえは人間なんだから、そーゆーの、やろうと思えばできるんだろ? なら、やれ。
  んで、とどめは。
「ああ、俺、いっそTVの中にはいっちまいたいなあ」
 莫迦か、おまえは。んなこと言っているだけだから、マコちゃんに捨てられちまったんだよ。
 それに大体、知らないのか? TVの中なんて、行こうと思ったら簡単に行けるんだぜ?

          ☆

 俺が最初にそれに気がついたのは、同居人が見もしないTVをつけっぱなしで、お風呂にはいっていた時だった。(マコちゃんがいなくなってから、同居人、家にいる間中、ずっとTVをつけっぱなしにしているのだ。ま、寂しいのかも知らんけど、こーゆー処がマコちゃんに愛想尽かされた原因のような気もする。)
 TVの画面の中には、もの凄い美猫(びじん)さんがいて、その美猫さんが、「にゃーおー、うにゃにゃ(こんにちは、あなたのことをお待ちしてますわね)」なんて、言ったのだ。
 うおお、美猫さん。俺は同居人と違うからな、こんな美猫さん見たら、まして、“お待ちしてますわね”なんて言われたら、そりゃもう突撃しかあるまい。
 んで、俺は、TVって箱に突撃してみた。したら、するって、中にはいることができちゃったんだよな。
 同居人。莫迦だよなあ、TV見ながらひたすら羨ましがっている暇があるなら、一回突撃してみりゃよかったのに。したら、するんって中にはいれること、すぐに判った筈なのに。みんな、TVの中にははいれないっていう、妙な常識に縛られているから、“行きたいなら行ってみればいい”っていう、単純な事実に気がつかないんだな。
 ま、でも、突撃結果は、あんまり芳しくはなかった。
 いきなり現れた俺に驚いたのか、美猫さんは、「にゃっ!(きゃああ、何、何?)」なんて言いながら、TV画面には映っていなかった人間の陰に隠れてしまい、俺の方はと言えば、「何? なんだっていきなり、猫が現れたんだ?」って混乱しきりの人間に、いきなり摑みかかられそうになってしまった。美猫さんには、「にゃにゃ! にゃあ!(何、あなた、幽霊なの? なに、嫌!)」なんて、全力で拒否されてしまったし。
 ここで人間にとっ摑まるのはまったく本意ではなかったので、俺が振り向くと。俺がはいってきたTVの枠が、四角くそこに浮いていたので、俺、慌ててそこに再び飛び込む。
んで、自分の家に帰ってきた。
 なんだよお、あの、美猫さん。「お待ちしてますわね」なんて笑いかけてた癖に、あの反応はないだろう?
 なんて、ちょっとの間は、俺、憤慨していたんだけれど……けど、落ち着いて考えてみたら、これは、とんでもない“玩具(おもちゃ)”だ。

          ☆

 次の日から、俺は同居人の目を掠めて、ひたすらTVに突撃をやってみた。(同居人の目を掠めたのは、俺が発見したこんなに面白い玩具、他の奴に知られたくなかったから。俺だけが楽しみたかったから。)
 で、何回か突撃やってみて……んー……実は、これ、あんまり楽しくないなーってことが、判った。
 すっごく雄大な景色。広がる森。うわあ、こんな処に行けたら素敵だろうなーってTVに突撃してみたら、そこはとっても寒くって、も、俺、数分だってそこにいたくなかった、とか。
 多分俺の近縁だろうと思われる猫科の動物が暮らしているコロニー、そこを訪ねてみたら、いきなりその猫科の奴らに襲われそうになった、とか。
「これがこの界隈で有名な、宝くじを当ててくれる猫ちゃんです」なんて言葉と一緒に、その辺にいそうな普通の猫が映ったので、ついついそこに行ってみたら、その猫と会話する暇なんてありゃしない、「この猫! どっから現れた!」って叫ぶ人間達に、ひたすら襲われそうになったり、とか。
 いや、まあ。同居人を褒めるのは俺の本意ではないんだが。
 確かに。TVって箱は、外から眺めているのがいい箱なのかも知れないなあ。実際に中にはいっちまうと、ま、ろくなことがねー箱なんだよな。
 あ、ただ。
 一回だけ楽しかったのは、囲碁とかいう奴をTVの箱の中でやってる処にはいって行った時。
 いや、同居人はね、どうやら囲碁ってものをやるらしくて、時々、碁盤ってものの上に、黒い石と白い石を並べていたんだ。で、それが面白くって、俺が、ちょいちょいちょいって、並べられている石にちょっかいを出すと、いきなり怒るんだよね。こいつは、マコちゃんに捨てられたような情けない奴なんだけれど、この時だけは、何か本気で怒っていたよな。
 だから、俺は、この黒い石と白い石をちょいちょいするのを自粛していた。けど……サイズといい何といい、ほんっとに、猫が“ちょいちょい”したくなる奴なんだよなあ、これ。
 で、その時のTVの中には。
 こんな石を、御大層な感じで並べ続けている、それだけの番組が、あったのだ。
 で、一回、はいってみた。
 石をちょいちょいしようとした。
 けど、その瞬間、なんか凄い勢いで、俺を捕まえようとする奴がきたもんで、俺は、“ちょいちょい”じゃなくて、そこにあった石、それを全部、蹴散らして逃げた。
 碁盤の上の石、それを全部蹴散らして、振り返って、自分が来た方を見る。そこにあった、四角いそこに浮いている枠。そこに対して、慌てて身を投げて……。

          ☆

 それからしばらくして。
「今、ネットで猫の幽霊が話題になってるんだってよ」
 同居人が、こんなことを言った時、俺は笑ってしまった。
「TVの○○杯って番組で、碁を打っている瞬間、どこからともなく猫が現れて、碁盤の石を全部蹴散らしたって話があったんだよね」
 ああ、そりゃ、俺だ。
「けど、これがおかしくってさ。その番組の収録は、もう随分前だったから、その対局の結果は判っていた訳。勿論、公式戦でそんな猫の乱入はなかった。けど、TVでそれを流した時、いきなり猫が乱入してきちゃって、対局者ふたりがわたわたしている映像がしばらく流れちゃったっていう……。これは放送事故ってことで、その番組、中断されちまったんだけれど、これ、録画してたひとがいてさあ。現実の過去ではなかったことが、何故か録画の中にはあるっていうんで、すっげえ話題。いや、だって、あり得ねーだろ? 過去、対局はちゃんと済んでいた筈なのに、その番組が流れた瞬間、どっかから猫が乱入してきて、対局者がわたわたするだなんて」
 ……まずかったのかなあ、あれ。
「したら、あっちこっちから似たような話がでてきちまってさあ。ドイツの森林を映している番組に、そんな処にいる訳がない猫がいきなりでてきていきなり消えた、とか、虎の母子を撮っていた動物番組放映中に、何故か日本猫がでてきたとか。しかも、その猫、元になったVTRの中には絶対にいなかったって話なんだぜ、いや、そのVTRに猫が映っていたら問題だろ? ちゃんとした実写のVTRなら、そんな地方にいわゆる日本猫がいていい訳がないんだから」
 ……うーん。俺、なんか、どえらくまずいことを繰り返していたのか?
「一番傑作だったのが、どっかの情報番組で、『過去三回一等が出た宝くじ売り場の看板猫ちゃんです!』って奴だな。それって、生放送だったらしくて、見てたひとの話だと、なんか、番組中にいきなり猫が現れたんだってさ。それ、ほんっと……どっからか猫が紛れこんできたって感じじゃなくて、いきなり中空に現れたって感じだったそうで。しかも、この猫がなあ、スタッフが追いかけようとした瞬間、いきなり消えたんだそうで」
 ……確かに、なんか、とてもまずいことをしてしまったのかなあ俺。
「その猫ってさあ、全体に白地で、処々茶色い斑点がある、右足だけ足袋(たび)はいてる感じで黒い日本猫……って……おまえに似てるなあ」
 ……悪かったな、俺だよ。
「ま、ネット上の笑い話だよな」
 に、しておくのが一番いいか。
 と、いう訳で。
 俺は、TVを見るのがとっても好きな猫だってことに、自分を規定した。二度とTVって箱の中には突撃しない。
 だって、ま。
 これが一番無難だよな。
 なんか、俺がTVの中にはいってしまうと、いきなりいろんな問題が起こりそうだし。
 好きだから、見てるだけ。
 TVの中にはいっても、あんまりいいことはないし。
 だから、この辺のスタンスが、一番、無難。

          ☆

 と、思っていたのに。
 いきなり問題が発生してしまったのは、その、一月後だ。
 いつものように、会社って処から帰ってきた同居人は、TVをつけると、お風呂にはいり……そして……。
 そして、いつまで待っても、出てこなかったのだ。
 一時間たっても。
 二時間たっても。
 いや、人間の、お風呂事情なんてもの、俺は知らないけどさあ。
 二時間、人間って、お風呂にはいっているものなのか?
 過去。
 俺は、一回だけ、“お風呂”っていうものにはいったことがある。
 というか、マコちゃんが、「ノミがいるー」って言って、俺を無理矢理お風呂にいれたのだ。
 あれ、拷問以外の何でもなかった。だって、体中に水かけられて(お湯、だったけどな)、体中になんか変なもの塗ったくられて、体中が泡だらけになるんだぜっ! 気持ち悪いとか、そんな表現で言い切れるもんじゃ、なかった。(大体が、俺を含め、猫ってもんは、体が濡れるの嫌いだ。)
 俺は、マコちゃんのことを、“飼い主”だって認めていたから、大好きだったから、だから我慢したんだけれど……あの拷問は、どう考えても、普通の猫が許せるものではなかったと思うよ。
 だから。
 一時間、好きであの拷問に耐える、同居人のことがよく判らなかったんだが……二時間を超えても、それでも、同居人が、あの拷問から帰ってこないっていうのは……よく判らないんだが、なんか、不測の事態があったのでは?
 しょうがない、俺は、お風呂場ってもののそばに行ってみた。
 しゃあしゃあしゃあ……って、シャワーの音が聞こえている。
 ドアを……開けようとしてみたんだが……無理。

 ふうむ。
 ここで、俺は考える。

 同居人が、好きでこんなに長時間お風呂にはいっているのなら、それを咎めだてするのは、俺が、無粋だ。
 だが。万一。
 同居人が、そもそもこんなに長い時間、お風呂にはいっていることを想定していなかったのなら? はいっていたくないのに、なのに、同居人が、これ程長い時間、お風呂にはいってしまっているのなら?
 なら、おそらく、それは、“危機”だ。
 只今の同居人は、危機に瀕している。

 傍証は、ある。
 シャワーの音だ。
 いつまでも続いているシャワーの音。「日常生活は節約!」ってのをモットーにしている同居人、実にこまめに電気は消すし、水道だって流しっぱなしにしない。俺のことを考えるんなら、夏場のお出かけの時は、是非つけっぱなしにして欲しいエアコンだって、絶対に消す。ま、家にいる間中、TVをつけているのは御愛嬌なんだが……同居人がつけっぱなしにしているのは、TVだけだ。
 なのに、もう、二時間、シャワーが流れ続けているっていうのは……。

 なんか、同居人にあったのかも知れない。それが判った俺、外に救出を求めようとしたんだ。けど……夏場だったせいで。
 お風呂から出たあと涼みたかったのか、リビングのエアコンは効いている。ということは、リビングの窓、全部閉まっている。当然、他の部屋も、戸締りは万全。
 SOSを発しようと思って、外へ出ようとした俺が、も、絶対外出できない状況になっていたんだな。
 何度も確認した。
 玄関ドアは、そもそも開けようがない。大体が重いし、俺が鼻面で押して開くようなもんじゃないし。トイレの窓も閉まっている。リビングはエアコンつけている関係上、すべての窓が閉まっているだけじゃなくて鍵がかかっている。台所にも窓があったんだけど、これまた閉まっている。つまり、俺、この家の中から、外に出ることができないっ!
 けど。同居人は、なんだか只今、切羽詰まっているんじゃないかって気が……どうにも、俺には、したんだよな。
 と、なると。俺が“外”へ出ることができる可能性があるのは……つけっぱなしの、TV? しか、ない、とは、思うんだが。TVの中にはいったって、俺に何かできることがあるのか?
 この家の玄関前で。あるいは、窓の下で。俺が必死になって鳴いていたら、それに気がついた人間が、この家の中のことを心配してくれるかも知れない。ただ、それは、期待値がとっても低い。
 とはいえ、TVの中の俺が、何やったって、この家のこと、そもそも気にしてくれるひとがいるのか? こっちは、もっと期待値が低い気がするんだが……でも、何もやらないより、やった方が、絶対に、いい。

          ☆

 そう思ったので。俺は、その時やってたニュース番組の中に飛び込んだ。
「猫っ!」
 毎度おなじみ、俺を見てあせりだすひと達。いきなり俺を捕獲しようとするひと達。
「これ、今、ネットで話題になっている猫では?」
「どこからともなく現れ、そして、消える猫、ですか?」
  いや、そんなこと、俺は知らないんだけれど。ただ、今回の場合、俺、このひと達から逃げる訳にはいかなかった。とにかく、同居人を助けて欲しい、そんな思いがあったので……。
「あ。捕まえた。はい、よしよしよしよし」
 って、俺をだっこして撫ぜてくれたのは、アシスタントとかいう女のひとだ。おお、こいつ、いいじゃん。猫の撫ぜ方知ってるね。そこ、そこ、撫ぜられるとたまらん。
「んー、いーこですねー、はい……あ、首輪してるね、あなたは」
 いや、この首輪は、マコちゃんが俺に施したものであって、同居人は知らないかも知れないんだが。
「んーっと、首輪の裏側に、住所氏名電話番号が書いてありますねえ」
 なのか?
 ここで。
 どうやら、放映はされなかったけれど、俺の同居人に、連絡がとられたらしいのだ。でも、ずっとずっとお風呂場にいる同居人には勿論連絡がとれず……いろいろあって、結果。
 お風呂場で、意識を失って、倒れていた同居人、“連絡がつかなかった”せいで、のち、無事に保護されたみたいだったのだ。(謎の猫ってんで、俺はある意味有名猫だったみたい。だから、俺を確保した連中、同居人に連絡がつかなくてもそれで諦めず、同居人の家まで行ったみたいなんだよなあ。そこでまあ、誰もインターホンに返事しないこと、なのにかなりの勢いで動いている水道のメーターなんか見て、強行突破してくれたひとが、いたらしい。)

          ☆

「おまえ、なんでTVの中にはいれたんだ?」
 救出された後、同居人が気にしていたのは、主に、それ。(というか、みんなが気にしていて、誰も判らなかった。)
「なんか、ネット上だとおまえ、飼い主の災難を予想して、それを助ける為にTVにはいっていた忠義猫だってことになっていたんだけれど……んなこた、ない、わなあ」
 おお。ないよ。
 おまえのことなんて、どうでもいいんだが。けど、まあ、ひとだけはいい、おまえが死んじまうのは、俺、嫌だからさあ。
 ま、この後も、よろしく頼むわ。

                    〈FIN〉

バックナンバー  1...45678 

著者プロフィール

新井素子(あらい・もとこ)

1960年東京都生まれ。立教大学ドイツ文学科卒業。77年、高校在学中に「あたしの中の……」が第1回奇想天外SF新人賞佳作に入選し、デビュー。少女作家として注目を集める。「あたし」という女性一人称を用い、口語体で語る独特の文体で、以後多くのSFの傑作を世に送り出している。
81年「グリーン・レクイエム」で第12回星雲賞、82年「ネプチューン」で第13回星雲賞受賞。99年『チグリスとユーフラテス』で第20回日本SF大賞をそれぞれ受賞。
『未来へ……』(角川春樹事務所)、『もいちどあなたにあいたいな』(新潮文庫)、『ダイエット物語……ただし猫』(中央公論新社)、「星へ行く船シリーズ」全5巻(出版芸術社)など、著書多数。

ページトップへ