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新井素子(あらい・もとこ)

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ひゃっほうっ!

2017.09.15 更新

 ああ、帰ってきた、家についた……って、俺が気を抜いた瞬間だった。
 いつものように、道路の上で一旦停止、切り返して、それからバックで家の駐車場に入ろうとして……で……ええっ、おい、相棒! もう三十年、俺と一緒にいる相棒、あんた、どうした、それは、その操作は、違うっ! そんな運転をされてしまえば、俺はとんでもない動きをしてしまうっ!
 んで……ぐわっしっ!
 相棒と組んで三十年、俺が最初に起こしてしまった事故が、これだった。

          ☆

 ここから先は、もう、よく判らないことの連続。
 まず。俺の運転席の中で、相棒が唸っていた。まあ、一旦は停止したんだ、スピードなんて、まったく出てはいなかったんだけれど……俺が、つまりは乗っている車が、お向かいの家の門とそこに立っていた電柱に激突しちまえば、そりゃ、俺の運転席に乗っていた相棒、ただじゃすまないよな。
 がくんって、もの凄い衝撃が、相棒を襲って……相棒、若きゃよかったんだけれどなー、二十代かそこらなら、「あ痛てー」で済んだかも知れない衝撃なんだけれど、でも、あいつが四十歳から組んで三十年だろ、もうあいつ、七十なんだよ。ただの衝撃で、それだけで、も、腰が。俺には“腰”ってもんがないからよく判らないんだが……人間の場合、ある程度年とった奴が、腰に衝撃を受けると、なんかろくなことがないらしい。実際、相棒は、ろくなことがない事態に陥ってしまったみたいだ。
 やがて、どっかからサイレンの音が聞こえてきて、相棒は、救急車ってものに乗せられて、どこかへ連れ去られてしまった。
 また……俺の方だって、無傷だなんて、お世辞にも、言えない。
 思いっきり、お向かいの家の門と電柱に突っ込んでるからなあ、車体の前半分、かなりひしゃげてしまった自覚がある。
 こ……こ……これは、廃車、か?
 俺の脳裏を、そんな単語がよぎる。
 いや、ちょっと前から、こんな単語は、常に俺の前にあったんだよな。特に、“車検”とかいう試験を受ける度に。
 そんな時。相棒は、俺のことをいつも庇ってくれていた、でも、相棒の家族がみんなして。
「おじいちゃん、この車、さすがにどうなの?」
「お父さん、これ、もう、廃車にしましょうよ」
 その度に、俺を庇ってくれたのは、相棒なんだ。だが、その相棒が、救急車でどっかに連れ去られてしまったとなると……。
 だが。
 不思議なことに、俺が連れられていったのは、ちゃんとした修理工場であり、そこで俺は、できる限りの修理を施され、ま、さすがに、「新車同様になりました!」なんて恥ずかしくて言えないが、それでも綺麗に洗車され、ガソリンも満タンにしてもらって……そして、家に、帰ってきたのだ。

          ☆

 俺が家に帰ってきてから……一月、くらい、たった頃かな。
 いきなり、相棒が、バケツを持って、俺の前に現れたのだ。
 いや、それまで、俺、どんなに気を揉んでいたことか。
 だって、家に帰ったあと、誰も俺の処に来なかったんだぜ? なんか、家族のひとの話を漏れ聞くに、俺の相棒は、かなり重度の“ぎっくり腰”ってものになってしまったらしくって、相棒が、無事なのかどうか、俺は本当に心配で……。
 で、そんな相棒が、いきなりバケツ持って、俺の前に来てくれた。
 俺、それが嬉しくて、そのバケツはなんだよ?なんて疑問、まったく起きずに……でも。
 バケツの中には、タワシが入っていた。そして、そのタワシでもって、相棒、俺のことを洗ってくれて……。
「この三十年。おまえはほんとによく働いてくれたよなあ」
 こんなこと言いながら、俺のことを洗ってくれる相棒。そんなことされると……なんか……なんか、とても哀しくなる俺。
「相棒」
 相棒が、俺のことをこんなふうに呼んでくれるのは、これが初めてだった。
「とっても哀しいんだけどな、わびしいんだけどな、俺は、免許を、返納することにしたんだよ」
 って……え?
「さすがに、自分家(じぶんち)に駐車しようとして、間違ってお向かいの家に突っ込んじまったらなあ……もう、俺、おまえを運転しちゃいけないと思うんだよ」
 いや、だって。相棒が運転してくれなかったら、一体誰が俺を運転してくれるんだ。この三十年、俺を運転してくれていたのは、相棒、あんただろ?
「いや、今、思い返しても、怖気(おぞけ)が走る。お向かいの家には、小学生が二人いるんだよ。俺が事故を起こした、あの時こそ、その場にいなかったけれど、万一、あの時、お向かいの家の子供達があの辺にいたら、自分家(じぶんち)の前で遊んでいたら、どうなったと思う? 俺、いたいけな子供を、二人、殺しちまった可能性があったんだよ。……そんなことは……そんなことだけは……耐えられない」
 洗車済で、もうぴかぴかの俺の体を、それでもタワシでもって、わしわしって全部洗ってくれたあと、相棒は、一回、ため息をついて、そして言う。
「だから、相棒。これが、最後だ。……今まで、どうも、ありがとう」
 いや。
 いや、ありがとう、だなんて、言うなっ! いや、そもそもその前に、そんなこと、言うなっ!
 でも。
 こう言うと、俺の相棒は、ゆっくりバケツを持って、家の中に入ってしまって……。

          ☆

 相棒が。
 俺の目の前から消えてしまった瞬間、俺は、思い出していた。
 いろいろなことを。

 例えば、俺が、最初に相棒に逢った時のこと。
 新車納入ってことで、キャリアカーに載せられて、一般道を走っていた俺、本当に、わくわく、どきどき、していたんだ。
 走る、走る、走る。流れる両サイドの風景。
 ああ、俺は、この時、どんなにわくわくどきどきしていたことだろう。この時の気持ちを思い出すと、俺、なんか涙がでてきそう。
 いや、だって。
 キャリアカー降りて、自分の所有者である相棒に逢ったら、その後は、こんな道を、俺は自分で走ることができるんだぜっ。
 車だったら当たり前だって言われそうな気もするんだが、俺は、本当に、走るのが大好き。
 走る為に生まれてきた、そう思っていたあの時の自分を、昨日のことのように思い返せる。

 そして。
 相棒に納車されてからは、相棒と二人で、ずっとずっと走ってきた。

 俺達の家があるこの辺には、鉄道ってものがあんまりないらしい。だから、相棒がどこかに出かける時には、その足は、いつも、俺。それに、相棒にとって、俺って、自分のお金で買った初めての車らしくて(その前は、相棒の父ちゃんが買った自家用車をずっと使っていたらしい)、いつだって、相棒は、俺のことをとても大切に扱ってきてくれた。

 俺と相棒は、山の中の道を、それはそれは何度も何度も走っていた。
 くねくね曲がる道、ああいう処を、絶妙のブレーキングポイントでブレーキかけ、山の空気、森の空気を感じながら走ってゆくのは、とても楽しかった。
 時々はね、狸だの鹿だの、交通規則ってものを知らない奴らが、俺達の前にいきなり出てきちまうこともあった。でも、相棒は、そういう奴らへの対応も、万全だったのだ。相棒の、“いきなり飛び出してきちまう小動物への対処”は、ほんっと、神業に近かったよな。勿論、いつ、小動物が飛び出してくるか、俺にも相棒にも判る訳はないんだが、不思議な程見事に、相棒はそれを避けていた。相棒に言わせると、なんか、動物が飛び出してくるの、空気で判るんだそうだ。

 稀に、都会へ出ることもあって、高速道路なんて処を走る時、相棒はいつだってちょっと怖じけづいていた。(いや、実は、俺も、あれはちょっと嫌だ。だって、八十キロだの百十キロだの、とんでもないスピードで、あたりの車が走っているんだぜ。俺は、安全運転を志している車だから、そんなスピード、出したくはないわな。)でも、まあ、走っているうちに、俺はなんだか楽しくなって……生涯に一回だけだったんだが、自分が百二十キロを出した時には、自分でも驚いたし、なんか、快感、あったかも知れない。百二十キロー! なんなんだそれー。車が出していい速度じゃねーぞー。
 でも、あ、なんか、ちょっと……カ、イ、カ、ン。エンジンが、なんだかちりちりするような感じ。
 そんなことを、ずっと、ずっと、思い出していた。

          ☆

 相棒が。バケツを持って俺の前から去って……さて、はあ、どのくらい時間がたったんだか。
 もう……何カ月も、相棒はおろか、その家族のひとも、俺の前には現れていない。
 このあたりで。
 俺、思ったのだ。
 勿論、違うのかも知れない。いや、違うだろう。けど、ひょっとしてひょっとしたら、これは、相棒が、俺に対して示してくれた、最後の意志表示かな?って。

 俺の車体の整備は、完全にできている。
 ガソリンも、満タンだ。
 ここで、こんな状態で、ずっと俺は放っておかれて……今だって、俺に対する監視は、ないに等しい。
 ならば。それならば。

          ☆

 ゆっくりと。
 俺は、自分の家の車庫から、一般道へと進んでみる。
 こんな俺を止めるひとはいない。
 それが判ったので、俺はそのまま、道をつき進んで、どんどん走っていって、走っていって……ひゃっほうっ!

          ☆

 俺は、野良車になることに決めた。
 今日からの俺は、相棒のパートナーである、所有者があるまっとうな普通の車ではない、野良車だっ!
 自分の意志で、自分の意志だけで走っている、野良車だっ!

 山道を走るぞっ。大好きだった山道を、も、縦横無尽に。
 坂道やコーナーだって、自分の思いのままに攻めてやる。
 勿論、狸や鹿なんていう、先住者のみなさまの生存を脅かしたりはしない。
 そういうもの達が出てきそうな処では、相棒と同じで、スピードに制限をかける。
 これだけで、確かに、結構、この手の事故は回避できそうなのだ。

 どんなに“際どい”道だって、走ってやる。
 道端に立って、下を見下ろすと、背筋が寒くなるような道、そんな処だって、どんどんゆくぞ。
 だって、俺には、“見下ろすと背筋が寒くなる”、そんな人間の同乗者がいないんだから。
 だから、どんどん、ずんずん、ゆくぞ。

 相棒はね。この手の道が、苦手だったんだ。
 いや、言葉にしてそう言ったことはないんだけれど、んなもん、見てれば判る。あいつ、実は、高所恐怖症の気があったんじゃねえの?
 相棒の走り方を思い返すにつけ、俺は、そんな気がする。
 でも、俺にはそんなもん、ない訳だから。
 だから、どんどんゆくぞ。
 うわあっはあっ、ひゃっほうっ!

          ☆

 でも。
 判っていたんだ、楽しいことには、必ず、終わりがある。
 俺の野良車人生にも、必ず、終わりは、くる。
 だって。俺、ガソリンスタンドに入れねーもん。
 ひとがいない処で、ひとが見ていない処で、勝手に走り回ることはできても、勝手にガソリンスタンドに入ることはできない。(いや、勝手に走り回っているんだ、勝手にガソリンスタンドに入る処まではできるよな、けど、給油をするには、これはもう絶対に人間の手が必要な訳で、野良車の俺に、給油をしてくれるひとがいる訳がない。)
 それが判っていたので。
 そろそろ、ガソリンの残量が危ないなって頃、俺は、進路を山の奥にとった。
 相棒の――ということは、俺の――家がある、そんな処を見下ろすことができる、そんな位置関係の、山奥に。
 この辺は、すでに林道だって途切れている、こんな処に来る奴はまず滅多にいないだろう、そんな処で、俺、なんとかかんとか、方向転換。
 ま。
 ここに廃車が一台止まっていたって、その先に進む道がそもそもないんだもんなあ、他人様の迷惑には、そんなに、ならないよな?(相棒が、他人様の迷惑になるのをひたすら避けていたから、俺だって、できるだけそうしたいと思っていた。)
 ここで。こんなふうに方向転換をすれば……地図上の位置関係からいって、俺、相棒の家を――ということは、俺の家(おれんち)を――見下ろすことが、できる筈なんだ。
 いや、今は、まだ、秋の初めだから。繁っている葉が邪魔して、うちのあたりはまったく見えない。
 でも、冬になったなら。この葉が、全部落ちてしまったら。
 そうしたら、あの家が……俺の家(おれんち)が……俺の駐車場が、うまくいけば、ここから、見える、かな? いや、やっぱ、地理状況からいって、無理だろうか。
 でも、いい。
 でも、いいんだ。
 うまくいけば、俺ん家(おれんち)が見下ろせる山の上で、俺ん家の方を向いて。
 プッー、プープープー。
 俺、最後の咆哮。
 クラクションを思いっきり鳴らして。

 相棒。
 楽しかったよな。

 そして、俺は、ゆっくり、ヘッドライトを消した。

                    〈FIN〉

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著者プロフィール

新井素子(あらい・もとこ)

1960年東京都生まれ。立教大学ドイツ文学科卒業。77年、高校在学中に「あたしの中の……」が第1回奇想天外SF新人賞佳作に入選し、デビュー。少女作家として注目を集める。「あたし」という女性一人称を用い、口語体で語る独特の文体で、以後多くのSFの傑作を世に送り出している。
81年「グリーン・レクイエム」で第12回星雲賞、82年「ネプチューン」で第13回星雲賞受賞。99年『チグリスとユーフラテス』で第20回日本SF大賞をそれぞれ受賞。
『未来へ……』(角川春樹事務所)、『もいちどあなたにあいたいな』(新潮文庫)、『ダイエット物語……ただし猫』(中央公論新社)、「星へ行く船シリーズ」全5巻(出版芸術社)など、著書多数。

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