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新井素子(あらい・もとこ)

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ここは氷の国

2018.05.15 更新

 正樹と結婚した時、あたしは二十九だった。
 交際期間三年、あたし達は楽しくお付き合いをした。その間、いろんな処に二人で行き、映画観たりコンサート行ったりお芝居観たり、おしゃべりもうんとした。その日の出来事なんかしゃべりあうと、下手すると喫茶店で三時間くらい盛り上がっちゃったし、お酒も一緒に呑みに行った。あたしが正樹のアパートに行って御飯作ったり、正樹が先輩に聞いたっていうレシピをあたしに作ってくれたり。二人でちょっと洒落たレストランなんかに行った時は、二人が注文したい料理が結構被っていたんで、驚いたし嬉しかった。その他にも、好きな本やCDを貸しあったり。
 うん。
 結婚する時、あたしは、正樹のことを本当によく判っていたつもりだったし、正樹だってあたしのことを、本当によく知ってくれて……それで、結婚したつもりだった。
 そうなんだよ。あたし達、本当に仲のよい夫婦になれた。だって、喫茶店でコーヒー一杯で三時間話していても飽き足らない、そんな感じがずっと続いて、好きな本や音楽は、微妙に傾向がずれていたけれど、お互いに楽しめたし、映画やお芝居観たあとで、お酒交えて三時間トークも普通。食事はどんぴしゃで同じようなものが好き。交際中の男女としてはどうなのって感じの、政治や文化の話だって、反発することや、「その意見は違うでしょう!」ってものがあっても、それでも、思いっきり話しあうことができた。(セクハラ問題とか、男女格差の問題なんか、あたしと正樹では、やっぱ、温度差はあった。でも、こんな話題で二時間議論ができる、議論をした後、お互いに、相手の意見に全面賛同ではなくても、共通点をみいだせる、これだけで、あたし達って、ほんっとに相性がいいカップルだって思えたんだ。)
 あたしは結婚前、実家にいて、そこから会社に通っていたんで、正樹の部屋に泊まりに行くことこそなかったけれど(親が煩かったし)、なんか理由をつけて、親に内緒で正樹と旅行したことだって、何回もある。三日一緒にいても全然気づまりじゃない、まったく違和感を覚えない、今、別の家に住んでいるのが不思議だ、あたしは正樹と一緒にいるべきだ、そんなことまで思うようになって、それであたし達、結婚したんだ。
 結婚式が十一月一日、新婚旅行は南の島で、どこまでも続く遠浅の海、綺麗な水色、コテージ脇のハンモックに揺られてトロピカルドリンク呑みながら、おしゃべりしたりゲームしたり。勿論、海では思いっきり泳いだ。あたしは泳ぎってそんなに得意じゃないんだけれど、体育会系の正樹は、とんでもなく遠くまで泳いでいって、あたしはちょっと心配したり。また、あたしがとめているのに、正樹ったら思いっきり体を日に焼いちゃって、翌日ちょっと全身火傷っぽくなっちゃったりしたけれど、それも今では楽しい思い出だ。
 新婚旅行から帰ってきてからは、夫婦二人の生活。
 二人の仕事の忙しい時期が、ちょっとずれていたので、独身だった時よりむしろ二人の時間は減ってしまったんだけれど、それでも、あたし達は、とても幸せだった。楽しかった。
 結婚してよかった。
 あたしは、正樹と結ばれてよかった。
 ほんとに……心から、そう思っていたんだよ。
 ……その……十一月から……翌年の、五月までは。

          ☆

 五月になったら、驚いた。
 だって、五月だよ五月!
 この月は、あたしにしてみれば、多分、一年で最も過ごしやすい月なんだよね。暑くもなく、寒くもなく。風が吹くと気持ちいい。雨はちょっと鬱陶しいけど、梅雨じゃないからそんなに雨が続く訳でもない。
 でも、正樹には、違ったんだよね。
「暑い!」
 五月のある日曜日。確かにちょっと蒸してはいたんだけれど、「ああ、今日は、なんか、むしむしするなあ」って思ってはいたんだけれど……でも、今は、まだ、五月なんだし。蒸すっていってもたいしたことないし。窓開けて、風通せばいいってあたしは思っていたんだけれど……なのに、正樹は。
「暑いっ! 暑すぎるっ!」
 って言って、いきなり、家の窓、全部閉めて、エアコンのスイッチをいれたのだ。
 いや、繰り返すけれど、今はまだ五月。
 エアコン使うのは、もうちょっと季節がすすんでからなのでは……?

          ☆

 そっから先は、凄かった。
 この日から、正樹、エアコンに頼りっぱなしの生活になったんだよ。
 いや、繰り返すけれど、まだ、五月。
 普通の人間が、エアコン使う時期じゃ、ないでしょうがよ。
 でも、正樹は、エアコンなしではいられない。
 こ、これは……こーゆーのは。
 結婚前には、全然、判らなかった。だって、外にいる時には、エアコンなんて自分の意思でつけたり消したりできないし、映画館が暑くっても寒くっても、それに文句言ってもしょうがないし、レストランだっておんなじ。だから、正樹、暑くっても文句、言わなかったんだなあ。
 極めつけは、七月のある日。
 あたしは、あんまり寒くて、目が覚めた。時は、まだ、午前五時何十分か。
 何だってこんな時間に起きちゃったんだろうかって……あんまり、寒かったから、なんだよね。七月なのに。
 で、起きたあたし、エアコンがついているのに気がつく。え、寝る時、タイマーかけた筈なのに。なのに、何で、エアコンが動いているんだ? いや、それ、聞くまでもないよな、あたしが眠り込んだあとで、正樹が動かしたんだ。
 で。その、エアコンの設定を見て、驚いた。
 タイマーがいつの間にか解除されていたのはともかく……設定温度が……二十一度。
 二十一度? 二十一度!
 ありかっ。こんなエアコンの温度設定、ありかっ!
 寒すぎるだろうっ。
 ここは氷の国かよっ。
 七月なのに、布団の中で、寒くって震えているあたしは、何なの。
 慌ててエアコン切る。
 しばらく時間がたつ。
 やっと、あたしがほっとできる温度に、部屋の中がなってくる。
 すると、まだ起きる時間じゃまったくないのに、いきなり、熟睡している筈の正樹が、むっくり起き上がったのだ。
 ここから先は、ほんとに驚き。
 まるでゾンビのように起き上がった正樹、多分目がちゃんと覚めていないんじゃないかなあ、そんな風情で……それでも、エアコンのリモコンに手を伸ばしたのだ。そんでもって、また、エアコンから吹き出してくる冷風。もうしょうがない、ひたすら布団を被って耐えるしかないあたし。
 あとで見たら、今回のエアコンの設定温度、二十度になっていた……。

          ☆

 と、いう訳で。
 結婚して最初の夏を、一緒に同じ家で過ごすようになって。
 それで初めてあたしは判ったのだ。
 あたしと正樹。
 とても気があうし、いっくらだっておしゃべりできるし、食事の好みは本当に一致しているし、好きな本や音楽だって微妙にずれているところが楽しい、そんな、理想のカップルだと思っていたのに……ただ。ただ、体感温度だけが、一致していなかったんだ。
 これは。こんなことは、どんなに付き合いが長くても、同じ家でずっと過ごしていないと、判らない。だから、結婚前のあたしが、これに気がつかなくてもしょうがなかったんだ。(いや。うちの親、かなり煩くて、結婚前、あたし、正樹の家に泊まりに行くことができなかった。あの時、それができていたら……。けど、それが判っていても、それでもあたし、正樹と結婚したよね。そのくらい、正樹が好きだもんね。)
 どうしよう。
 勿論、こんなことで、正樹と別れようだなんて、一瞬だって思わなかった。
 けど……正樹が好む温度は、あきらかに、あきらかに、あたしには、寒すぎるっ!

          ☆

 十月が過ぎて。残暑が終わる頃、やっとあたし、あったかい家で過ごせるようになった。(えーん。なんか、話がすっごい変だよー。やっと残暑が終わって涼しくなったって思うのが普通なのに……。)
 あたしは氷の国に嫁いできてしまったんだろうか。あの頃は、ほんとに毎日そう思っていた。
 いや、結婚したら、旦那が転勤になって、いきなりほんとの北国に転居することになった友達はいるんだ、でも、あたしが嫁いだ氷の国は、それとは違うっ! むしろ、北海道に転勤になって、冬場に洗濯物干したらいきなり凍ったとかいう方が、感覚的に納得できるんじゃないかと思う。一番寒いのが夏の寝室だって、これは一体、なんなんだよお。
 勿論、あたしが、「寒いっ!」って抗議すれば、正樹もそれは了解してくれた。だから、最初の年、あたしが「寒いっ!」って言えば、正樹は冷房を消してくれた。ないしは、設定温度を普通の温度にまであげてくれた。……その……意識が、ある、時は。
 うん、正樹だってあたしを愛してくれているんだ、無闇にあたしに寒い思いをさせるのが本意だって訳じゃない。暑くっても妥協して、あたしが耐えられる温度で生活してくれてたんだ。その……意識が、ある、時は。
 そう、問題なのは、意識がない時。
 夜、正樹にとって「暑い日」が続くと……多分、悪気はまったくないんだろうなあ、というか、本当に意識なく、夜中に正樹、むっくりと起き上がると、エアコンのスイッチをいれてしまう。タイマーが切れると、ほぼ確実に起き上がってきてしまう。(しかも、無意識のうちに。翌日聞いたって、正樹、それ、覚えていやしない。)
 そして、夜中、暑くて起きた時には……エアコンの設定温度が、なんだかとんでもないものに、いつの間にか変わっているのだ。
 あたし、結婚する時に、実家で使っていたお布団一式を持ってきたんだけれど……夏掛けの布団は、冬布団になった。夏は、とてもじゃないけれど寒くて、夏掛け布団なんか使えないの。(むしろ、冬は、寝室に暖房いれることもあるし、夏掛けが何とか使える。)
 だから。二年目からは、夏、寝室のエアコンの、タイマー設定をやめた。(切れた瞬間、正樹がむっくり起き上がってきちゃうのが、なんか、ほんとにゾンビみたいで怖かったし、一回起きてしまえば、正樹は無意識に設定温度をひたすら下げることが判ったので。)
 ここは氷の国。
 五月になったら、衣替えと一緒に、あたしは自分の布団を入れ換える。夏掛け布団から、冬用の分厚い奴に。七月になったら、押し入れからもう一枚、布団を出す。襲ってくる寒さに備えて。
 こんなことが、二年、三年……十年、続いて。

          ☆

 結婚後十年たった時。
 その頃は、もうあたし、ここが氷の国だってことを意識しないようになっていた。
 そんで、四月も終わりのある日。なんか、妙にむしむしした日で、あたし。
「ちょっと暑いよね。窓……開けられないか」
 結婚七年目あたりで、正樹は花粉症になっており(それも、杉と檜のダブル。もう、杉花粉が飛び出す一月から、檜花粉が収まるゴールデンウィーク明けまで、うちの窓は開けられない)、そんで、二人して頷きあって、エアコンのスイッチいれて。
 そしたら、正樹が。
「佳代ちゃん、設定、何度にしてる?」
「え? 何で?」
「ちょい寒いかも俺」
「え……」
 あたしは、むしろ、まだ暑いような気がするんだけれど。
 と。
 この会話をやった瞬間。
 なんか、あたしには、込み上げてくるものがあった。

 ああ。
 あたし、ほんとに、氷の国に、順応したんだ! あたし、正樹と同じ、氷の国の住人に、なれたんだっ!

 と、いう訳で。
 てへっ。
 なんか、すみません。
 これ、単なるあたしの惚気です。
 結婚十年、あたしと正樹は、未だにこんなに仲良しです。あたしは、しっかり、正樹の国の住人になってしまいましたっていう。

 俺と佳代子は仲のいい夫婦だと思う。話もあうし趣味も結構近い、食事の好みなんかぴったりで、ああ、本当に結婚してよかったよなあーって、いつもいっつも、思っている。今の処、残念なのは子供がいないことだけなんだけれど、俺、佳代子がいれば、それでいいかーって、心のどこかで思ってもいる。子供も欲しいんだけれど、それを目標にして、努力するのは、何か変かなって。まだいない子供より、今ここにいてくれる佳代子の方がずっと大事。
 ああ、すまん、これ、惚気?
 で、そんな佳代子が、先日、言ったのだ。
「あたし、正樹の国の住人になれたよね?」って。
 これ、何なんだろうと思ったら……俺の冷房依存問題の話だったみたいで。
 いや、結婚直後は、ほんとに佳代子に寒い思いをさせた(んだろうと思う)。それは本当に反省している。
 でも。本当に、心から嬉しそうに、“俺の国の住人になれた”って言っている佳代子……それは、多分、違うから。順応したんじゃ、ないと思う。
 俺の愛する佳代子。最愛の佳代子。
 おまえ……この十年で、二十キロは、太っただろ。
 俺がやたらと暑がりなのは、もともとスポーツやってて筋肉質な処に、大学時代、運動やめたにもかかわらずファストフードばっかり喰って、やたらと脂肪をつけちまったからだ。んでもって、おまえも……。
 まあ、でも。
 そんなこと、言っていい訳がない。
 それに。
 確かにおまえ、俺の国の住人になったのかも。

 暑がり、ぽっちゃりさんの国に、ようこそ。

                      〈FIN〉

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著者プロフィール

新井素子(あらい・もとこ)

1960年東京都生まれ。立教大学ドイツ文学科卒業。77年、高校在学中に「あたしの中の……」が第1回奇想天外SF新人賞佳作に入選し、デビュー。少女作家として注目を集める。「あたし」という女性一人称を用い、口語体で語る独特の文体で、以後多くのSFの傑作を世に送り出している。
81年「グリーン・レクイエム」で第12回星雲賞、82年「ネプチューン」で第13回星雲賞受賞。99年『チグリスとユーフラテス』で第20回日本SF大賞をそれぞれ受賞。
『未来へ……』(角川春樹事務所)、『もいちどあなたにあいたいな』(新潮文庫)、『ダイエット物語……ただし猫』(中央公論新社)、「星へ行く船シリーズ」全5巻(出版芸術社)など、著書多数。

作品概要

「とにかく温泉が好き!」な恋人を持つ女の子のお話。寂しいという感情がとても好きな魔物のお話。…
多くのSFの傑作を送り出している著者が贈る、さまざまな「好き」をテーマにしたショートショート集!

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