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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「おもいでホイップ」(滝沢朱音)

2018.10.30 更新

「いやな記憶は、ホイップすればいいんですよ」
 部長に叱られ、ひどく落ち込んでいた僕にそう教えてくれたのは、後輩の葉月だった。
「記憶をホイップ? スルーとか、スキップとかじゃなくて?」
「ええ、ホイップ。泡立てるの。そしたらたちまち、いやな記憶じゃなくなるんですよ」
 彼女は僕に、小さなカードを渡した。
 ミルク色のそのカードには『ラテ1杯無料券』とあり、その下には『おもいでホイップ』という店名と、住所とが記されている。
「実は……私がいつもポジティブでいられるのは、このカフェのおかげ。落ち込んだときには、必ず行くことにしてます」
 葉月は僕と違い、要領がよく営業成績も抜群だ。性格も明るく、上司から可愛がられている。いつも叱られっぱなしの僕とは対照的だった。
「このカフェのおかげって……いったいどういうこと?」
「行けばわかります。絶対オススメですよ。特に、先輩みたいに不器用な人にはね」
 小馬鹿にされたような言い方。それでも、僕はすがるような気持ちになり、そのカードをにぎりしめた。

 カフェ『おもいでホイップ』は、ツタの這う古ビルの2階にあった。
「いらっしゃいませ」
 ほの暗い店内に入ると、こげ茶色のバリスタエプロンをつけた男が迎えてくれた。他に客はいないようだ。
「あの……これをいただいたので……」
 おそるおそるカードを渡すと、男は微笑んで言った。
「こちらへどうぞ」
 カウンターチェアに腰掛けると、男は乳白色の液体の入ったガラス容器を差し出した。
 容器のふた部分には、金属の大きなつまみがついていて、透明の長い管も差し込まれている。まるで何かの実験道具のようだ。
「……なんですか、これは?」
「ミルクの泡立て器です。これに、あなたの記憶を吹き込んでください」
「えっ? 記憶を……?」
「はい。消してしまいたい記憶があるんでしょう? それを思い浮かべながら、ため息を管に吹き込めばいいのです。やってみてください」
 ややこしい話に頭が混乱し、僕は深呼吸した。
 記憶から消してしまいたいこと――失敗続きの毎日、すべてだ。
 今日だって、得意先の大切な記念品を、社名の誤字に気づかないまま、大量納入してしまった。僕と部長が土下座しても、先方の怒りはなかなかおさまらなかった。
(……どうして僕は、こんなに不器用なんだろう)
 土下座した自分の卑屈な姿を想像しながら、僕は憂うつな気分で管の先をくわえ、ふうっと大きくため息をついた。ガラス容器がほんのりと曇る。
「それでは、ふたのつまみを引き上げ、しばらく上下させてみてください」
 男の指示通り、僕はつまみを引き上げた。
 つまみの下には棒がついていて、その先の網のようなもので、ミルクを泡立てるという原理らしい。
 棒を上下させるうち、中のミルクはもこもこと泡立ち始め、きめこまやかなホイップ状へと変化したところで、男がうなずいた。
「いい泡になりましたね。それでは、こちらにいただきます」
 男は容器のふたをあけると、スプーン2本を器用に使い、カップのエスプレッソの上に、ミルクの泡を盛り始めた。
 こんもりと盛られた泡は、ちょうど土下座する丸い背中のようだ。どこか自分を見ているようで、胸がずきんと痛む。
「はい、出来上がりです」
「これを、飲めばいいのですか?」
「ええ。そうすれば、先ほど思い浮かべた記憶が消えます。お熱いうちにどうぞ」
 丸い背中のような泡に、ココアパウダーが振りかけられていて、僕はそこにスプーンをぐさりと刺した。泡を口に含むと、ほろ苦い味がして、あっという間に溶ける。
 僕は思い切って、ラテを泡ごと飲み干した。のどが熱い。
「こんなことで、本当に消えるんですか? 僕の記憶が……今日の屈辱が……」
「相当悔しい思いをなさったんですね。では、どんなことがあったのですか?」
「えっ……」
 男に問われて考えてみると、あれほど刺々しかった屈辱の記憶が、脳裏のどこを探してもなぜか見当たらない。
 ぼんやりと残っているのは、過去の自分が仕事でミスをしたという事実だけ。しかもそれはすでに風化し、苦い教訓としてだけ存在しているようだった。
 言葉を無くし、口をぽかんとあけた僕を見て、男は満足げに笑った。
「また、いつでもお越しください」
 ラテのあたたかさが、胸からじんわりと全身に伝わってゆくようだ――

「あれ、先輩。さっそく行ってきたんですね!」
 翌朝、葉月は驚いた顔をして言った。
「どうしてわかるんだ?」
「わかりますよ、顔色からして違いますもん。よかったでしょ、ホイップ体験」
「ああ、確かに。生々しくていやな記憶が、一気に色あせた。自分を客観視できるようになった気がするよ」
「そう、その調子ですよ先輩。気にしない、気にしない!」
 ――後輩に励まされる僕。なんて情けないんだろう。
 もともと葉月が新人時代、研修を担当したのは僕で、清楚で初々しい彼女に、僕は異性としても好意を持った。
 だけど彼女は、高いコミュニケーション能力を、営業としていかんなく発揮し、数ヶ月後には、僕の売り上げをあっさりと抜き去ってしまったのだ。
 どうしようもない劣等感と、やり場のない好意とがごちゃまぜになり、いつしか僕は葉月に対し、複雑な思いを抱き続けていたのだった。

 それからというもの、僕は毎日のように『おもいでホイップ』に通い、いやな記憶を泡立てては飲み干した。
 そのおかげで、仕事でいくら失敗しても、記憶の揺り返しに苦しむことがなくなった。過去の失敗として客観視し、きわめて冷静な判断で最善手を選ぶことができるのだ。
 そうして生まれた自信が、次の好機を引き寄せるのだろう。僕は徐々に成績を上げ、ついには葉月を追い越すまでになった。
「お客様、最近なんだか、いきいきとされてますね」
『おもいでホイップ』のバリスタが、嬉しそうにつぶやく。
「そうかな」
「ええ。初めて来られた頃とは、まるで別人のようです」
「……もしそうだとすれば、この店のおかげだよ」
「そう言っていただけて、光栄です」
「それと……」
 ラテを飲みながら、僕は葉月のことを思った。
(……このカフェを教えてくれた君のおかげだ、葉月)
 自信を取り戻し始めた僕の中には、葉月への恋心もまた復活していた。
(だけど……僕がいくら変わろうと、彼女の記憶の中には、凹んでばかりで情けない僕の記憶がたくさん残っているんだよな)
 ここからいくら挽回しようと、葉月は僕を、頼り甲斐のある男、恋愛対象の男としては見てくれないだろう。
 そう思うと口惜しい気持ちでいっぱいになり、僕はバリスタの男にたずねてみた。
「あのさ、他の人の記憶って、消すことはできないの?」
「他の人の記憶を、ですか? できなくはないでしょうが、そう簡単には……」
「その人の中の、特定の記憶だけでいいんだ」
 眉をひそめる彼に、僕は打ち明けた。
「くわしく言うと、ある時期の、情けない僕に対する記憶だけを消したいんだ。その人には知られずにね。実は……僕はその人に恋をしているんだよ」
 それを聞いてしばらく考えこんでいた彼は、何か方法を思いついたらしく、きらりと目を輝かせた。

「ハッピーバースディ!」
 仕事終わりに葉月を誘い、初めて2人で『おもいでホイップ』に来た僕は、あらかじめバリスタに依頼しておいたバースデーケーキを、サプライズ登場させた。
「わあ、おいしそう! でも先輩、私の誕生日って来週ですよ?」
「あれ、そうだったっけ……しまった。まあ、いいじゃないか」
 決して僕は、間違えて覚えていたわけではない。情けない僕の記憶を彼女から消したあと、あらためて誕生日に告白するつもりでいたのだ。
「やっぱり先輩って、おっちょこちょいですよね。最近、少し見直してたのになあ」
「なんだよ。僕がどんなことをしたっていうんだよ。言ってみろよ!」
 僕の挑発に、葉月は指を折りながら挙げつらねた。
「ほら、新人研修のときだってそうですよ。あのとき先輩ったら、新入社員全員の前で、社長のお名前を間違えて呼んで。大目玉くらいましたよね!」
「うっ……」
「それに、初めて営業回りにつかせてもらったときだって……」
 葉月が僕の失敗談を話すたび、僕はおおげさに頭をかかえたり、天を仰いでみせたりしたので、彼女は楽しそうに笑い、次々と話し続けた。
 その失敗談が最近のものになった頃合いを見て、僕は彼女をたしなめた。
「おいおい、もうそのくらいにしろよ。せっかくバースデーケーキを用意したんだから」
 ケーキの上で短くなったキャンドルに気づいた葉月は、あわてた様子で言った。
「あ……そうでした。火を吹き消さなきゃ!」
「ついでに、今話した僕の失敗談も、すべて吹き飛ばしてくれよ。頼むから……」
「あはは、わかりました」
 葉月は笑い、大きく息を吸い込むと、たくさんのキャンドルを一気に吹き消した。
 闇につつまれる店内に、再び電気がともり、バリスタが拍手しながら近づいてきた。
「それでは、このケーキを切り分けますね。のちほど特製ラテとともにお持ちしますので、少々お待ちください」
 去り際、彼は僕にウインクした。どうやら、キャンドルにひそかに仕込んだ管で、彼女のため息をうまく回収することができたらしい。

 やがて、もこもこの泡が乗ったラテが運ばれてきた。例によって泡は、土下座した背中のような形をしている。
「いただきます!」
 僕はラテに口をつけるふりだけして、葉月の反応をひそかに見守った。
 彼女は楽しそうにスプーンを泡に刺し、すくい上げた。そして彼女の口の中で、僕の失敗の数々が消える。情けない僕が、ようやく消えてゆく。
 これでいい。これできっと、誕生日の告白は成功することだろう。
 そう思った瞬間、彼女はラテを飲み干して言った。
「私って昔から、不器用な男の人ばかり好きになるんですよね。なんだかほっとけなくて」

(了)

滝沢朱音さんの前作「死瞬記」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory86.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した6名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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