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世にも小さな ものがたり工場

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「不機嫌なナビ」(滝沢朱音)

2018.08.31 更新

 義父の葬儀を終えたあと、なぜか妻はさっぱりとした顔をしていた。
「大丈夫かい、疲れただろう」
 葬儀場を出て、助手席に座る妻にそう声をかけると、妻は首を横に振った。
「いいえ。あなたこそ……いろいろとありがとう」
 やもめ暮らしの義父が病で亡くなったのは、突然のことだった。
 悲しみにくれる妻のかわりに、僕が葬儀を実質的に取りしきったが、これでようやく一段落だ。
 このあと僕は、妻を実家へ送り届け次第、先に都内の自宅へ帰る予定になっている。
「君はしばらく、こっちでゆっくり過ごしてくればいいよ」
「ありがとう。そうさせてもらうわ。手続きや、実家の片付けもあるし」
 ふと妻は、埃をかぶったカーナビの電源を入れ、操作し始めた。土地勘のない僕を気づかってのことだろう。
 義父が大切にしていたこの高級車は、年式が古いわりに走行距離が少なかったので、すぐに処分はせず譲り受けることになったのだが、起動した画面にはひどくカクカクとした粗い地図があらわれたので、僕は笑った。
「これ、いつのナビだよ。ずいぶん古いなあ」
「車を買ったときの、純正のままだと思うわ」
「これじゃ、データのアップデートもできなさそうだ」
 妻も笑ったが、すぐに目頭を押さえ、声を詰まらせた。
「お父さん……この車を買ったとき、ナビがついてることを自慢していたわ。休みの日には洗車して、磨いて……とても大切にしてた」
 僕は少しうんざりした。妻のこういう感傷的で芝居じみたところに、最近は特に嫌悪感を感じてしまう。
 ハンドルを握りながら、いつのまにか僕は、妻ではない別の女性――香奈のことを考えていた。
(寂しがっているだろうな……)

 ――部下の香奈と僕は、ここ2年ほど不倫関係にある。
「しばらく逢えそうにない。約束やぶってごめん」
 義父が亡くなったとき、彼女にそうメッセージを送ると、しょんぼりしたスタンプとともに返事が返ってきた。
「わかったわ。落ち着いたら連絡してね」
「もちろん。君のことが一番好きだ。恋しくてたまらない」
 社内ではできるだけ会話を避け、そっけないふりをしている分、僕は香奈に、年甲斐もなく甘い言葉をささげていた。
「何度も言うけど、僕たちの将来のために、妻とは円満に離婚したいんだ。だから、もう少しだけ我慢してくれ」
 ――不倫男の常套句ではない。香奈に夢中になってしまった僕は、妻との別れを真剣に考えていたのだ。
 子どもはおらず、世話になった義父も他界した今、離婚を妨げる要因は特になくなった。
 それに内向的で、いつまでたっても東京になじめない妻は、ふるさとへ帰ったほうがむしろ幸せだろう。
(このまま妻を実家に滞在させて、自然な形で別居状態になれば……)
 香奈とのことは、妻には知られていないはずだ。時間はかかるだろうが、なんとかうまく離婚に持ち込みたい。
 ひとまず妻が不在の間は、香奈を存分にかまってやれる。今まではできなかった宿泊だって――そう思うと胸が高まり、僕はさらに車のスピードを上げた。

 夕方実家につき、僕が車から荷物を下ろしている間、妻はしきりにカーナビをいじっていた。
「何してるんだ?」
「東京の自宅までの道順、設定しておいたの。慣れない道で、帰りに迷うといけないでしょ」
「そうか、ありがとう」
 妻は肩をすくめ、付け加える。
「でもね、このナビだと、自宅のあたりはまだ森林だったのよ」
「ははは……森を切り開いた新興住宅地だからな」
「仕方ないから、近くの霊園を目的地にしておいたわ」
 一瞬(縁起が悪い……)とは思ったものの、妻に悪気はなさそうなので、僕は素直にうなずいた。
 妻は念押しするように、僕に言う。
「ここから山道を登っていくのが、高速道路への近道みたい。ナビのいうとおりに走れば大丈夫よ」
「ありがとう。君が東京へ戻るときには、この車でまた迎えにくるよ」
 僕が心にもなくそう言うと、妻は口をつぐみ、バイバイをするように手を振った。その顔はやはり、どこかさっぱりとしているように見えた。

『音声案内を開始します。目的地までの所要時間は、およそ3時間です。西へ進みます』
 妻の実家を出ると、ナビは山道を登るよう指示した。
 経路を確認してみたが、妻の言ったとおり、最短距離で東京に戻れる正しい道のようだ。
(念のため、最新版のナビでも確認したほうがいいかな)
 路肩に停車してスマートフォンを取り出し、地図アプリで確かめようとしたとき、香奈からのメッセージを受信していることに気がついた。僕は胸を弾ませて開封する。
『課長、お疲れ様です。まだ帰省先ですか?』
 妻の目を気にして、他人行儀を装う言葉がいじらしい。
『今、東京への帰りだよ。1人で運転中だから、もう大丈夫』
 そのメッセージはすぐ既読になり、さっそく着信が入った。
「もしもし……香奈?」
「……お疲れ様」
 彼女の可愛い声に、ふっと気が緩んだ。
「ああ、ほんと疲れたよ。早く香奈に逢って、癒されたい」
「東京に着いたら、私の部屋に来て。真夜中になってもいいから」
 そんな甘い言葉を繰り返したあと、疲れのあまり僕があくびをもらすと、香奈は不安げに言った。
「ねえ、気をつけて運転してよ。心配だから、この電話はしばらく通話のままにしてて」
「わかった。じゃあ、たまに香奈の声を聞かせてくれ。目がさめるから」
 僕はスマホをスピーカーオンにしてダッシュボードに置くと、また運転を始め、カーナビの言う通り西へと車を走らせた。
『およそ3キロ先、左方向です』
「今のって、カーナビ?」
 ナビの音声が聞こえたらしく、香奈が言う。
「そうだよ。ずいぶん古い機種なんだ」
「なんだか不機嫌な声ね」
 香奈の言葉に、僕は笑った。言われてみれば確かに、どこか機嫌が悪そうにも聞こえる。
 しばらくして、指定された場所で左折すると、ナビは言った。
『この先、しばらく道なりです』
 ナビの音声はさらに低く、ぶっきらぼうになったようだ。
(本当にナビが不機嫌になったのか……? いや、そんなことはありえない)
 久しぶりに使ったので、音声の調子が狂ってしまったのだろう。僕は気にしないことにして、運転に集中した。

 日没にはまだ早いと思っていたが、山道はあっという間に暗くなった。
 他に車が通る気配はなく、ライトをハイビームにして前方を照らすが、その先は闇につつまれている。
 都会育ちの僕は、慣れない山道への心細さもあり、つい弱音を吐いた。
「しまったなあ。暗くなる前に、山を越えておけばよかった」
 スマホから、香奈のあたたかい声が返ってくる。
「今、どのあたりなの?」
「えっとね……もう少し行けば、星ヶ瀬村だって」
 ナビ画面の表示を見ながら僕が言うと、香奈は繰り返した。
「星ヶ瀬村、星ヶ瀬村……」
 カタカタとキーボードの音が聞こえてくる。パソコンで調べてくれているらしい。
「……変ね。今、N県の地図を見てるんだけど、星ヶ瀬村が見つからない」
「おかしいな。県境にあるはずだよ」
 ナビの画面を確かめると、車の位置を表す矢印は、ちゃんとした道の上を走っている。ルートは間違っていないようだ。
「星ヶ瀬村っていうくらいだから、星が綺麗なんでしょうね」
 香奈に言われて、運転しながら僕は、視線を上方に向けた。
 まだ日が沈んで間もないというのに、空には星々が輝き始めている。その見事さに、僕は車のハイビームをオフにした。
「……ああ、綺麗だよ。香奈にも見せてあげたい」
 うっとりとつぶやいたとき、香奈が声をあげた。
「あ! 星ヶ瀬ダムっていうところならあったわ!」
「ダムか。たぶんこの近くにあるんだろう。いつか行ってみたいな、香奈と一緒に……」
「うれしい。星ヶ瀬村、どんなところかしら」
 そのとき突然、ナビがドスの効いた声を発した。
『この先、直進です!』
(えっ?)
 画面を確かめたが、車の位置を表す矢印は、緑で示された一本道の上をまっすぐ順調に走っている。
(このナビ、やっぱり調子悪いみたいだな)
 急に香奈が、声を震わせて言った。
「え……どういうこと……?」
「香奈、どうした?」
 スマホの向こう側から、動揺している気配が伝わってくる。
「ネットで調べてみたんだけど、星ヶ瀬村って……今はもうないって」
『この先、直進です!』
 香奈の声をかき消すかのように、ナビが怒鳴る。
「えっ……? 今、なんて?」
「星ヶ瀬ダムができたときに、廃村になって……」
『この先、直進です!』
「村の建物も、道路も何もかも、今ではダムの底に沈んでるって……」
 その瞬間、車体がふっと空に浮いた。フロントガラスの真正面に、星々がきらめいて――
『この先、直進です!』

 深夜、かすかな望みとともに夫のスマホに電話をかけてみたが、やはり通じなかった。
 あのあとスマホで調べ直せば、ナビがダムに沈んだ道を示していることに気づいたはずだが、恋に浮かれた夫は、一刻も早く山を越え、東京に帰ろうとしていたに違いない。
「お父さん、ごめんね。大事にしてた車を、棺桶にして沈めちゃって……」
 遺影に向かってそうつぶやくと、写真の父は不機嫌そうに、眉をひそめたように見えた。

(了)

滝沢朱音さんの前作「ミニベロに乗って」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory67.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した6名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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