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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

世にも小さな ものがたり工場 ブック・カバー
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「着想」(長野良映)

2018.08.01 更新

 今朝、私は不思議な夢を見た。
 週はじめの憂鬱な気分のおかげで、目覚めた直後はそのこと自体が抜け落ちていたが、仕事をこなしていくと夢の内容が次第に思い出された。あのような類の夢を今まで見たことはない。いつもならもやの奥に消えていくように薄れてしまう夢の内容が、逆に露わになってきたのだ。
 仕事を終える頃には、私の頭の中は夢に支配されていた。誰かに話したくてたまらない。気が付くと、たまに入るバーに足が向いていた。小さいテーブルはジョッキで溢れ、人々が楽しげに語らっていた。彼らをすり抜けて奥へ行くと、カウンター席に見覚えのある人物がいた。
「久しぶりじゃないか」
 彼は、隣の席にすべりこんだ私を思い出せないらしく、しばらく見つめていたが、大学に入るまで学校が同じだったことと名前を名乗ると、合点がいったようだ。
「ああ、これはしばらく。ずいぶん印象が変わったね」彼は静かに答えた。
「こんなところで会うなんて、偶然だな」
「本当にそうだね。家はまだ同じところ?」
「うん。だけど、そろそろ一人暮らしをしようと」
「僕もだ」
 彼とは幼馴染であり、友人だった。小さい頃も、学校に上がってからもよく一緒にいた。彼は物静かで、意見を声高に主張することはなかったが、人の話を上手く聞ける能力があった。恋だったり将来だったり、青春にありがちな悩みを彼に話し、有益なアドバイスをもらったものだ。
「最近、仕事はどうだい」と私は尋ねた。「噂を聞いたけど、転職したんだって? 保険関係らしいじゃないか」
「前の職場はちょっとばかりきつかったから、つてを頼って変えたんだ。公的な要素のある機関だから勤労条件なんかはきちっとしているよ。ただ」友人は苦笑して続けた。「文書ばかり書かされるよ。文書、文書、また文書だ」
「それはそれで大変そうだ。でも健康が一番だよ。自分も外回りがきついから変えようと考えていたところだ」私も苦笑いで応じた。
 それから私たちは会話の花を咲かせた。幼いころの失敗談、それぞれが通っていた大学でのエピソード、共通の知人の近況。
 話題は尽きそうになかった。主に私が会話の主導権を握り、彼は適切なタイミングで言葉を返した。
 盛り上がりがピークに達したあたりで、夢の話を切り出してみた。それはとてもリアルな夢だったのだと前置きをして。彼は肘をカウンターに置いたまま上体をわずかに倒し、耳を傾けた。
「夢の中で目が覚めると、私は蝶に変身していたんだ」と私は言った。
「蝶?」
「あのひらひらした蝶さ」
「蛾ではないんだね」
「違ったよ。不思議なことに、自分が蝶であることの自覚はあった。翅の動かし方も心得ていたよ。そこはうっそうとした森で、しばらく飛んでいくうちに湖が現れた。静かな水面に身を映してみれば、まぎれもない蝶の姿がそこにあった。瑠璃色がちりばめられた綺麗な翅をしていたんだ」
「空を飛べるというのはずいぶん気持ちのいいものだろうね」彼は夢見るような目つきで言った。「夢はそれで終わりかい?」
「まだ続きがあるんだ」私はグラスをあおった。「湖畔を飛んで散策していると丸太で組まれた小屋を見つけた。窓は開け放たれていて、枠の部分で羽を休めることにしたんだ。中では女性が一人で本を読んでいたが、私を認めると近づいてきて話しかけてきた」
「知っている女性だったのか」
「いや……けれど若くて親しみの持てる雰囲気だったよ。彼女とは一通り会話を交わしたんだ。不思議と私の思ったことが彼女に伝わるようでね。そのうち彼女がこう言ってきた。『湖はそこにあるけれど、水がだんだん汚れてきてしまった。蝶のあなたなら森の奥に眠る清らかな水源を知っているのではないでしょうか。できればそこへ私を導いてほしい』と」
「ふうん」彼は考え込むように腕を組んだ。
「綺麗な水が欲しいという彼女の要望には応えたかったけど、自分にとって大事そうな場所を教えていいのか迷っているうちに目が覚めてしまったんだ」
「興味深いね」と目を輝かせながら彼は意見を述べた。「人生への示唆が含まれていると思わないか。君の生活に、最近変化はあった?」
「いや、それがまったく」
「だとしたら」彼は組んでいた足を入れ替えて言った。「これから起こる出来事への暗示かもしれないね。その女性が仮に将来の婚約者だとすれば、さっきの問いかけはこう置き換えられるかもしれない。『結婚する代わりに、あなたの資産を開示しろ』といった感じに」
「森の奥の水源とやらは、私の財産という意味なのか」
「あるいは君の本性とも読めなくはない……まあひとつの意見だよ。だが得てして結婚というのはそういうところがあるんじゃないか」
 彼はまた苦笑いを浮かべた。
「ああ、まったく。しかし君のおかげですっきりしたよ。そうだ、これも噂で聞いたが、趣味で小説を書いているんだってね。この話をぜひ小説の題材に使ってくれよ」
 彼は私の肩を叩いてこう言った。
「……助かるよ、グレゴール」

 僕は疲れ切って帰宅した。珍しく仕事で失敗したから憂さ晴らしで飲んでいたのに、余計な邪魔が入った。気をつかってくれればいいのにぐだぐだと話しかけてくるから、つい応じてしまった。仲が良いと一方的に勘違いしている奴ほど扱いにくいものはない。
 それに必死で書いている小説を趣味と言いのけるあたり、不躾なところも相変わらずだ。僕は仕事でやっているんだ。
 ベッドに入るまでのわずかな時間、机に向かって構想を書きなぐったメモに加筆していく。だが、筆はまったく進まなかった。
 行き詰っていたそのとき、そうだ、と僕は膝を打った。
 やつの夢とやらをお望みどおり拝借させてもらおうじゃないか。だが蝶に変身するのでは通り一遍だ。蝶になる前の毛虫みたいな、気色悪いものに変身していたとしたらどうだろう、それが夢ではなく現実に起こったとしたら。
 これはいけそうだ。僕はアイディアが溢れるままにペンを走らせた。

(了)

長野良映さんの前作「天体の音楽」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory64.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した6名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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