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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「先生は忘れない」(行方行)

2018.08.01 更新

 ──見つめられている。
 教壇に立つと、私はいつも喋れなくなった。唇が乾燥して瞳に涙がたまり、関節が固くなって指先は落ち着かず顎から汗が滴って、きっと顔面蒼白だ。
 眼前では三十人の生徒が着席していた。
 厳つい顔、穏やかな顔、真剣な顔、眠そうな顔と、さまざまな顔が私に向いている。視線を避けるように黒板についたが、文字が波打って、読めません、と生徒から指摘された。黒板消しを使うと、それさえ揺れてあちこちにチョークが残ってしまう。
 中学の教師になってはじめての授業だった。
 先生になるのが子供のころからの夢で、間違ったことを教えてはいけない、変なことをいってはならない、と意気込んでしまい、ますます口が重くなって胃がきりきりと痛む。
 ──どうせ授業なんてだれも聞いていない、と吹っ切るか、生徒の顔をかぼちゃか白菜にでも置き換えろ。
 そう学年主任に助言されたが、何度やっても人間が野菜に見えはしない。教科書に視線を落としたり、薄目にしたり、できるだけ机の間を移動したりと手を尽くしたが、どうしても視線が気になって身体が強張っていく。
 ついには動けなくなって、一日だけ学校を休むことにした。
 布団にくるまり、願うことはひとつだ。
 ──顔なんて、なくなってしまえばいいのに。
 そうしたら、翌朝、私はのっぺらぼうになっていた。
 髪と輪郭はそのままに、まるで皮膚色の布をかぶったかのように目や鼻や口や眉や耳がすっきりとなにもない。震えながら撫でると、ぽってりとした鼻もおちょぼ口もつぶらな瞳も福耳も、ちゃんと本来のところに感触があった。
 それなのに、見えない。
 追い立てるように時計のベルが鳴り、私は中学校に向かった。
 ない。
 すれ違うサラリーマンも駅員も電車に乗り合わせた学生も作業員も子供も老人も、同僚も教頭も校長も、すべてのひとの顔がなくなっていた。
 始業のチャイムが鳴ると、三十ののっぺらぼうが一斉に私のほうを向く。不気味だったが教師として逃げ出すわけにはいかない。堪えて教科書を読み始めると、視線を感じないから震えもしなければ汗もかかず、口もなめらかに動いて緊張しなかった。
 しかし授業がうまくいったかといえばそうではない。
 名札を付けない学校なのでだれがだれだかわからず何度も呼び間違え、表情が読めないから授業を理解しているのか判断がつかなかった。褒めても叱っても顔色は変わらず、まるで機械を相手にしているかのように手応えがない。
 まさか、これからもずっとだれの顔もわからないままなのか。
 怖くなって、たまらず病院にいった。
「世界中のひとの顔が物理的に変化したわけではないのですから、気持ちの問題ですよ」
 そういって医者は精神安定の薬をくれたが、飲んでも眠くなるばかりで効果がない。
 数週間が経っても、学級委員長のひょっとこのような唇もアナウンサーの八の字眉も養護教諭の艶のある瞳も名優の高い鼻も戻ってくることはなかった。まるで世界中のひとから終わらない悪戯をされているようで腹立たしく、でも、どんなにひとりで文句をいっても事態は好転しない。
 これはもう顔が見えるようになるまで自宅療養するしかないのではないか。しかし、長期休暇を取れば教職から離れざるを得なくなるかもしれない。それだけは避けたかった。
 ──先生でいたいなら腹をくくるしかない。
 私は、のっぺらぼうの世界を受け入れることした。
 これから永遠に、表情で相手の心情を推し量ることも、目鼻立ちの美しさに心を奪われることもない。そう吹っ切ると、あんがい家族や同僚のように長く一緒にいるひとなら、後ろ姿や雰囲気だけで見誤らないことがわかってきた。
 問題は、毎年百人以上が入れ替わる生徒のことだ。
 授業中なら席順と名簿を参考にできるが、休み時間や部活のときはどうしようもできなかった。上履きの踵に書かれた名前では面と向かうと読めないし、声をあてにしてみても、喋ってもらうのが手間なうえ思ったよりも似通った響きが多く、絶対にそのひとだと決めつけられない。
 顔以外の容姿ではどうだろう。
 太っていたりのっぽだったり痩せ過ぎていたり、一目でわかるほどの体格をした生徒は意外と少なく、小柄で襟足を刈りあげているのが佐藤、細身で前髪がうっとうしそうなのが鈴木、と髪型と組み合わせて覚えることにした。よくよく観察して全身像を絵に描き、テストの点数や日頃の言動を含めて表にまとめていく。
 しかし相手は成長期だ。急に背が伸びたりおさげを切り落としたり色黒になったり筋肉がついたりと、変化が目まぐるしくて対応しきれない。
 打つ手なしか。
 そう落胆しかけて、でも、ぼんやりと生徒を区別できるようになっていた。
 なぜか。
 立ち止まるとわずかに左へ偏るのが田中で、緊張すると決まって頭を掻くのが高橋、いつも小刻みに頷いているのが佐々木で、よく目を擦っているのが小林──。
 注視していたおかげで、何人かの癖を記憶していた。これなら成長しても変化しにくいので、間違えずに見分けることができる。
 突破口を見つけた。
 授業中に貧乏ゆすりをしているのはだれか。ことあるごとに首の骨を鳴らしているのはだれか。右肩だけ怒らせて歩いているのはだれか。緊張したとき耳を引っ張るのはだれか。とにかく生徒を見つめ、そんな差異を表にどんどんと書き足していく。一度だけではない。同じノートを手書きで複製して脳にしっかりと刻み込んだ。
 そこまでやったら忘れないし、間違えない。
 私は、自信をもって生徒を呼べるようになった。さまざまな情報を把握しているから指導に迷いがなく、視線を感じないから授業も緊張せずに進めることができる。板書をするだけで冷や汗をかいていた私の変化に生徒は戸惑っていたが、かまわずにとにかく接していくようにした。
 人を知り癖を覚えて表を充実させていくのだ。
 積極的に話すようになると、しだいに生徒と打ち解けられるようになった。成績や進路のことで相談され、読書部が欲しいというので顧問になり、問題行動の多い生徒と向き合い、忘れ物が多ければ叱り、体調の悪さを仕草で見抜き、伸び悩んでいる子の背中を押して支える。
 手応えを感じはじめると、同僚から表情が明るくなったといわれ、先輩も信頼して難しい仕事を与えてくれるようになり、私は寝食を忘れて仕事に打ち込んだ。
 翌年には担任になり、それから十いくつのクラスを受け持っても、やり方は変わらなかった。名簿を渡されるたび、生徒の絵を描いては表をつくり、指導に活かしていく。
 三十代前半で教務主任となり、しばらくすると教頭に任じられ、髪がすべて白くなったころ校長の椅子に座った。
 そこまで成長させてくれたのは生徒のおかげだ。
 定年までの十年、恩返しのつもりで懸命に働いた。朝は正門まえで挨拶し、近隣のゴミ拾いを学校ぐるみで行い、地域住民とひんぱんに交流し、やる気のある生徒のために放課後学習教室を実施して、教師の研修会も開いて横の繋がりを強固にし、施設の拡充に骨を折って、とにかく生徒を見つめる。
 やれることはやった、もう思い残すことはない。
 教師生活最後の夜、私は何百冊とたまった表を床に並べた。
 ページをめくると、初授業から数十年のあいだに出会った生徒や教師や教育委員や父兄のことが、イラストを交えて詳しく書かれている。みんな我が子か親類のような身近な存在で、だれひとり忘れていない。目を閉じれば、その姿がはっきりとまぶたに浮かぶ。
 翌日は卒業式だ。
 三年生を送り出し、私が壇上で話すことになった。
 体育館内を見下ろす。父兄に混じって昔の同僚や懐かしい教え子がたくさん集まってくれていた。私の卒業を祝いにきてくれたのか。相変わらず田中は左に重心をかけていて山田は人差し指で太ももを叩き、木村は耳を引っ張っていて、いつまでもあのころの癖が抜けていない。
 ──みんな、のっぺらぼうだと思えばいい。
 どうすれば、生徒に対して公平でいられるのか。
 そう問われたときの私の答えだ。顔の違いなんて、そのひとのほんの一部にすぎない。大切なのは、そのひとを形成している細部の積み重ねなのだ。それを見つめるようにすれば、おのずと別け隔てなく接することができるようになるよ。
 私の言葉に、みんなが拍手をくれる。その暖かい響きに包まれていたら、ふと、肩の荷が降りた気がした。霧が晴れていくように、みんなの顔がもとに戻っていく。
 優しい顔、ひょうきんな顔、生真面目そうな顔、日焼けした顔、色白の顔、髭面、さまざまな顔がこちらを向いていた。私は急に汗をかいて震え、瞳に涙がたまる。
 そこに、見知ったひとはだれもいなかった。

(了)

行方行さんの前作「怪奇タクシー」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory46.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した6名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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