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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「天体の音楽」(長野良映)

2018.06.29 更新

 地球の音楽を、聴いたことがあるだろうか。僕はある。たった一度だけ。
 あの日、あの場所で響いた音楽は、とても美しかった。そして、隣にはあの人がいた。

 大学に入学したばかりの頃、僕は他の誰よりも熱意を欠いていた。浪人して挑んだ受験は大失敗だった。第一志望どころか第二志望も落ち、受かったのは眼中になかった私立大学だけ。仮面浪人をする気力もなかった。ただ流されるまま講義に出るばかりで覇気もない僕に、友達など当然できない。
 4月の中頃のある日、講義の合間に大学のキャンパスをうろついていた。食堂やラウンジで時間をつぶそうとしても、サークルかなんかの集団が席を占領しているので居場所がないのだ。
 満開だった桜は、前日の雨で、無残にも地面に貼りついていた。僕はみじめな思いで、花びらを踏みしめながら歩いた。
 入学式が行われた講堂を通りかかっているときだった。そよ風に乗って、覚えのある音が聞こえてきたのだ。弦楽器のメロディに、きらびやかな金管楽器。クラシック音楽に間違いない。いったいどこから聞こえてくるのだろう。自然と小走りになっていた。
 裏手に出てみると、古びたコンクリート造りの建物があった。2階建てのそれは、時の流れに取り残されているようだった。音は2階の窓から流れてきていた。玄関から入り、階段を上がる。むせ返るほどかび臭かった。
「音楽鑑賞サークル」という手書きの紙が鉄製のドアに貼られていた。ためらいつつも、意を決してノブを回す。ドアはきしんだ音を立てて開いた。
 中にいたのは同じ年代くらいの女性だった。難しい顔でオーディオ機器をいじくっている。
「あの、すいません」
 彼女は体をびくんと震わせ、こちらを向いた。コンクリートがむき出しの部屋の中にあって、白い肌が本当に輝いているようだった。
「な、何か」
「ここって、音楽鑑賞サークルの部室ですよね? そこに貼り紙があるし……自分、クラシック音楽が好きなんです。いまかかっているのは『ベト7』ですよね」
 ベートーヴェンが作曲した交響曲第7番のことだ。作曲家と交響曲の題名を組み合わせて省略するのはクラシック音楽を知る者なら常識のはずなのに、彼女はぽかんとした様子で首をかしげた。
 間が抜けた空気が流れる。彼女は慌てた様子で、
「そ、そうなんです」と大きく頷いた。「ちょうどよかった。操作がうまくいかなくて、見てもらってもいいですか」
 それほど大きな問題ではなかった。同じトラックが繰り返されてしまう設定を直したかったらしい。こういうのは適当にいろいろやってみればなんとかなるものなのに、なかなかの機械音痴だ。
「もう大丈夫ですよ」僕はオーディオをぽんと軽くたたいた。
「ありがとうございます。適当にかけてみたら止まらなくなっちゃって」
 簡単ですから、と言い、部屋を見渡してみる。教室の半分くらいのスペースに、ぼろぼろの机やいすが転がり、CDだけでなくレコードも散らばっている。部屋の隅では、ビニールシートが何かを覆っていた。
「他にサークルの人はいないんですか」
「……うん、私一人だけ。三年の宮川といいます」
 やっと僕にも大学生らしい生活ができそうに思えた。

 平日は部室を開けているから、という先輩に甘えて、毎日出向いた。
 クラシック音楽を聴くことが、僕の唯一の趣味だ。辛い浪人生活でクラシックだけが癒しだった。音楽の才能はなかったが、子供のころから、堅苦しいと敬遠されがちなクラシック音楽がなぜか苦にならない。高校生になると主要な曲はあらかた聴き尽くしたので、指揮者や楽団による微妙な差にまでこだわるようになってしまった。
 ところが先輩には、そういう知識が全くない。
「同じ曲なのに、なぜ何枚もCDがあるの?」
 それは指揮者の音楽の解釈の違いや、演奏する団体によってまったく異なってくるんです。先輩が丁寧に淹れてくれるコーヒーと、僕のではおいしさが全然違うでしょう。そう理解させるまでに一か月はかかった。
 僕と先輩は講義の合間の時間で、クラシック音楽にどっぷりと浸かった。コーヒーをお供にして、僕が曲や指揮者について語った。
「ていうか、だいたい僕がしゃべり通しですね」
「いいの。音楽のこと知らないから、勉強させてね」
 じゃあなぜこのサークルにいるんですか。その言葉がいつも喉元まで出かかる。 
 先輩について知っていることは数えるほどしかない。宮川美織という名前で、文学部に在籍している。それ以外のことを尋ねてみても、微笑むだけで口を閉ざしてしまう。生まれ故郷がどこなのかという例外を除いて。
「すごく遠いの」
「田舎なんですか?」
「そうかもしれない……きれいな星空が見えるから」
 最も知りたかった彼氏の有無は、やはり聞けなかった。
 梅雨が明け、本格的な暑さが訪れたある日、部室を片付けていた先輩は1枚のCDを手にして目を丸くしていた。
「それ、ホルストの『惑星』ですね」と僕は教えた。
 ジャケットにはその名のとおり火星や木星の写真がデザインされている。知っている曲なのだろうか。
「今日はそれにしましょうか?」
 せっかくの機会だ。先輩は、好きな遊びを持ちかけられた子供みたいに、うんうんと頷いた。
 ホルストが作曲した組曲の「惑星」は7つの楽章に分かれていて、それぞれの惑星に似合った曲想になっている。火星は荒々しく、水星は軽やかに、といった具合だ。演奏に耳を傾けている間、先輩はコーヒーに手を付けようとしなかった。華々しい「木星」の楽章を経て、最後は「海王星」で静かに、神秘的に幕が下りる。
「本当の惑星が見えてくるみたいね」
 先輩はオーディオからCDを取り出した。
「情景が浮かんでくるような名曲ですよね」
「地球の曲はないの?」
 CDケースに書かれている曲目を見ながら先輩が呟いた。いつも感想をあまり口にはしないのに、珍しい。
「ないんです。あったら聴いてみたいですけどね」
「……そういえば、明日、ひま?」
 急にそう問いかけてきた先輩は涼しい顔のままだ。僕は即座に頭を働かせる。
「特に何もないです」
「よかった。夜になったらここに来て。特別な鑑賞会をしましょう」

 翌日、時間が経つのをじりじりと待ち、大学へ出向いた。大学のキャンパスに人の姿はほとんどなく、湧き立つ虫の声に包まれながら早足で歩いた。
 部室の窓を見上げると明かりはない。まだ来ていないのだろうか。部室のドアを開けると、窓際に人影があった。まさか泥棒か、と心臓がびくつく。ここに盗むものなど何もないのに。
「ごめんね、驚かせちゃった?」
 耳元でささやかれるような声だった。
「な、なんだ……電気くらいつけてくださいよ」
「今日の音楽は、暗くなくちゃいけないから」
 外灯の白い光が、わずかに窓から差し込み、先輩の姿を浮き上がらせていた。顔に刻まれた陰影のせいで表情がうまく読み取れない。
 先輩は部屋の隅に歩み寄り、ビニールシートを取り払った。現れたものに目をこらすと、それは丸く、サッカーボールほどの大きさだ。
「それ、何ですか」
 答える代わりに、先輩はそれを部屋の真ん中まで転がし、羽織っていたカーディガンを、球体の上でぱたぱたと仰いだ。そして先輩は僕の隣に並び、よく見ていてね、とぽつりと言った。
はい、と返す間もなく、その球体は少しずつ光りだした。暖かく、青く発色したそれに、目を奪われる。
「これはいったい……」
 だが先輩は、静かにというように、口角をきれいに上げて、人差し指を僕の口にそっと触れさせた。ひんやりとした指にぼうっとしてしまう。
 不思議な光だ。視線を外して周囲を見渡すと、あまりの光景に目を疑った。
 散らかっていたものはどこかに消え失せ、青い球体以外の空間は真っ暗になっていた。果てがなく、まったく別のところに迷い込んでしまったようだ。地に足がついている感じもない。助けを求めるように先輩の顔を覗き込んだが、眠るように目を閉じている。次々に起こる出来事に頭が追いつかない。
 すると、どこかからかすかに音が聞こえてきた。
 観念して、その音に集中した。その途端、僕は流れゆく音楽の虜になってしまった。
 クラシック音楽と似ているが、これまで聴いたこともないものだ。どの楽器の音でもない流麗なメロディ。歓喜と悲嘆、希望と絶望が同居していた。沸き上がる感情の奔流に巻き込まれ、抜け出せなくなってしまう。
 気を失う直前、これは地球の音楽なのよ、という先輩の声が確かに聞こえた。
――惑星や星の美しい規則的な運行によって、宇宙には常に音楽が流れている。この星でも、古代ギリシャではそう考えられていたみたいね。生き物の耳には聞こえないその音を、この球は、私たちに聴かせてくれるの。あなたたちの時間でいうと、一年に一回きりね。今年は地球の音楽をかけてくれるようにお願いしたの。
 弾んだ声を、はじめて聞いた。先輩、あなたはいったい……。
――今まで楽しかった。またここで会いましょうね。
 目が覚めたとき、僕はひとり部室で倒れていた。その日から、音が消えた。
 僕は来る日も来る日も、先輩の姿を求めて部室に通ったが、結果はいつも同じだった。
 大学のどこを探しても見つからない。窓口で聞いてみたが、元からそのような学生はいないという。神隠しにも似た先輩の消失は、僕に大きな風穴を開けた。
 また気力の欠けた日々を過ごすうち、ふとカレンダーを眺め、はっとした。最後に先輩といた、あの音楽を聴いた日が七夕だったのだ。
 想像が一瞬で広がり、息を呑む。七夕のあの出来事。「惑星」に関心を示した先輩。先輩は地球の生まれではないのではないか。たとえば、織姫の子孫であるとか。地球の大学に留学していたが、たまたま空いていた部室に居座っていたところ、僕が迷い込んだ。この機会に、地球の音楽がいったいどういうものなのか教えてもらおうとした……。
 この想像がばかげているのは百も承知だが、僕は先輩の最後の言葉にすがりついている。あの織姫と彦星の話のように、勤勉な生活を送っていれば、次の七夕に再会できるのではないか。都会の暗い夜空を見上げ、「本当なんでしょうね」と問いかけてみるが、わずかに見える星がきらめくだけだ。微笑むだけで答えない先輩のように。
 球体は、あのことが夢ではないと主張するように、部室に転がっている。光を失い、元のように黒い姿で黙っているが、再び鮮やかに輝くことを夢見ているように思えてならない。そして、今度は地球ではない、他の天体の美しい音楽を奏でることを。
 僕の唇には、先輩の指の冷たさがいまだ残っている。

(了)

長野良映さんの前作「刑事のカン」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory57.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した6名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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