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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「刑事のカン」(長野良映)

2018.06.15 更新

 想像していたほど、父の怪我はひどくなかった。
 父さんが、父さんがね、事故に巻き込まれちゃって大変なの。電話での母の取り乱した声につられてしまい、気がつけば、無理やり休みをとって特急電車に揺られていた。包帯にまみれたり、チューブで鼻や口を繋がれた姿ばかり想像していたが、病室に駆けつけてみると、パジャマを着た父が上半身を起こしているところだった。
「ほらお父さん、理花が来てくれたわよ」
 母は嬉しそうにしたが、父は、おう、と返しただけで動じない。変わらない人だ。
「なんだ、大丈夫そうじゃない。もっとひどいことになってるかと思ったよ」
「車同士がぶつかって、一方がくるくるってきて父さんの足に当たったんだもの。そりゃパニックになるわよ」
「車が来たときにはほとんど勢いがなかったから、触れた程度だよ。骨折どころか、ひびが入ってるだけなのに入院させるなんて。大げさだなあ」
 包帯で巻かれた右足を見ながら父がこぼした。
「お父さんたら、軽くとらえちゃダメよ。万が一ってこともあるんだから」
 母はそう言い、果物でも買ってくるわね、と出ていってしまった。何やら、いつにもまして張り切っているみたいだ。
 母がいなくなると、二人きりの個室に静けさが下りた。
 さっきまで母が座っていた椅子に腰を下ろし、父と向かい合うと、思わずぎくりとしてしまった。
 しわが増えたし、顔も一回り縮んだように見える。私の記憶している、知っている父はこんな風貌だっただろうか。子供のころはとても大きく見えていた父。それだけ時間が流れてしまったということか。
「何を驚いているんだ?……そういえば、最近、仕事はどうだ」
 ふいに投げ掛けられた言葉に、うろたえた。すべてわかってしまっただろうか。表情に出ないよう気を張りながら、ああやっぱり父だ、と思う。人が気に掛けていることを、とつぜんまっすぐに刺してくる。

 父は、県警で名の知れた有能な刑事だった。高校を卒業してすぐ警察官になった叩き上げで、数々の事件を解決した。
 実績が認められ、昇進の話をもちかけられても、父は頑なに拒んだ。せっかくのお話ですが、私は現場にこだわりたいのです、と言って。
「お父さんらしいわねえ」
 口では呆れつつも、父が定年退職するその日まで、母は外歩きで汚れた革靴を毎日毎日丹念に磨いた。
 父自身から仕事の様子を聞いたことはなかったが、ときどき家に訪れる父の同僚や後輩が、自分のことのように教えてくれた。
 理花ちゃんのお父さんはね、怪しい人を見つける天才なんだ。一目見た瞬間に、そいつを取り調べるべきだって呟く。全然外れないんだ。刑事のカンってよく言うけど、それはお父さんのための言葉だね。
 父が鋭かったのは家でも同じだった。大きくなると、誰だって親への隠しごとが多くなる。塾をさぼったり、彼氏と花火を観に行ったり、いろいろ。
 そうしたことをすべて見透かすように、父はすれ違いざま、ぽつりと言うのだ。ちゃんと勉強しろよ、とか、変な奴と付き合うなよ、とか。
 いつもは無口なだけに、そういうひと言が、鈍く冷たく体に響くのだった。
 警察官になろうと決めたのは、父への憧れからだが、一方で、見透かされ、近づきがたい感じがずっとくすぶっていた。
 問いかけに応じかねていると、思い出すように父が目線を上げた。
「何年目だっけな、理花が警察に入って」
「六年目だよ」
「それで刑事になれたなら早い方だ……あの事件、苦労しそうだな」
 宝石店を狙った連続強盗事件のことだ。全国のニュースでも報道されるくらいだから父が知っていて当然だ。
 私が勤めているのは、特急電車で二時間ほど離れた県の警察だ。あの人の娘と見られてしまうのではないか、と地元の警察を避けたのだった。
 念願の刑事になっても、うまくいかないことが多い。いまだ男社会で、理不尽な言葉を浴びせられるし、仕事は深夜に及ぶこともあって、体力もなかなか追いつかない。
「証拠がほとんどないからね。覆面をしてたから防犯カメラも役に立たずで」
 念のため、声を潜めながら私は言った。
「お父さんだったらすぐ犯人を見つけちゃうよね。私も同じくらい有能だったらなあ……」
「ん、なんだ?」
 父は声を拾うように、ゆっくりと前かがみの姿勢になった。ちゃんと聞こえるように言ったつもりだったのだが。
「最近、耳が急に遠くなったんだ」
「えっ? 前は普通に聞こえてたじゃない」
「うん、そうなんだけどな……そろそろ聞こえなくなるかもしれなくて」
 あまりにさらりとした口調だったので、返事がすぐに出なかった。
「いま……何て?」
 父は私の視線をかいくぐるように窓の外に目をやった。夏の西日が向こうの山なみに落ちようとしている。シーツも壁も、いつの間にか赤く染まっていた。
「そろそろ言っておくべきなのかもしれないな」
「何を?」
「本当は、お父さんが優秀な刑事なんかじゃないってことを、な」
「そんなことないでしょ。すごい刑事だってみんな認めてるよ。それに比べて私は失敗ばかりして……」
「お父さんだってそうだったよ」
「まさかぁ」
「最初から誰だって完璧なわけはないさ……。お父さん、小さい頃から刑事になることが夢だった。弱い人のためになる正義の味方になるんだって」
 タオルケットを引き寄せた父はちょっと間をとってから、話を続けた。
「刑事になったばかりのあるとき、ひったくりの疑いで捕まった男を取り調べることになったんだ。とても張り切ったよ。その男には前科があったし、状況証拠も整っていた。相手は否定したが、最終的には無理に自白させた。だが、間違いだったんだ。間もなく真犯人が自首してきたんだ……。
 お父さんが追い詰めた無実の男はすぐに釈放したが、あの男の目……悲しく、人を見下したような目は今でも忘れられない」
 父が、こんな風に過去を振り返るのははじめてだった。父にもこんなことが、と意外に思いつつも、
「でも、刑事をやっていればしょうがないじゃない。犯人をみすみす取り逃がすよりは……」
「確かにな。でも、何が正義の味方だ、としばらく落ち込んだ。ちょうど理花が生まれたころだったから、よけい堪えたんだ。自分の弱さを思い知ったよ。刑事として致命的なのは、弱さだ」
 弱いとやっていけないのは、未熟な私でも何となくわかる。刑事の仕事は予想以上に厳しいから。
「だから、刑事としての能力を上げるしか、やっていく道はないと覚悟したんだ」
 一瞬、耳を疑った。
「どういうこと?」
「刑事をやっているといろんな話が入ってくる。前々から、噂は聞いていたんだ。能力を向上させる不思議な手術をする医者のことを。実際受けた人に会えはしなかった。だから本当かどうかはわからない。だが賭けてみようと思った。何もかも地味な自分を変えるチャンスだと思ったんだ。刑事として腕を上げれば、事件を解決に導けるし、家族を養える」
 父は私の問いかけを脇に置いて、語り続けた。
「情報をかき集めた結果、彼は山奥の診療所にいることがわかった。そこへは丸一日かけてたどり着いた。くたびれた木造の家の中には、ひげが伸び放題の怪しい風貌の男がいた」
 そこで父は、手術の詳しい説明を受けたのだという。
「五感の神経をいったん外し、繋ぎ直して再構成し、ある特定の感覚を異常に伸ばすということらしかった。だが代わりに他の感覚のひとつが衰える。ひとつを手に入れれば、ひとつを失う。簡単な論理だな」
「……お父さんは何を選んだの」
 現実離れした話だったが、いつの間にか父の勢いに呑まれていた。
「視覚を上げてくれ、とお願いしたよ。さっそく手術をされることになり、ベッドに寝かされ、気がついたときには終わっていた。あまりにもあっけなかったよ。高い金を払っておきながら、騙されたんじゃないかと起き上がって医者を見たとき、手術が成功したと確信したんだ」
 なぜなら、と父は言う。
「医者は無表情だったが、頭の後ろには『にやにや』という文字がはっきりと浮かんでいたんだ」
 あまりの突飛なことに、反応しそびれた私は、唖然とするばかりだった。
「わかるか。物事の状態を表す言葉を擬態語というだろう。『おずおず』とか『びくびく』とか。表面はいくら平静を装っていても、心に抱く思念までは抑えられない。手術のおかげで、相手の心情が擬態語として見えるようになった。称賛を受けた刑事のカンの正体がこれだ」
 もし父の言うことが本当なら、夢のような話だ。たとえば黙秘を続ける容疑者の内心を読めれば、捜査は容易になる。不自然な擬態語が見えていれば、犯人だと確信して、厳しく取り調べればいい。他には、周辺で聞き込みをしていても、異常なほど『びくびく』と見えていれば、犯人であったり、重要なことを知っている可能性が高いと見立てられる。
 想像を膨らませていると、はっとした。捜査で役立つのはもちろんだが、普段の生活でも便利なのではないか。
「そうだ。理花はテストが近いと、いつも『おどおど』していたな。勉強をしてないんだなと察しがついたよ。黙っているべきかとも思ったが、お前にはつい口が出てしまってな……。実は、母さんの気分を損ねないのも、この目のおかげだ。だから、この話は母さんには内緒だぞ」
 父はきまり悪そうに笑った。
「うちの両親はいやに仲がいいと思ってたけど、そういうからくりだったのね」
 父の笑顔のおかげで、混乱がちょっと静まってきた。
「……でも、刑事のカンはもう長くない」
 また何を言い出すかと思えば。体が強張るのを感じた。
「ずっと続くわけではないの?」
「恐らく、な。あの医者ははっきりとは言わなかったが……」
 さっき父が言っていたことを思いだした。ひとつを得れば、ひとつを失う。
「カンもそうだし、聴覚も期待できない。このままのペースで聞こえなくなれば……」
 私の頭は、焦りや悲しさで渦巻いていた。父の人生はまだ続く。それなのに、大事な音が消えてしまうなんて。思わず目をきつくつむってしまう。
 そんな私の頭に、父は大きな手のひらをぽんと置いた。
「悲しくなることはないよ。ここまで身体が持ってくれたんだから。自分なりに立派な刑事でいられたし、家族も守れたんだから後悔なんてまったくない」
 そして、父はしわを寄せて笑った。
「それにしても、『めそめそ』泣くのは変わらないな」

 あとのことは戻ってきた母にお願いして、私はまた特急に飛び乗った。窓の外は家の明かりがときおり流れ去るばかりで、ほとんど真っ暗な光景が広がる。帰ってから待つ仕事は山積みで気が重かったが、父と長く話せたことが心に染み入っていた。
 それに、帰り際に母がそっと私に耳打ちしたのだ。
「お父さん、いつの間にか新しく新聞を契約してたのよ。熱心に読んでると思ったら理花の県の新聞でね」
大きな事件がないかチェックしていたのだろうか。さっき顔を合わせていたばかりの父が浮かんできた。普段は静かなのに、思いもよらないほど気にかけてくれている。ありがたいなあと思うけれど、私は父のことを何も知らなかったのだと痛感した。父の音が消えるまでに、何ができるだろうか。
 駅に到着するまでまだ時間がある。背もたれに身を任せながら、ちょっと『にやにや』した。父とは一週間後、すぐ会うことになるのだから。
 もともと、父が入院したことを聞く前から、母だけには伝えていた。次の週末に、結婚しようと考えている同僚の刑事と帰省することを。
 父のあの様子では、読み取られなかったようだ。名刑事とはいえ、さすがにそこまでは見抜けるはずはない。
 そのときにはまだ、音は消えていないはずだ。あまり聞きたくはないだろうが、父は彼から結婚のお願いを聞くことができる。
 とても優しくていい人だが、たまに弱気も見せてしまう人だ。『びくびく』しないよう、しっかり言って聞かせておかなくては。

(了)

長野良映さんの前作「ずっとずっと」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory54.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

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