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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「脳転コピー」(恵誕)

2018.05.15 更新

 コインを投入し、写真集をガラス面にのせると、私は本の上に左手を置いた。
 スタートボタンを押し、そっと右手も添え、目を閉じる。
 まぶたの向こう側がピカッと明るくなったあと、朝陽を浴びて気球がいっせいに空へと昇っていく。街も、人も、どんどん小さくなり、草原を馬が駆けていくのが見える。やがて、深い谷を超えると砂漠が現れた。砂の上に点在する白い家。強い日差しが影を揺らし、まるで黄色い海に浮かぶボートのようだった—————
 
 ピピピッという音とともに、砂も家も気球も消え、暗闇に包まれた。
 ゆっくり目を開けると、「原稿の取り忘れ注意」と書かれた貼紙が目に入る。
 その無機質な文字が、薄汚れた壁が、私を現実へと引き戻す。

 「脳転コピー」を知ったのは数週間前のことだった。
 私はいわゆる五月病とやらにかかり、会社へ行けなくなってしまった。
 朝、出社しようと靴を履くため下を向くと涙がポロポロこぼれるのだ。玄関の扉はまるで釘を打ち付けられたかのようで、押すことができないのだ。
 上司と産業医の先生と面談し、しばらく自宅療養となった。
 コンビニ。
 これが今の私にとって社会との最大の接点となった。
 私は毎晩、深夜に一駅先のコンビニへ自転車を漕いでいく。
 なぜ一駅先かと言うと、そこには学生時代の友人リクがいるからだ。
 そこはリクの実家で、もともとは酒屋だったが時代の流れとともにコンビニになった。
 リクは夢を追う男なので時代に迎合せず、コンビニでバイトをしながらバンドをしている。私が連日連夜コンビニに現れるようになっても、まったく気にする様子がない。
 その距離感が心地よかった。
 
 ある夜、リクが脳転コピーのことを教えてくれた。
「これはさ、まだテスト段階で選ばれた店舗にしかないんだ。うちがそう。いやマジすごいから、ぶっ飛ぶぞ」
 子供が秘密話をするように声を潜めて言った。
「コピー機は光をあて画像や文字を紙に転写するだろ。それを紙以外にも転写できる機能ができたんだよ」
「紙以外って、布とか皮とか違う素材にってこと?」
「いや、そっちじゃない。コピーをとる人の頭ん中。つまり、脳に転写するんだ」
「まさか……」
 リクがあまりに突拍子もないことを言うので、私は独り言のように呟いた。
「俺もはじめはまさかと思った。でもさ、試したらできたんだよ。テクノロジーをなめちゃいけないね」
 まるで自分が開発したかのように、自信たっぷりに言う。
「人間の脳は10%未満しか使ってない、っていう神経神話があるだろ? 詳しいことは公開されてないけど、俺はそれだと思うね。なんせこのプリンターは電子機器メーカーと医療機関と脳科学者が共同開発のもと、成功したって書かれてるんだ。
 考えてもみろよ。コピー機で取り込んだ情報を紙に写すだけじゃなく、店から離れた自宅のパソコンにだって送れるんだぞ。脳に転写できたっていいだろ?」
「まぁ……でも、どうやって?」
 半ばリクの勢いに押され、頷いた。
「簡単だよ。ふつうにコピーとるみたいにガラス面に置いて、フタは閉めずに手で押さえる。
 これは両手の方がいい。その方がイメージが安定するからゆがみが少ない。いいか、目は開けるなよ。この光は今までのプリンターの光とは別モノで、直接見るとヤバイらしいから。
 おまえ、とにかくやってみろよ!」
……というわけだ。 

 リクに促されてやってみたが、はじめはほとんどなにも取り込めなかった。だけど少しずつ、コピー機が光るたびに断片のようなものが頭の隅に浮かび、その形は次第にくっきりし、やがて完璧に転写できるようになった。
 私は毎晩、いそいそとコンビニへ自転車を漕いでは、脳転コピーで自分の世界を豊かにした。
 まだテスト段階のため、使用範囲は店にまかせられているらしい。
 リクは勝手に「俺ら専用」と言って、独占的に私に使わせてくれた。

 低気圧で落ち込む日には燦々と降り注ぐ太陽に照らされた楽園の写真集を、まわりのノイズが気になる日は「無」と記された書家の作品を、眠れそうもない夜は宝石のように煌めく夏の星座のイラスト集を、その日の気分で私は脳転コピーした。
 紙に転写するのとは異なり、頭の中では立体的に広がったり縮んだりする。私はその世界に陶酔した。
 リクはと言えば、お気に入りのアイドルのグラビアをコピーして、ニヤニヤしている。脳内なら罪にならない、とはいえ、やはり罪じゃないか。男ってやつは……。

 脳転コピーのおかげで、モノクロの日々に色彩が生まれた。
 だけど、とても疲れた。
 それもそうだ。わずか一ヶ月足らずで何十冊もの本を頭の中に次々と転写したのだから。
 私はあることを思いつき、ありったけのお金を投入し、リクが見てない時に設定を最大にした。
 リクは意外とおせっかいで、ゴハンはちゃんと食べたかとか、何時間寝たとか、自分ですすめておきながら脳転コピーも使いすぎはダメだよなとか、ちょっとめんどくさいところがあるのだ。
 大きな白い画用紙をガラス面に置き、スタートボタンを押す。深呼吸し、目を閉じる。
 ピカッと光るたび頭の中が白くなり、そのスペースはぐんぐん広がっていく。
 これを何度も繰り返せば、今までの自分を消せるのではないか、と思ったのだ。
 私はこの際ぜんぶリセットしたかった。

 頭の中の白いスペースはどんどん増えていき、意識と無意識の境界線がわからなくなった。
 おそらくあと少し、という時に画用紙を押さえていた手首を誰かにつかまれ、そのまま違うものの上に置かれた。
 生温かい。なにこれ、気持ち悪い。
 怖くてしばらく固まっている間に、白い部分の侵略は止まった。
 これ、なんだろう……上書きされていく形に気を取られているうちに、ピピピッという音とともにコピー機も止まる。
 おそるおそる目を開けると、なぜかリクと目があう。ガラス面に横顔をのせているではないか!
 彼はしっかりと私の手首をつかみ、その手のひらを自分の頬に置いていた。

「どう? オレの顔コピー、楽しい?」
 リクは子供みたいに無邪気に笑った。
 私の心はリクでいっぱいになって、それはもう、五月病どころではなくなった。

(了)

恵誕さんの前作「どちらまで?」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory49.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

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