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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「メーターの休暇」(長野良映)

2018.04.13 更新

 休憩に入ると仲間たちが話し出します。
「今日はいろんな所でコンサートをやるから、それほど客に困らないだろう」
「雨のときはイライラするが、桜の季節もいけないね、花びらが舞い込んでくる。掃除が大変なんだよ」
 みんな気性が荒めだからか、好き勝手に喋ります。
 私はいきなり何か問われても、毒のない回答をしてしまいます。仕事内容とはちがって案外はっきりしない性格なのです。
 ご主人様が戻ってこられました。会話は中断されます。
 そして私は金額を示すタクシーのメーターとして働くのです。
 運転手さんのことはご主人様と呼んでおります。私だけでなく、クラクションもハンドルも、アクセルとブレーキのコンビも、ご主人様を慕っております。クルマの扱いかたが丁寧で、一級の腕前をもちながらも決してひけらかさない。
 欠点があるとすれば、謙虚すぎる点にあるでしょう。
 お客様を目的地までお運びしてお金を受けとるとき、
「す、すいません。ありがとうございます」
 どんなお客様に対してでもこの調子です。
 さらにはお釣を渡しながら「こちらお釣です。すいません」という始末。
 お礼を言われる側なのに、何を謝る必要があるのでしょう。日本人らしいと言えばそうですが、限度があります。
 上背があって制服もよく似合うのに、いまだ独身なのは腰が低すぎる故でしょうか。
 ご主人様のためになることは最大限にするようにしています。
 正確に数字を刻むのは当然のこと。私のように中堅のメーターともなれば、工夫をしながら動くことも仕事のうちで。
 たとえば非常に横柄な態度で、シートにどっかりと座っている男。タクシー運転手であればこのような客を相手にするのはしょうがないのかもしれません。私はご主人様の代わりに、ささやかな仕返しとして、メーターを速く回し、多めに支払ってもらいます。頑張りすぎてもばれますから、怪しまれないようにしますが。
 逆に品行方正なお客様には割安にする、なんてことは決してありません。ご主人様の売上が減ってしまいますからね。
 仕事が終わる朝方、ご主人様は週の半分は深夜営業のラーメン屋に向かいます。食べ過ぎなのではと心配ですが、ここのラーメンを食べるととても元気が出るそうで。
 さて最近、ご主人様の調子がおかしいことに気がつきました。よくため息をつき、目線も下を向きがちです。
「一体何を悩んでるのかね」
 ルームミラーがきらりと光りました。
「あれは恋煩いさ」パワーウインドウの四兄弟が口々に呟きます。「あの思い詰めたような表情は間違いないよ」
 私には思いもよりませんでした。あんなに真面目な方が恋愛なんて。
「わかった。深夜にいつも乗せるあのお方か」とバックシートがご機嫌に座席を揺らしました。
 聞いて合点がいきました。銀座を流していると、あるビルの前でよく拾う女性のお客様。スーツのすらりとしたシルエットが印象的で、物腰も柔らか。自宅である豊洲のマンションまでお送りしています。仕事がお忙しく終電に乗れないため、タクシー帰りなのでしょう。
「ご主人様は40代だったな。彼女も同じ世代みたいだが、恋愛なんてする歳かよ」
 イケイケなクラクションが口を挟みます。
「人間はいくつになっても、変わるのは見た目だけだ。中身はあまり変わらないさ」
 サイドミラーが老成した声で言いました。
 ご主人様の浮いた話など聞いたことがありません。あのお方に好意を寄せているにしても、運転手とお客様の以上の関係を目指すのは難しいように思えます。
 その日の夜。ご主人様も我々も疲れが出始めたころです。銀座でも人通りの少ない場所を走っていると、ちょうどあのお客様を拾いました。他のタクシーは中央通りや有楽町方面を狙っているので、このクルマに乗せる確率が高くなるのでしょう。
 通常は仕事に集中しますが、このときばかりは二人の様子にも気を配りました。
 何度か乗せているのですから、お互いに顔は知っているはず。なのに黙ったまま。お客様が寝ていないのですから、世間話でもすればいいのに。
 結局「すいません」とともにお金を受け取り、走り去ってしまいました。
 翌日の話題の中心はもちろん恋バナでした。
「おいおい、一言も話さないなんてチャンスをふいにしてるぞ」
「しかし運転手の側から話しかけるのは危険だよ。ストーカーと思われかねない」
「嫌な相手だったら何回もタクシーに乗らないよ」
 口々に自分の意見を放つので収拾がつきません。
 私としては、それぞれの意見にそれなりの正当性があると思っていたので、議論の流れを見守るだけでした。
 メーターの数字ははっきりしているのに、こういうところははっきりしないのです。
 そのとき、事情通の前輪タイヤが言いました。
「あのお客様は結婚しているって聞いたぜ」
「えぇっ!?」
 彼がいうには、ご主人様が休憩中に他のドライバーと話しているのが耳に入ったそうで。
「最近よく乗せている綺麗な女性が、左手の薬指に指輪をしているのが見えたって話していたよ。まさかそんな人を誘うわけにもいかないだろう……いつも疲れてそうだから、もし叶うならいつかあのラーメン屋に誘ってみたいと仰ってたが……」
 皆黙りました。そういえば指輪がはまっていた気がします。せっかく盛り上がってきたところなのに……
 深刻そうなご主人様の表情が思い出されます。あれは、かなわぬ恋に悩まれていたのですね。
 気落ちはしましたが、それとこれとは話が別。仕事は確実に遂行します。
 季節が移る中でも、あのお方はいつもの場所で待ち、タクシーに乗られました。ですが、
 常にお互い黙りこくったままなのでした。タクシーは無数にあるのに、お客様がそれを変えようとしないのは、単に慣れ以上の意味はないのでしょうか。
 3月のある夜のことでした。真っ暗な空に梅の花が映えていました。
 あのお方がいつものようにタクシーに乗り、行先を告げる。この流れまでは同じでした。佃大橋を走り、隅田川を渡ったとき不意にお客様が口を開いたのです。
「今日までありがとうございました」
 ご主人様だけでなく我々も身を固くしました。
「ど、どうされましたか、お客様」
 ご主人様の返しは下手すぎます。
「いつも残業ばかりでタクシーに乗るしかなかったけれど、余計なことも言わず、安全に家まで送ってくれて助かりました。疲れると頭が回らなくて、黙っていたかったんです。他のタクシーとは違って、この車に乗れば座ってぼーっとできるから、今日もあの人のタクシーが来ないかなって、いつからか思ってました……最後の日に乗れてよかった」
 そう言うと顔をほころばせました。ご主人様も口元を緩めましたが、すぐさま引き締めました。
「最後というと?」
「外国に転勤になるんです。何年間か戻ってはこられないでしょうね」
「そうですか……」
 ご主人様は声色を隠すのも下手です。「じゃあ、ご家族も一緒だと大変でしょう?」
「いえ、独り身なのでその辺は楽ですよ」
「ご、ご結婚されてるのでは」
 ご主人様がルームミラーで手元に目をやったのがわかったのでしょう。お客様はちらと視線を下に落とすと、口角を上げました。
「あぁ、この指輪は右手の方ですよ。あくまで趣味のものです」
 我々は安堵の息を吐きました。だとすればご主人様はどうして見誤ったのでしょう。
「さしずめ鏡ごしに見たから早とちりしたんだろう」
 ルームミラーがこっそり教えてくれました。
 しかし、ここで何かなければ終わりです。それなのにご主人様は口元をもぐもぐさせるばかり。もうすぐ豊洲に着いてしまいます。
 なんとかしないと。
 私は力の限りを尽くして、メーターが進むのを押し留めました。こんなことははじめてです。正しいやり方なんてありませんから、ものすごく体力を消耗しました。
 目的地に到着しました。
「あれ? いつもより少ない……」
 お客様の声がしました。
 さあご主人様。会話のきっかけを作ったのですから、思いっきりいってください。
 お客様も名残惜しそうに、お金を探す手を止めています。
「あ、あの…」
 ご主人様の声がかすれてしまっています。お客様が目を大きくして向き直りました。
 そのとき、しびれを切らしたクラクションがひときわ大きな警笛をお見舞いしました。完璧なアシストです。
「もしよろしければ……」
 ハッとした表情を見せたお客様の表情が、見る間に緩んでいきます。車内に暖かい空気が漂いました。
 またクルマが走り出します。お客様をそのまま乗せて。ご主人様はメーターを止めました。向かっているのはお決まりのラーメン屋です。もうメーターの出番はありませんね。
 少しのあいだですが、休暇を楽しむこととしましょう。車内に射し込む朝日をたっぷりと浴びて考えにふけてみるなんていうのもいいのでしょうね。

(了)

長野良映さんの前作「職業病」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory39.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

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