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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「職業病」(長野良映)

2018.03.30 更新

 何か言い知れない焦燥が私の背中を叩き続けていた。
 行かなければならない。歩かなければならない。しかし、どこへ?
 一歩一歩、両足はリズムを刻み続けるのに、進むべき先がわからない。ぐるぐる回る思いを断ち切ろうとするとその途端、形容し難い固まりが喉元にせり上がってくる。
 ここがどこなのかも不明だ。夜だからはっきりとは言えないが、住宅街のようだ。窓の明かりが点々と灯り、電柱が外灯によってぼんやりと浮かび上がる。
 足裏をなでるアスファルトの感触にも飽き飽きしたころ、装飾の施された門扉と、その奥に構える屋敷が目に留まった。
 どういうことだろう。あれほどしつこかった焦燥の波が次第に凪いでいく。もしかしたら私の慢性的な病を治癒してくれる助けが、あそこにあるのかもしれない。躊躇はなかった。吸い込まれるように門を押し開け、屋敷に入った。
 屋敷の外見から広いエントランスがあるものと予想していたが、果たしてそこは待合室のようだった。入口の右手には受付らしきカウンターが設けられている。消毒液がぷんと臭った。病院のようだ。壁際には長椅子が並べられ、数人が腰かけていた。
「この番号札を持ってお掛けになってお待ちください」
 受付の女性は私の顔を一瞥しただけでそう言った。
 なぜここに導かれるようにして来たのか私自身にも判然としない。腰を落ち着けてしばらくすると、周りを観察する余裕が出てきた。
 おそらく診察室へつながる扉のそばに座っているのは中年の女性と男性の二人組。男の方は軍人のような仰々しい帽子を深く被っているせいで、表情を見てとることはできない。少し離れて待っている女性の三人連れはうつむき気味で暗い表情だ。体の芯から疲れきっているような重苦しい雰囲気が漂っていた。
 この病院が何を専門としているのか類推するには情報が足りなかった。探るのをあきらめて自分の順番を待つしかないようだ。
 ドアの向こうから、私のではない番号を呼ぶ声が聞こえた。
 扉近くの男女が立ち上がった。男の背は案外低い。と、反動で頭から帽子がふわりと落ちた。露になった彼の顔を見て、私は言葉を失った。
 しばらくすると、私以外はみな診察を終えて帰っていった。やっと私の番号が呼ばれる。診察室に駆け込むと、聴診器を下げた中年の男がいた。あごに髭を生やし、人のいい顔をしている。溜めていた疑問を吐き出した。
「いったい、ここはどういう病院なのです」
 医師はきょとんとした。
「まあ慌てないで。どのような症状なのですか」
「私は一人で街を彷徨っていました。何の手がかりもありませんでした。耐えられない焦燥感しかないのです。ここを目にしたら、行かずにはいられませんでした。わけを教えてください」
 私は医者に掴みかからんばかりであった。
「落ち着いて。うちは普通の病院ではないのです。おそらくそこに理由があります」
「重大な病気しか扱っていないとか、ですか」
「そうではなく対象が違うのです。お越しになる患者さんが少し特殊でして」
「というと」
 言葉を続ける前に、はっとなった。さっき帽子を落としたあの男。
「……気がつきましたか。彼は、ナポレオンです」
「確かにあの顔はナポレオンだった。本物だったなんて……」いや、しかし。「彼はとっくに亡くなっているはずだ。なぜ病気を治す必要があるのです。まさか幽霊だとでも?」
 ここまで口にして、瞬く間に血の気が引いた。彼が幽霊であるとすれば、この私も……
「ご心配なく。さすがに幽霊の治療はできません。何と言いますか、彼はナポレオンであってナポレオンではない。彼は絵の中のナポレオンなのです」
 予想もしなかった発言に、口が開いてしまう。
「思い出してきました。あの帽子を被って馬に乗っている絵のことですか」
「そう。ダヴィドという画家の作品ですね。『ベルナール峠からアルプスを越えるボナパルト』という題がつけられていますが、その名を知らずとも、大きく前足を跳ね上げた馬を乗りこなす勇敢な姿はあまりに有名です」
「そのナポレオンが現実に現れてきたとでも言うのですか」
「まさにそのとおり」当然のように医者は言った。「名画というのは画家が全身全霊をかけるもの。付与される生命力も並ではありません。絵の世界を飛び出してこちら側の世界に来ることなど、ざらにあります。
 しかし、どうしたって彼らは多くの時間を絵の世界で過ごさなければならない。するとどういうことになるか、予想してみてください」
 いきなり水を向けられた私は想像してみた。絵の状態では動くこともままならない。同じ姿勢でいれば身体への影響も大きいだろう。
「……座り続ける者は痔になりやすく、腰を屈める者は慢性的な腰痛になります。不幸なことにそのようなポーズをとった絵画は多いのです。描かれた人物の具合が悪くなると精彩を欠いてしまい、絵そのものの魅力が低下します。私の家では代々、そのような方々をクライアントとして、ケアをしてきました。先程のナポレオン様は馬に乗り続けたため、痔に悩まされていたのです」
 彼の話は理解し難かったが、あのナポレオンを見た後では嘘とも言い切れない。
「隣にいた女性も絵の住人なのですか」
「学芸員の方です。あの絵を扱う展覧会を担当しているのでしょう。せっかく苦労して海外から取り寄せた絵が魅力を失っていてはたまりませんから。実は私のような専門家は世界的に見ても少ないのです。立派な展覧会を日本で開けるのも、その点が関係しています。疲れてきたようだからそろそろ日本に連れて行ってやるか、というふうにね」
 医者は饒舌だった。さらに教えてくれたのは、待合室にいた三人の女性が、ミレーの「落穂拾い」に描かれた人物だということだ。
「彼女らは、穂を拾うために腰を屈めているでしょう。悪くしてしまうのも当然です。長年この仕事をしていますが、彼女たちが美術史上一番の腰痛持ちなのです」
 話の中身がほとんど入ってこなかった。予想もしなかったことを聞かされ、思考する力が一時的になくなっていた。
「……これまでのお話で考えつくと思いますが、あなた自身も絵の世界の住人なのです」
「覚悟はしていましたが、そうですか。私がこの病院に吸い寄せられた理由もなんとなくわかりましたが、すると、私はいったい何者なのです。どこが悪いのです」
「あなたの場合は特殊です。身体に問題はありません。あなたは絵の中で、心理的な問題を抱え、限界を超えてしまったのでしょう。そのように運命づけられているのです。ちょうど日本に来ていたあなたは、絵の世界に嫌気が差して現実世界に飛びだし、ここにたどり着いたというわけです」
「先生の話を聞いて少しずつ思い出してきました。体がいうことをききません。大きな渦が私を巻き込んでいくみたいに、自分というものが不確かで、不安で、黙っていられなくなってきました。喉の奥が苦しくてたまらない」
 そう呻く私に、医者は声の調子を上げた。
「そうです、それでいいのです。もうあと一歩です。もっと深く自分を見つめてください。身体が発するメッセージに耳を傾けて」
 その瞬間だった。思考の先に一点の光明を見出した。私は、記憶を瞬時に取り戻した。
「……どうやら、成功したようですね。これからもは無理をなさらずに。いつでもお待ちしていますよ」
 診察室を出た。私の苦悩は以前と同じように深かったが、自分を取り戻したこともあって、晴れ晴れとした気持ちもある。描かれたときに託された役割を、いま私は受け入れようとしていた。
 待合室の片隅に、全身を映す大きな鏡があった。私はその前に立ち、両手を頬に添え、口を大きく開け、そして思いの限り叫んだ。エドヴァルド・ムンクが描いてくれた私がそこに映っていた。

(了)

長野良映さんの前作「カリフラワー」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory34.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した6名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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