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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「最後のクスリ」(行方行)

2018.03.30 更新

 そとの見えない窓ガラスに写った自分の顔は、やつれていた。
 頬はこけて肌は青白く、目は落ち窪んで唇は乾いている。
 でも、残念ながら健康なのだ。
 白衣の男がいった。
「今日は、どこを悪くしましょうか」
 そこは狭い個室だった。
 私が座るソファの前には受付のカウンターがあり、白衣の男が薬瓶の棚を背に立っている。イメージは病院の待合室か。ほかの部屋は、ナースステーションやレントゲン室、病室や霊安室を模していた。
 ここは『ルタピスホ』という病院をモチーフにしたバーだ。
 血の色をしたカクテルや内臓を彷彿とさせるつまみが人気のようだが、私はバーテンダーに裏メニューを頼み、この『待合室』に通された。確かめるように、訊く。
「本当に、どんな病気にでもなれるんですか」
「理論上は可能ですが、うちは命に関わらない病気専門なんですよ」
 私がふらつくと、白衣の男が肩を支えてくれた。
「もう病気のようにお見受けしますが」
 いわれ、私は苦笑した。
「もっとも有名で、だれもがかかる病気ですよ」
 それは恋患いだ。
 夏風邪で入った内科医院で、私は女医に一目惚れをした。
 電流に打たれたどころではなく、世界が色鮮やかになってご飯も喉を通らない。
 ──会いたい。
 切実な衝動にかられて、私はわずかな不調でも医院にいった。
 交際したいか。問われれば無論そうだけど、なにより診察の数分間が素晴らしい。彼女は軽やかな声で問診すると口のなかを覗き込み、胸や腹部を触診してから鼓動を確かめ、採血やエコー検査までして私を調べあげていく。まるで裸にされたように恥ずかしく、でも、たまらなく幸せだった。
 もっと診察されたい。
 しかし、そう都合よく病気ばかりになれず、いつしか仮病で腹痛を訴えるようになった。
 どんなに診察しても悪いところが見つからない。女医は怪訝な様子で胃薬をくれ、それが続くと診方も大雑把になっていった。違う、私が求めているのはこんなものではない。
 本当の病気なら、もっと丹念に診てもらえるのに……。水風呂に浸かったり薄着をしたり生肉を食べたりと不健康なことをしてみたが、私の身体は頑強らしく咳のひとつも出てこない。
 そこで知人に教わったのが、この『ルタピスホ』のことだった。
 表向きはバーだが、裏では病気を患わせてくれるという。
 ──まさかそんな。
 疑惑よりも、試してみたい欲求が勝った。
「風邪を三日分お願いできますか」
「わかりました」
 白衣の男はあっさりと答え、背後の棚から薬瓶を選びはじめた。栓を開けると、ぷん、とかなり強い酒の香りがする。まさか酔わせてごまかすつもりか。私が警戒したのが伝わったのか、白衣の男は微笑んだ。
「酒は百薬の長といいますが、百病の長でもあるんですよ」
 芋焼酎らしき蒸留酒と黒い炭酸水を主に、葡萄酒色や濃い赤や琥珀色や白濁した液体をビーカーで混ぜ合わせ、遠心分離機のような装置にかける。数分後、白衣の男は私に三錠のカプセルを渡した。
「このクスリは一日一粒です。飲みすぎてはいけませんからね」
 休日になって服用してみると、ほどなく寒気がしてきた。鼻をすすると頭がぼんやりとして関節が痛い。ああ、これは明らかに風邪だ。よろめきながら医院にいった。
 スーツ姿の若者と入れ違いに診察室に入る。
 女医は一目で私が本当の病気だと見抜き、症状を訊くと、舌や喉や下瞼や脈や血を丹念に診ていった。久しぶりの喜びだ。──風邪ですね。診断し、手洗いうがいはこまめに、乾燥したら加湿を、と的確な助言もくれて、それがまたすごくいい。──お大事に。
 翌日もいこうとしたが、クスリが切れて熱はさがり吐き気も治まって健康体に戻ってしまった。カプセルを飲んではまた医院にいき、さらに次の日も診察を味わって、『待合室』に走る。
「風邪クスリをください。今度は十日分」
 会社を休んでばかりもいられないので、クスリを使うのは日曜日だけにした。
 ──よく風邪をひかれますね。
 最初はそういっていた女医も、同じ症状が数ヶ月も連続するとさすがに表情を強張らせた。風邪を頻発させる要因がなにかあるのではないか。いつもの診察に加えてX線や内視鏡で身体の内側を事細かに検査されたが、風邪でしかない。
 女医は疲れ果てたように頭を抱えた。
 ──わたしの気づいていない重大な病気に罹患しているかもしれません。大病院への紹介状を書きますので、そちらにいってもらえますか。
 とんでもない、それでは病気になる意味がないではないか。私は必死に言葉を並べた。──いえいえ、私が病弱なだけで風邪はそのつど治っています。先生は見立てに間違いはない。信頼しているからこそ通っているんです。
 もう風邪はまずい。花粉症と小麦粉アレルギーによるじんましんにすると、女医は診察だけで見事に言い当てた。食中毒による胃痛と高血圧からくる頭痛も、見落とさずに適切な処置をしてくれる。何度も的中すると女医は自信を取り戻したようで、表情や声に張りが出てきた。
「ありがとうございました」
 頭をさげて診察室を出ると、スーツ姿の若者が入っていった。何度も見た顔だ。それとなく観察していると、女医の診察時間に合わせて医院に来ているらしい。間違えたふりをして診察室を覗くと、にやにやと間の抜けた顔で触診を受けている。私もあんな顔をしているのか。恥ずかしさとともに、これではっきりした。
 若者も、女医を目当てに通院しているのだ。
 しかし、そんなに都合よく病気ばかりなれるだろうか。
 私は『待合室』で訊いてみた。
「どんなひとがクスリをもらいにくるんですか」
「いろいろですよ。風邪で休みたい小学生から医師の練習台、遅刻の言い訳をしたい中年から恋人への嘘を真実にしたい御婦人──」
「私ぐらい何度もくる若者は」
「さあ、守秘義務がありますからねえ」
 白衣の男は、穏やかに笑ってそれ以上は教えてくれない。
 平日の午後、急に本当の腹痛がして脂汗が止まらなくなった。会社を早退して医院にいく。若者が診察室から出てきた。週末だけではなく毎日のようにきているのか……。女医を独占されたようで、ぞわぞわと居ても立ってもいられない。
 せめてもの抵抗のように、私は土曜日も病気の日にした。しかし二日続けて同じ病気で医院にはいけない。私は医学書を買い、内科で診てもらえる病気を片っ端からクスリにしてもらった。
 週末ごとに喉は腫れて耳が遠のき、腹はくだり呼吸が荒くなって頭痛に苦しむ。
 ──本当に病気ばかりですね。
 違う症状がでるたびに、女医は私の血と尿を採って胃の内壁を観察し、仕事の疲れを心配して背骨の歪みを指摘し、胴体を映像上で輪切りにして虫歯を見つけ腰痛に気づく。私の肉体で知らないことはないのではないか。ときどき若者と医院で隣り合った。私は無言で胸を張る。どうだ若者よ、きみはここまでの診察されているか。
 それもクスリがあったればこそだ。
 年末年始、『ルタピスホ』が五日間の閉店をしたときは、困った。
 クスリがなければ健康なので、胃痛と偽って医院にいく。女医は私の身体を熟知していて胃薬を出してくれるだけでまともな診察をしてくれなかった。若者も同様らしく、しょんぼりと肩を落としている。
「物足りない」
 同感だ。隅から隅まで身体を調べてもらわなければ、つまらない。
 『待合室』が再開されると、私たちはさらに競い合った。
 若者は平日にどんどんと通院している。指をくわえて我慢したが、たまらず有給と病欠を強引に使って平日にも医院にいくことにした。──休みすぎだ。上司に小言をいわれたが無視をしたら静かになり、ある日、会社をクビになった。かまうものか。
 失業保険で食いつなぎながら、縛りなく毎日のように医院に通う。
 半年が過ぎた。
 もう、かかれる病気は何度も患ってしまっていた。慣れすぎて、女医の診察も簡単で味気ない。私は『待合室』で白衣の男に頼んだ。
「重病のクスリをください」
 しかし、飲んですぐに亡くなってしまうこともあり、了承されなかった。しょうがなく頭痛で医院にいったが、診断に一分もかからない。若者は違った。重病なのか、女医の丁寧な診察を受けている。
 ──なにか方法があるはずだ。
 閃いて、貧血と発熱と胃痛のクスリを同時に飲んでみた。相乗効果か症状がいつもより重くなり、もだえ立ちあがれず、這うように医院に向かう。女医はそんな私を最優先で診察室にいれてくれ、頭のてっぺんから眼球や口内や脈拍、血液や内臓の様子や爪先まで微に入り細にわたって診てくれた。これだ、こうすれば徹底的な診察してもらえる。クスリの飲む量は何倍にもなるが、怖くない。
 さらに一年が経ち、私たちは病気にかかり続けた。
 若者は、私同様に女医を恋人にしようとしない。ただ診察されるだけで幸せそうだった。そんな様子を見ると私も嬉しくなる。好敵手というより同じ病いを抱えた戦友のようになっていた。あいつとなら、きっと旨い酒が飲める。
 そんな若者が、急に医院に来なくなった。
 なにかあったのか。様子を見にいきたかったが、住所も名前も受付では教えてもらえなかった。女医に訊こうとしたら、先に別れを告げられた。
「医師を辞めるんです。自分の診断に自信が持てなくなって」
「そんな。私にとって名医でしたよ」
「ありがとう。でも、もう決めたんです」
 最後の診察を受けながら、私は自分の想いを伝えた。
「ごめんなさい。わたしは健康的なひとが好きなんです」
 返事を聞いて、もう医院に通う理由はない。
 クスリを止め、しばらくすると不調がでてきた。顔色は悪く下血して足はむくみ吐き気が止まらず、ときどき意識がはっきりしない。ふらふらと倒れそうになりながら『待合室』にいって、白衣の男に文句をいった。
「医療ミスだ。違うクスリを飲ませたな」
「そんなわけありませんよ。私に間違いはありません」
「じゃあ、どうしてこんなに具合が悪い」
 白衣の男は『ルタピスホ』の医療器具で私の身体を検査し、
「クスリの──アルコールの摂りすぎですよ。肝硬変の末期です」
 とテキーラの瓶を受付台に置いた。
「うちで出せるクスリはもうこれぐらいですね。痛み止めに、まあ一杯」

(了)

行方行さんの前作「白紙神社」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory26.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

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