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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

世にも小さな ものがたり工場 ブック・カバー
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「繁盛の訳」(梨子田歩未)

2018.03.15 更新

 初めて行く場所というのは緊張する。病院だとなおさらだ。真っ白い空間に、病院独特の消毒液のにおい、番号を呼ばれてドアの向こう側に吸い込まれていく時の足のおぼつかなさ。
 俺はジャケットのポケットの中で折り畳みナイフを握りしめ、病院のドアを開けた。ドアを開けると、ちりんちりんと鈴が鳴った。
 受付に目を走らせる。受付は一人で、受付奥の棚にあるカルテを探しているのか背中を向けている。待っている間に待合室をさりげなく見回した。
 外から見た時は、寂れた病院だと思ったが、案外中は待っている患者がたくさんいた。広いとは言えない、十人が座ればいっぱいになってしまうような待合室だが、患者であふれていた。
 こんなに混んでいるとは、これからのことを考えて、ため息が出そうになるが、混んでいるということはそれだけ繁盛していているということ、と考えを改める。
 腰の曲がった老人もいれば、待合室の椅子に座って床に足がつかないものだからぶらぶらとさせている子供もいる。スーツを着た男も、妊婦もいる。
 はて、ここは何の病院なのかとふと思う。
 さらに妙なのは、みな深々と帽子をかぶっていて顔が見えないことだ。帽子はつば付きのキャップや、つばの広い女優帽、麦わら帽子なんていうのをかぶっている人もいる。
 と、俺も人のことは言えない。むしろ好都合だと思いながら、キャップを深くかぶり直し、マスクも上から触って顔をしっかり覆っていることを確認した。
「お待たせしました」
 受付の女の声がして、俺は待合室から受付に体の向きを変える。受付の女と目が合う。形のいいたまご型の顔に、ぱっちりとした目、肉厚の唇。
「え?」
 俺の間抜けな声が静かな待合室に響き渡り、慌てて口を押える。
「どうかされましたか?」
 受付の女は眉を下げる。その表情がよりアイドルのSに似ていて、目が離せない。
「あの、ええと」
 急に何をしゃべったらいいか分からなくなり、俺は視線をさまよわせた。
 何を隠そう俺はSの大ファンである。Sが出ているテレビ番組、ラジオ、雑誌は欠かさず見ているし、CDだって何枚だって買う。もちろんライブにも行く。ライブは全国にあるから、それに欠かさず見に行くために、定職を捨て、時間に融通の利く仕事に転職した。
 こんなチャンスはもうないと、乾いた口をごまかすように唇を舌でなめながら質問する。
「似てるって言われません? あの、アイドルのSさんに」
 女は大きい目をさらに見開く。潤んだ瞳でじっと俺を見つめる。その瞳に吸い込まれそうだ。
「えっと、あの自分ファンなので、あの気持ち悪いこと言ってすみません」
 急に恥ずかしくなり、早口でそう言って頭を下げる。ホコリ一つ落ちていないリノリウムの白い床に体が沈んでいく気持ちになる。
「……先生の趣味なんです」
 女がこそっと秘密を打ち明けるような口調で言う。俺は顔を上げると、女はにこっと笑い、八重歯を見せて笑った。
 先生も、Sのファンで似ているこの子を受け付けに採用したということか。ああ、経営者、うらやましい限りだ。今度仕事探すときは人事系がいいかもしれない。
 俺がこの医院に狙いを定めたのも、なんとなくではなく、彼女と会うために導かれた、いわば運命だったのかもしれない。いつまでも喋っていたいと思うが、俺の後ろに受け付け待ちの患者の列ができていた。
 ちっという、舌打ちが聞こえて後ろを振り返る。濃いメイクをした若い女が俺を睨んでいた。俺は体を縮める。だから生身の女は嫌なんだ、と思う。
 受付の彼女は優しい口調で俺に尋ねる。
「はじめてですか?」
「ええ」
 俺の心は迷い始めていた。当初の計画を変更して、ここの患者になってしまおうか。天使のような彼女はふんわりと笑う。
「はじめては不安ですよね。先生からしっかり説明させて頂きますので、安心して下さいね。あちらで座ってお待ちください」
 その時、ずっと握りしめていたナイフから手を離した。やっぱり運命だったのだと思う。   
 SのファンでSのために金をつぎ込むことが愛の証明だと思っていた。身の丈に合わない出費を重ね、金に困り、それでもSのためにと思って頑張っていたところに予期せぬ熱愛報道。Sは若手イケメン俳優Oとの熱愛を認めて、あっさり引退してしまったのだ。
 このやり場のない、むなしさ、怒りをどうにかしたくて、強盗に入って金を奪い、事件を起こして自分の存在をSに知らしめたかった。だけど、そうSだけがすべてじゃない。こんなに優しくてかわいい子がアイドルではなく、現実の手の届く場所にいるのだ。
 俺はほっとして、待合室の席についた。本当は強盗なんてする度胸はない、諦めるきっかけがあってよかったと待合室の椅子に体を沈めた。
 しばらくすると名前を呼ばれて、部屋に入った。洗面台が縦に五つ並べてある。戸惑っていると、同時に呼ばれた先ほどの濃いメイクの女が入ってきて一つの洗面台の前に立つと、ヘアバンドで髪を上げた。
 女はぐるんと振り向いて、「こっち見んてんじゃねーよ」と言った。
 女はオイルを手に取り、顔になじませていく。メイク落としのCMのように、紫のアイシャドウや黒いアイラインがてかてかとオイルで混ざり合う。
 濃い化粧の女のすっぴんはどんなものか拝んでやろう。きっと化粧で誤魔化してすっぴんは残念なのだろうと上から目線になった。
 洗顔を終えた女の顔は想像以上だった。
 つるんとした肌の上には本来あるべきものが何もなかった。目も、鼻も、唇も、何もかも。
「まじきもい」
 肌色の物体から飛び出したトゲのある言葉に俺は一気に現実に戻り、悲鳴を上げた。
 腰を抜かし、尻餅をついた格好の俺を女は鼻で笑うと、ハンドバッグの中から、帽子を取り出してかぶった。
 今度は悲鳴を聞きつけたのか、待合室にいた患者たちも次々部屋の中に入ってきた。
「ひぃ」
 帽子の下から覗いた患者たちの顔は、みな一様につるりとしていた。丸顔も、面長も、たまご型も、四角型も、みな真っ白で、塗装前の石膏像のようだった。
「お騒がせしてすみません。みなさん、待合室に戻ってくださいね」
 落ち着いた声と同時に白衣を着た先生の足が見えた。先生がしゃがみこみ、俺の肩に手を置いて「もう大丈夫ですよ」と声をかける。
 俺はおそるおそる先生の顔を見上げる。まず顎にあるひげが見えて、ほっとする。
「顔が、顔が……」
 先生の筋の通った鼻、意志の強そうな眉、色素の薄い茶色い目。
 嫌というほど目に焼き付いている顔だ。憎くて何度もダーツの矢を当てたイケメン俳優Oだった。
 俺は先生をどんと突き飛ばす。手に何か当たり、赤い汚れが付く。よろけた先生を見ると、白衣のポケットには生乾きの絵の具のついた筆がささっていた。

(了)

梨子田歩未さんの前作「願い叶えます」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory25.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

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