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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「カリフラワー」(長野良映)

2018.03.15 更新

 待合室で無事を祈っていた彼は、治療室から出てきた医者の言葉に胸を潰される思いがした。医者が去った後も、緑色のリノリウムの床をいつまでも眺めていた。
 彼は農場を経営していた。広い敷地で牛や馬を放牧し、数種類の野菜を育てている。
 本当は人手が必要なのだが、誰の力も借りず一人で仕事に明け暮れた。やるべき作業をこなすと、15歳の体とはいえ、くたくたになってしまう。
 彼は満ち足りていた。いまどき手足を使った労働は、時代遅れだろう。でも自分にはこれが向いている。望んだものはほぼ全て手に入れられるこの時代、生き物が少しずつ成長する姿を見守ると気分が落ち着く。
 彼女がとつぜん現れたのは、秋の早朝だった。この時期になると朝は相当冷え込む。同い年くらいの少女が白いワンピースだけを身に着け、家の前に立っていた。服に同化しそうな真っ白な肩は小刻みに震えていた。
「ここに置いてください」
 瞳が揺れ、彼が拒絶でもしようものならその場で倒れこみかねない印象だ。
 驚きながらも彼女の手を取り、家へ迎え入れた。話を聞くのは落ち着いてからでいいだろう。
 暖かい紅茶を淹れて差し出すと彼女は両手をカップに添えて暖をとり、少しずつ飲んだ。カーディガンをかけてやると、ありがとう、と顔を綻ばせる。
 どうしてもここに居たいと彼女はうわ言のように繰り返した。疲れきった様子が心配で何かしてやらなくてはと、藁を積み上げ、シーツを引いて簡易ベッドを仕立てた。それは彼女の気に入ったようで、安らかな寝顔を浮かべ、眠りに落ちていった。
 次の日から、これまでどうしていたのか、どこから来たのか、過去を聞いてみたが、彼女は頑なに口を閉ざしてしまう。何でもするからここで住まわせてほしいと訴える彼女に負けた。
 彼が余っていた布で彼女の作業着を縫ってやると、喜んで袖を通した。
 雑用をいくつかやらせてみると、嫌な顔もせず次々とこなした。物覚えも、手際も良い。
 彼は毎日、作業に没頭する彼女に昼食を持っていったが、彼女が好んで食べたのは採れたての野菜だった。
「こっちの方がうまくないか」
 彼は彼女の隣に腰を下ろし、右手のカップを軽く上げた。その中には、人間のすべての味覚を満足させ、空腹感も満たす液体が満ちている。
「食べた気がしないよ」
 彼女はキャベツの葉をむしっては口に運んでいく。
「これだけ便利な世の中なのに、変わった奴だな」
「……あなただって」
「言えてる。望めば誰だって都市で便利な生活を送ることができる。命の安全も保障されているから、神経を削って働く必要もない」
「なのにこんな辺境の農場で、ひとりで働いている」
「空の下で働くのが好きなんだ」
 彼は引っ張られるように目線を上げ、透き通った青空を仰いだ。
「あんな空、嫌い」
 唐突に彼女が吐き捨てた。呆気にとられた彼は反応できなかった。あんなに綺麗な空を嫌悪する理由なんてあるわけがないのに。
 それからも彼女は相変わらずよく働いた。作業のやり方がわからず困ったことがあればすぐ彼に相談したし、彼も丁寧に教えた。夜が訪れた家でも、会話は途切れない。今日あった小さな発見、ささいなこと、自分の抱いている考え方。話題は尽きなかった。
 彼は以前のような孤独をいつしか恐れるようになった。ある夜、寝転んで話していると彼女が切り出した。
「昼間のカリフラワーの話、覚えてる?」
 農作業をしているとき、ブロッコリーの中に一つだけ白いものがあると彼女が教えてくれた。それはカリフラワーといって、ブロッコリーが突然変異したものなのだ、と彼は答えた。
 そうなんだ、と呟き、彼女はずっとカリフラワーを見つめていたのだ。
 その眼を思い出し、何か不穏なものを感じた。
「どうかしたか」
「たくさんの中にあんなの一つだけじゃ売れないよね」
「そんなことない。見た目は違っても同じ野菜なんだから。しかも、採れる数は少ないからけっこう価値がある」
「本当に?」
「嘘を言うもんか」
 カリフラワーにこだわる彼女を不思議に思いながらも断言した。
 長い沈黙のあと、寝息を立てる前に彼女が言った。
「ありがと、よくわかった」
 彼女との平穏な日々が続いていった。彼女なしでこれまで自分がどう生きてきたのか思い出せないほどだ。共に朝を迎え、共に夜を送る人間が隣にいるだけで、天にのぼるような気持ちになる。
季節がめぐって夏に差し掛かろうとするころ、牛の世話をしていた彼は、彼女の叫び声を聞いた。すぐに駆けつけてみると、彼女の足からは多量の血が流れている。
 そばには血でぬらりと光る鎌が転がっていた。野菜を収穫するときに誤ってしまったのだろう。
 痛みに顔を歪める彼女を背負い、「病院に行くぞ。車に乗ろう」と呼び掛けた。だが彼女は切羽詰まった調子で叫んだ。
「ぜったいだめ。行きたくない」
「なぜだ。このひどさじゃ俺が手当てできないんだ。行くしかない」
 あまりの痛みに失神してしまった彼女を車の後部座席に乗せ、彼は街を目指した。急ぐ必要はあったが、そこまで心配してはいなかった。平均寿命が百歳を優に超える今では、ほとんどの病気を治療することが可能だ。
 楽観して待合室で腰かけていた彼は、予想外に困惑した医者を見て怪訝に思った。
「彼女は、B型です」
 医者の言葉を飲み込むのに時間がかかった。
「B型だなんて、まさか」
 彼は全身の力が抜ける思いだった。椅子から滑り落ち、膝をついてしまう。
 より長く生きるために人類が選択したのは、人間そのものをそっくり作り変えてしまうことだった。体に悪影響を与える物への食欲は減退し、あらゆる病気にかかりにくくさせるように改造する。
 倫理的な理由から拒み、手術を受け入れない少数の人々は旧人類と呼ばれ、新人類によって駆逐されていった。旧人類と交わると寿命が縮まるからだ。
 B型とは、新人類から見て旧人類がbeforeであることからの名称だ。
 彼は新人類の二世にあたる。親から話は聞いていたが、旧人類と相見えるのははじめてだった。
「公式には、旧人類……B型は滅亡したことになっています。だが生き残りはいる。こうして時折我々のテリトリーに侵入してくるのです」
「まさか彼女が……でも助かるんですよね?」
「一応B型の血液は残っていましたから、輸血は成功しました」医者は重々しく続ける。「しかしB型との接触は禁止されています。決して許されません」
「そんな。どうにかして一緒にいたい。同じ人間なのに」
「私だってあえて当局に通報したくはありません。あなたがたが添い遂げられるためには……」
 医者が去ってから、彼は何度も、かけられた言葉を反芻した。いくら考えても、結論は同じだった。
 カリフラワーを見ていた彼女と、その夜の会話が思い浮かんだ。大勢のブロッコリーに埋もれるカリフラワー。それが彼女だというのか。突然変異であるのは改造された人間である自分たちだが、あの孤独なカリフラワーを見て彼女は何を思っただろう。
 彼はいつまでも待合室で座り尽くしていた。

 すっきりとした空の下、彼は彼女の手を引き、草原を歩いていく。
「こんなことになって、悪かったと思う……でも、ずっとB型の世界にいるのは嫌だった。血が違うなんてささいなことで隔離されて、狭い世界に押しやられるなんて」彼女は息を上げながら続けた。「こっちに来てみてよかった。何もかも恵まれた生活のためじゃなくて、あなたに会えたから。ねえ、私は満足してる。考えなおしてみて。あなたの迷惑になる」
 二人は草原の際にたどり着く。
 綺麗な空は、人の手でプログラムされた精巧なビジョンで、新人類は巨大な覆いの中で生きていることを、彼ははじめて医者から知らされた。彼はそれまであの空が本物だと信じていた。
 B型の彼女と生きていくには外に出るしかない。
「俺にはこうするしか考えられない……そう、そうなんだ」
 彼は突起を掴んでドアを開けた。
 外の空気に触れた。いや、もはや外とか中とかいう区別はない。半分欠けた月を彼ははじめて目にした。
 彼は彼女の手をさらに強く握った。

(了)

長野良映さんの前作「占いの効果」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory24.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

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