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世にも小さな ものがたり工場

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「荊の館」(滝沢朱音)

2018.03.15 更新

 五月雨の中、傘と地図を手にたどりついた場所には、3階建ての小ぎれいなビルが建っていた。
『桂医院 診療科目/小児科・内科』
 現代的なデザインの看板に拍子抜けしながらも、僕は意を決し、その扉を開けた。
 還暦過ぎの男の場違いな登場に、母と子ばかりの待合室は、しんと静まりかえる。
「あの、つかぬことをおうかがいしますが、この番号札をご存知ありませんか?」
 受付でそうたずねると、若い女性は首をかしげた。
「この木の板が、番号札……?」
 彼女がいぶかしむのも当然だ。僕が示したのは、筆で〝七〟と書かれただけの、古ぼけた木札(きふだ)なのだから。
「はい。桂医院の診察券と一緒にしまってあったので、待合室の番号札じゃないかと……」
「番号札でしたら、当院ではあのとおり、機械で発券しておりますので」
 女性は、受付横の自動発券機を指さしたが、僕は食い下がる。
「母の遺品から出てきたものなんです。こちらで昔、この木札を使っていたということはありませんか?」
 会話が聞こえたのか、受付の奥から中年のナースが出てきて言った。
「旧館では、その札を使っていたのかもしれませんね」
「旧館?」
「ええ。この桂医院は、戦前から続いている病院で、現在の院長は四代目なんですよ」
 ナースはそう語ると、手で奥の方を示した。
「旧館は、このビルの裏手にあります。国の有形文化財に指定されていて、関係者以外は入れませんが、道路からながめることはできます。帰りにご覧になってはいかがでしょう?」
 ナースの言葉に、ここから早く立ち去ってほしいというニュアンスを感じた僕は、頭を下げ、大人しく退去することにした。

 母は亡くなる直前まで、僕のことをしきりに心配していた。
「美代子さんとは、本当にもうダメなのかい? 仲直りできないのかい?」
 美代子――定年を機に別れた妻の名だ。僕が首を横に振ると、母は嘆いた。
「おまえが私の年になるまで、あと20年はあるんだよ。なのに、やけっぱちになって、一人で死にたいなんて言って。母さんはもう、心配で心配で……」
 普通なら大往生といってもいい年齢の母に、死に際まで心配をかけた僕は、なんと親不孝な息子だったことか。
 その母の遺品を整理していて、たんすの隠し引き出しから、古い診察券と木札を見つけたとき、こんなものをなぜ大切に隠していたのだろうと、僕は不思議に思った。
 気になり調べてみると、その病院は今も、同じ住所で営業していることがわかった。
 僕は謎を解くため、診察券に書かれた住所を頼りに、母の生まれ故郷をはじめて訪ねたのだった。

 旧館――れんが造りのレトロな洋館は、深緑のツタに覆われていた。
 円筒形の塔屋に、とんがり屋根。塀にはコーラルピンクのつる薔薇が咲き誇り、その荊(いばら)の先々に、雨のしずくが光っている。
 塀の横には〝桂醫院〟〝登録有形文化財〟という銘板があり、洋館の歴史の古さを物語る。
(おや……?)
 そのとき、青銅色の門扉が、風で少しだけ揺れた。
 何気なく触れてみると、力も入れていないのに、門扉はふわりと奥へ開いた。
 かつて、若き日の母が訪れたかもしれない場所。
 好奇心をおさえられず、僕は門を入り、玄関ドアのノブを回してみた。
 ――かちゃり。
 立ち入り禁止のはずなのに、ここにも鍵はかかっていない。僕はそっと扉を開け、中をのぞきこんだ。
 玄関ホールの先の空間は、どうやら待合室らしく、使いこんだ革張りのソファがたくさん並んでいる。
 壁には、赤ん坊や妊婦の写真が使われた啓蒙ポスターが何枚も貼られていて、どれもセピアに色褪せている。
 そして、格子窓の上の高い位置には、モノクロの写真が額に入れて飾られていた。
 丸眼鏡をかけた、白いあご髭の男性の写真。おそらくこれは、当時の院長なのだろう。
 ついつい中へと入り込んだ僕は、あっ、と声をあげた。
 受付と書かれた窓口には、長細い木箱が置いてあり、その中に、七の札と同じような木札が詰められていたからだ。
 先頭から順にたどってみると、〝一〟〝二〟〝三〟と、筆で書かれた札が数十枚並んでいる。
 病院の慣習として〝四〟〝九〟を含む札がないのは当然としても、それ以外にはなぜか、〝七〟だけが抜けていた。
(やっぱり、ここの番号札だったんだ!)
 母は、間違いなくこの待合室にいた。時を超えた感激にひたっていると、突然――
「どうされましたか?」
 ――背後からの声。
 息をのみ、振り向くと、そこには白衣の男が立っていた。
 僕よりも少し年上だろうか。黒ぶちの丸眼鏡に、立派なあご髭。
(あれ……? さっきの額の写真に、そっくり……?)
 もしかして僕は、当時にタイムスリップしたのだろうか。それとも、この男性は――
(……幽霊?)
 背筋に、思わず寒気が走る。
 震える手で七の木札を握っていると、彼はそれをじっと見つめ、にこりと笑った。
「ようやく来てくれましたか」
「え……?」
「私はずっと待っていたんですよ、七番の札の方が来るのを」
 僕は歯をカチカチと鳴らしながら、やっとの思いで言った。
「こ、これは……亡くなった母が……大切にしまっていたもので……」
 男は僕の手元へ手を伸ばし、木札とともに、診察券も奪い取った。
 母の旧姓の名が書かれた券をしばらくながめていた男は、長い沈黙のあと、ようやく口を開いた。
「この診察券が発行された日付、ご覧になりましたか?」
「は、はい。今から60年以上も前……僕が生まれる前の年です」
 男はうなずいた。
「七の札が無くなったのは、この診察券の日付から、1週間ほど経った日のことでした」
「……!」
「女性に番号札を渡したとき、受付の事務員は何気なく言ったのだそうです。『ラッキーセブンですね』と」
 男は靴音をこつこつと響かせ、待合室の中を歩き回る。
「『ラッキーセブン?』ピンとこない様子の女性に、『欧米では7を、幸運の数字と呼ぶのだそうですよ』、そう話したとたん、なぜか女性の顔がみるみる青ざめ、こわばったそうです」
 僕は、若き日の母の姿を想像した。
「そして順番が来たときには、女性の姿は消えていた」
「……消えた?」
 母は当時、この待合室で順番を待つうちに、ここから立ち去ったということになる。
「一度診察を受け、診察券を手にした女性が、1週間後に再来院した。でも、番号札を受け取っただけで、診察や治療は受けなかった。なぜだと思いますか?」
(なぜ……?)
 僕は混乱しながらも、必死で考えようとした。
 古びた待合室の中を、ぐるりと見渡す。
 壁に貼られたポスターには、昭和風な髪型の妊婦の写真と、古い標語がかかれている。
『お産を軽くするために、妊婦はすすんで動きましょう』
(お産……?)
 僕の視線の先に気づき、白衣の男はうなずいた。
「そうです。桂医院は、もとは産婦人科だったのですよ」
 ――産婦人科。
 ――旧姓のままの診察券。
 ――僕の生まれる前の年。
 ――幸運という言葉に、顔をこわばらせた母。
 僕は、絶句した。
(まさか……まさか、中絶をしようとしていたのか?)
「思いがけない妊娠に悩み、子どもをあきらめようとしていたのかもしれません。でも、思いとどまった」
 男は言葉を続けた。
「そして、その記憶を封印するために、二度と来院しなかった……いずれも推測ですが」
 男は感慨深げに、木札と診察券をもう一度見比べたあと、診察券の方だけ僕に返してくれた。
「こちらは、元に戻しておきますね」
 カタンと音を立て、木札は受付の箱に戻された。
 その音を合図にしたかのように、僕はようやく言葉を吐き出した。
「……もしかしたら僕は、この世に生を受けていなかったかもしれないのですね」
「それは……わかりません」
 男は、丸眼鏡の奥で微笑む。
「確かなことは、あなたのお母さんがこの札をずっと大事に持っていた、ただそれだけです」

 つる薔薇の門をくぐりぬけると、雨はもう上がっていた。
(妻に去られ、母を亡くし、もういつ死んだってかまわないと思っていたけれど……)
 ポケットの中の診察券を、そっと握りしめる。
 当時20歳になるかならないかの、未婚の娘にとっての妊娠は、今の時代とは比べものにならないほどの重たさであったはずだ。
 幸運の木札をせめてものお守りがわりに、母は僕を生もうと決めたのだとしたら。
 荊の道を、自ら選んだのだとしたら。
(……この生を、ちゃんとまっとうしないとな。母さん)
 館を振り返ると、とんがり屋根の上の風見鶏が、夕陽をきらきらと照らし返していた。

 ――ねえ、おじいちゃん。どうして番号札が抜けてるの?
 ――四と九がついた数字は、死と苦で縁起が悪いから、最初から作らなかったのさ。
 ――そうなんだ! でも、七の札もないよ。七も縁起悪いの?
 ――いいや。七の札は、患者さんが持って帰ってしまったんだ。ラッキーセブンで、縁起がいいとでも思ったのかねえ。
 ――ひどいなあ。いつか返してくれるといいね。
 ――そういえばあれは、おまえが生まれた日のことだった。だから、よぉく覚えているのさ。

「院長、旧館の方にいらしたんですか。探しましたよ!」
 夕暮れの待合室に入ってくるなり、ナースはあきれ顔で叫んだ。
「早くお戻りください。そろそろ夜診が始まります」
 ナースは私を急かしたてながら、ふと壁を見上げ、つぶやいた。
「それにしても院長は……年を追うごとに、先々代に生き写しになられますね」
「……そうだな。自分でもそう思うよ」
 懐かしい祖父の写真を見上げ、私はあご髭をなでて笑った。

(了)

滝沢朱音さんの前作「荊の館」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory31.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

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