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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「スケートリンク缶」(滝沢朱音)

2018.02.15 更新

「フィギュアスケーターを育ててみませんか?」
 突然、社長室を訪ねてきた男の不躾な提案を、私は一笑に付した。
「まあ、スポンサー契約のお話ですか? たしかに私はスケートの大ファンだけど、うちとはイメージ的にあい入れないわ。そうでしょう?」
 受験生がターゲットの予備校にとって、フィギュアスケートの「すべる」というイメージは厳禁だ。そんなこともわからないのかという、私の冷たい視線をものともせず、男は続けた。
「いいえ、一般的なスポンサーではありません。1人のスケーターに個人的に出資し、成長を見守るという個人契約です」
「じゃあ、寄付みたいなものね。それって、何か私にメリットはあるの?」
「ええ、もちろん」
 男はにやりと笑い、持参したケースを開けた。中には、オイルサーディンの缶を3倍くらい大きくしたような、銀色の缶が入っている。
「これは……?」
「スケートリンクです」
 男はそう言い、缶の蓋をぱかりと開けた。楕円形の缶の中は、スケートリンクがすっぽりそのまま入っている。底にはちゃんと氷が敷かれ、冷気が立ちのぼってくる。
「……これが寄付の見返りというわけ? こんなミニチュアのおもちゃをもらって、私が喜ぶとでも思ったの?」
 女社長だと思ってバカにしているのだろうか。怒りを抑えながら言うと、男はまあまあと両手をあげた。
「おもちゃじゃない、本物のリンクなんです。あ、出てきましたよ」
 そのとき、リンクの端で何かが動いた。爪の先ほどのそれは、よく見ると、練習着を着た男の子のスケーターだった。
「こ、小人?」
「いいえ。3Dホログラムの原理を使い、最新の技術でよりリアルに再現しています。まるで、本当にそこにいるようでしょう?」
 小さな男の子は氷上を滑り始めた。立体映像だけではない。スケート靴の刃が氷を削る音や、彼の息づかいまでもが、リンクを通してこちらに伝わってくる。
「この少年……リョウは11歳。才能はずば抜けたものを持っているのですが、幼くして父親を亡くし、母親も闘病中のため、スケートの道を諦めかけています。ご存知のように、スケートを続けるには、莫大なお金が必要ですから……」
 私はうなずいた。練習場所であるリンクの確保、優秀なコーチへの依頼、遠征費や衣装代。フィギュアスケートはお金がかかるとよく聞く。
「年間の活動費や生活費をまるごと援助していただければ、練習や試合風景も含めて、リョウを見守ることができます。この缶は、彼が立つスケートリンクの再現装置なのです」
「再現装置……」
「言わば、あなただけのリンクですね。お忙しいあなたは、試合を見に行くことはなかなかできないでしょうが、このリンクでなら、いつでもリアルタイムで観戦できます。試合だけでなく、ひたむきに練習をかさねる姿も堪能できる。まさに〝育てる〟ということです」
 そのとき、リョウが目の前で、鮮やかな3回転ジャンプを決めた。「やった!」と白い歯を見せる顔は、幼いながらも凛々しく端正で、私はすっかり魅せられしまった。
 リョウに釘付けになっている私に、男はたたみかける。
「フィギュアスケート界は、10歳をすぎた時点で才能を見極めることができる、厳しい世界です。オリンピックに出られるようなスケーターは、幼くしてほぼ決まっている。リョウは間違いなくその1人です」
「……」
「彼の成長に余計なプレッシャーを与えないよう、出資者が誰かは伏せることになっているので、この話は内密にお願いします。契約され、いずれリョウがオリンピックに出てメダリストになった折には、必ず彼にご紹介しますので」
 そのとき、リンクの真ん中でリョウが転倒した。あっ、と思わず声をあげた私を見て、男は満足そうに笑った。
「まずは1週間おためしください。ご了承いただけるようでしたら、8日後に年間契約をお願いいたします」

 スケートリンクの缶は持ち運び可能で、私はとりあえず、自宅のテーブルの上に置くことにした。
 リョウはふだん、学校に通う日中はリンクに姿を見せないようだ。早朝4時ごろからの朝練と、学校から帰ってきてからの夜練に現れる。
 それは多忙な私にとっても好都合で、寝起きのコーヒータイム、そして仕事から帰ってきてワインを飲みながらのひとときに、リョウのひたむきな姿を堪能することができた。
「くそっ、できねえー!」
 ジャンプの失敗が続き、声を荒げるリョウ。コーチに叱られたのか、リンクの端に向かってぺこりと頭を下げ、気を取り直してまた滑り出す。
 リョウの表情は、いつもどこか寂しげだ。頼りになる父親もおらず、母親も不在で、大好きなスケートを断念しなくてはならないかもしれない。どんなに心細いことだろう。胸がしめつけられる。
 ――それは私にとって、初めて芽生えた母性本能だったのかもしれない。
 結婚せず、仕事一筋でこの歳まで生きてきた。だけど、自分一代でここまで大きくした会社を受け継ぐ子どもがいないのは、どこか虚しかった。
 そんな自分が、かげながらメダリストを育てるというのは、悪くない提案に思えてきた。
 いても立ってもいられなくなった私は、男からもらった名刺を取り出し、早速電話をかけた。
「先日の話の件だけど、おためし期間は切り上げて、今すぐ契約するわ。一刻も早くリョウを安心させてやりたいの」

 それからというもの、私の生活は一変した。
 朝晩の練習を見守り、試合に出場するときは、社長室にリンクを持ち込み、一人きりでひそかに応援した。
 毎年、更新ごとに支払う契約金はなかなかの額だったが、リョウを育てるためだと思うと苦にならず、かえって仕事にも張り合いが出た。
 中学生になり、それまでのノービスからジュニアクラスに上がったリョウは、国内だけでなく世界大会でも頭角を現すようになり、美少年スケーターとしても、世間から注目されるようになってきた。
「リョウくん、かっこいいよね」
「パーフェクトな演技をさらりとこなしたあとの、クールな表情がたまらない!」
 昼休み、きゃあきゃあ騒ぐ部下たちをよそに、私は妙な優越感に浸る。
(そう、クールで強そうに見えるけど、本当は泣き虫なの。すぐ弱音をはいて落ち込んで。それでも、ひたむきに練習を続けて……)
 ――私だけが知る、本当の姿。私だけのリョウ。
 そんな想いが通じたのか、いつからかリョウは、練習中に私のほうをじっと見つめることが多くなった。
 彼からこちらは見えないはずなのに、にっこり微笑みかけてきたり、手を振ったり、お辞儀をしたりもする。
 成長に伴い、出資者である私への感謝の気持ちを強く持つようになって、少しでもそれを表そうとしているのかもしれないが、私にとってそれは、至福の時間だった。

 やがて18歳になったリョウは、ついにオリンピックへの出場を決めた。
 日本を発つ前夜の練習の終わり、リョウは突然、こちらに向かって語りかけてきた。
「ずっとリンクの僕を見守ってきてくれて、ありがとうございました」
「……!」
「僕はずっと、見えない視線、聞こえない声に励まされてきました。たくさんの資金はもちろん、そこで見守り続けてきてくれたことは、僕にとって大きな支えになりました」
 リョウは深々と頭を下げる。
「オリンピックへ行ってきます! メダルが取れれば、ようやく直接会えると聞きました。そのときは、心からお礼をいわせてください」
(リョウ……!)
 成長した姿に胸を打たれた私は、リンク中央に立つリョウへと、思わず手を伸ばした。
 実体に触れるはずもないのに、彼の熱い体温が伝わってくる。
「大丈夫よ、リョウ。あなたならできる、できるわ! がんばって!」
 ファンであり、母や姉のようでもあり、そして、ある種の恋人のようなこの想いを、どう表現したらいいのだろう。
 指先に確かな熱を感じながら、私はむせび泣いた。

 凱旋帰国して以来、メディアへの出演や行事が重なり、多忙を極めていたリョウ。その代理人――例の男だ――から連絡がきたのは、オリンピックが終わって数週間たった頃だった。
「リョウが直接会って、あなたにお礼を言いたいと言っています。食事会の席を設けますので、ぜひお越しください」
 男は日時と、1流ホテルの名前をあげ、さらに付け加えた。
「なお、その日をもって、契約も終了とさせていただきます。お手元のスケートリンクも回収しますので、ご持参ください」

 当日まで、私は落ち着かない日々を過ごした。
 リョウは、私がどんな人物かは知らされていないだろう。初めて会ったとき、こんなおばさんに見守られてきたのかと落胆させたくない。
 無駄な抵抗だと自嘲しつつも、私はエステに通って身体を磨き、アンチエイジングの鍼治療を受け、ドレスも新調してその日を迎えた。
 ホテルの受付で名前を告げると、背後から聞き慣れた声がした。
「やっと会えましたね……」
 振り返るとそこには、タキシード姿のリョウが立っていた。胸元には、金メダルが誇らしげに光っている。
「リョウ、おめでとう……!」
 胸がいっぱいで、それ以上何も言えず立ち尽くす私を、リョウはやさしくエスコートして、部屋までの通路を案内した。
「さあ、この部屋です。先に入って、待っててくださいね」
 少年の頃から変わらない、無邪気な瞳。そのまぶしさに思わず目を伏せ、私はうなずいた。
(リョウは、私のことをどう思っただろう。少しは若く見えたかしら。食事の席で、どんな話をしよう……)
 どきどきしながら扉を開けた途端、たくさんの視線の矢がいっせいに飛んでくるのを感じた。
(え……?)
 そこはまるで、ディナーショーが行われるような広い会場。
 各テーブルに憮然とした表情で座る女性たちの前には、私と同じスケートリンクの缶がずらりと並んでいた。

(了)

滝沢朱音さんの前作「年忘ダイアリー」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory17.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した6名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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