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世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「年忘ダイアリー」(滝沢朱音)

2017.12.29 更新

「この一年を忘れさせてくれるって、本当ですか?」
 僕が尋ねると、受付の女性は微笑んだ。
「さようでございます。忘年会に出席されますと、あなた様のこの一年をすっかりなかったことにできます。ちょうど、日記帳の一ページを破るかのように」
 そう言うと彼女は、奥の棚から真新しい装丁の本を一冊取り出してきた。
 表紙には、銀の箔押しで「DIARY」と書かれている。
 女性はそれを開き、細かい文字がびっしりと書かれた扉ページを指さした。
「こちらの入会規約にご了承いただけましたら、表紙の空欄にサインのうえ、会費のお支払いをお願いいたします」
 僕はろくに読みもせず頷き、サインをすると、カードで高額な支払いを済ませた。
 一刻も早く忘れたい。それに、最悪なこの一年をなかったことにできるなら安いものだ。

 中は映画館のようなつくりで、正面には大きなスクリーンがあった。係員に誘導され、僕は後ろの方の席についた。
 会場にはパラパラと客がいるが、お互いの気配が気にならないよう、席は絶妙に離されている。
 やがて、ビーッと耳障りなブザー音が響き、アナウンスが流れた。

「本日は忘年会にお越しいただき、ありがとうございます。
 それではこれから、参加者の皆様の今年一年を振り返り、ダイジェストにして上映いたします」

 それを聞いて館内はざわめいたが、気にもせずアナウンスは続いた。

「なお、お客様のプライバシーに配慮し、映像はイメージで、お名前も匿名としておりますので、どうぞご安心ください。
 エンドロールが終わった瞬間、皆様のこの一年は消えてなくなります。
 嫌な出来事のフラッシュバックに悩まされることは、もうございません」

 その途端、館内は安堵のため息に満ち、拍手がわきおこった。
 どんなに忘れようとしても、嫌な記憶がよみがえる、フラッシュバック。そのせいで、誰もが苦しい一年を送ってきたようだ。

「それでは、上映を開始します――」

『A様は、ほんの出来心でセクハラをしていた新入社員の女性が、実は得意先のお嬢様で、縁故入社であるということをご存知ありませんでした。
 耐えかねたお嬢様がご両親に訴えられたことで、会社は大騒動。
 A様は二十年勤めた会社をクビになり、ご家族にも見放され、全てを失ってしまわれました』

 小さなアパートで、一人住まいをする中年男性のイメージ映像。客席の前の方から、鼻をすすりあげる音が聞こえてきた。

『B子様は、経理としてお勤めでいらっしゃいましたが、起業した男性との出会いをきっかけに交際が始まり、ご婚約。
 その方を助けるため、ご自分の貯蓄を差し出しただけでなく、お勤めの会社の経理操作に手を染め、多額の資金を捻出されました。
 しかしながら婚約者は、何も告げず行方不明に。
 会社も懲戒解雇になり、借金を返すために風俗業に入らざるをえませんでした』

 醜悪な男の腕の中で、涙を流す女性の映像。客席の端の方から、しゃくりあげる女性の声が響いた。
 映像はまだまだ続き、そして――

『W様は、一生の結婚相手と思い定めたお相手が、まさかの人妻で、お相手のご主人から多額の慰謝料を請求され、ショックのあまり大学をやめてしまわれました』

 どうやら、ようやく僕の番が来たようだ。

『それでも諦められず、なんとか連絡を取ろうとしていたところ、つい先日、身重になったらしいその方がご主人と手をつなぎ、仲睦まじく歩いているところを目撃されたそうです』

 ――フラッシュバック。
 あんなに愛した相手は、すっかり母親の表情になり、お腹をかばいながら歩いていた。
 僕のことなどすっかり忘れたのか、それとも、単なる遊びに過ぎなかったのか。
 彼女と出会い、愛し、裏切られたこの一年。
 大きな代償を払い、それでもなお、あのお腹の子は自分の子かもと思わずにはいられない、情けない僕。
 こんな一年を、記憶の日記帳から破りさってしまいたい――
 映像の中で、がっくりと膝をつく男性に自己投影しながら、僕は激しく嗚咽した。

 いつのまにかエンドロールも終わり、場内には明るさが戻っていた。
 何かを忘れたことは覚えているのに、何を忘れたのかはわからない。ただ、重荷をおろしたように、肩が軽い。
 客席の誰もが、よく寝たようなすっきりとした顔をしていて、お互い笑顔で会釈をしながら会場を後にしていく。
 僕も爽快な気分で出口へ向かうと、受付の女性はさっきの日記帳から一ページをピリピリと破り捨て、笑顔で言った。
「どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ」

 それから僕は、新しい日記を書き始めるような心持ちで、一年をやり直した。忘年会のおかげで心機一転、気分良いスタートを切ることができた。
 しかし、再チャレンジの一年も、なかなか思うようにはいかなかった。
 何か嫌な出来事が起こるたび、全て帳消しにしたくなる。
 それはちょうど、日記の破りグセがつくと、また同様の衝動にかられるのに似ていた。
(金さえ払えば、一年をやり直せるのだ。あのときこうしていればという選択肢を、何度でも試せばいい……!)

 こうして僕は、忘年会へ毎年出席するようになった。
 ダイジェスト上映を見ては嗚咽し、心機一転して、新年を迎えることを繰り返す。
 受付の女性は、そのたびに日記帳を一ページ破り捨て、「よいお年を」と言って僕を見送り続けた。
 常連になった僕を、彼女が物言いたげに見つめることもあったが、リセットされた一年は僕の記憶から失われているために、それを引け目に思うこともなかった。

 年の瀬の恒例行事を、幾度繰り返したことだろうか。
 今年もまた同じ場所に足を運ぶと、いつもの受付の女性は、僕を見て顔を曇らせた。
 ここにくれば、嫌な一年をなかったことにできる。またすっきりとして新年を迎えられる。
 財布を取り出そうとしている僕に、彼女は切り出した。
「あのう、お客様……大変申し訳ございませんが、忘年会にはもうご参加いただけません」
 意外な言葉に、僕は戸惑った。
「どうして? 金ならいくらでも払うよ」
「いえ、お金の問題ではなく……」
「いやいや、ここの忘年会にこないと一年が終わらないんだよ!」
 問い詰める僕に、彼女は奥の棚から日記帳を取り出し、僕に示した。
 表紙には、僕の筆跡でサインがある。最初に提示された日記帳に間違いない。
 規約の書かれた扉ページをめくると、ページがすべて破り取られた跡があり、裏表紙が見えている。
「ご覧の通り、お客様の日記帳には、新しいページがもう残っていないのです」
 日記帳を確かめようと伸ばした僕の手の甲は、なぜか老人のように血管が浮き、いくつものシミと深いシワが刻まれていた。

(了)

滝沢朱音さんの前作「ランドリー・クリスマス」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory13.html

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

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