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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「抜けがら」(長野良映)

2019.07.31 更新

朝早く、お父さんは近くの湖に釣りに出かけた。お母さんは一通りの家事をこなすと、家のよりもずっと大きなテレビで映画を観はじめた。僕は釣りにも興味はなかったし、映画は好きなアクションものではなかったから退屈だった。
「ヒロシもせっかく来たんだからゆっくりしなさい」
お母さんはリモコンを握って離さなかった。
お盆になっていきなり僕が連れてこられたのは、ある有名な避暑地だった。親戚が別荘を持っていて、いつもは夏に使っているのだが、今年は他の予定が入ったのでよければ使ってほしいという申し出があったのだとお父さんが車の中で説明してくれた。ぼくは夏休みの宿題やら着替えやらを詰め込んだバックを抱えて胸を高鳴らせていた。
しかし車が別荘の前に止まると、途端にがっかりした。「別荘」というおしゃれなイメージとは程遠い、古ぼけた一軒家だった。おまけに手入れが全くされていないのかほこりが積もり、床はひどくきしんだ。住めるような状態にするまで掃除をするのに半日かかってしまった。
「……な、こういうのも悪くないだろう」
お父さんは独り言のように言った。いつもごまかすのが下手だ。
夏休みの宿題をやる気にもなれなかったし、ゲーム機を持ってきていたのに、充電器を忘れてしまった。算数のドリルをちょっとやってみたがすぐ飽きてしまう。
僕はしかたなく外へ出た。都会より日差しが刺すような感じではないけれどそれでも暑い。なによりも、虫の鳴き声がうるさくてたまらなかった。
虫が苦手だった。ハエの羽音にすらびくついたし、家でゴキブリが出ると悲鳴を上げて逃げ回るほどだった。
暑さにも虫にもうんざりしていると、ああっ、という声が聞こえ、同時に濡れる感じがした。隣の家の門の前で、ワンピースを着た女の人が植え込みにホースで水を撒いていた。手元が狂って僕に水をかけてしまったらしい。虫の声が一瞬消えた。
お母さんよりも少し若いぐらいの人だ。ホースを持つ手が白い。
「隣の家の子?」と水を止めたその人が走り寄ってくる。
僕は慌てて、とりあえず「はい」と答えた。
「ごめんなさい、服を乾かさなきゃね。ひとまず上がってもらえる?」
知らない人についていってはいけないと教えられていたけど、僕がもじもじするうちに女の人は門を開けて招き入れた。
庭の芝はよく手入れされていてきれいだった。家は大きく壁は真っ白で、これこそ思い描いていた別荘のイメージだった。天井も高くて赤いじゅうたんが敷かれている。広い部屋に通され、シャツを脱いでと言われた。僕はどきどきしながら濡れたシャツを渡した。
すぐに女の人は代わりのシャツを持ってきてくれた。大人のサイズだからブカブカだ。たんすのにおいがした。
女の人はかすみと名乗った。
「他に誰もいないんですか?」
「そう、私ひとり」
こんな広い家に一人なんて、意外な感じがした。渡されたシャツは男ものだったけど、昔この屋敷にいた人のだろうか。
そうだとしても、かすみさんとの関係はわからない。だいたいかすみさんの歳がよくわからない。確かにお母さんより見た目は若いが、もっと年上のような何かも感じる。
近所のおばさんや同級生だったら何を話せばいいかわかる。でもかすみさんみたいな人にどう言葉をかければいいのだろう。僕は差し出されたクッキーを黙々と口に入れた。近所のスーパーでは売ってないであろう高そうなクッキーは薄味で、おいしいのかよくわからなかった。かすみさんは向かいに座って微笑んでいた。ほっそりした顔は、どこかの美術館で見た絵に描かれていた女の人を思い出させた。僕はここに来たいきさつをたどたどしく話した。
「どれくらいここにいる予定なの?」
乾いたシャツをかすみさんが持ってきてくれた。
「一週間くらいです」
「暇だったらうちに来てね。私は暇にしてるから」
夜以外の時間ならいつでも、と言い足してかすみさんはドアを開け、門のところまで送ってくれた。塀のまわりには花壇があり、いろんな花が咲いていた。ひときわ高いひまわりの横に、葉を青く茂らせた木が立っていた。かすみさんはそこに近づき、幹を指した。
「これ、何かわかる?」
かすみさんの横で背伸びしてみると、茶色い虫のようだった。ぞくりとした。
「わからないです。虫が苦手なんで……」
弱いところを見せてしまって、情けなかった。
「あらごめんなさい。でも、怖くない。それは蝉の抜け殻でね、生きものじゃないの」
「へえ……ヤドカリみたいですね」
 本体とは別の存在がついていることから何気なく口にしたのだが、かすみさんはお腹を押さえて笑い声をあげた。
「ヤドカリとは全然違ってね、蝉は大きくなるために古い皮を脱いでいくの」
 僕は生き物全般に詳しくなかったので、蝉がこんなことをしているなんてはじめて知った。
「このままにしておいていいんですか?」
「そうね、せっかくだから埋めてあげましょうか」
かすみさんが持ってきてくれたスコップを使って、庭の端っこにちいさな穴を掘った。僕は潰さないよう、水を掬う形の手に脱け殻を乗せ、穴にそっと置いた。さすがに触るときは勇気が必要だったが、慣れてしまえばどうってことなかった。
「これで抜け殻もよく眠れるね」
スコップでかすみさんは土をかぶせ、上からぽんぽんと整えた。

僕は素直にかすみさんに甘えることにした。別荘とは名ばかりでせせこましい仮住まいより、かすみさんの家の方が広くて居心地がいい。広い家なのに冷房がよく効いていて、汗があっという間に引いた。僕はリビングの立派ないすに座ってお菓子をごちそうになった。少しは味がわかるようになっていた。
「こんなに広いと掃除するのが大変そうですね」
「そうだけど、少しは体を動かさないと衰えちゃうから」
「そんなこと心配しなくてもいいじゃないですか。うちのお母さんよりずっと若いし」
自分でもませた子供だと、言ってから恥ずかしくなった。
「最近の子はお世辞がうまいのね。でも若くないから……本当は、ね」
かすみさんは本当にうれしそうにしてから少し下を向いた。
「いつまでも若くいられればいいんだけど……」
トイレを借りたいというと、廊下の突き当りを右に曲がったところだと教えてくれた。その通りに進むと左側の壁にドアがあったが、向かいの壁にもそれらしきドアがもう一つある。
どちらだろうか。
なんとなく右のドアに手をかけたときだった。
「そっちじゃないよ」
とつぜん声をかけられた。振り向くとかすみさんが後ろに立っていた。まさかついてきていたとは思わず、体がいうことを聞かなかった。
やわらかい表情のままなのが余計に不安をあおった。
「トイレはこっち」
と左のドアが開いたのに導かれて、僕は歩き方を忘れたみたいに足をがくがくさせながらトイレに入った。

次の日、僕はお使いを頼まれた。昼間は隣の家に遊びに行っているのだとなんとなく話すと、お母さんは「ちゃんとお礼をしなくては」と目の色を変えた。お母さんは変なところで気合が入る。お母さんは慣れないキッチンでせっせと料理をこしらえ、できた煮物を鍋ごと僕に渡した。しいたけの匂いが強かった。
持っていきなさいと指図されたけど、かすみさんがこんなもので喜ぶとは思えなかった。なんだか家の感じが丸出しで恥ずかしかった。
りーりーと昼とは違う鳴き声が響いていた。ベルを鳴らしたが、昼なら出てくるはずのタイミングまで待っても、かすみさんは姿を現さなかった。
ところどころ窓には明かりがついているから、かすみさんはいるのだろう。気がとがめながらも敷地に入って屋敷の周りを歩いてみると、裏に勝手口が見つかった。鍵はかかっていなかった。入ってすぐにキッチンがあったので、コンロに鍋を置いた。だがこれで黙って帰るわけにはいかない。鍋のことを説明しておかなければ。
屋敷の中は静まりかえっていた。自分の足音にびくつきながら進む。きのうかすみさんに声をかけられた部屋の前を通りかかった。トイレと間違えたあの部屋だ。開けてはいけないのだろうと思ったが、好奇心が勝った。ゆっくりドアを開けて電気をつけてみると、壁の棚に本がぎっしりと詰め込まれている。書斎のようだった。
なんだと拍子抜けして、急に気が大きくなり、棚のうちで一番目立つ厚さの本を手に取った。適当にぱらぱらとめくってみると、白黒の古い写真が台紙に貼り付けられていた。
2階に上がるといくつかの部屋が見えたが、その中の一つだけ、ドアが閉まっていた。
かすみさんはここにいるのだろうか。
またそうっと開けると、ベッドが一つ置かれている。横の台のライトが薄く室内を照らしていた。誰か寝ているようだ。足音を立てないように近づくと、やはり寝ているのはかすみさんだった。
声をかけたが反応はない。そのまま寝かしておくべきだろうか。念のためもう一度言おうとした僕は身をすくめた。かすみさんが息をしていないように思えたからだ。寝ていたとしても、呼吸をしていれば顔がわずかに動くはずなのに、それがなかった。足の裏がのりで貼りついたみたいに体が動かなかった。かすみさんはもしかして死んでしまったのだろうか。たまらず震える手でかすみさんの肩に触れた。何かがおかしい。もう一度強めにゆすってみる。今度は違う寒気が襲ってきた。
この軽さは何だろう?
状況にまったく合っていないのに、僕は麩菓子を思い出してしまった。中身があるように見えて実は軽い。触れているかすみさんの体もそうだった。ためしに抱きかかえてみた。すると表面は柔らかく、空気の抜けた風船みたいにだらんと垂れ下がった。
怖くてたまらなかったが、ここまできたら逃げ出すわけにはいかない。もう一度お腹に力を入れて気を取り直し、かすみさんの「皮」を点検してみたら、背中の部分に着ぐるみみたいな切り込みが見つかった。それは背骨にそってすうっととおっていた。中に手を入れてみたが何も入っていない。
その瞬間に、僕はすべてを悟った。
これはかすみさんの抜け殻なんだ。あの人は蝉みたいに脱皮を繰り返して、若いままの体を保っているに違いない。
僕はさっき目にした写真を思い出した。かなり古い白黒の写真だったけど、目元のほくろがまったく同じだった。かすみさんはかなりの長生きなのだろう。
僕はそんなことを考えながら皮を小さくたたみ、かすみさんとはじめて会った日に蝉の抜け殻を埋めたひまわりの花壇に寄った。夜のひまわりは見下ろしてきているようで気味が悪かったが、妙な使命感を持ちながら、皮を土に埋めた。
僕は別荘へ戻り、一仕事やり終えた満ち足りた気持ちでベッドに入った。時おり、今まで聞こえたことのない獣の叫び声がして気になった。人が叫んでいるようにも思えたが、案外すぐに眠りに落ちた。

朝起きると、お父さんとお母さんが慌ただしく荷物の整理をしていた。
「何してるの。高速が混んじゃうから早く帰る準備しなさい」
今日帰る予定だったのをすっかり忘れていた。うちの家族はいつもぎりぎりになって焦る。ぼーっとしていると、だから早くしなさい、とお母さんにお尻をはたかれた。かすみさんとはえらく違う。車に乗り込む前にあいさつをしておきたかったけど、とてもそんなことを言い出せる雰囲気ではなかった。
僕の夏休みはあわただしく幕を閉じた。かすみさんのワンピース姿が強く記憶に残った。
そういえば、家に帰ってきて2、3日くらいしたとき、新聞を読んでいたお父さんがその避暑地の名を口にして驚いていた。
「おい、老婆の死体が発見されたって」
「ふうん、あんな穏やかなところで……でも、そんな小さなことで記事になるの」
お母さんは朝ごはんの準備で忙しい。
「道端で死体が見つかったそうだが、住民はそんな老婆に誰も覚えがないって。それも歳がわからないくらい老化していたらしい。ヒロシ、不思議だよな」
ぼくはゲームをしながら「ふうん」と答えた。

(了)

長野良映さんの前作「男と鯉」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory107.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
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