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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「サヨウナラ」(山岐信)

2019.07.31 更新

「新しいおままごとを始めるには、お客様の現在参加なさっているおままごとをやめていただかなくてはなりません」
 何を考えているのか腹の読めない笑みを浮かべながら、正面に座っているマスターは言った。壁も床もテーブルも白い、窓のない部屋で、僕は首を傾げた。

 近ごろ巷で「脱け殻族」がはやっている。「一般社団法人全日本おままごと協会」の主催する「おままごと」の参加者をそう呼ぶらしい。協会の建物へ行けば「おままごと」ができるのはたしかで――実際、ホームページに案内が出ている――著名人や知識人のほとんどが訪れたことがあるのだとか。が、奇妙なことに、自ら「脱け殻族」だと名乗り出る者はいない。
 僕――山岐信というのはペンネームで、本名は中山道信――は、小説のネタになれば儲けもんだという下心で、八月の陽光照りつける午後一時少し前に、港北ニュータウンの郊外を、目的地に向かって歩いていた。
 青いネットに遮られた梨畑を横目にしばらく行くと、馬鹿みたいに白い三階建ての建物に行き当たった。スーツのジャケットを着ながら汗ひとつかいていない男が、うさんくさい笑みを貼りつけて立っていた。

「ここに来たのは初めてですから、参加中のままごとなんてないはずなんですが……」
 自らを「おままごとマスター」(略してマスター)と呼ぶよう指示した男は、くすりと笑い、
「皆さまそうおっしゃいます。しかしながら、人生においておままごとに参加しない時間を持つ人間なんて、この世に存在しません」
 マスターはジャケットのポケットから蝉の脱け殻をとり出して、僕の前に置いた。
「梨畑の網にくっついていたんですがね、これは外側だけです。内側はここにはいません」
「ああ、まあ……脱け殻ですからね」
「入り口とは別のドアがあるでしょう?」
 マスターは僕の右手のドアを指差した。
「〈終了の部屋〉です。その向こうに〈開始の部屋〉があります。各部屋でそこのマスターと話せば、お客様もこのようになります」
 と、マスターはドアをさしていた人差し指をすっと空蝉に向けた。
「脱け殻族?」
 マスターはイエスと言うように、唇を結んだまま口角をにこりとあげた。そして、
「さようなら」
「はい?」
「あなたはもう、今のおままごとに戻ることはできません」

〈終了の部屋〉は、前の部屋と同じで、白いテーブルひとつに対し、パイプ椅子が二つ――一方に協会員が座っているという具合だ。僕を担当してくれるのは、ポニーテールの若い女性会員だった。
「あなたに今現在話しかけている、あなたとは違う性別の個体のことは、マスターと呼んでください」
 僕が椅子に腰かけるなり、彼女は淡々と言った。おかしな言い回しだな、と思ったが、素直に「はい、マスター」と答える。
「今参加しているおままごとにおいて、あなたのお名前は?」
「はい?」
「名前はないのですか」
 前のマスターと違ってにこりともしない。
「中山ですけど、 別にままごとをしているわけでは――」
「下のお名前は?」
 彼女は僕の言葉を遮って訊ねた。
「道信ですけど」
「その設定に従っているのですね」
「いや、設定もなにも両親がつけてくれ――」
 マスターはすっと手のひらを向け、ごにょごにょ言う僕を制した。
「ご職業は?」
「簡単に言えば、事務職です。今日はたまたま休みですけど。あと、こっ恥ずかしいですが、最近は物書きの真似ごとなんかも――」
「筆名は?」
「えっと」とすばやく飛んでくる質問に答えるためにクッションを挟んだ。というより挟まざるを得なかった。「山岐信です」
「あなたの名前は、中山道信でも山岐信でも、どちらでもいいということですね」
「えっと……いや、場面によってはちが――」
「猫というシニフィアンで呼ばれる四つ足動物はお好きですか?」
 僕はイライラしてきた。
「好きですけど、今訊くことですか?」
「猫はあなたを見て、あっ中山だ、ないしは、あっ山岐だ、と思うでしょうか」
「すみませんが、結論から言ってくれます?」
 マスターは、瞬きもせず、こちらの目をじっと見返している。
「あなた、本当に中山道信ですか?」
「なんですって?」
 思わず素っ頓狂な声が出た。
「世界人口の約七十七億人が参加中のおままごとにおいて、あなたは多分に漏れず〈人間〉という設定を生きているのです。そして〈自分は中山道信である〉という設定を疑わずに、〈人生〉などという、誰も本当には見たことのない幻影に溺れて、幸せに、まっとうに死んで行く」
 こういうふうに言い切られてしまった時、なんと返せばいいのだろう。僕は、絶句という字面の的確さを思い知ると同時に、ヤバイ団体に関わってしまったのではないかと思い始めた。
「母胎から生まれ出た時、あなたの額に〈中山道信〉や〈事務員〉といった文字が刻み込まれていたわけではありませんね」覚えの悪い塾生に粘り強く教える講師のように、マスターはつづけた。「両親が名づけたから、戸籍に登録されたから、周囲の人々が認識して覚えたから、そういった積み重ねで〈中山道信〉と呼ばれているだけです。名前も役割りもないただのタンパク質――それがあなたの正体です」

〈開始の部屋〉のマスターは、穏やかな表情のおじいさんだった。
 前の部屋との違いは、マスターの後ろの壁のほとんどを占める巨大な壁かけ時計だ。ドアから運びこめる大きさではないから、部屋の中で組み立てたのだろう。異なる速度で回る針が三本付いているのは普通だが、文字盤が真っ白けで、時刻を表す数字ばかりか、そのかわりの目印などもない。
「名前と役割りを捨てられましたか?」
「捨てる? ご冗談!」
「おや、それでは新しいおままごとを始められませんよ」
「あなたのお仲間はどうかしてます」前の部屋の鉄仮面を思い出して、ムカムカした。「初対面なのに、人のことをタンパク質呼ばわりするんですから」
「隣の部屋の会話は、こちらにも聴こえるようになっています。たしかに、どうかしているでしょうね。あなたが、〈常識〉といった設定を信じるのであれば」
 これは、と思った。前のマスターと同じにおいがする。
「しかし、新しいおままごとを始めんとするあなたには、必要な時間だったのです。もっとも、〈時間〉という設定で、無限に続く不可逆的現在を、刻み込むのを潔しとするなら」
 時間というワードに反応して、僕はマスターの肩越しにのっぺらぼうの時計を見た。秒針が、カチリカチリと虚しく音を立てている。
「新しい名前と役割りを差し上げましょう。お客様には、今日この建物を出たところから、こちらの指定した人物になりきっていただきます」
「待ってください。仮に太郎になったとして、僕が太郎だと主張しても、家族や友人は今までどおり道信と呼ぶでしょう。それに明日からお前はF1レーサーだと言われても、今の会社との契約ってものがありますし、鍛えてないのに大会出場なんか無理ですよ」
 僕の言葉が意外だというように、マスターは目をぱちくりした。
「あなたの新しい名前は中山道信で、新しい役割りは事務員ですよ。今日から〈人間〉を演じていただきます」
「新しくないじゃないですか」
「本当にそうお思いですか? あなたは今日、世界から逸脱してしまったというのに。それとももう、我々の提供した中山道信を演じ始めていらっしゃるんですか?」

 もとより道信であるのに、なぜわざわざ道信になりきらなくてはならないのか。横浜市営地下鉄の電車に乗り込んだ時、僕は精神的にぐったりしていた。
 戸袋付近に凭れながら(僕はオセロになぞらえて角をとると呼んでいるが)、一点透視図法の車輌を見通す。座っている人や立っている人のほとんどが携帯電話をいじっている。
 彼らの精神は電車に乗っているのか、それとも電車に乗っている誰かを演じているのか、それを他人が見分けることはできるのか、と疑問に思った。これまで僕が「人間」だと疑わずに接してきた人たちは、「人間」だったのか、「人間になりきっているタンパク質」だったのか――すぐさま、いかん、協会に毒されている、と頭を振る。が、僕は七十七億人の秩序立った人間世界の外に、名前や役割り、時間の概念さえない、動物的荒野が広がっている可能性を認知してしまった。
 目の前からすべての文明的町並みが消えて、宇宙のただ中に一人放り出されてしまったイメージが、音もなく僕をゾッとさせた。

(了)

山岐信さんの前作「予定」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory114.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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