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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「地獄湯」(恵誕)

2019.07.31 更新

 ふるえるような、絞りだすような蝉の声を聞くたびに、思い出す景色がある。
 近くのお寺でお盆の時期だけ公開されていた、地獄絵図。
 子ども心にそれは強烈で、血反吐を吐きながら泣いているような、笑っているような女の顔は今でもはっきり覚えている。

 高速を二時間、降りて四時間、ひたすら山道を進み、ようやく宿へ着くころには陽が傾いていた。彼の機嫌はすごぶる悪い。運転していたのは私なのに。
 せっかく同じタイミングで夏休みがとれたので、ゆっくりしましょうと彼を誘ったのはスマホの電波も届かない奥深い山中にひっそりと佇む温泉宿。
 林間を流れる川沿いにいくつもの湯小屋がたち、あちこちから湯けむりが吹き出している。
 タイムスリップしたような情景のなか、宿帳に書き込み、彼の腕に指をからめ客室へむかう。
 ひなびた木造建築だが、掃除が行き届いている。

 外資系化粧品会社に勤めて十年になる。売上だ管理だ本国へのタテマエだといろいろ大変なことはあるものの、やりがいはあるし恩恵も受けている。特にPRという職は、対外的なイベントなど華やかな場面に立つことも多く、同世代の女性よりずっと贅沢な経験を重ねてきた。
 女として、私は上流にいる。
 しかし、社員はしょせん社員。つまらない仕事も、提示された年俸も、けっきょく受け入れるしかない。その不自由さは、年を重ねるほど大きくなっているように見える。
 そろそろ私も次のステップを考えたい。化粧品会社でのキャリアをいかし、社員より優位に立つなら、美容ジャーナリストとして独立するのはどうだろう。
 会社という看板が無くなった時の自分の商品価値、狙うべきポジション、気をつける人……もろもろのことを仕事でお世話になっているヘアメイクさんに相談した際に、この温泉のことを教えてもらった。

 ここは泉質の異なる八つの野天風呂がある癒しの里、とうたわれているが、実はもうひとつ、地元でもごく限られた人だけが知るお湯があるという。
 川沿いのいちばん奥の温泉からさらに奥へ入った場所にある九番目の湯。
 それが「地獄湯」だ。
 ゴツゴツとした岩の間を通り、吊り橋を渡り、さらに山の奥へ進んだ場所にあるそのお湯は、地域の観光案内にも載っていない。しかし、あることを求めて全国から密やかに通う人が後をたたないという。
 そのあること、それは地獄湯がもつ「溶かし」というチカラ。
 心の中の黒いもの、ネガティブな感情、狂気……それらをお湯が溶かし、流してくれる。
 ステップアップしたい、もっと多くを手に入れたい私としては、自分の中に時おり現れる邪気を溶かし、健全に道を切り拓きたい。
 そして、彼の慢性的な闇体質もなんとかしたい。

 彼とは会社の新製品発表会で出会った。
 キャンペーンを担当する大手広告代理店の営業マンで、若くして部長になったエリート、と紹介された。
 ルックスもよく、表面的には人あたりもよい。メディア関係者やインフルエンサーと呼ばれる人たちとの交流もあり、私がこれから独立する上で、必要なものをたくさん持っている。
 絶対に逃すわけにはいかない人材。
 しかし、性格にかなり問題がある。裏表を通り越して、プライベートでは病的なほどネガティブだ。
 起きている時は差別用語を連発し、寝言では「死ね」と呟く。
 公私ともにパートナーとして歩んでいくために、人として私のレベルまで上がってほしい。
 というわけで、ここは早急に手を打ちたい。

 とりあえず、長旅の疲れを癒しましょうと言葉たくみに誘い、薄暗い川沿いを歩く。カナカナカナ、というヒグラシの声に背中を押され、なんとか地獄湯と思われる場所まで連れてきた。
 お湯の色は赤黒く、泥湯のように重そうだ。源泉がゴボゴボと音をたて湧き出て、登り立つ湯気まで赤い。
 その光景はまさに地獄のようでこれに間違いない、と私は確信した。
「ありえねぇ。なにこの汚ねー色」
 お湯のビジュアルを見るなりブツブツ文句を言っている。品のない男。
 このネガティブマウスが「溶かし」でどう変化するのだろう。
 別人のように生まれかわり、爽やかな笑顔で、ポジティブな言葉を発する彼を想像した。
 彼の手をとり、お湯へ導く。
 見た目の印象ほど熱くなく、どちらかというとぬるいくらいだ。
 ブクブクと気泡が身体のまわりに沸き立ち、湯けむりでお互いの顔が見えなくなった。
 毛穴が開き、顔から汗が吹き出す。お湯の圧力に息苦しさを感じたあと、少しずつ身体が軽くなっていくような気がした。
 ああ。きっと私の邪気が溶け出ているのだろう。
 頭の中がぼうっとして、なんともいえない心地よい感覚に包まれる。
 私は目を閉じ、静かに呼吸しながらお湯に身をまかせた。

 しばらくまどろんでいると、とつぜん、なにかにぐいと引っ張られた。
 はっとして目をあけると湯けむりの中、彼が私の腕をちぎれんばかりの強さでつかんでいる。
 殺される。
 刹那に思い、手をふりはらおうとした。

 いや、違う。

 私はヘアメイクさんの言葉を思いだす。
「邪気の重さぶん、体重が軽くなるんだけど、邪気が多すぎると勢い余って、その人の身体まで溶かしちゃうらしいの、こわいよね〜」
 もしかすると彼はお湯に溶けはじめているのではないか。今までの言動を考えると十分に考えられる。
 必死に私の腕にすがろうとする彼を見つめる。苦しそうな、せつなそうな、なんともいえない表情。湯気のなかでそれを見ているうちに、私は次第に軽やかな気分が加速するのを感じた。
 彼の顔がスローモーションのように遠ざかっていく。

 なにかおかしい。

 数十秒後、彼の顔どころかまわりの景色もすべて赤と黒に染まる。
 地獄湯に溶けていたのは彼ではなく、私。
 彼はお湯に溶ける私をなんとか助けようと、必死に腕をつかんでいたのだ。
「さゆみ! さゆみ!」
 ゲラゲラと笑うように私を呑みこむお湯にむかって、泣き叫ぶ彼の声が遠くで聞こえる。
 彼の声とはりあうように、蝉の声も響く。ふるえるような、絞りだすような、声。
 そして私は子どもの頃に見た、あの絵を、あの女の顔を思いだす————

 地獄湯に溶け、天国にいるような心地よさに包まれている私。
 溶けゆく私を見てしまった彼のこれからの人生。
 ねぇ、どっちが地獄なのかしら?

(了)

恵誕さんの前作「傘、貸します」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory110.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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