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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「そこは永遠の夏の庭」(行方行)

2019.07.31 更新

 その飼育ケースには、なぜか木が植わっている。
 大人が横になっても余裕がある巨大な槽に土が入っていて、クヌギの若木が根を張っていた。しかしずいぶん手入れをしていないようで、幹は痩せ葉はどれも青白く、土は乾き、草花はなく虫もいない。
 友人は、それを台車に乗せて運んでいた。
 落として割らないよう緩衝材で梱包し、軽トラックで山間の集落まで運ぶと、あとは地図に従って川沿いを遡っていく。玉砂利を避けてぬかるみを押したが、タイヤが空転してなかなか進まない。友人は道程のなかほどまで奮闘し、
「腰がつらい。すぐに追うから休ませてくれ」
 と、ついにへたり込んでしまった。
 ほかに運びやすい思い出の品はなかったのだろうか。おれが持参したのは首輪なので、いくつ山を越えようと重荷になることはない。
 いう通りに先にいくと、ほどなくキャンプ用のテントが見えてきた。
 『おかえり屋』と看板が出ている。ここに間違いない。
 近づくにつれ、わんわん、こけっこ、みゃあみゃ、とテント内がやけにうるさかった。一人用の小さいものなのに、象や鷲や牛まで吠えていて、まるで動物園だ。
 声をかけると、黒い大型犬が出てきた。
 奥を覗くと、あれだけ賑やかだったのに、ほかにはネズミの一匹もいない。
 いや、そもそも犬ではなかった。
 大きな熊の毛皮を頭から被った年配の男だ。
 ズボンも靴も上着も革製品ばかりで、まるで動物になろうとしているかのようだ。長い髪と口ひげに隠れた目もとは柔和で、にっこり笑いかけてきた。
「おかえり屋のご依頼ですね。さっそくはじめますか」
「もうひとりあとで来ますが、お願いします」
 おれが頭をさげると、男は裏庭に出た。
 木柵に囲まれた中央に、犬小屋に似た石造りの祠がある。
 男はその前におれを座らせると、
「持ってきたものを見つめ、再会したい動物のことを思い出してください」
 ──まるでそこにいるかのように、くっきりと。
 そう念を押され、おれは首輪を凝視した。
 セントバーナード犬であるペタと暮らしたのは、小学三年生から高校卒業ごろまでの十年間だ。もう別れてから十五年が経っているので、さすがに記憶が曖昧になっている。
 おんおうん。男が背後で、犬の鳴き声の真似をはじめた。さっき小屋から聞こえたのは、このための練習だったのか。最初は面食らったが、強弱のつけかたが上手く面倒臭そうなため息が絶品で、集中の助けになった。
 小学生のおれが飛びかかっても寄せつけない大型犬で、白地に茶色のまだらが入った毛並みは柔らかく、垂れ下がった耳やどっしりとした鼻や締まりのない口元は、いつ見ても愛嬌がある。
 ペタは、よく頬をこすりつけてきた。
 よだれがつきそうで逃げると、執拗に追ってきて、また頬を寄せてくる。
 大好きな散歩にいきたい、という合図なのだ。
 しょうがないので連れ出すと、前足が楽しげに弾み、雑草やブロック塀、ほかの犬のトイレ跡や曇り空など、さまざまなものに目を向けて、落ち着くことがない。町内を一周して家が見えてくると、帰りたくない、と動かなくなって押しても引いてもびくともしなくなるのが常だった。しぶしぶ近所をうろついて、それでも満足しないから、さらに神社まで往復し、へとへとになるまで家に帰らせてもらえない。
 偲ぶほどに、ペタが裏庭を歩いている姿が像を結んでいく──。
 気合一閃、男がおれの後頭部を叩いた。
「急になにを」
 衝撃で瞬きをし、集中が途切れてもペタが消えない。穏やかな瞳も跨がりたくなる背中もぺろんと出した舌も後ろ足の逞しさも、まるで実在しているかのようにすべてが鮮明だ。おぅおんと吠えた。鳴き声は聞こえるが、こちらに歩み寄る足音はまったくしない。
 頭を撫でてやろうとしたら、手がすり抜けた。
 見えているのに、触れられない。
 実感した。
 どれだけはっきりしていても、ここにいるのは幽霊なのだ。
 一目でいいから亡くなったペットに会いたい。
 『おかえり屋』は、霊体を現世に呼び戻すことで、それを叶えてくれる。
 ここを紹介してくれた知人によれば、男は山中でほとんどの時間を過ごすうちにその秘術を得たらしい。そんなばかなありえない。最初は周囲のだれも真に受けなかったが、事実、目の前に懐かしいペットが蘇ると涙をこぼして喜んだ。すぐに噂は広まり、『おかえり屋』にひとが押し寄せるようになった。しかし男は気まぐれで、日毎にキャンプ地を変えるうえ、納得できないと絶対に幽霊を降ろしてくれない。
 出会えて、すぐに望みを叶えてもらえたおれは、そうとうに幸運だったのだ。
 ペタがおれのそばにきて、頬を擦り寄せてきた。
 もちろん感触はないが、心地いいのかくすぐったそうに目を細めている。
 おれは歩きだした。
 ペタが嬉々として駆け出し、木枠の内側に沿って誇らしげに先導していく。しばらくぐるぐると巡り疲れたので祠に戻ろうとすると、ペタは足を停めてそっぽを向いた。幽霊になっても帰宅はいやらしい。遠ざかると跳ねるようについてきて、きっと、しばらく開放してもらえないだろう。それでいい、それがいい、と懐かしさに胸が締めつけられる。左右に揺れるしっぽを眺めながら、つくづく思った。
 ──こんなふうに、また一緒に暮らしたい。
 ペタが木枠をくぐって森のなかに入っていった。
 すぐに追ったが、足音も草を踏む音もしないので見つからない。ペタは馴染みのない土地が楽しいのか、いつまで経っても帰ってこなかった。まさか迷子になったのか。心配していると、男が安心させるようにいった。
「大丈夫ですよ。霊にとって、呼び戻してくれたひとは拠り所なんです。どんなに遠く離れていても見失うことはありません。ほら」
 男が指差す茂みからペタが顔を出し、あちこちのにおいを嗅ぎながら戻ってくる。その背後に、必死の形相で重そうな台車を押す友人の姿があった。男の説明を聞き、友人が飼育ケースを祠の前に置いて正座する。
「では、再会したい生物のことを思い出してください」
 男の言葉に、友人は土で埋まった飼育ケースを熱心に見つめた。
 その後ろで、男がリーンリーンと鈴虫のように鳴く。
 やがて念が通じたらしく、雨上がりかのように土が湿り気を帯びはじめた。クヌギの幹が太く立派になって葉の色がよくなり、シロツメクサが群生して蝶が花弁に舞い降りる。蜂が飛び交ってバッタが草の陰に身を潜め、雌雄のカブトムシが木をよじ登っていく。急に日差しが強くなり、飼育ケース越しの空に入道雲が見えた、気がした。
 これが、友人の望んでいた箱庭か。
 もともと、夏休みのたびに訪れていた祖母の家の庭を再現しようとしていたとのことだった。その土地にいる昆虫を集め、木を植えて草を生やし、ケース内の温度を細かく調整して、水と餌を適度に与える。
 庭は完成した。そこにいる虫も植物も微生物もすべてが自然と調和していて、いい匂いがするんだ、と友人はよくその空気を吸っていた。しかし幸せな時間はあまりに短い。友人の自宅が火事になって、すべてが失われてしまったのだ。
 それが、いま眼前で再現されている。
 カブトムシが交尾をし、すぐに卵を産んだ。
 幽霊が子をなすのか、と驚いていると、男が教えてくれた。
「大きくなろう成長しようとするのは種の本能で、それは霊体になっても変わりません。亡くなった子猫や赤ん坊だって、幽霊のまま大人になって子孫を残せるんですよ」
 孵化した幼虫が蠢き、飼育ケースのガラスにぶつかって世界の狭さを知る。地中には、ミミズやセミの幼虫、蛾やクワガタの蛹などもいて、見るからに窮屈そうだ。
 カブトムシは蛹を経て成虫となり、クヌギの木をのぼった。
 両親のカブトムシが蜜を吸っている。
「幽霊には寿命がありませんから、何世代でも同居ができるんですよ」
 若いカブトムシがオスと出会い、さらに産卵した。そばでは蚊が鬱陶しげに飛んで、蟻が地中に穴を掘り、蜘蛛が枝に巣を張って、蛾が幹に止まっている。日が陰って急にケース内が暗くなった。リーンリーンと鈴虫が鳴き、蛍が落ち着きなく飛んでいる。まるで夏の夜のようだ。
 うっとりと自分の庭を眺めていた友人が、
「おれは決めたよ」
 と呟いたので、おれはポケットに隠しているほうの首輪は確かめた。
 こちらもそのつもりだ。
 日が傾きだしたころ、三人で川に向かった。
 木柵を越えると、飼育ケースにいた虫がすべて消え失せ、しかし友人は気づいていない。驚いていると、男が教えてくれた。
「柵を出ると、飼い主以外にペットの姿は見えなくなるんですよ。あなたの犬も、私にはどこにいるのかわかりません」
 立ち止まって話を聞くおれを呼ぶように、ペタが振り返って吠えた。この後ろ姿も声も男には届いていないということか。たしかに、友人が熱心に見つめているのは空の飼育ケースだ。
 川岸につくと、男は紙で作られた灯籠とドリルやのこぎりといった工具を用意した。
「では、思い出の品を壊し、一部を流し灯籠に乗せてください。それでお別れです」
 再会は、もともと今日だけという約束だった。
 またいなくなる、と思うと、どうしても首輪を切断できない。
 おれがためらっていると、男が諭すようにいった。
「離れがたい気持ちはわかりますが、絶対に決別してください。会いたくなったら、ここにきて呼び戻せばいいのですから」
 何度でも再会できる。
 しかし、久しぶりに愛犬と接し、また離れることを我慢できるひとなんているだろうか。おれは首輪の一片を、友人はクヌギの木の皮を灯籠に収めようとし、持参した偽物にすり替えた。
 流し灯籠が川を下っていく。
 男の手前、おれと友人は手を振ってペットとの別れを惜しんだ。かたわらでペタが眠そうにあくびをし、飼育ケースのなかでは昆虫が元気よく飛び跳ねていることだろう。
 一人暮らしのマンションに連れ帰っても、ペタはおれから片時も離れない。
 いつもそばにいたいと鳴き、おれを見失うと、ドアや壁をすり抜けてトイレだろうが風呂場だろうが押入れだろうが覗き込み、見つけたら飛びかかるように駆けてくる。眠るとき以外、視界に必ずペタがいた。これこそ望んでいた生活だ。
 そう喜んだのは、一週間だけだった。
 とにかくペタが散歩にいきたがるのだ。朝、目覚めるとベッドのうえで何度も頬を擦り寄せてきて、放って会社にいくと、自分の存在を誇示するかのように前に回り込みながらついてくる。上司が話しかけると吠えて聞こえなくさせ、仕事机のうえに陣取ってその巨体で書類を隠し、飲み屋では席の周りをうろうろして酔いを覚まさせ、トイレや風呂にも入ってきて、一緒にそとに出たいと顔を近づけてくる。しょうがないので深夜に連れ出すと、幽霊には睡眠欲求がないらしく明け方になっても帰ろうとしない。逃げると、走ってきてそれまで同様の邪魔をして、また散歩にいかせようとする。
 もう限界だ。
 二ヶ月後、おれはペタを連れて男のキャンプに向かった。しかしなかなか見つからない。五度目でやっと掴まえて事情を説明すると、男は頭を抱えて大きなため息をついた。
「なんてことを。だから別れるようにいったじゃないですか。すぐあの世に帰さないと定着してしまって、もう灯籠を流しても戻せなくなるんですよ」
「そこをなんとか」
「諦めてください。その犬は、永遠にあなたのそばにいます」
 それでも粘ったが山中に逃げられ、しかたがないので家に帰る。絶えずペタが視界を遮るのにげんなりしていると、数日後、唐突にその姿が消えた。居間にも寝室にもベランダにも職場にも、どこにもペタがいない。おれの気持ちが通じて、霊界に去ってくれたのか。
 喜んだのもつかの間、ペタは家族とともに帰ってきた。
 ぞろぞろと幽霊の奥さんや子犬たちを引き連れ、おれにまとわりついて、やっぱりしつこく散歩をねだってくる。しかも子供の成長は驚くほど早く、孫を産み、ひ孫もできて成犬となり、すぐに数十頭のセントバーナードに取り囲まれることになった。職場や電車内はもとより、家に帰ってもベランダまでびっしりと犬で埋まり、視界は完全に白と茶色の体毛で遮られる。食卓のうえの料理もテレビも車道と歩道の境目も周囲のひとの顔も携帯電話の画面さえまともに見えず、手探りでの生活を余儀なくされた。最近になってネズミ算式に子犬が増えだしたので、街がペタの子孫だらけになるのは時間の問題だろう。
 おれは疲れ果てて友人に電話をし、現状を話した。
「そんなわけで参ってる」
「なんだって、よく聞こえない」
「大型犬は飼わないほうがいいってことだよ。そっちの昆虫は?」
「もちろん増えた」
「カブトムシか」
「セミだ。何千匹にも増殖したミンミンゼミが、朝から晩まで、風呂だろうが寝室だろうが会社だろうがトイレだろうが、みんみんみんみんみんみん、鳴き通しで、みんみんみんみん、あまりにやかましくて──」
 友人は乞うようにいった。
「どこかに、虫網を持った少年の幽霊はいないものか」

(了)

行方行さんの前作「物語の物語」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory112.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
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