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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「一目ぼれ」(梨子田歩未)

2019.06.28 更新

 赤い橋のたもとに艶っぽい女が立っていた。白地に紺の菖蒲の花が咲いた浴衣に、白いうなじが見える束ね髪。女は目から涙を流していた。
 俺はその女にひとめぼれ、した。

 家に帰っても興奮さめやらぬ様子の俺を見て、隣人がすかさず声をかけてきた。
「何かいいことでもあったのか?」
「ひとめぼれしたよ」
 俺が女の様子を話すと、隣人は少し考えてから言った。
「ところでその女、足はあったのかい? そんな真夜中に浴衣姿の女が一人でじっーと立っているなんていかにも怪しいじゃねえか」
「へ? なんてことを聞くんだい。足はあったさ。たぶんな」
「……悪いことは言わねえ。無謀な恋はあきらめな」
 隣人は肩をすくめ、家に帰っていった。隣人とは付き合いも長いが、隣人には連れ合いがいるし、ひとり寂しい俺の気持ちなぞ分かるはずもない。

 俺は翌日から早速アプローチを開始した。が、しかしどんなアプローチも届かない。女に声をかけても、まるっきり無視されてしまった。
 怪しいナンパ男と思われたのだろう。だが、そんなことでへこたれる俺じゃねぇ。
 恋する思いが募って、仕事終わりの女が家まで帰るのをつけた。下心からではない。暗い夜道を一人歩く女が心配だったからだ。今は物騒な世の中だ。
 女はこじんまりとしたアパートに入っていた。二階の窓の明かりが灯り、窓から女の影が動くのが見えた。
 女と向かい合い、会話の弾む食卓を想像した。
「あなた、今日はすき焼きよ。すき焼き、好きでしょう?」
「お前の方がもっと好きだよ」
 そうして女を抱きよせる。なんて素敵だろうと妄想を膨らませ、窓から漏れる電気の光が消えるまでひっそりと部屋を見守った。

 電気が消えしばらくすると、女が人目を忍ぶように窓から出てきた。
 女の眉と目はきっと吊り上がり、髪は振り乱れている。その様子が尋常ではなく、俺は、女の後をつけた。
「ちょいと」
 声をかけると、女は振り返った。振り返った女の顔は先ほど見た恐ろしい形相ではなく、すっぴんのあどけない顔だった。
「え、あんた誰?」
「俺は敏雄だ」
「そう、わたしはミワ子」
「ミワ子、素敵な名前だな」
「ありがとう」
 ミワ子が笑うと片方の方にえくぼができた。それがまた可愛らしくて、俺の胸は高鳴った。
「こんな夜中に何を?」
「そうね。ちょっと呪いに行こうとしていたのよ、恋人をね。……ああ、正しくは元恋人ね」
 ミワ子は自嘲気味に別れた元恋人の話をしはじめた。
「結婚するつもりだったの。というか、プロポーズらしきこともされていたし」
 ミワ子は左手を胸元に持ってくると、ひらひらさせた。左手の薬指には指輪がはめてあった。ただし、縁日で売られているようなガラス玉の安っぽいおもちゃの指輪だった。
「こんな安物ですっかり舞い上がっちゃって、相手にとってはわたしをうまく操るためのただのポーズだったってわけ。あたしより若くて金持ちの女と結婚するあてが付いたら、あたしはポイ。最低な男よね、でもって、そんな男に惚れたあたしはただのバカ」
 ミワ子の目の端に涙の粒が光った。月光に照らされた悲しみの顔は、美しかった。俺は菊の花束をミワ子に差し出した。
「そんなバカな男に復讐する必要なんてない。俺と付き合ってはくれないか」
「へ、あんたと?」
 ミワ子は一瞬ぽかんとした顔をすると、けらけらと笑い出した。
「無理、無理。だって、あんた私のおじいちゃんと同い年くらいだもん」
 ミワ子は笑いつづけ、体がふわりと宙に浮かびあがった。
「わたしもまだまだ捨てたもんじゃないね。あはは」
 ミワ子はゆっくり漂うようにして、家の方に戻っていった。無事体に戻ったのだろう。俺は少し寂しい気持ちになって、菊の花束を撫でた。

 失恋の心をいやすのには、新しい恋が一番という。
 墓のすぐ横にある橋のたもとに女が立っていた。澄んだ水面を思いつめたようにじっと見つめている。そのまなざしに俺はひとめぼれ、した。

(了)

梨子田歩未さんの前作「図競想」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory105.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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