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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「ユフスズミ」(滝沢朱音)

2019.06.28 更新

 四十年前の夏と変わらず、穴は今もまだそこにあった。
 きしむ床板を踏みしめ、黒板の前へと進んだ私は、その穴にそっと手を差し入れた——

  *

 母のふるさとは過疎のまちで、幼い頃の私は、夏休みの大半をそこで過ごしていた。
「いくら女手ひとつで育てとるからって、たまにはゆっくりしていきゃええのになあ。遊び相手もおらん田舎で、千夏(ちなつ)がかわいそうじゃ……」
 私を送り届けたあと、仕事があるからと東京へとんぼ返りする母を、そう言って祖母はよく嘆いたものだ。
 他の子どもがいない田舎で、にぎやかなのは蝉の声だけ。孤独な私の遊び場は、すぐそばの高台にある平屋の建物だった。
 尋常小学校の昔から使われてきたという小さな木造校舎は、廃校後も残されたものの、今では老人会の集まり程度にしか使われていなかった。
 天板が開閉式の木の机と椅子、飴色の使い込まれた床、音の狂ったアップライトピアノ。独擅場と化した学校で、私は想像の翼を広げ、一人遊びに興じていた。
 そして、忘れもしない小学一年のとき。
 黒板下のチョーク入れが外れて落ちたとき、その奥の腰板に、握りこぶしほどの奇妙な穴が開いていることに気づいたのだ。
(なんだろ、これ……)
 そっと手を差し入れると、中は小さな空間になっていて、がさりと何かが指先に触れた。
 ノートか何かの切れ端だろうか。折りたたまれた紙は、セピア色に変色している。かなり古いもののようだ。
 開いてみると、鉛筆で文字が書かれてあった。

『ダイブ オアツク ナリマシタ
 ユフスズミニ マヰリマセウ
 タカイ ソラニハ キラキラト
 オホシサマガ キレイデセウ』

(これって……昔の子どもが書いたのかな?)
 何度もながめ胸をときめかせた私は、その紙を大切に折りたたみ、ポケットにしまいこんだ。

「ねえ、ばあちゃん。〝ゆふすずみ〟ってなあに?」
 晩ご飯のあとスイカを切っていた祖母は、私の質問に手を止めた。
「ゆふすずみ……夕涼みのことかねえ」
「ゆうすずみって?」
「夏の暑さも夕方には和らぐけん、外で涼むこと。じいちゃんが夜、タバコ吸うて散歩に出たりするじゃろ。あれのことよ」
「ふうん」
 私は続けて、座卓に〝ヰ〟と指文字を書きながら質問した。
「じゃあ、この字は? たてたてよこよこの、左がちょっと短いの」
 繰り返される指文字に目を凝らしていた祖母は、ああ、と思い当たった顔をした。
「そりゃ、昔の〝イ〟の字ぃじゃわ」
「ふうん。あ、あとね、〝ませう〟って、なあに?」
「ああ、〝ましょう〟じゃね。〝せう〟って書いて〝しょう〟。ばあちゃんらが小(こ)まい頃は、そういう書き方をしよったんよ」
「……ふうん」
「どしたんね、千夏。昔の本でも読んどるん?」
「えっ……うん、ちょっとね」
 なんとなく口ごもった私に、祖母は目を細めた。
「ばあちゃん、今どきのことはわからんけど、古いことなら知っとるけんね。何でも聞きんさい」
 そのとき、今まで黙っていた祖父が、不意に一喝した。
「そんな役にも立たんことを、今さら教えんでええ!」
「あれま……すみません」
 素直に謝った祖母が、(じいちゃんがいないときにね)とでも言いたげに目配せをしたので、私は肩をすくめてうなずいた。
 あれこれと私の世話をやく優しい祖母とは違い、いつも祖父はしかめっ面で、タバコをふかしてばかりだった。
 今思えば、戦争で体を壊して帰還した祖父は、壮絶な体験と自由にならない体への苛立ちとを、その内にたくさん抱えこんでいたに違いない。
 しかしそんな事情を知るはずもなかった私は、寡黙(かもく)で気むずかしい祖父のことを、ただただ煙たがっていた。

(〝だいぶ暑くなったから、夕涼みにまいりましょう〟っていう意味だったのね……!)
 離れの部屋にしつらえた蚊帳(かや)の中で、私はそっと例の紙を開き、頬をゆるめた。
 今まで一人きりで遊んでいた校舎に、過去から突然届いた手紙。いったいどんな子どもが書いたのだろう。
(〝お星様がきれいでしょう〟だなんて……昔なのにロマンチックな子!)
 いつかドラマで見た、着物姿のかわいい女の子を想像した私は、興奮のあまり、肌布団を頭からかぶって足をバタバタさせた。
(せめて、文通や交換日記ができたらいいのに……もしかしてあの穴は、過去に通じるタイムトンネルだったりして!)
 私はがばりと布団から起き上がった。子どもっぽい思いつきだが、なぜか強い確信があったのだ。
 カバンから小さなノートを取り出すと、お気に入りのピンクのペンを選び、一生懸命にメッセージを書いた。

『コンニチハ ワタシノナマエハ チナツデス
 ミライノ サビシイ オンナノコデス
 コノガッコウニ コドモハ モウイマセン
 ヨカッタラ オトモダチニ ナッテクダサイ』

 ——どきどきしながら穴に入れておいたノートに、本当に返事が書かれていたのは、それから三日後のことだった。

『みらいのちなつちゃん こんにちは
 わたしのなまえは ハナコです
 ひらがなでも わかりますよ
 おともだちに なりましょう』

 驚きと嬉しさで飛びはねた私は、鉛筆で書かれたそのメッセージを繰り返し読んだ。
 ひらがなで書かれてはいるが、元の手紙と筆跡がよく似ている。同一人物で間違いなさそうだ。
 私は書きづらいカタカナをやめ、すぐさま返事を書いた。

『ハナコちゃん ありがとう
 そちらは なにじだいですか
 でんわがあれば ばんごうもおしえて
 はなれていても はなせるどうぐです』

『ちなつちゃん ごめんなさい
 じだいやでんわは よくわかりません
 ちなつちゃんのこと もっとおしえて
 みらいでは なにしてあそんでいるの』
 
 それから私は、数え切れないほどのメッセージをハナコとかわした。
 寂しい夏休みの愚痴や、母たちには打ち明けられない悩み。東京の学校で流行っている遊びや、テレビ番組の話。
 それは次の夏もその次の夏も続き、やがて私は、ほのかな恋の話さえ打ち明けるようになった。
 なにせ相手は昔の時代に生きる女の子なのだから、何を知られても平気だったのだ。
 タイムトンネルの穴の向こうに、なんでも話せる親友がいる。
 私にとっての夏は、それまでの寂しい印象から一変し、ひそやかな楽しみに満ちた季節となった。

 ——はずだったのだが。
 小学六年の夏に祖母が倒れて以来、ノートへの返事はぷつりとやんだ。
 孤独な私のために、祖母がハナコとしてメッセージを書いてくれていたのだとようやく思い当たった私は、意識が戻らないまま祖母が亡くなったとき、泣きに泣いた。
 そして、祖母を見送った寂しさからか、まもなく認知症をわずらった祖父も、やがて母のいる東京の施設で生涯を終えることとなり、私がこのまちに帰る理由は無くなってしまったのだった。

  *

 実家が取り壊される前に、もう一度だけ見たいとせがむ母を連れ、久しぶりに訪れたまちは、ますます過疎化が進んでいた。
「まさか、小学校まで取り壊されることになるなんてねえ……」
 そう言って涙ぐむ母の手を引きながら、私はあの校舎のある高台へとのぼった。
 眼下に広がる空き家だらけのこのまちを、まもなく高速道路が貫くのだという。
 ただの通過点へと化すふるさとを見下ろし、感慨深げにたたずむ母を一人にして、私は校舎の中へと入った。
 泣きたくなるほど懐かしい記憶が、一気によみがえってくる。
 私がここを訪れたのは、祖母が亡くなって以来のことだ。
 きしむ床板を踏みしめ、黒板の前へと進むと、私はあの夏と同じように、チョーク入れの奥の穴に手を差し入れてみた。
 ——がさりと何かが指先に触れた。
 そこにあるはずのない、セピア色に変色した紙。乱れる呼吸を抑えながら、私はその紙を開いた。
 あの見慣れた——だけど、どこか弱々しい筆跡。

『ダイブ オアツク ナツタノニ
 ケフモ ノートガ アリマセン
 ツギノナツコソ カエツテキタラ
 ユフスズミニ マヰリマセウ』

(このノートって……私と交換していたノートのこと……?)
 呆然と立ち尽くす私の手元を、あとから杖をつきながらやってきた母がのぞき込んだ。
「あら、それ、じいちゃんの字ね」
「えっ……?」
「ああ見えて、筆まめでロマンティックな人でね。昔書いたラブレターの束を、ばあちゃんがこっそり見せてくれたりもしたのよ」
「ラブレター? あの気むずかしいじいちゃんが?」
 くすくすと母は笑う。
「出征中だって、検閲を気にしながらも、愛のこもったハガキを送ってくれたんだって。きっと口下手なだけだったのね」
 かつて〝ユフスズミ〟についてたずねたとき、一喝した祖父の姿がふと浮かんだ。
(もしかして、最初に見つけたあの手紙は……じいちゃんが子どもの頃、誰かに書いたラブレターだった⁉︎)
 私の質問がきっかけで、隠したきり忘れていた手紙の存在を思い出した祖父は、こっそり取り戻そうとして、あのノートを見つけたのかもしれない。
 それからは仕方なく、タバコ片手に夕涼みといつわっては家を出て、校舎に忍び込み、ハナコに成り切って返事を書いて——
「……じいちゃんは千夏のこと、本当に可愛かったみたいね」
 ぽつりとそう言う母を、私は否定した。
「そんなことないわ。いつもしかめっ面で……私が施設にお見舞いに行ったときだって、話もろくにしてくれなかったのに」
「あら、気づいてなかったの?」
 母は微笑んだ。
「病気がすすんで、娘の私が誰かわからなくなっても、孫の千夏のことだけは最期まで忘れてなかったじゃない。本当に口下手な人だったわねえ」
 ——『ケフモ ノートガ アリマセン』
(私が帰ってこなくなった夏も、じいちゃんはここで待ってくれてたのだろうか)
 思わず両手で顔をおおったとき、窓の木枠が風でかたかたと揺れ、どこからかタバコの匂いがした。

(了)

滝沢朱音さんの前作「水たまりの向こう側」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory111.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
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