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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「予定」(山岐信)

2019.06.28 更新

「まったく、騒ぐだけ騒いで、散らかして帰っちまうんだから」
 白髪の男が、シミだらけの手にトングとビニール袋を持ち、雑木林のなかを歩いている。東の山の稜線からは太陽が顔を出し、西の三日月は、夜明けの淡い空の色に輪郭線を溶かしつつある。
 焼きそばの詰まったプラスチックトレーを、男がゴミ袋に放り込んだ。鮮やかな彩色のしなびたゴムをトングの先で持ち上げると、切れた輪ゴムのようなものがだらりと垂れ下がる。一方の端はしなびたゴムにつながり、もう一方の端は小さな輪っかになっている。割れたヨーヨーだ。
 男は雑木林を進んだ。大型犬の遠吠えが林の外から風に運ばれ、男の鼓膜を揺らす。遠吠えの残滓がジメジメした空気に溶けきると、しばらくは葉のこすれる音がザーザーと林に満ちた。まだ蝉は鳴かなかった。
「なんじゃありゃ」
 男は立ち止まった。数メートル先の夏草の禿げた土の上に、黒い何かが横たわっている。
 男は目を細めた。
 頭があり、胴体があり、胴体からは二本の腕と、二本の脚が突き出ている。大の字に倒れた小柄な人間のように見える。
 しかし黒い。目や口のあるべきところまで真っ黒だ。
 男はさらに目を細めた。
 黒いものの表面は、忙しなく蠢いている。それはまるで、無数の小さな生き物が、隙間なくびっしりと――。

 ミンミンゼミの盛んな鳴き声が、日差しに負けじと土手を歩く人を射る昼下がり、川に架かった歩行者用の橋の中ほどで、白いワイシャツを着た少年がしゃがんだ。傍らには同じ服装の少年が立っている。二人とも中学校の校章入りのカバンを斜めがけしていた。
「涼太、マジやめろよな」
 涼太は反射的に友人を見上げ、すぐに自分の手元に視線を移した。伸ばしかけた手の先の地面に、アブラゼミがとまっている。
「虫嫌い?」
「嫌いなんてもんじゃないね」
 涼太は友人を見上げ、にやりと口を歪めた。友人は身を固くして、
「待て、落ち着け。マジでむり、むりだから、マ――」
 涼太は親指と人差し指で、さっと蝉の黒い胴体をつかみ、友人に突きつけた。
 友人が「わ」と「ぎゃ」の間くらいの声を出して飛び退く。と、何かに気がついたように顔中の筋肉を硬直させた。しなやかさを失った棒のような腕をあげ、涼太のつまむ蝉を指さす。
「そ、それ……」
「どうしたの?」
 涼太は蝉の腹を自分に向けた。腹はなかった。空洞だ。空洞に蟻がいる。黒くて艶のある頭と胴、とがった尻、六本の足、別々に動く触覚、左右から嚙み合わせる顎。一匹ではない。カラになった蝉の内部に、数匹が折り重なってたかっている。
 涼太は立ち上がり、橋の手すりに寄って、蝉の死骸を川に落とした。すべて落ち着きのあるゆったりした動作だった。橋脚に流れのぶつかる川音を聴いているのかいないのか、死骸の落ちた辺りの水面をじっと見つめている。
「小木沼さんの呪いって知ってるか?」
 手すりに肘を載せて、友人が訊ねる。
 涼太は首を左右に振った。
「みんなが言ってるぜ。二番目に雑木林で死んでた隣町の不良は、呪いで死んだんだって。夏祭りの夜、四組の小木沼さんを裸にして殺した犯人、ってみんなが噂してる例のグループ――ほら、駅向こうの公園にたむろしてるやつら。それのひとりだったからって」
「みんな呪いなんてもの信じるんだね」
「不良の片目がくり抜かれてたからな。そこに蟻がたかってたんだぜ。小木沼さんは、発見された時、蟻に覆われてたって話だろ」
「つながり、蟻だけだね。……あ、カメ」
 涼太は、川から突き出た岩を指差した。
「カメならあそこにもいるじゃん」
 友人は、涼太のさした岩から左に数メートル離れたところを指さした。
「え、どこ?」
「そこ」
 友人が人差し指で突くように示す。
「見えないよ」
「そこだって」
 涼太はフンと鼻を鳴らして肩をすくめた。視線をあげ、遠くの空の入道雲を見遣る。
 友人は短いため息をついて腕を下ろし、涼太の視線を追って雲を見た。
「今日さ、涼太ん家行っていい? 漫画、三巻の途中で止まってて、めっちゃ気になってるんだけど」
「来てもいいけど、僕予定あるから出かけるよ。帰る時、鍵、郵便受けに入れてくれる?」
「じゃあ行かない」
 涼太は手すりから離れた。
「例の雑木林行こうよ。昼だけど肝試しに」
「ん?」友人は首を傾げた。「それが予定?」
「ちがうよ。まだ時間あるんだ」

 ひと気のない神社を突っ切ると、裏手の雑木林に出る。
 涼太と友人は舗装された道の尽きるところで立ち止まり、顔を見合わせた。涼太は涼しそうな表情で、友人は口をへの字に曲げている。先に目をそらして林に踏み入ったのは涼太だった。
 蝉たちがしきり鳴いている。遠近(おちこち)の雑草に落ちかかるまだらな日陰が、風で梢の鳴るたびに形を変え、視覚的にもかしましい。
「三組の田野っちからさ」と友人が口を開いた。「ほら、一年のとき小木沼さんと付き合ってた――から聞いたんだけどさ。ヤル時に目を舐める癖があったんだって」
「え、田野っちキモ」
 涼太は笑いながら言った。
「ちげえよ。小木沼さんが、だよ」
「ええ……」
「田野っちそれで別れたんだって。口の中には悪い黴菌もいるから、最悪目が見えなくなるんじゃね? って心配で」
「そっち? 生理的に無理とかじゃなくて?まあ、田野っちらしいけど」
「それで、俺が話したいのはそういうことじゃなくて――つまりさ、死んだ不良の目がくり抜かれてたっていうのは、小木沼さんを襲った時に、そういう酷いことしたみたいな、幽霊からのメッセージっつうか」
「また呪い? 幽霊じゃなくて、生きてる人間からのメッセージだよ。今の彼氏が復讐で殺してるんだよ」
「え、今の彼氏ってなに? 誰?」
 涼太は肩をすくめた。
「みんなもわからないって。でも、いるのは確かなんだってさ」
「謎の彼氏か。そいつも小木沼さんに目舐められたんかな」
 二人は立ち止まった。数メートル先の楠の根元を見ている。
 茶髪の少年が、うつ伏せで倒れていた。顔の左半分を土にうずめていて、空気にさらされた右目は虚ろにひらいている。
 声もなく棒立ちになっている友人の横から進み出て、涼太は少年に近づいた。彼がしゃがむと、友人も近づいてきて背後に立った。
「どうするつもりだよ」
 友人の問いに、涼太は答えるそぶりがない。茶髪の少年の柄シャツの肩と腹のあたりにぐっと力を入れ、ごろりとひっくり返す。
 左の眼球がなかった。ひっくり返す時の衝撃で、カラになった眼窩から、猫の毛玉のようなもじゃもじゃした黒い塊が音もなく零れ落ちた。土に落ちたそれは、折り重なった蟻の群れだった。絡み合った足を解こうと、しきりにわらわら蠢いている。
「呪いだ」と友人が叫んだ。「小木沼さんの幽霊が、この雑木林にいるんだ」
「呪いじゃないよ」涼太の声は静かだった。「腹に刺し傷がある。事件だよ」

 夜、警察署の自動ドアが開き、第一発見者の中学生二人が出てきた。涼太は夜空を仰ぎ、友人はうつむきながらとぼとぼと歩く。
 土手に上がった時、涼太が、
「母さん来ないの?」
 と訊いた。
「愛媛のじいさんがそろそろだからって、昨日から父さんと会いに行ってんだ。涼太は?」
「うちの母さんは新しい恋人にお熱だからね、迎えに来る暇がないん――」
涼太が転んだ。街灯の照らす範囲外の暗闇で、友人は目を凝らした。躓きのもとになるようなものはない。
「大丈夫かよ」
 友人が手を差し伸べる。涼太はその手をとって立ち上がった。
 二人は無言で歩いた。昼間の歩行者用の橋に差し掛かったとき、友人がそういえばと言って、
「今日の予定ってなんだったのさ」
 涼太は、ああ、あれね、と苦笑まじりに言った。
「眼医者の予約を入れてたんだよ。最近、左目が見えなくてね」

(了)

山岐信さんの前作「ヘデラポスカ」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory109.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
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