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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「星合」(霜月透子)

2019.06.28 更新

 見上げた夜空に天の川が流れている。今日は年に一度の、私に会う日だ。
 蒸れた緑がにおい立つ。星月夜のあぜ道を歩いていると、横道から合流してきた人影に声をかけられた。
「おや。星合いに帰ってきたのかい? 珍しいねぇ。最近じゃあ若い子はこういうの気にしないだろ?」
 実家の近所のおばあちゃんだった。私は苦笑する。若いといってもアラフォーだ。田舎のお年寄りたちにしてみれば四十や五十は若者らしい。
「はい。ずっと参加していなかったので、そろそろ必要かなと思って」
「そうさなあ。こういうのはやっといた方がいい。よう帰ってきたね。旦那さんも一緒かい?」
「いえ。うちの人は……」
 まさに夫と揉めたための帰省だったので、つい動揺して声が震えた。なんて答えようかとショルダーバッグの肩紐を握りしめつつ考え込んでいると、おばあちゃんは自ら答えを導き出してくれた。
「ああ、都会の人は仕事を休めないんだってな。熱あっても満員電車で会社に行かなきゃなんないってテレビでも言ってたな」
 二局しかないテレビも村の貴重な娯楽であり情報源だ。
「そうなの。おばあちゃん、よく知ってるね」
 私が大袈裟に驚いてみせると、おばあちゃんは得意げに笑い、「こんなの、テレビの受け売りだあ。ほんじゃ、あたしも星合いにいってくっかな」とすたすたと健脚ぶりを見せて去っていった。

 忙しさを理由に帰省しなくなって久しい。幸い両親は「おまえは嫁に行った身だから、こっちのことは気にせず、あっちのご両親を大事にしなさい」と言ってくれる。夫も遠いことを理由に私を連れてこようとはしなかったし、私が一人で帰ることにもいい顔はしなかった。そんなわけで、両親の言葉に甘えてもう何年も帰っていなかった。
 両親や夫のことはさておき、気軽に帰れないのもたしかだった。ここはあまりにも遠くて不便だ。地理的に離れていることよりも、実家の最寄り駅から村までの道のりが問題だった。バスやタクシーなどはなく、自家用車か徒歩しか移動手段はない。徒歩だと一時間。車でも一時間。普通に考えれば車の方が断然早そうだが、車が通れる道は大きく迂回しており、しかも左側はずっと崖で、ガードレールもない林道は慎重に進むしかないのだ。そのため徒歩も車も所要時間が変わらないという妙なことになっている。
 そんな山奥であるから、都会のような娯楽もなく、古くからの年中行事だけが村人たちの楽しみになっていた。そのひとつに星合いがある。
 たしかに最近の都会では星合いを行う人は減ってきている。地方出身者ならともかく、都会で生まれ育った者は星合いがどのようなものであるかも知らないだろう。実際、都会でしか暮らしたことのない夫は知らなかった。
 都会での星合いが廃れたのは、行うのにふさわしい川がないのと、面倒だからというのが主な理由だろう。星合いのために帰省する人もいるようだが、私の周りには誰もいない。私だっていつもなら諦めている。星合いを行わなくてもどうにかなったりするものだ。
 だけど今回は違う。こればかりはどうにもならない。もうひとりの私との調整が必要だ。星合いではどちらに補正するかが悩ましく、それも星合い離れが進む要因のひとつなのだが、今回は悩むことなどない。もうひとりの私の選択に補正すればいい。いや、しなければならない。

 水音が聞こえてきた。星合いの会場が近い。
 川岸に出ると、いくつもの人影が並んでいるのが見えた。神社の夏祭りなどとは違い、提灯があるわけでもなく、人がいることはわかっても顔まで判別はできない。
 山あいの川ではあるけれど源流近くではないため、川幅は広い。もっと下流に行けば橋が架かっているが、ここは河原があるだけだ。ひと足ごとに小石がこすれてカリッともガリッとも聞こえる音を立てた。
 やがて水辺にたどり着く。水の流れは緩やかで、水面に夜空を映し出していた。空と地上の天の川が淡く光り、夜の闇の中で川だけがよく見えた。
 水面すれすれの水中を仰向けになった人々が微動だにせず流れてくる。誰もが頭を下流に向け、同じ早さで進む。瞼を閉じた顔は白く澄み、流れる髪は水草のようであった。人々はぶつかることも重なることもなく静かに流れていく。
 河原から伸びる村人の手に次々と引き上げられる。水から上がった〈人〉は、引き上げた人と連れだって川岸を離れていく。私はしばし去っていく人々を見るともなしに見送っていたが、すぐにどの姿も夜の闇に溶けて見失った。天の川を映す明るい川のそばからでは岸は闇にしか見えない。
 私は川に向き直る。
 流れる人々の群を目にするのは、子供のころ以来だ。進学のために村を出るころにはもう星合いには来なくなっていた。都会では行われていないと知り、いまだに変わらぬここの風習が恥ずかしかったからだ。村人しかいないのだから誰に羞恥心を抱くこともないのだけれど、当時の私にはひどくみっともないことに感じられたのだった。
 都会へ行っても星合いのために帰っていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。夫との関係がこじれる前になんとかしていれば。修正する機会は毎年あったのに。いや、こんなことにならなければ、やはりいつかはこの行事に意味を見いだせなくなっただろう。

 ――いた。
 私は川に身を乗り出した。
 上流からやけに明るく光る一体の〈人〉が流れてきた。ほかの〈人〉とは明らかに異なり、青白い光を放っている。ただし、そう見えるのは私だけのはずだ。次々と流れてくる中から自分の一体だけが光って見えるのだという。いまもまた引き上げている人がいるが、私にはそれがほかの〈人〉とどのように異なるのかが見分けられない。だから、あの近づいてくる光もまた私以外にはたくさんのうちの一体でしかないのだろう。
 ついに顔が見えるところまで近づいてきた。瞼を閉じているが、間違いない。間違えるはずがない。自分の顔を。
 流れてくるのは、もうひとりの私だった。私が選ばなかった道を歩んだ〈私〉だった。
 星合いとは、一年の間に分かれた自分と再会する行事だ。日々の暮らしの中で大きな選択をすると、選ばなかった自分が生まれる。そのときは見えなくても、彼女はもうひとつの平行世界で生きる。そして年に一度再会してふたりの間に生じた差を補正する。再び選択をするのだ。どちらの〈私〉で次の一年を生きるのか。
 この行事を思うとき、私はいつも実家の柱時計を思い浮かべる。その柱時計は遅れがちで、ひと月で五分ほどのズレが生じた。毎月一日には父が自分の腕時計を見ながら柱時計の針を合わせるのが恒例だった。星合いはそれに似ている気がする。
 目の前を魚の群のようにたくさんの人が流れていく。〈私〉の頭部が正面に差し掛かった瞬間、私は手を伸ばす。〈私〉は、かっと目を見開き、両手を差し出した。補正の瞬間だ。ある選択をした際に分裂したふたつの道。私の道を残すなら左手を、〈私〉の選択に補正するなら右手を握ればいい。私はためらわず右手を握った。すると、すぐに握り返された。
 私は繋いだ手に力を込め、魚を釣り上げるように〈私〉を川からすくい上げた。姿は等身大であるにもかかわらず、重さはほとんど感じない。
 連れだって川を離れる。子供のころは気にしたこともなかったが、久しぶりに〈私〉と並ぶのは少しばかり照れくさく、そして安心した。またやり直せる。
 私たちは手を繋いだまま当てもなく夜通し歩き続ける。言葉を交わさず、立ち止まらない。その二点を守れば補正は完了する。
 東の空が白み始めると、私たちはどちらともなく川へと足を向けた。河原に着いたころには、山の端が光っていた。やがて天の川が薄れ、朝がやってくる。

 気付けば、私は一人で佇んでいた。川の水音がやけに大きく響いていた。
 選び直した。これで元通りだ。
 確認のため、ショルダーバッグに入れて持ち歩いていた物を取り出す。長さ三十センチほどのそれは白いタオルに包まれ、巨大な繭のようだ。
 私はゆっくりとその場に座り込む。膝の上で慎重にタオルを剥いでいく。タオルに汚れはない。最後の角をめくると、使い慣れた万能包丁が現れた。一目で選び直されたことがわかった。それでも手に取って右に左にと返して眺める。柄にも刃にも汚れはなかった。
 これでやり直せる。自宅に帰れば夫は生きているはずだ。
 手早く包丁を包み直し、バッグにしまった。
 立ち上がると、朝日はすでに山の頂を越えていた。星を映していた川にも朝日が降り注ぎ、小さな波頭が白く煌めいている。
 私は清々しい気分で足を踏み出した。再び夫を刺すために。

(了)

霜月透子さんの前作「滞留」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory108.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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