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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「水たまりの向こう側」(滝沢朱音)

2019.05.31 更新

「水たまりはセーブポイントだよ」
 雨上がりの朝、父さんがよく言った言葉。
 あれはきっと、ぬかるんだ道をきらう僕を、保育園に間に合わせるための方便だったのだろう。
 だとしたら効果は抜群だった。ゲーム好きの僕は上機嫌で水たまりに踏み込み、「セーブ完了!」と叫ぶようになったのだから。
 でもそれが、もしかしたら本当のことかもしれないと思ったのは、小学3年のとき。夕暮れの歩道で水たまりを見つめ、立ち尽くす父さんを見かけたときだった。
 そのときの父さんは、子ども心にも近づいてはいけないと思うほど厳粛な顔をしていて、僕は思わず歩道橋の影に隠れ、すき間からのぞいていた。
 やがて父さんはポケットから何かを取り出すと、それを水たまりに落とし、しばらく見つめたあと、家の方向へと歩き出した。
 考えた末、僕は少しだけ時間を置いて追いかけることにした。
「父さーん」
 呼び声に振り向いた顔は、いつものやさしい表情だ。
「涼介か。おかえり」
 さっき水たまりで何してたのとは聞けず、父さんに並んで歩きながら、僕はわざと別の話題を出した。
「あのさ、昨日の話だけど」
「昨日?」
「千花ねえちゃんのこと」
 僕が見上げると、父さんは目をそらせた。
「父さんは、千花ねえちゃんとすごく結婚したいの? だったら僕……」
「いや、それはもういい。いいんだよ」
 言葉をさえぎり、父さんは僕に笑ってみせた。
「父さんはな、おまえがまだ小さいから、母親を作ってやらなきゃって思い込んでた。でも涼介にとって、母親は死んだ母さんだけでいいんだとわかって、すっきりしたよ」
「……」
「おまえの気持ちを千花ねえちゃんにも伝えたから、今までみたいにうちに来ることはもうなくなる」
「えっ……どうして?」
「彼女はまだ若いから、他の誰かと結婚させてあげないといけないだろ?」
 父さんの口元は笑っているけれど、目がひどく寂しそうで、僕はうつむいた。
 ――本当のことを言うと、僕は父さんに嫉妬したのだ。
 千花ねえちゃんのことが好きで、父さんに取られるのが嫌で、わざと「死んだ母さんがかわいそうだ」と言ってしまった僕は、いたたまれない気分になった。
 後ろめたさで下を向いた僕の手を取り、父さんはやさしく言った。
「さあ、帰ろう。腹へったな。今日はハンバーグにするか」
 大きくてあたたかい手に泣きそうになりながら、夕焼けに向かって歩いたことを、僕は今でもよく覚えている。

 あのとき父さんが、水たまりで何をしていたのか。ようやくわかったのは、僕が18になった雨の日のことだった。
 父さんは、紫陽花があしらわれた蒔絵の美しい櫛(くし)を、テーブルの上に置いた。
「これは母さんの形見だよ。昔、実家の蔵で見つけたものだそうだ」
 黒地に金色の葉。その上に浮かぶ紫陽花の模様には、細かな螺鈿(らでん)が使われていて、花1枚1枚が虹色に輝いていた。
 長い年月を経たせいか、螺鈿のはがれたあとがあちこちにある。
「涼介ももう大人だから、そろそろ話しておこうと思う」
 櫛を見つめながら、父さんは話し始めた。
「母さんの病気は、おまえを妊娠したことがきっかけで発覚した。医者は、今回の妊娠継続はあきらめて治療に専念すべきだ、そうでないと命の保証はできないと言った」
「……」
「父さんも医者に賛成し、母さんを説得しようとした。だけど母さんは、どうしてもおまえを産みたいと言い張って……」
 父さんは櫛を手に取った。
「この櫛はそのとき、母さんから託されたんだよ。もし私が死んだら、この花を1枚ずつ、雨上がりの水たまりに投げ入れて、と」
「水たまりに?」
「この花には不思議な力があって、水たまりに1枚投げ込めば、向こう側の世界を垣間(かいま)見ることができる。かつて選ばなかった道は、水たまりの向こう側で続いているのだから。母さんはそう言った」
「あっ……」
 僕の脳裏に、小学3年のときの光景がよみがえった。
「もしかして、あのとき父さんが水たまりをのぞいてたのも、そうだったの?」
「あのとき?」
「千花ねえちゃんと別れたときのことだよ」
 父さんはハッとした表情になり、ゆっくりとうなずいた。
「……そうだな。父さんはあのとき、涼介が生まれてこなかった世界を垣間見た。すまない。どうしても母さんに会いたくなって……」
(謝ることなんかじゃない。謝るのはむしろ、再婚を阻んだ僕の方だ)
 物言いたげな僕にかまわず、父さんは話し続けた。
「向こう側の世界で、母さんは寂しそうに笑っていたよ。病気は治ったけれど、そのあと子どもには恵まれなかったようだ」
「……」
「こちら側の母さんは、闘病しながらも3年間、涼介の成長を見守ることができたわけだろ。これでよかったんだ。だから父さんは、何も後悔してないよ」
「……じゃあ、千花ねえちゃんとのことは?」
 僕の突然の質問に、父さんは口ごもった。
「僕、ずっと後悔してたんだよ。あのときどうして、再婚を祝福してあげられなかったのかって」
「涼介……」
「今ならわかる。父さんは僕のためなんかじゃなく、千花ねえちゃんを本気で好きだった。そうだろ?」
 いったいどうやって償えばいいのだろう。僕は父さんから千花ねえちゃんだけでなく、母さんも奪っていたのだ。
 罪の意識でしゃくりあげる僕。父さんはしばらく黙り込んだあと、紫陽花の櫛から螺鈿を1枚はぎ取り、静かに口を開いた。
「……涼介。今から、向こう側をのぞいてみないか?」

 朝から降り続いていた雨がようやく止み、陽の傾いた空には、うっすらと虹がかかっていた。
 歩道橋の脇には、あの日と同じように大きな水たまりができ、空の虹を逆さまに映し出している。
「あのとき、もし賛成していたら。そう考えながら、これを投げ入れてごらん」
 父さんがさしだした手のひらの上の螺鈿をつまむと、僕は目を閉じた。
 小学3年の僕を、記憶から呼び起こしてみる。
 毎週末のようにうちへ来て、ホットケーキを焼いてくれた千花ねえちゃん。やさしくて楽しくて、大好きだった人。
『千花ねえちゃんが、新しいお母さんになるんだね。うれしいな!』
 あのとき言えなかった言葉を心の中でつぶやき、そっと目を開けると、つまんだ指を離した。
 螺鈿は水たまりに一瞬浮かんですぐ沈み、虹色の輝きだけが水面に広がってゆく。
 目を凝らしていると、やがて懐かしい笑顔が映し出された。千花ねえちゃんだ。
 どうやら向こう側の世界も、こちらと同じだけ年月が経っているらしい。30代半ばくらいになった彼女は、小さな男の子に話しかけている。
(僕? いや違う、あれは……)
 目元が千花ねえちゃんによく似ている。たぶん再婚後に生まれた弟なのだろう。
 よく見ると向こう側にも僕がいて、2人に背を向けている。彼の抱く感情が一気にこちら側へと流れ込んできて、心が騒がしくなった。
「どうだ?」
 父さんが話しかけてきた瞬間、水面の映像はにじんで消えた。
「うん、見えた。僕に弟がいたよ」
「……そうか」
「でも僕、やさぐれてたな。弟を可愛いと思えないみたいだった」
 彼から伝わってくるのは、早くここから逃げ出したい、高校を出たら1人暮らしをしよう、そんな思いばかりだったのだ。
 それを聞いた父さんは、ふっと微笑んだ。
「父さんもずいぶん前に、千花との未来をのぞいたことがある。そのとき弟はまだ生まれてなくて、彼女とおまえは本当の親子みたいに仲睦まじかったよ」
(……実の子どもが産まれて、気持ちが変わったってことか)
「どちらの世界も、日々移り変わってゆく。だから、どちらの選択肢がよかったかなんて簡単に答えは出せない。そういうもんなんだろうな」
 父さんはそう言って、僕に紫陽花の櫛を渡した。
「これがあれば、いつだって向こう側をのぞくことができる。向こう側は向こう側で時間が流れている。そう思えば、生きるのが楽になるはずだ」
「……うん」 
 選択肢の数だけ存在する、もう1人の自分。
 父さんは昔、水たまりをセーブポイントだと呼んだけれど、それは違うのだろう。僕たちは、分岐点には決して戻ることはできない。
(向こう側からこちらをのぞけば、どんな風に見えるんだろうな……)
 ――ふとそう思ったとたん、なぜか背筋がぞくりとした。
 気がつくと、さっきまで空に架かっていた虹が、にじんで薄くなっている。
 それと同時に、まるで雷のような鮮やかさで、ある確信が僕を貫いた。
「……ねえ、父さん」
 震えるのどから、ようやく声を絞り出す。
「なんだ?」
「……本当は、どっちを選んだの?」
「どっちって?」
「僕と……母さん」
 虹が消えたあとの空は次第に暗くなり、夕闇に飲み込まれようとしている。横に立っているはずの父さんが、無言のままにじんでゆく。
「消えないで!」
 僕はあわてて、持っていた櫛ごと水たまりに投げ入れた。
 その瞬間、空は閃光につつまれ、雲の隙間に一瞬だけ何かが見えた。
(……目?)
 ――誰かに、こちら側をのぞかれている。
 上から僕を――水たまりの中をながめているのは、いったい誰なのか。
 雷鳴に混じり、いい争う声が響いてきた。
『返して! 生まれてくるはずだったあの子を返して!』
『嘘ついてごめん。どうしても君を失いたくなかったんだ』
『約束したのになぜ、私の言う通りにしてくれなかったの?』
 ――本当は、僕が生まれなかった世界。
(そうか。最初から、こっちが〝向こう側〟だったのか)
 自らの生と引き換えに子を失って苦しんだ母さんが、水たまりをのぞいたときだけに出現する想像上の存在。それが僕だったのだろうか。
 気づけば空は消え、大地も闇に飲み込まれ、足元へとせまってくる。
(……結局、僕は父さんから何も奪ってなかったんだな)
 心のつかえがようやく取れた。そんな気がした瞬間、全てが闇につるりと消えた。

(了)

滝沢朱音さんの前作「ドクターイエローの黄色いリュック」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory104.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
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