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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「傘、貸します」(恵誕)

2019.05.31 更新

 リラさんが今日も雨に濡れている。
 霧雨程度なら気にしない、という人はいるけど、彼女の場合は本降りでも傘をささない。
 私は持ってきた傘の持ち手を、リラさんへ向けた。
 しかし彼女はにっこりと微笑んで首をふるので、そっと肘をのばし、私の傘の中へ入れた。
「雨の音を聞いているとね、思い出すの」
 おでこにピタリとはりついた前髪を気にもせず、リラさんは話しはじめた。

「あれはわたしがタイピストになりたての頃のこと。
 まかせてもらえる原稿がちょっとしかなくて、ほとんどの時間は先輩の書類を整理したり、おつかいに行ったり、雑用みたいなことをしていたわ。
 ある日、原稿を届けた帰り道。頰にぽつりと冷たいものを感じて、空を見上げたら書いてあったの。『傘、貸します』って。
 駅から二十分は歩く、古びたビルの二階よ。いったい誰が借りるのかしら? ってしばらく見てたらね。中年のふくよかな女性が一人、ビルの前で立ち止まって、じっと二階の方を見つめて入って行ったの。
 彼女、黒い傘を持っていたのに、しばらくしてレモンイエローの傘を手に出てきて。それでゆっくりとその傘を開いて雨の中へ消えて行ったわ。
 変でしょう。別の傘をさして帰るなんて。
 それでピンときたの。あれは絶対、あの貼り紙の部屋に関係あるって。
 だからわたしは、持っていた傘を入り口のドアの後ろに隠して、その部屋を訪ねたのよ。
 ふふ。若い頃はね、ここいちばんっていうときに積極的な性格だったんだから。

 扉を開くとね。床が見えないほど、開いた傘が並べられていたわ。まるで足元にお花がぱあっと咲いてるようにね。
 その傘の花の中に、埋もれるように事務机が一つあって、そこに座っていたのが輝さんなの。
 真っ白なシャツに、丁寧に整えられた短い髪。丸いメガネ。その奥の小さな瞳が私を見て、にっこり笑ってくれた。
 輝さんはね。雨の季節限定で、一人ひとりに必要な傘を貸しているって言うのよ。
 好きな色やデザインじゃなく、『必要な傘』。
 よくわからないでしょう? わたしがきょとんとしていたら、彼は教えてくれたわ。

 たとえば、さきほどの女性。彼女には『泣き傘』 を貸したんです、って。
 あの人は家では三人の幼い男の子のお母さん、働いている食堂では頼れるおばちゃん。泣きたいことがあっても、泣く場所がないの。
 泣き傘はね、雨の誘引力がすごくって傘のまわりだけ強く降るから、声を出して泣いても周りには気づかれないそうなのよ。
 ねぇ、あなた。最近いつ泣いた? 大人になると泣くのって意外と難しいでしょう?
 もしも傘の下が自由に涙を流せる場所になるなら、少しでも雨が長く降ることを願うわ」

 そう言われてみると、私が最近泣いたのはいつだろう。
 毎日が数珠つなぎのように過ぎてゆき、誰かにときめくことも、ドラマに涙することも、どこか遠い記憶のようだった。家と職場の往復。それだけで、私の気力と体力は十分に奪われていた。
 リラさんは私の返事を待たずに続けた。

「輝さんとはすぐに仲良くなったわ。届けものの途中に、仕事の帰りに、わたしは二階の傘の部屋を覗いたの。
 ある時は高校生が二人で来て、大きなグリーンの傘を借りて行ったわ。
 ずいぶん遠くの町にある男子校の制服なんだけど、必要としている人はここへたどり着けるのね。
 二人で一本の傘に入って帰ったの。恥ずかしそうにしてね。
 そう。『恋傘』よ。今と違って時代が時代だったから、何ていうか……。
 恋傘はね。深めに作ってあるから外から二人はほとんど見えないの。
 雨が生地にぶつかるたびにマリンバのような音色に響く作りも粋。二人だけのロマンチックな時間が過ごせるのよ。
 別の日には『穴傘』っていう穴があいたライトグレーの傘を借りて帰った方がいてね。
 かなり年配だけど、仕立てのいい背広に顔が映るほど磨かれた靴を履いて、高級車であらわれたの。大きな会社の社長さんらしいんだけど、幼い頃はとても貧しかったそうでね。あばら屋で兄弟揃って雨漏りの音に耳を傾けていた頃がいちばん楽しかったんですって。
 穴傘はね。穴の向こう側に見たい景色を映す力があるの。穴があいてるから濡れちゃうんだけど、それでも、その方には必要な傘だったのよ。
 それから……ビルの入り口の階段に、ちょこんと座って雨宿りしている小さな女の子がいたんだけど。輝さんがその子に渡したのは、獅子やサソリの模様がちりばめられた小さなブルーの『星空傘』。
 女の子は、大切な人はお星様のもとにいると信じてるみたいで。きっと家族の誰かが亡くなったのかもしれないわ。でも、雨だと、星も見えないでしょう。
 星空傘の下なら、いつでも満点の星空が煌めくからって。

 ねぇ。知ってる?
 傘の下にはもうひとつの人生があるのよ。
 わたしたちはほとんどの時間、傘をささずに過ごすけど、せめて雨が降った時くらい、傘の下で自分の気持ちに素直に生きるのも悪くないんじゃないかしら。
 え? それでわたしはどんな傘を借りたのかって?
 わたしはね、傘を借りてないの。もらっちゃったの。
 そう。輝さんよ。
 輝さんがわたしの傘になってくれたの。
 あなた、いつも親切にしてくださるから、見せてあげるわ。誰にも言っちゃダメよ。とくべつよ」
 そういうと、リラさんは胸もとからそっと壊れものでも扱うように何かを取り出した。

「彼ね、どんな時も君の傘でいられるようにって、折りたたみ傘になったのよ。わたしの傘になりたい男の人はたくさんいたけど、やっぱり輝さんじゃないとダメなのよね。
 いい? 人は誰でも誰かの傘になれるのよ。本当よ」
 少女のように頰をそめ、愛おしそうに骨だけになった折りたたみ傘を抱きしめたあと、ゆっくりとさした。
 彼女は昨年、雨の日に同じように老人ホームの中庭に出て、その傘をさし続けて肺炎になりかけた。担当の介護スタッフである私はそれ以来、雨の日は注意して見ることにしていたのだ。

 雨が好きで、だけど雨が降っても決してちゃんとした傘をさそうとしないリラさん。
 それは、輝さんの折りたたみ傘の下以外には入りたくないということだろうか。
 施設の外灯がぱちっと音をたて、ぽわん、と周囲をまるく照らした。
 そろそろお部屋へ入りましょう、と私は小さな背中に手を置いた。
 彼女はこちらをじっと見て「いい人ね、あなた」と呟いたあと、真顔になった。
「いい人で終わっちゃダメよ。もっとおしゃれして、お出かけしなくちゃ」
 黙ったままの私に、リラさんは再びやわらかな表情に戻って言った。

「わたし、もうだいぶ歳とっちゃったから、この傘、貸してあげる」

(了)

恵誕さんの前作「空気を読む」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory99.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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