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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「ヘデラポスカ」(山岐信)

2019.05.31 更新

 空港から車で八時間のプァルククに辿り着いた時には、線香花火のように赤々と膨張した太陽が、地平線の向こうに落ちかけていた。
 梅雨入りした日本とちがってジメジメしてはいないが、こちらはこちらでからりと暑い。半袖のうえに羽織るパーカーを、キャリーの奥底から引っ張り出すのは、本格的な夜が通りの砂ぼこりを冷やす時間まで、先延ばしにしてよさそうだ。
 公共図書館から借りてきた古びた辞書を頼りに、看板を読み解いて、今にも崩れそうな赤土色の二階屋に入る。
 ソファで仲間とトランプ・ゲームに興じていた現地ガイドに、ガイド料の交渉を持ちかけたところ、彼は日本人の僕に興味を持ったようだった。
「プァルククまで、なにしにきた? 首都のほうが世界遺産もあって面白いだろうに」
「北の森に生息してるヘデラポスカを見たくてね。ユミー族とも話してみたい」
 ガイドはトランプの相手に目配せをした。
「メソボのお得意じゃないか」
 ガイドが無遠慮に肩を叩くと、相手の男は溜め息をつきながら肩をすくめ、
「我こそはメソボ。北の森出身で、この人の」とガイドを指さし「同僚とかいうやつだ」とおぼつかない日本語で言った。丸鼻の下に口ひげを生やしていて、日に焼けた褐色の手足が、半袖半ズボンからムチムチと出ている。
「よろしく、メソボ。僕はハルト」
「ハルト、お前、悪い時に来た。ヘデラポスカは見れない」
「どうして?」
 驚いて訊ねると、メソボは深い溜め息をつき、手に持っていた数枚のトランプをテーブルに投げだした。
「ついてくるとよさげ」
 立ち上がった彼は、僕を手招きしながら出口に向かった。

 キャリーを転がしながらメソボのあとを歩いていると、裸足の子どもたちが近づいてきて、いつの間にかぞろぞろと大所帯になった。男の子たちは上半身裸で、女の子の何人かは豆の入ったざるを持っている。
 ロバを引く老人とすれちがった時、動物園を思い出す匂いがひどく鼻を打った。
「北の森出身ってことはユミー族なの?」
「そだよ。森にはユミー族しかござらんし」
 音と手に伝わる感触から、キャリーが誰かに叩かれたと認識した僕は振り返った。口から八重歯を覗かせている男の子が、キャリーを叩いている。思わず、コラと日本語で言う。と、集まっている子どもたちは、嬉しそうに顔をしわくちゃにして口々にコラ、コラと元気よく真似した。
「着いたよ」
 メソボは、民家の前のなんてことのない道端を指さした。ヒナゲシによく似たオレンジ色の花が、長い茎の頂きにちょこなんと咲き、風に揺られている。
「ここで先月、ユミー族が三人やられた。市場に行くために森から出てきたんだけども」
「やられた?」
「隣町を中心に謎の伝染病が問題になってやがる。政府は、周りの大国から対応するよう迫られた。んで、ろくに調べもしないうちに、ヘデラポスカが病気を撒いてると発表して、ユミー族に駆除を要請した次第だよ」
「ユミー族はことわったんだね?」
「もちろん。馬鹿げた話だし、彼らにとっては神さまなんだから。でも、そのせいで若者三人が、政府の発表を鵜呑みにした隣町の過激派に殺されてしまった。ユミー族はその事件以来森にこもっていて、よそ者が入ってきたらただじゃおかないと言ってる。そういうわけだから、ヘデラポスカは諦めるとよさげ」
 さきほどキャリーを叩いた男の子が、ヒナゲシに似た花を引っこ抜いた。
「なんてことを!」
 驚いて声をあげると、子どもたちはナンテコトヲ、ナンテコトヲと喜んで真似した。
「ここの言葉で叱ってくれ」
「叱る? なぜ?」
 メソボは目を丸くして首を傾げた。
「だって、ここは人の亡くなったところで、そこに咲いてた花じゃないか」
「風か鳥のしわざか、そうじゃなきゃ、よその人間が話を聞いて種を植えたんだろうね」
「なら、なおさら引き抜いちゃダメでしょう」
「ああ」メソボは、何かに合点がいったようにニヤリと笑った。「文化のちがいっつうやつでゴワスな。このあたりはユミー族寄りの考え方だから」
「わからないな」
 苛々した感情が声色に表れてしまっていると、自分でも感じた。
「わからない? メソボだってわからないな」
 メソボは、こちらにつられて苛立つということもなく飄々と言い、僕の目の奥を探るかのようにまともに目を合わせてきた。
「血や涙が土に還って、そこに種が落ちて花が咲いたら、それで亡くなった人の痛みはすっかり報われてしまうのかい?」

 僕は、生きるのが楽しくて楽しくて仕方がない、というタイプの人間ではない。夏場の蒸し暑さのなかで、校長先生の長話を聞かされる中学生のように、一刻もはやく終わってほしいと心から願っている。
 小学五年生の梅雨の時期に母が死んだ。死んだというと、僕にはドラマチックすぎる気がするから、肉体の活動が止まった、くらいがしっくりくる。建前上悲しんでいる顔をしなければならなかったけれど、本心では別に悲しんではいなかった。
 彼女はお前なんか生みたくなかったと僕に言った。喧嘩した時の売り言葉に買い言葉といった感じではなく、本心らしいことが、敏感な子どもの感性で痛いほどわかった。
 母に望まれたわけでもなく、僕自身が望んだわけでもないのに、なぜ生まれてきて、生きて、やがて肉体の活動を終えなければならないのか。
 六月になり雨が降り続くと、母の葬式で嗅いだ線香の匂いとともに、そんな問いを思い出す。それで、あまりにもいたたまれなくなった年は、雨の降らない地域に旅することに決めていた。
「まだ起きてはる?」
 京都から修学旅行に来た高校生のようだ。
「起きてるよ」
 天井を仰ぎながら答える。メソボの厚意で、彼の家の二階に泊めてもらっていた。
「ユミー族のことわざを教えてやる」
「どんな?」
「生きている間に葬式をひらけ」
「なんじゃそりゃ」
 メソボはくっくと短く笑った。
「死んだらご自分の葬式には出られないから、生きているうちに、ご自分の人生を賭けて、ご自分という人間を弔っておけっつうことだ」
「一生懸命生きろみたいな?」
「そんな簡単な話じゃない。――ことわざには続きがあって、他の葬式の邪魔はするな、っていうんだ。まあ、みんなひとりぼっちでご自分の葬式をしてる最中だから、傷つけちゃダメ、みたいな意味やで」
 メソボがソファで寝返りを打つ気配がした。僕は天井を見つめた。
 うとうとし始めると、昼間の車の揺れが蘇った。メソボに譲ってもらったベッドが右に左にぐらぐら揺れて、時おり、タイヤに跳ねられた石ころが車体にこつんと当たる。ラジオのノイズのような雨音がざーざーと心をかき乱し、ぷんと線香の匂いが鼻腔を刺激した。
 ハッと目を覚ます。
 まだ夜は明けていなかった。雨音が、夢と現実の境界を侵して聞こえ続けている。体を起こしてソファを見ると、めくれあがった掛け布団の下にメソボはいない。
 窓に寄ると、バケツを逆さにしたような豪雨だ。過ぎし日の線香の煙が、遠く離れた日本の、それも過去の一点から僕を追いかけて来たように匂う。しんと心が凪ぐのを感じた。
 階段をドタドタと駈け上がる音が聴こえて、まもなく戸口からメソボが顔を出した。外に出ていたらしく、タオルで頭を拭いている。
「北の森が燃えてやがる」
「えっ」
「隣町のやつらが火をつけたらしい。でも、この雨のおかげさまですぐ消えそうだ。毎年この時期は雨なんか降らないのに――みんな、ヘデラポスカが降らせてるって言ってる」
「ヘデラポスカが?」
 聞いた直後、ユミー族がヘデラポスカを神として崇めていることを思い出した。
「集会所に行くけど、ハルトはどうする?」
「いや、僕は遠慮するよ」
「さようか」

 数日後、世話になったメソボにお別れを言って首都に戻った。ホテルからナイトマーケットに繰り出し、スパイシーな香りに誘われて屋台に入ったところ、隣の席が日本人の女性だった。ここで結婚して十年になると言う。
 僕がプァルククでガイドを雇ったところまで話すと、彼女は眉間にしわを寄せた。
「プァルククには三年前から誰も住んでないはずだけど……」
「誰も? どうしてまたそう思ったの?」
「伝染病が大流行して、原因がロバの血を吸った蚊だってわかった頃にはもう手遅れ」彼女は胸の前で両手を挙げた。「運良く生き残った人たちも、みんな引っ越しちゃったのよ」
「ユミー族やヘデラポスカは?」
 彼女は目を伏せて、首を左右に振った。
「政府の誤報のせいで森に放火されて、乾季だったから雨も降らなくて、木を一本残らず燃やし尽くすまで炎が消えなかったそうよ」

(了)

山岐信さんの前作「ハハハの日」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory102.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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