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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「滞留」(霜月透子)

2019.05.31 更新

 雨に煙る田舎道に、古びた小屋がぽつんとある。バス停留所案内表示板が立っているから、小屋は待合所なのだろう。中には老いた女が一人いるだけだ。女は不安げに皺だらけの手をもみ合わせたり、ベンチに腰掛けたまま身を乗り出して道の先を眺めたりしている。
 ところどころ錆びて読みづらくなっている時刻表には、一時間に一、二本のバスが運行することになっているが、女は腕時計をしていないため時刻がわからない。しかも寝入り端のように頭がぼんやりと重く、どのくらいの時間をここで過ごしたのかも定かではない。
 降り続く雨のせいか道行く人も車もない。耳鳴りのような雨音のほかは、田んぼから蛙の声が重なり合って響いているだけだ。
 ぱしゃん。
 水音とともに目の前の水たまりに就学前らしき男の子が立った。男の子は黄色の長靴を履いてはいるものの傘もレインコートもなく、長袖シャツや半ズボンはぺたりと体に貼りつき、髪や顎から水が滴るほどに塗れていた。
「あらあ。そんな格好でどうしたの? ほら、中に入りなさい」
 女はベンチから腰を浮かせて手招きをしたが、子供は首を振った。
「入れないの」
「どうして? 誰もいないわよ。ベンチもあいてるわ」
「ちがうの。ヒロ坊、鬼だから」
「鬼?」
 女はとっさにヒロ坊を名乗る子供の頭頂部に目をやるが、もちろん角など生えてはいない。どういうことかと巡りの悪い頭を必死に働かせていると、子供の方から話し出した。
「あのね、ヒロ坊ね、水鬼やってるの」
「みずおに……」
 女の脳裏に小さな稲妻が走った。ぴりっとした痛みに顔をしかめる。ヒロ坊はそんな女の様子に構うことなく言葉を続けた。
「鬼ごっこなんだけどね、水のあるとこしか歩けないの」
 たどたどしい説明からわかったのは、高鬼や色鬼のように、通常ルールに一定の制限をつけた鬼ごっこの一種らしいということだった。
 仲間内で考案したという独自の遊びはこうだ。鬼も子も水のあるところしか足をつけないという制限がある。水たまりを見れば足を踏み入れずにはいられない子供らしい発想だ。ただし水たまりである必要はなく、地面が濡れていればいいらしい。さらにはバケツやジョウロでもって水を撒きながら通り道をつくるのもありだという。厳しいのか緩いのかよくわからないルールだった。
「カエちゃんが考えたの」
「カエちゃん?」
「うん。お隣のお姉ちゃん」
「そう。すごいねぇ」
 軽い気持ちで相づちを打つと、ヒロ坊は自分が褒められたかのように得意げに胸を反らした。
「だからね、ヒロ坊はそこに入っちゃいけないの」
 賢い子なのだろう、きちんともとの話に戻した。まだ水鬼で遊んでいる最中だから地面の乾いている屋根の下には入れないというのだ。
 晴れた日であれば制限となるそのルールも、雨の日ならば外はどこもかしこも濡れていて走り放題だ。だがそれでは通常の鬼ごっこと変わらない。第一、こんな雨の中を走り回るなど体にいいわけがない。
「地面を濡らしながら入ってくればいいんじゃない? 手や足を伸ばせばお水が垂れてくるわよ。ほら、袖を絞ってごらんなさい」
 ヒロ坊は素直に右腕を前に伸ばし、左手で袖口をぎゅっと握った。ぼたぼたといくつもの滴が落ちて地面が黒く濡れた。
「できた!」
「ね。そうやってここまでいらっしゃい」
 女はベンチの座面を軽く叩いた。ふと自分の手の甲で視線が止まる。
「わかったよ、おばちゃん」
 おばあちゃんではなく、おばちゃん。
 ヒロ坊の言葉に、女はハッとして頬に手を当てた。とうに忘れたはずの感触があった。女の髪は豊かだが、ほとんど白くなっており、誰が見ても年老いた姿のはずだった。ましてや幼い子供の目に映る大人は、実年齢よりもずっと上に見えるだろう。なのに、おばちゃんと呼ぶとは。
 女は再び手を見た。そこには伸びきった皮膚も深い皺もなかった。なにが起こっているのだろう。
 ヒロ坊は真剣な表情で地面を濡らしている。
 その姿を見て女は今更のように気づく。こんなにも濡れてしまっては一時的な雨宿りでは意味がない。屋根の中に招き入れるより、早く帰るよう促した方がよかったのかもしれない。
「ねえ。あなた……」
「ヒロ坊だよ」
「そうね。ヒロ坊」
「なに?」
「おうちに帰った方がいいんじゃない?」
「んー。でも水鬼やってるから。鬼がいなくちゃ終わらないでしょ?」
 田んぼの向こうに細い稲妻が走った。音も届かないほど遠いのに、鋭い光の先端が眉間に突き刺さった気がした。ぼんやりとしていた頭の中がにわかに明るくなる。
 知っている、と女は思った。
 そうだ、水鬼という遊びをずっと前から知っていたではないか。

 子供の多い時代だった。都会では妻は家庭に入るものだったようだが、田舎では夫婦そろって田畑に出ていて、その間、幼い子の面倒は兄弟や近所の子がみていた。
 私には兄と姉がいたが、すでに高校生と中学生になっており、当時小学校高学年だった私は歳の近い近所の子たちと気ままに遊んでいた。
 ところが、隣家の子のおむつが取れると今までのようにはいかなくなった。
 私は、いつもついて回る世話の焼けるその子が邪魔だった。せっかく子供っぽい遊びを卒業したというのに、また同じことを繰り返さなければならないのがもどかしかった。
 そんなある日、私は名案を思いついた。
「ねえ、今日は新しい鬼ごっこをしようか」
「うん!」
「あんたのために考えた鬼ごっこだよ。水鬼っていうの」
「やったあ。すごい。水鬼やる!」
 ほかの子たちも興味をもった。年長の子たちに、たまには小さい子抜きで遊ぶ計画を耳打ちすると、あっさりと承諾した。やはり物足りなさを感じていたのだろう。
 遊びの間にまくため、隣家の子を鬼にした。いつもならば小さい子はみそっかす扱いで、鬼はやらせないし、なんらかのハンデをつけるなどして、形だけ参加させることにしていた。それをわざわざ鬼にしたのは、本人がみそっかすはいやだと言うのを見越してのことだった。
 年長の子たちは鬼から逃げ回るふりをしながら、その子をまいた。水のあるところしか進めないと決めたのは、動きを遅くするためと、行動範囲を狭めるためだった。
 そしてその子はいなくなった。
 鬼をまいたことなどすっかり忘れ、居間でお絵かきをしていた私の耳に届いたのは、夜になっても帰宅しない隣家の子を心配する大人たちの会話だった。
 翌日、バス停近くの田んぼに落ちて全身水に浸かっているヒロ坊が見つかった。

 ぱっと辺りが白く光った。間を置かずして巨大な板が割れるような轟音が響いた。直後、無数の石つぶてのような雨がばばばばばと待合所の屋根を叩く。
 とっさに膝を抱え、耳をふさぐ。そして、はたと気づく。あまりに滑らかにベンチの座面に足をあげたことに。
 目の前にある膝は小さかった。手もつるりとして折れそうに細い指がついている。まるで小学生のような。
 ちゃぷん。
 先ほどまで足を置いていた地面には小さな水たまりが張っていて、その中に黄色の長靴があった。ゆっくり顔をあげると、正面にヒロ坊の笑みがあった。
「カエちゃん、みぃつけた!」
 小さな手がカエの腕にそっと触れた。その手をカエの手が握る。
「つかまっちゃった」
「水鬼、おしまいだね」
「そうだね。ヒロ坊、一緒に帰ろっか」
「うん」
 立ち上がり、手をつないで待合所を出る。
 日が射していた。雨音も蛙の声も消えている。
 音もなくボンネットバスがやってくるのが見えた。
 停車したバスに二人の子供が乗車すると、やはり音もなくバスは発車する。
 バスが走り去ると、ためらいがちに一匹の蛙が鳴き始め、すぐにいくつもの声が後を追った。張り合って鳴く蛙の声にクビキリギスの人工音のような連続音が重なり、たちまち辺りは音と光に包まれた。
 バスが走り去った先の山には、大きな虹が架かっている。

(了)

霜月透子さんの前作「芳魂」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory103.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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