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新・世にも小さな ものがたり工場

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「連休のひと仕事」(the world is wide)

2019.04.26 更新

 カットしたレモンと氷を浮かべて、よく冷えたソーダ水をグラスに注ぐと、昼前の太陽は立ち上る小さな気泡の一つ一つまできらきら輝かせて見せてくれた。こういうのをゴキゲンって言わずしてなにをそう呼べばいいんだろう。連休のはじめのその日、空は高く晴れ上がって、時折吹き抜けるそよ風は新緑の匂いを含んでて、じつに気分の良い一日の始まり。母親と父親は早々にどこか出払って、妹はたった今彼氏とデートだと言って出かけていった。おれは一人きりで我が家のウッドデッキで冷たいレモネードといっしょに太陽を浴びている。強すぎるくらいの陽差しがまるで夏みたいで、どこか泳ぎに行きたくなるくらいに気温は高くってね。
 レモネードはすぐ空になって氷はからん、と音をたてる。

 さぁて、誰もいなくなったし。そろそろやるかな。一つ伸びをして、おれは椅子から立ち上がる。
 なに、たいしたことじゃない。ちょっと我が家のためにひと働きしようというだけのことなんだ。ウッドデッキからリビングを通ってキッチンに向かい、排水口にちょっとした細工をやった後で、蛇口を思いきり開いた。
 実は以前から気になっていたのが我が家のキッチンのシンクについての問題でね。こないだ洗い物をやったときのことだけど、コーヒーカップをゆすいでる間にどんどんシンクに水が溜まってきて、あっちこっちでこれから洗うつもりのお皿がボートみたいにぷかぷか浮かんでさ、一体なんだこれはって母親に聞いたらここ数ヶ月こんなふうで、でもまぁ、三十分も置いとけば流れていくわよ。と随分気楽な返事。

 言ってしまえば、排水のパイプが詰まりを起こしてるってだけなんだけど。今日のおれはこいつについて一肌脱ごうってつもりなんだ。
 インターネットっていう気の利いたやつで、〈排水口を金属製のボウルかなんかの底でふさいで、シンクにめいっぱい水を溜めた後で一気に外すと、水圧で詰まりが取れる〉っていう豆知識みたいなのを仕入れたおれは、こいつをどうにか試してみようと思い立ったんだ。蛇口を思い切り捻って、シンクいっぱいに水を溜める。水を一杯にするのには少しばかり気長に待つ必要がありそうだけどもね。
 さて、シンクの下の開きみたいになった場所には、包丁研ぎに始まって、ざるやらボウル、各種オイルにはじまってワイン、酢、ショーユ、または消火器なんかがひしめいている。その真ん中あたりにうねうねした管が上から下に降りていってる箇所がある。ビニール製のジャバラみたいな、まるで灰色の腸管みたいなやつ。おれの推測じゃこいつの中に余分なものが溜まっているのが詰まりの原因だろう。台所洗剤のカスやなんかがヌルヌルになって厚く層を作って、流れを阻んでるに違いない。腸管を掴んで軽く揺さぶってみる。腸が続いてる床下の方からゲボ、と、かすかな音がする。
 よし、もっと刺激だ。腸管を掴んでぐるんぐるんグラインドさせる。しばらくやってみて、手を放す。ゲェバ、ゲェェェ…、怪獣映画なんか撮ってる会社に持ち込みたくなるような音が床下から響いてくる。いいぞ。腸が動き始めた。この時点でもう問題はほぼ解決してるかもな。シンクに貯めた水を一気に流したら、詰まりは水流の圧力ですっかりよくなっちまうかも。
 おれはさらに腸管をシェイクしたりグラインドしたり、しごきあげたりした。その度に灰色の腸管が唸り声を上げる。シンク復活の時は近いって手応えがあったよ。
 排水口をボウルが塞いで、今や満杯近くシンクに水を溜めた。排水口の下に伸びる管には念入りに「腸もみ療法」をほどこしてやったから、理想としてはこのあたりの詰まりは全部流れて、ここに真空状態が生まれているといい。この真空に対して目一杯貯めた水を一気に流すと、その水圧は腸内の下部に至るまで滞留したヌルヌルをそれは景気よく洗い流すだろう。ジュゴロロ、ズモモモ―――ッってさ。
 流れの悪いところが良くなるってのは何といってもイメージがいい。連休の初日にやるにはこれほど幸先のいいスタートもないし、ついでにおれは家族中から感謝されることになるだろう。

 …ところがだ。おれはこの時点じゃまだボウルの栓を外してないにも関わらず、やけに地下の腸管が騒がしいんだ。ヴゥオェ、ヴゥオェ、なんて音と一緒に、なみなみと溢れてるって感じのタプン、タプン、って妙な音が腸管の下のほうからものすごいスピードでせり上がってくる。それもなんだか、どんどん大きな音になっていく。
 不思議に思った次の瞬間、やばい、って本能的に思った。なにか酷いことが起こるぞって。あぁ、でもそのときのおれに一体何が出来たっていうのだろう。

 最初にウポッ、なんて音がして、妙なことにはボウルの底が、それまで塞いでた排水口から外れちまった。ボウルはシンクにたまった水の中をゆらゆら泳いだかと思うと、排水口はオベベ、オベベべ、なんて変な音を吐き出し、その次の瞬間、キッチンの天井めがけて凄まじい水の柱が立ち上がった。その水流のものすごいこと。シンクはいとも簡単に溢れ出し、一瞬でキッチンはバスタブみたいな水量に見舞われた。一気に腰のあたりまで水が届いて、おれは身動きどころじゃない。なんてこった。水勢は弱まるどころかますます強くなってどんどん溢れだす。なんてこった。キッチンで溺れそうだ。なんだこりゃ、まるで大河の流れだ。助けてくれ。家庭のキッチンで溺れそうだ。なんて水量だ。畜生流し台め。よくも連休の初日に。

 おれの体はなすすべもなく水に浮かんで、もうすこしで天井にキスすることになりそうだ。畜生なんてこった。ほんとにまったく、なんてこった畜生。みんなはどうかこんな目に遭わないよう、楽しい休みを過ごしてくれよな。

(了)

the world is wideさんの前作「すき焼き」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory97.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
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