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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「芳魂」(霜月透子)

2019.04.26 更新

 あの日、目の前で世界が裂けた。
 その瞬間、英二は「裂けた」という言葉で目の前の現象を受け止めたが、いま思い返してみると、それは分離というより複製に近いかもしれない。ページがめくられるように。薄紙が剥がされるように。めくれ、剥がれた向こうからは、それまでと変わらぬ世界が現れた。ただ、そこにいた人だけが消えていた。

「ねえ、パパ知ってる? きょうはね、ママにカーネーションってお花をあげる日なんだって」
 美咲は英二の耳元に口を寄せ、そう教えてくれた。なんでも保育園で教わったそうだ。内緒話のつもりの声は大きくて、当のママである香織の耳にも届いている。英二と香織は顔を見合わせて笑みを交わした。
「じゃあパパとお花屋さんに行くか」
「しっ。ママに聞こえちゃう!」
 香織が笑いをこらえつつ、聞えよがしに「いっけない。ママ、お掃除しなきゃ」と二階へ上がっていった。
「よし、いまのうちに出かけよう!」
「うん! はやくはやく! ママがもどってきちゃう!」
 そうして英二と美咲がカーネーションの切り花を買って帰り、美咲が靴を脱ぐのももどかしく「ママー!」と大声で呼び、香織がスリッパをパタパタ鳴らして近づき、美咲がカーネーションを差し出し、香織が手を伸ばし……世界が裂けた。英二と美咲の目の前で、香織が消えた。

 よくあることだ。
 日の落ちたベランダで洗濯物を取り込みながら英二は呟いた。こんなのは、よくあることだ。世界が裂け、香織が消えたあの日から、毎日そうやって自分に言い聞かせている。
 英二の職場でも身内や知人がそれに遭遇したという話をよく聞く。美咲でさえ知っている現象だ。交通事故と同等の頻度だといわれている。
 そのくせ、この現象を示す言葉はない。まるで名付けたら発生頻度が増すとでもいうように。巷では〈例の現象〉と呼ばれている。
 これといった発生条件があるわけでもなく、前兆もないため避けようがない。そういう点では交通事故よりは天災に似ている。
 だが、いずれ元に戻る。いつになるかはわからない。数時間後の場合もあれば、数ヶ月後の場合もある。いまのところ一年を超えたケースはないといわれている。
 我が家の場合はもうすぐ二週間になる。
「パパー! ママが来たよー!」
 部屋の奥から美咲の呼ぶ声がする。
「そうか。すぐ行くよ」
 残りの洗濯物を慌てて取り込み、室内へ入った。
 幸いなことに通信は可能だ。電話であったり、メールであったりと、これもまたいくつものパターンがあるようだ。当事者の生活となんらかの関連性があるらしいと聞くが、確かなことはわからない。それにしても我が家はレアケースだろうと英二は思う。
 リビングに行くと、美咲がローテーブルに両手をついて身を乗り出していた。目の前には花瓶に挿した一輪の赤いカーネーションがある。
 香織との通信は、カーネーションだった。カーネーションを渡す瞬間に〈例の現象〉が起きたからかもしれない。
「洗濯物、乾きにくいでしょ?」
 フリルのような花びらの中で、親指ほどの背丈の香織が眉根を寄せた。
「まあね。梅雨が近いのか、空気が湿っぽいんだよなあ」
「こっちもそう」
「ママー。ミサキともおはなししてー」
「ああ、ごめんごめん。美咲はいい子にしてる?」
「してるよー。今日ね、保育園でね……」
 香織は日に一度、こうしてカーネーションの中から現れる。引き抜こうとしたこともあるが、その場から離れることはできないようだった。
「ママ、おねむなの?」
 見れば、香織がぐったりと花びらに体を預けている。体が小さいと体力の消耗が激しいのか、会話の途中で力尽きてしまうことが多い。
「美咲。ママ、疲れちゃったみたいだから休ませてあげようね。バイバイして」
「いやー。もっとママとおはなしするのー。おきて、ママ」
 そう言って、美咲は花瓶を揺すった。カーネーションがグラグラと揺れるが、香織は上体を起こすこともできず、ズルズルと花弁の中に吸い込まれていく。
「ママー!」
「美咲。また明日会えるから。ほら、バイバイって」
「やだーやだー」
 香織の姿が消えると、美咲は赤い花弁をかき分けて覗き込んだが、もうそこには求める姿はなかった。英二は美咲を抱き寄せて、髪や背中を何度も撫でた。

 香織は眩しさに目を覚ました。リビングに朝日が差し込んでいる。通信の後、立ったまま眠ってしまったらしい。日に日に目覚めている時間が短くなっていく。
 香織は水の入ったバケツの中に立っていた。バケツから出ようとするが、足に力が入らず持ち上がらない。諦めて、バケツに足を入れたまま腰を下ろした。
 目の前には膝と手首がある。関節が腫れあがり、大きくなっている。もしやと思い、体のあちこちに目をやると、節々から細い葉が生えているのが見えた。肌の色も昨日より色濃くなっている。
 香織はため息をつきながら髪をかき上げた。指先にひんやりと柔らかなものが巻きついたかと思うと、赤い花弁が千切れて落ちた。
 いずれ元に戻る。〈例の現象〉はそういわれている。裂けた世界が戻れば、この体も元に戻るのだろうか。もしや通信方法を間違えたのだろうか。
 あの日、美咲が差し出したカーネーションに手を伸ばした瞬間、世界が裂けた。ページがめくられるように。薄紙が剥がされるように。〈例の現象〉だとすぐにわかった。英二と美咲が消えた以外はなにも変わらない。外に出れば人がいるし、街で買い物もできる。
 離れ離れになっても通信はできると聞いていたから、片っ端から試してみた。電話、メール、SNS、ハガキを送ってみたりもした。けれどもどれもだめだった。なにが繋がるのだろう。
 二人のことを思うときに浮かぶのは別れ際の光景だった。記憶の中では、差し出されたカーネーションがひと際鮮やかに映し出された。
 初めはカーネーションを一輪買ってきて話しかけてみた。けれども花はただの花で、通信機器にはならなかった。ならばと自らがカーネーションになることにした。花瓶代わりのバケツに水を張り、足を入れた。目を閉じ、美咲の手にあったカーネーションを思い浮かべていたら、いつしか二人のいるリビングに立っていた。一瞬、元に戻ったのかと思ったが、話し始めてすぐに違うと感じた。二人の声が合成音声のように聞こえるのだ。なにより二人はとてつもなく巨大だった。天井が遥か彼方にあるのを見て、二人が大きいのではなく自分が小さいのだと気づいた。香織はカーネーションの花冠に収まっていた。どんな方法であれ、英二や美咲と繋がっていられるのは嬉しかった。
 次第に自分がカーネーションになることに慣れ、バケツに入ってからあちらに繋がるまでの時間が短くなっていった。
 そして、体に変化が表れ始めた。最初は膝下が緑色に染まった。肌がつるりと硬くなり、節が膨らみ、葉が生え、首元の皮が剥けてきたかと思うと筒状の咢になった。そのころになってようやくカーネーションと同化しすぎたことに気がついた。
 いつしか日が暮れていた。そろそろ英二が美咲を連れて帰宅しているころだろう。香織は硬くなった体をゆっくりと伸ばしながら立ち上がった。
 そのとき。目の前で、世界が裂けた。あの日のように。いや、違う。開いていたページが閉じられるように。剥がされた薄紙が貼られるように。二つの世界が再び重なり合う。
 英二が調理台に向かい、その太ももに美咲がしがみついている。
 元に戻ったのだ。
 美咲が振り向いた。
「……ママ?」
「ん? 美咲、どうした?」
 調理を続ける英二から離れ、美咲がやってくる。香織は硬くなった体にありったけの力をこめ、娘に手を伸ばそうとして……。
 ぽきり。
 節で折れ、花が落ちた。
「あ……」
 美咲が拾い上げ、赤い花弁をかき分けて覗き込んだが、そこには求める姿はない。不満そうに小さな唇を尖らせた。
「美咲? なんかあったのか?」
「ううん。なんでもない」
 美咲はカーネーションを手放した。ローテーブルの上に転がる花冠から、ひと粒の雫が零れ落ちた。

(了)

霜月透子さんの前作「鱗片」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory101.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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