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新・世にも小さな ものがたり工場

ショートショート大賞優秀賞受賞者

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「ポトフ元年」(山岐信)

2019.03.29 更新

 百から一を引くと、九十九になるはずだ。なのになぜ、百のままなんだろうか。
「――と、そういうわけでして、つまり、病院から学生課に電話があったらしいんですが、はて、おかしいな」
 入学式の司会進行を任された、銀縁メガネにちょび髭の先生が、首をひねっている。学生課の内線を受け、学科事務室から走ってきたという女性の助手も、先生の横で顎に手をあてて不思議そうな顔をしている。
 先生は新入生席を、左から右にゆっくりと見た。
「百人全員いますよね」
 大ホールで学部全体の歓迎式が行われたあと、俺たち新入生は北棟三階の学科ラウンジに集められた。パイプ椅子の十個並べられた列が五列。それが真ん中の通路を隔ててツーブロック――つまり、五十、五十で、合計百個の椅子がある。俺は右側のブロックの最後列、一番右側の席に、慣れないスーツを早く脱ぎたいと願いながら座っている。見渡すかぎり空席はない。
「繰り返しになりますが、救急車で運ばれた学生は、これから入学式だと言って、うちの学科名を答えたらしいんです。駅から大学に向かう途中の、こぶし公園の前の交差点で、その先にある印刷所の車と接触したそうで……学内刊行物の関係でうちにも出入りのある業者でしてね、月曜定休のはずなのに、なぜ稼働していたんだか……幸い命に別状はないようですが、事故についてご存知の方は?」
 先生は、学生だけでなく、自分の背後の教員席にも目線を送った。二、三人の先生が、俯いて首を左右に振る。
 ふと、俺の左隣に座っている男子と目があった。彼は照れくさがっているとも、苦笑しているとも取れる微妙な笑みを浮かべながら、
「事故に遭ったのは、本当にここの新入生なのかな?」
 と訊いてきた。
「一人来られなくなったら九十九人になるはずだけど、百席全部埋まってる。別の学科のやつか、大学名からして間違いか――そもそも大学生なのかどうか」
 背後の廊下から、一人分の慌ただしい足音が聞こえる。まもなく、男性の助手が、中央の通路を突っ切った。先生のもとに駆け寄るなり、何やら耳打ちする。
 助手のほうに耳を寄せている先生は、ふいに眉間に深い溝を刻んだ。すっと体を正面に向けて、台の上のマイクに口を近づける。
「病院にいる学生の名前がわかりました。……えー、しかしながら、入学式の受付表にその人のチェックが入っているらしいので、ここにいるのも間違いないんですが……植月くん――植月昌弘くんはいますか」
 新元号はポトフです。
 なぜ、こんな時に、今朝の官房長官の発表を思い出すのだろう。今、それはまったく重要な事柄じゃない。俺が――俺こそが植月昌弘だということ。そして俺は俺のはずなのに、車に轢かれた俺が病院にいるという状況。ただそれだけのはずなのに。
〈なぜポトフなんでしょうか?〉
 テレビ画面の中で、フラッシュの雨に打たれる政府のスポークスマン。渋味の効いた百戦錬磨の政治家の顔で、記者の質問に答える。
〈……ポトフ〉
〈ポトフがお好きなんですか?〉
〈……いやあ、実にポトフ〉
〈社会に混乱が生じそうですが……?〉
〈しかも、本日施行いたします〉
〈今日? 新元号に切り替わるのは、五月一日のはずでは?〉
〈今日から日本はポトフです〉
 ふいに左肩を叩かれた。驚きのあまり、息を吸い込みすぎてむせる。
「大丈夫かい? 顔色悪いけど……」
 さきほども話しかけてきた隣の男子だ。
「だ、大丈夫。ありがとう」
 何が起きているんだ? 俺が轢かれた? ばかな。俺はここにいるじゃないか。
あたりが騒がしくなっている。無理もない。ざわめきの中で誰かが叫んでいる。百人目はきっと植月の幽霊だぜ、と繰り返し言っている。別の声が、死んでないっぽいから生き霊じゃない? と言った。
「僕、ポン尻って言うんだ。ポン尻清和。きみ、名前は?」
 隣のやつは、照れくさそうに下を向いた。
「ポン尻? ご先祖は焼き鳥屋?」
「変わってるでしょう? 嫌いなんだ。きみの名前は、その、なんというか、いい意味で普通なんだろうね」
 ザ・聞く態勢という目でじっと見つめてくるポン尻清和。
素直に名乗っていいものだろうか。今、名前を言ったらどんなことになるだろう。目の前のこいつが驚きの声をあげる? いや、前の席の、髪をきっちりとお団子に結っている女子なんかが、先に騒ぐかもしれない。俺は一手に注目を浴び、先生に申し出る羽目になる。申し出たあとは? 面倒じゃないか?
「う……ゲフエッフン……ゲホゴホ……ひろ」
「ん?」
「エホオッホン……き……ヘックショイエッショイ……ひろ」
「えっと……」
「ヒロポンでいいよ」
「そ、そう……。なら、まあ、そう呼ばせてもらうけど……僕がポン尻だから、二人一緒にいると、なんだかポンポンしちゃうね」
 ポン尻は一瞬、ためらうように視線を落としてから、またこちらを見た。
「あのね、ヒロポン。僕、植月昌弘くんって人、本当に轢かれたと思うんだ」
「なんでそんな酷いことを言うんだ」
「酷い?」
「いや……えっと、どうしてそう思ったのさ」
 ポン尻はまた思案顔で俯いた。と、ふっと顔をあげて、司会の先生を顎でしゃくる。
「あの人、なんの研究してるか知ってる?」
「さあね。実存主義的ちょび髭の生え際におけるカタルシスとか?」
「そんな研究があるの?」
「ないよ」
 ポン尻は、さも残念そうに、面白そうなのになぁとひとりごちた。
「あの教授ね、パラレルワールドを研究していて、ちょっとした有名人なんだ。助手さんが来る前、入学式を始めようとして、なんて言ったか覚えてる?」
「えっと……」目をつむって、先生のしゃべっている姿を思い出す。「たしか、平成三十一年度入学式を始めます、って言ったように思うけど」
「そう! そうなんだよ!」
 ポン尻はにわかに興奮して、人差し指を振った。
「今朝の政府の発表で、世間はポトフ元年になってる。だから、教授はポトフ元年度って言わなきゃいけなかったんだ。でも、言い間違えた。そのせいで、この空間はまだ平成なんだ。この意味わかる?」
「悪いね、言ってなかったけど、実は前回のノーベル賞とりそこねたもんでさ」
「うーん、だからね」とポン尻がもどかしそうに言う。「僕の推理はこうなんだ。ポトフ元年が始まったから、定休日にもかかわらず印刷所が稼働しなきゃならなくなった。きっと、新元号で刷る予定の印刷物とかあっただろうからね。納品が前倒しになって、急いでいたドライバーが植月くんを轢く」
「それじゃ、ここには九十九人しかいないはずじゃないか」
「もしも」とポン尻は俺の言葉を無視した。「事前の発表通りに、あと一ヶ月、平成が続いていたら?」
 答えを促すように、ポン尻がじっと見ている。
「今日は印刷所が休みのままで、新入生の一人が轢かれることもなかった? ここには予定通りに、百人の学生が揃っている?」
ザッツライトと言うように、ポン尻は人差し指で俺を指差した。
「たぶん、教授が平成三十一年度って言い間違えた瞬間に、事故の起きた〈ポトフ世界〉から、事故の起きなかった〈平成世界〉が分岐してしまったんだ」
 前の席のお団子髪の女子が、椅子の上で体をねじって振り向いた。彼女はポン尻に鋭い視線を向けた。
「私はCIAよ。お話作りがお得意のようね」
 それから俺に視線を移し、
「あなたの名前を知ってるわ。受付の時、すぐ横にいたの。名乗らなかったのは正解よ。隣のやつの言うことを信用してはダメ。名前もね。それからあの教授も、政府の発表も。すべてを疑うの。もちろん、私のこともね」
 いったいどういうことなんだ、と彼女に訊ねかけたところ、ポン尻が遮るように、
「世界を元のポトフ元年に戻すためには、教授に初めから式をやり直してもらうしかない」
「えっ、けど、君の言うことを信じるなら、ポトフ元年だと俺――じゃなかった。植月とかいうやつは事故に遭うんだろう?」
「気の毒だとは思うけど、それが正しい世界だから――待って……」彼はハッと息を呑んだ。「ポトフ元年って発表された時から、そもそも世界は間違っていた? だっておかしいよ、ポトフだなんて。だとすると、政府が正しい会見を開かないかぎり、ずっと……」
 パン、パンと手を叩く音が聞こえた。見回すと、叩いているのはマイクの前の先生だ。
「皆さんに、重大なお知らせがあります」
 会場のざわめきが、すっと静まる。
 先生は深刻な表情から一転、満面の笑みを見せた。鼻の穴を膨らませ、両腕を横に広げる。
「エイプリルフール!」

(了)

山岐信さんの前作「背中」はこちら
http://kinonoki.com/book/monogatari-factory/factory98.html

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作品について

著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
the world is wide(ザ・ワールド・イズ・ワイド):「「名たんてい 赤塚れい子のじけん薄」を読んで」で第3回優秀賞を受賞。
霜月 透子(しもつき・とおこ):「ぬか床ラヴァー」で第3回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。
山岐 信(やまき・まこと):「孕む壁」で第3回優秀賞を受賞。

作品概要

あなたはどの作品がお好きですか?
第1回、第2回、第3回ショートショート大賞で優秀賞を受賞した9名の方の競作連載。
共通のお題だからこそ浮かび上がる、作家ごとに異なるオチ、着想、作風etc。
きっと好みの作品に出会えます。

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