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世にも小さな ものがたり工場

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「ワンナイト・マジック」(梨子田歩未)

2017.11.15 更新

「バーに来るお客さんで誰かいい人いない? お金持ちで、ハンサムで、優しくて、仕事ができて、家庭も大事にするパーフェクトな王子様みたいな人」
 でも、そんな人いても自分には見向きもしないよね、という言葉はカルーアミルクと共に飲み込んだ。
 同い年くらいの若い女性バーテンダーは質問には答えず、わたしの前の空のグラスを下げ、滑らかな手つきでシェイカーを振りはじめた。
 わたしはバーカウンターのスツールに座ったまま、視線を後ろのラウンジに向けた。
 ラウンジにいるシックな服装に身を包んだ女性たちを見ていると、とたんに自分の着ているナイロンのピンクのワンピースが安っぽく思えてくる。
 ため息をついて、カウンターに肘をつく。バーテンダーは出来上がったカクテルをハイヒールの形をした透明のグラスに注ぎこむ。ハイヒールはオレンジ色に染まった。
「どうぞ」
 ガラスのハイヒールになみなみと注がれたカクテルがすっと差し出された。
「頼んでないけど」
 バーテンダーは穏やかな物腰のまま言った。
「サービスです」
 ひとりで何杯もカクテルを頼んでは飲み干すわたしを気の毒に思ったのだろうか、うれしさよりも恥ずかしさが胸に込み上げてきた。
 バーテンダーが言った。
「あなたの夢が叶いますように」
 ガラスの形のグラス、どうやって飲むのだろうと戸惑いながら、ヒール部分をつかみ、つま先部分に手を添え、持ち上げた。明かりに照らされたカクテルの表面が波打った。
 カクテルに見惚れながら、かかとの部分に口をつけた。
 ハイヒールを傾けると、柑橘系の甘みと酸味が口の中に広がった。飲みやすい口当たりで、すぐに飲み干してしまった。喉に残るほのかな甘みが徐々に消えていくのが名残惜しい。
「これって」
「シンデレ」
 バーテンダーの言葉を遮って、わたしは思わず苛立った声を出した。
「知っているわよ。シンデレラなら。有名なノンアルコール・カクテルでしょ。そろそろ酔いをさませってこと?」
 バーテンダーは首を静かに横に振った。
「このカクテルはシンデレラ・ナイトです」
「……でも、要はノンアルコール・カクテルの一種でしょう」
 バーテンダーは顔に微笑みを浮かべたまま、また首を横に振った。
「いいえ、アルコールではないのですが、特別な成分、媚薬の一種といいましょうか、そういったものがほんの数滴たらしてあるのです」
 微笑みを絶やさないバーテンダーが急に疑わしくなってきた。度数の高い酒を飲んだように顔があつい。
「変な物じゃないでしょうね」
「変な物ではございません。ただ、効果は深夜十二時までです。それから」
 バーテンダーが話している間にも、火照りが体中に広がっていく。
わたしは席を立ち、ラウンジで静かに酒と会話を楽しむ人々の間をふらふらと通り抜け、化粧室に向かった。
 洗面台の蛇口をひねり、冷たい水で手を洗う。まだ火照りのある顔を洗いたい衝動に駆られるが、水でメイクが崩れたら、今夜は何の収穫もなしにおとなしく家に帰ることになる。
 どうしようかと、顔を上げ洗面台の鏡に映った自分を見て、言葉を失った。
 肌はいきいきとして、頬は上気し、唇はつやつや。魔法のフィルターがかかったように、美しい。
 顔の造形そのものは変わっていないのに、受ける印象がまったくの別人だ。
 鏡に鼻が付くほど近づけると、うるんだ瞳に星形の光が浮かんでいるのが分かった。まばたきするたびに星がきらめく。
「これがわたし?」
 鏡に向かって、顔を横に向け、横顔をチェックしたり、口の端をキュッとあげて笑ってみた。鏡の中の自分から目が離せない。
 全身の映る鏡の前に移動して、ポージングをしながらくるくるといろんな表情をしてみた。小首をかしげて微笑んでみたり、上目遣いをしてみたり、そのどれもがモデルのワンカットを見ているようだ。
 さっきまで安っぽいと思っていたワンピースも、どこぞのブランドショップのウィンドウに飾ってあるものと言ってもとおる位に素敵に見える。
 落ち着きを取り戻し、これはとんでもないチャンスを手に入れたとほくそ笑んだ。
 この魅力を使って、いい男を捕まえてやる。
 トイレから出て、今度は背筋を伸ばし、余裕を持ってランウェイを歩くモデルになった気持ちでバーラウンジを歩く。
 バーカウンターに戻ろうと歩いている間に、さっそく後ろから肩を叩かれた。
「よかったら、もう一軒いきませんか?」
 声の主は身長が高く、わたしは顔を少し上げた。その顔を見て、頬が緩みそうになるのを押さえた。
 即答せず、口に困ったような微笑みを浮かべたまま迷ったそぶりを見せる。
「ええと」
 その間に、声をかけてきた男の服装や持ち物にも抜かりなく目を走らす。ルックスだけじゃダメ。わたしが求めているのは完璧な王子様なんだから。
 スーツの袖からチラリとのぞいた時計は高価そうだ。しわ一つないスーツ、磨かれた靴。ネクタイをせず、第一ボタンを外したワイシャツから除く首元。ラフなのに、スマート。 
 なにより、男の醸し出す雰囲気が落ち着いていて、渋い声は心を落ち着かせた。
「ぜひ行きたいです」と口にしかけて、わたしは思いとどまった。
 今のわたしは、魅力的な女。誘われたくらいで簡単に舞い上がっているようじゃダメだ。相手に価値があると思わせないと。
 鏡の前で、練習した表情を思い出し、相手を挑発するようなまなざしを男に向けた。
「わたしを楽しませてくれる自信があるのなら、どうぞ」

 バーを出て、夜道を歩く。火照った体に夜風が気持ちいい。男の隣を歩きながら、わざと何度か微かに男の手に自分の指先を触れさせた。
 触れては離れを繰り返していると、男は突然立ち止まって、わたしの顔を正面から見た。見つめ合っていると、瞳が濡れて、心拍数が上がった。
 わたしは恥じらいつつ顔を背けつつも、体は男にもたれかかる。これも計算。
 勝負は十二時まで。シンデレラと同じ様に、十二時になったら、この魔法はとけてしまうのだから、回りくどいことはしていられない。
「ねえ、少し酔ったみたい」
 あとは男に体を預けながら、薄目を開けて、男についていくだけ。広いホテルのエントランスを抜け、エレベーターをぐんぐん昇って、高層階の部屋まで。
 部屋に入ると、まず飛び込んできたのが窓から見える都会の夜景。ビル群のきらめきの中に東京タワーが煌々と輝いている。
 黒い革張りのソファも、大理石のお風呂も、ふかふかそうな大きなベッドも、なにもかも初めてだった。
 はしゃぎそうになる気持ちを押さえて、ただじっと男に背中を向けて大きな窓に顔を近づけて、夜景に見入った振りをする。後ろからわたしを包み込むように男の手が伸びてきて、背中に男の体温を感じる。
 このチャンス、ものにして見せる。

 カーテンから漏れる朝日に薄目を開けた。背中を向けて眠っている男を起こさないように、脇にあったバスタオルを体に巻き付け、そっとベッドから降りた。
 わたしは部屋を見回し、言葉を失った。
 薄汚れた壁紙に、安っぽい合皮製のソファ、毛玉だらけのじゅうたん。昨日までの高級な内装はいったいどこへ行ってしまったのか。
 窓から見える風景も全く違っていた。雑多な風景が広がり、東京タワーがあった場所には、工事中のばかでかいクレーンが鎮座している。
 洗面所に駆け込み、曇った鏡の中を覗き込むと、いつもの自分がいた。いつもよりもっとひどい。メイクを落として寝なかった肌は粉がふいている。赤い吹き出物、血走った目、目の下のクマ、皮のめくれた唇。
 バーテンダーの言葉を最後まで聞いていなかった。魔法にかかるのは、自分自身だけではなかったのか。
 スプリングのきしむ音がして振り返ると、ベッドの上で男が寝返りをうってこちらを向いた。

(了)

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著者プロフィール

ショートショート大賞優秀賞受賞者

ショートショート大賞 優秀賞受賞者
恵誕(けいたん):「超舌食堂」で第2回優秀賞を受賞。
高山 幸大(たかやま・こうだい):「雨女」で第1回優秀賞を受賞。
滝沢 朱音(たきざわ・あかね):「今すぐ寄付して。」で第2回優秀賞を受賞。
長野 良映(ながの・りょうえい):「ヤンタマ」で第2回優秀賞を受賞。
梨子田 歩未(なしだ・ふみ):「靴に連れられて」で第1回優秀賞を受賞。
行方 行(なめかた・ぎょう):「紙魚(しみ)の沼」で第1回優秀賞を受賞。

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